第844回 聞くべきものを 聞いたか

 平成21年 3月26日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

以前 教区の仏教壮年会での 梯実円先生のお話をご紹介しましたが
読み返して読んでおりましたら こんなところが ありました。 

 本願力に  あひぬれば    むなしくすぐる  ひとぞなき
  功徳の宝海  みちみちて    煩悩の濁水  へだてなし 

 というご和讚がありますが、               

お念仏に出会って  如来さまの ものの考え方  如来さまのものの見方
それを知らされて 如来さまが  私を どう見ていらっしゃるか 
人間を どうご覧になっているかを 如来さまの視野で  物事を
見ることが出来れば  そういう 心の視野の開かれた
人々は  むなしく過ぎることは  ないですよ、と。

   聞くべきものを 聞いたか 

   知るべきものを 知ったか 

 それで違う それによって決まる。 
人生は むなしくなるか  むなしくならないか 違いが  出てくるのだと
示しておられる。


如来さまが  どう ご覧になるのか、視点が 変わることを 回心といい

親鸞聖人は これを
  「自力を捨てて 他力に帰す」 と  自己中心的な ものの 見方
 ものの考え方が 変わってくる  如来さまの 視点で ものを
見るように なってくると 人生が 転換する。 

如来のおこころで 仏様の見方で  おこころで ものを見ることで。

仏さまが一番願ってらっしゃる  人間像は 人の痛みがわかる
人間に なってほしいということ。

人の悲しみが わかる そんな  人間になってほしい ということ。
賢い人間には 全員なれないが  人の痛みがわかる人間に
これなら  全員なることができる。

自分の子供や、孫が どんな  子供に 育ってほしいか。 
人の痛みが わかる人間に  なってほしい。 人の痛みが分から
ない人間だけには なってほしくない  これは悲しい 

一番大事なことは  仏の大悲心を学べ そして長時  退転しないように 
この道を 歩き続けよ。


死んでも 歩き続けよ。  お浄土へ いっても それで終わり ではない  
還相回向 がある。


浄土の教えとは  お浄土に 生まれるのが   目的 ではない。
お浄土に生まれて そこで  さとりを開くことが 第一の 目的ですが 
それが究極の  目的ではない。 


浄土に生まれて 悟りを開いて  それで 何をするか 
それが 問題です。 

人々の痛みに よりそい 人々の  痛みを 背負うて 人々と共に
生き続ける 人々を支え続ける  それが出来る 仏になる。

人々の痛みを 癒やすことの できる 仏陀になる。
それで お浄土に生まれるのは  有難いと ご開山様はおっしゃる。

さとりを開いたら 人々の痛みを
  この世では どうして やることも
出来ない どうしようも なかったが これからは 今度は 人々を  
幸せに出来る それが 有難いと。


人の痛みが分かる人間になってほしい そう願われていることを味わえる 
南无阿弥陀仏を 聞きながらの毎日でありたいものです。


妙念寺電話サービス 次回は 42日に新しい内容に変わります。

         


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