第868回 あまえ 〜田舎の親の葬儀〜

 平成21年 9月10日〜

妙念寺 電話サービス お電話ありがとうございます。

親は 子供のことを思い 自分が出来なかった夢を 子供に託すものです。
上級学校へ進学させ 高等教育を受けさせたいと 涙ぐましい努力した人が
多いものです。

ところが 地方には 高学歴の人が働く場所は少なく せっかく育てた子供は
都会で就職し 親たちだけが 地方に残って生活することになりました。

両親そろって居る間は まだ良いものの どちらかが欠けて 一人住まいになると
寂しさも増してくるものです。
しかし、子供の幸せ 子供たちが元気で 夢をかなえてくれればと 遠くから
応援しているものです。

その親たちが 高齢化してきました。
子供のところへ誘ってくれるものの のんびりした田舎住まいに慣れた世代は
狭くてせわしい 子供のところへは なかなか行きたくないものです。

例え出かけても 数日 数週間で辛抱 出来なくなって やがてまた 
田舎へと帰ってくる ケースが多いものです。

先日また 一人残っていた父親が 往生されました。

都会住まいの 子供たちは 父親の世界を知らないために ひっそりとした
葬儀を希望しますが 通夜 葬儀となると 親の仲間や近所の人たちが 
たくさん弔問に訪れ 改めて 自分の知らない親の生きざまを 
知ることになるものです。

それでも ふるさとを捨てた子供たちは お世話になった人びとへの 挨拶も
そこそこに 早々に引き揚げ 自分の世界へと帰っていきます。

親の苦労を 親の寂しさを なかなか理解できない子供たちは 
大事な仕事を休んで帰ってきたのだから、それで 自分は充分なことをしたと 
思いこんでいるように 見受けられます。


取り引き先の方の 葬儀に参列したように 自分の肉親の葬儀であるとの意識も
少ないように思えます。

親と一緒に生活していると 受け継ぎ 気づくことも 多いものでしょうが 
数年に一回 会うだけの親は もう他人に近い感覚に
 思えてなりません。

都会での自分の生活 自分の仕事のこと 家族のこと そのことだけが 優先され 
残されたわずかの遺産のことは 気にするものの 
 親への感謝の気持ちは 
なかなか見受けられません。


親と子が 分かれて住むこと 親の世代からの伝承がないことは こうも 淡白な 
人間関係になるのかと さびしく感じるものです。


自分ひとりで 努力して今の生活があるのではなく 見えないところで 
気づかないところで 自分を支えてくださった多くの方々があることを 
気づくチャンスが 少なくなってきたようです。

南无阿弥陀仏 南无阿弥陀仏と お念仏の味わいが少しでも伝わっていれば
もっと 違った親と子の関係が成立していたのではないかと つくづく感じて 
お取り次ぎする毎日です。


小さな子供の甘えの精神を そのまま残し大人になってしまった都会人が
なんと多いことかと。

深い人間関係を持ち切らずに 一人前の大人になりきれない 
地方出身の都会人に 寂しさと悲しさを感じています。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 9月17日に新しい内容になります。


         


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