第858回 みんな輝け

 平成21年 7月2日 〜

お仏壇の お荘厳は 花と灯りと香が中心です。
敬いのこころを 表すために 貴重なものを お供えすることから
始まったものと 思われます。

灯りは 燈明 昔は高価な油を 灯すことで 暗闇を照らす 仏教の
教えを 表したものでしょうし、香は、かおり 鼻で  花は 目で 
お浄土のすばらしさを また はかないいのちを 生き抜くことを、
そして お勤め お念仏の響き 雅楽の音色 等 耳で
 教えを讃嘆し 
伝えてきたのだと思います。


ところで ご本山へ お参りして感じますのは その荘厳さです。
特に お花のすばらしさです。

この度の御影堂修復完成慶讃法要でも 前卓にある その大きく美しい
仏花は 言葉ではとても表現できません。

このところ 坊守さんを中心に ご本山のように すばらしい仏花を
生けようという勉強会 研修会が 何度か開かれているようです。

それには 本山のお花を生ける専門の方に指導をうけるのが早道と
講師に招き 基本を学び そのあと 自分たちで何度か集まって
研鑽を積んでおられます。

普通のお花の生け方は 大きく生けるには 茎の長い枝や花が必要です。
美しく綺麗な花でも 茎が短いと 花瓶近く 根元
 足元を飾るだけで 
上の方に配置することは むずかしいものです。


そこで 華瓶に大きな長い棒を差し その棒に水を蓄えられる花瓶(受け筒)を
数個配置した 器具を使って 美しく荘厳に生けることが 出来る
幹棒を使っての生け方です。

花瓶の後に回れば その仕掛けは わかりますが 正面から見れば 
ごく自然に 緑の中に色とりどりの花が大胆に生けられているように見えます。

テレビのスタジオで 幹だけの丸太に 生きた緑の小枝を打ちつけて 
枝ぶり豊かな庭木に見せるように

上の方の花瓶にも 中程の花瓶にも それぞれに 花を生けていき
枝の長い緑で 全体を形ちどり 大きく仕上げていくものです。

専門的に お花を勉強し 教えておられる 華道の先生に言わせれば 
こんなことは 邪道で許されないことでしょうが 仏さまを讃嘆する
仏花だから 許されることなのでしょう。

というより ご本山では 昔からそうして 人間よりもずっと大きい
お花を 生けてこられたということです。

先日 九州地区の声明の研修会が 近くの願正寺さんで 行われました。
この時も 坊守さんたちが この方式で ご本山並みに 大きく立派な
お花を生けていただきました。

お内陣が とても大きく広いので 最初はあまり 感じませんでしたが、
礼盤に ご導師が上がられ お花の横に来られると 比較するものが出来て
大きく生けられた お花が浮き立ってきて とても 見事なものでした。

この研究会 新しく制定された750回大遠忌のお勤めの勉強会でしたが
雅楽の演奏も加わり しかも 参加者全員で 新しいお勤めをすると
目と耳とそして その響きを肌で感じられ 大変荘厳ですばらしいものでした。

ただ聞くだけではなく 自分たちも一緒になってお勤めすることで
有り難さも増してくるのだろうと感じました。

  限られたいのちを 精いっぱいに咲き そして散る 人間も同じように
精いっぱい花開けと 教えてくれているようです。
そして 例え 茎が短い花でも 茎が弱く安定しなくても 低い所で
ひっそりと咲くことしか出来ないのではなく 高いところにも 中央にも 
自由に配置され 輝くことができる 精いっぱい咲き誇り そのいのちを
終えることができることを 教えていただいているようです。


特に選ばれた茎の長い花だけが 重宝がられるのではなく 
茎が短くて使い物にならないと 普通の生け方では棄てられてしまう花でも
上の方に設置された花瓶(受け筒)から 十分に水を吸い上げることが出来る。

大きくても 小さくても どんな花でも平等に みんな輝くことができる
それぞれに その役目を果たすことができる 咲き誇ることが出来る。

お念仏に生きる人も みんな平等に 輝くことができるのだよと そのよろこびを 
仏花で表現されているようで とても 有り難く 思えてなりませんでした。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

次回は、79日に新しい内容に変わります。

         


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