第845回 共に歩いて

 平成21年 4月2日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。
3月、4月は 巡番報恩講の季節 各地で 五日間から一週間 連続して報恩講法要が 
勤まっています。


ご案内いただいたお寺 私どものお寺の報恩講に前回ご出勤いただいた お寺には
七条袈裟を持参して お内陣に出勤したあと、お聴聞させていただく 毎日です。

ところで その法要でのご法座で 学校の先生をしておられた ご講師の方のお話に 
こんなところが ありました。


学校には たくさんの立派な先生がいらっしゃいます。
そして 先生方は 子供たちに こっちの方向がいいぞ あっちの方向がいい
この道を行け あの道をいけと 熱心に勧めていただき 子供たちの夢を
かなえていただいています。

ところが 多くの先生は 指し示してはいただきますが、一緒に歩こう 
この道を行こうと 共に歩いていただく先生は なかなかいないもの。
指し示すことは出来ても 共に歩く先生は 少ないとおっしゃいます。

  そして この教えの世界でも この道を一緒に歩こうと言っていただく方は
私にとっては 親鸞聖人ただ一人です。と お話いただきました。

他人に勧めるだけではなく この道はいい道ですよと 勧めるだけでなく
この道を共に歩いていきましょうと おっしゃっていただく方
共に お念仏の道を歩きましょうと おっしゃる方 その方は
親鸞聖人しか ありませんと。

 それに 住職をしていて 一番悲しいことは 辛いことは 教えに
耳を傾けず 一緒に歩きましょうとお誘いしているのに なかなか
近づいていただけないこと 無視されることであるとのお話です。

住職ですから お葬式の機会が多いものですが 先に亡くなられた方が
お浄土へおいでになっていると 信じていた方が お浄土へいったら
まだ到着しておられない 化土 方便の化土か 仮の浄土で留まって
阿弥陀如来の浄土へは おいでになっていないということになっては
大変なことです。

そんなことがないように どうぞ お念仏に出会って 本当のお浄土で 
ともにお会いしましょうと呼びかけていただきました。



  また宗教は 個人の宗教であり 家族の宗教 家の宗教ではないと 
いいますが、ことによると 浄土真宗だけは 家の宗教かもしれない。 

親子兄弟 愛しい人親しい人 この世で 別れなければならなかった人とも 
やがて お浄土で また会うことができる。
家族が 再開できる世界がある。そういう意味では 家族全員 そろって
また会える教えである、家族の宗教であると 言えるのではないかとのお話でした。


阿弥陀さまが 一人ももらさず 救うという教え、お浄土へ
すべての人を生まれさせ 仏のさとりを開かせようという教え。

ただ 教えを誹謗する人や 一闡提の人は 難しいとも説かれています。
一闡提とは 断善根、信不具足と訳されており、インドでは快楽主義者や
現世主義者を指すといわれ、正法を求めず、さとりを求めるこころがなく、
成仏することのできないものをいう。とあります。

しかし、善導大師はこのような機でも 回心すれば往生することができると
言われています。

 どうか 一日でも はやく教えに出会って ともにお念仏をして
親しい人が待つ お浄土へ間違いなく生まれさせていただきたいものです。

そして 仏となった方が、この私を 南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏と 呼びかけて
いただいている その声を 毎日 ちゃんと、お仏壇の前でも ご飯の時でも
道を歩く時も 仕事の時も お風呂に入っても 寝ても覚めても 南无阿弥陀仏と
南无阿弥陀仏と 聞かせていただきたいものです。

妙念寺電話サービス 次回は 4月9日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)