第877回  平生業成の世界  〜現生正定聚〜

 
平成21年 11月 12日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

ところで こんな文章に出会いました。

 平生業成の世界 という 文章です。

平生業成とは 信心決定する平生のときに往生成仏の業因が成就する
(往生成仏がさだまる)ということで、意味は現生正定聚と同じであります。

経典の当面では浄土に生まれてから、正定聚の位に住すると説かれて
いるところを
 現世(平生)の信心決定のときに正定聚の位に住すると
示されたのが
 親鸞聖人であります。

しかし親鸞聖人は 平生業成という言葉はつかわれていません。
この言葉は覚如上人・存覚上人が使われ、蓮如上人もこのんで使われました。

親鸞聖人の教えを この平生業成の四字に圧縮したとさえいわれます。
蓮如上人は 「後生の一大事」をこころにかけることをすすめましたが、
そのことは 信心決定して平生業成の身となれといわれていることなので
あります。


たとえば「ご文章」5−16 白骨の章に
 されば人間のはかなきことは 老少不定のさかひなれば、たれの人も
 はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、

  念仏もうすべきものなり。

とありますように、後生の一大事を心にかけることをすすめることは、
阿弥陀仏をふかくたのんで、信心決定のひととなることをすすめている
ことなのであります。

そもそも後生の一大事の後生とは、「大経」に
 
  後生無量寿仏国 快楽無極
 (後に無量寿仏国に生まれて、快楽きわまりなし)

 とある言葉がもとになっているのであり、後生とは単に後の世
ということではなく
 往生浄土の意味であります。

したがって後生の一大事とは 往生の一大事ということであります。

 「帖外御文章」50に

  ねがふべきものは 後生善所の一大事にすぎたるはなし

 ともあります。

後生の一大事とは 後生善所の一大事のことでありますから、
後生無量寿仏国(浄土)の一大事ということであり、したがって
往生の一大事ということであります。

そして蓮如上人においては、後生の一大事をこころにかけよということは、
信心決定の身となって平生業成のひと(現生正定聚のひと)となることを
すすめておられることなのであります。

蓮如上人が 来世一辺倒であるかのように誤解がありますが、
平生業成とは 親鸞聖人のすすめられた 現生正定聚のことであります。

信心決定のときに煩悩をもったままで、往生成仏のさだまった身と
ならせていただく、これこそが何ものにもかえがたい真実の
利益であると御教示されているのです。

南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏 

妙念寺電話サービス 次回は 11月19日に新しい内容に変わります。

      紅楳英顕 著(こうばいえいけん)伝道新書16 
               続・浄土真宗がわかる本 参照

                      教育新潮社発行1997年初版

         


           私も一言(伝言板)