第860回 ああ そうか

 平成21年 7月16日〜

妙念寺 電話サービス お電話ありがとうございます。

近頃 よく物忘れをします。
車で 道路を走っていても どこへ行っているのか 瞬間わからなくなったり
何かを 取りに 部屋に戻ったのに 何を探していたのか 思いだせなかったり
顔は 思い出すものの 名前が出てこないとか

そうしたとき なにかすっきりせず、連想ゲームのように
順番に 思い出していきながら 「あっそうだ そうだった」と
思い出した時 なんとも言えない爽快な気持ちになります。

歯にものが 挟まっていたのが とれた時のような 指に棘がささっていたのが
うまく取り出せて すっきりするような気持ちです。

ところで 毎日毎日 ご門徒と お会いしていて 感じることは
よくお聴聞される方と ほとんど 本堂へのご縁のない方との違いを
つくづく感じています。

仏さまのお話を聞いていただいている方は 病気になっても 膝や腰が痛くても
お子さんお孫さんのことが 理想通りにならなくても どこか すっきりと
しておいでの方が多いということです。

仏さまとのご縁のない方は 指に棘がささったままのように
その痛みに こころを奪われて 不愉快な 不安な表情と
思い通りにならない 愚痴が ほとばしり出てくる方が多いということです。

「お蔭さまで。 有難うございます。 もったいない」などの言葉で 
代表されるような 価値観は 今まで家庭の中で伝えられてきたのだと

思います。

ところが 少々成績がいい 自慢の子どもや孫たちには 
こうした価値観を 伝えることが 出来ていないのではないかと
思われてなりません。

成績が良い 出来の良い子だとの安心から 人間として もっとも大事な
支えあい 助け合い 共に 生きていく 生かされているということを
うまく 伝えていないケースが多いように思います。

学校でも習わない、入学試験にも出ない 新聞やテレビでも言わないことは
意味のない たいしたことではない 勝った 得した 評価された こうした
ことだけが 重要でありすべてであると 思っておいでの方も多いように
思われてなりません。

高等教育を 受けて 社会的な経験が豊かで 評価の高い人ほど
仏教的な価値観 お念仏の意味 はたらきが 理解できない 無意味だと 
見向きもしない方が ご縁のない方が多いように感じられてなりません。


どうか 先輩たちが大事にしてきたその心を 形だけ受け継ぐのではなく
その本質を 受け取っていただければと 思います。


JRに就職し 運転手になることが 夢の青年がいらっしゃいますが
指で信号や 器具を指さ示して 一つ一つ確認する作業は そうすることで
見落としや 思い違いがないように 形から入ってくるもの。

一つとして見落としがないようにと 先輩たちが工夫し伝えてきた形です。
その形を受け継ぐことで 安全を確保しようとした その精神を受け継がなければ
形だけで終わっては 意味ないことです。

そういう意味では お仏壇があり お墓があり そこにお参りして手を合わせる
その形で 伝えたい本当の願いを 意味を 受け取ることが 大事ではないかと 
思えます。

そのこころが 受け取れると 何のためにこの世に生まれ 何をすることが
人間として大事なことなのか この私のいのちは どうなるのか 先輩たちの
願いが思いが 受け取れて もやもやが 晴れて すっきりとすることだろうと 
思います。


どうぞ 忘れていたことを 思い出したように こころに刺さっている
棘を お念仏に出会うことで すっきりと解決していただき こころ豊かな 
意義深い人生を歩んでいただきたいと 思います。


ああそうか そうだったのかと 南无阿弥陀仏を聞くことで 
うなずいて この人生を十分に生きていただきたいと思います。

それが 先輩たちが 一番望んでおられること 願っておられる
ことだろうと 味わっています。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 7月 23日に新しい内容に変わります。

         


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