第878回  第 1 8 願 ( 本 願 )

 
平成21年 11月19日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

ところで 阿弥陀仏の四十八願、その根本の願である 第十八願について 
ちゃんとお話ししたことがないことに
 気づきました。

「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
  若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」これが 第18願です。

   【現代語訳】 わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、
     わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、
     もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを
     開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るもの
     だけは除かれます。

『大無量寿経』というのは、阿弥陀仏の四十八の願をお説きになった
 経典です。その根本の願が第十八願であるために、それを本願と呼ばれます。

その中、「設我得仏」というのは、もし私が仏になったとき、という言葉です。

「十方衆生」というのは、あらゆる世界のすべての人びとということです。

「至心信楽」というのは、至心は真実という意味であり
 如来の誓いが
真実であることを至心といいます。
煩悩にまみれた人びとは、悪に染まり誤ったものの見方しかできないために、

本来真実の心や清らかな心は 一欠片もありません。

また「信楽」というのは、如来の本願の誓いが真実であられることを
ただ一筋に信じて疑わない心になることをいいます。
したがって、この「至心信楽」は 真実のないあらゆる衆生に、
如来が「私の真実の願と誓いを信じなさい」と勧められた誓いであって
凡夫の私たちのおこす自力の心ではありません。

「欲生我国」というのは、如来によっておこされた至心信楽の
心によって、安楽浄土に生まれることに間違いないという心が
そなわることです。

「乃至十念」というのは、如来の誓われた名号を
 称えることを
勧められるのに、称える回数や称え始めてからの時間に決まりがないことを
私たち衆生に知らせようと考えられて、「乃至」の
 言葉を「十念」の
み名に添えて誓われたものです。


如来よりお誓いを賜って信心がそなわった上は、平生のときを大事と心得て、
臨終のときの称名念仏を期待してはなりません。ただ如来が誓われた
「至心信楽」を深くたよりとすべきです。


この真実の信心が得られたときに、摂めとって捨てない如来の光に
包まれるために浄土往生が約束された正定聚の位が定まるといえます。

「若不生者不取正覚」というのは「若不生者」は、もし生まれることが
できないようであれば、という仏の決意であり、「不取正覚」は決して
ほとけにならないと誓われた約束です。

それは他力信心を獲得した人が
 浄土に往生することができなければ
仏にならないと表明された、私たち衆生の往生と阿弥陀仏の成仏が
一体にして誓われた確かな約束です。


本願文の最後に示される「唯除五逆 誹謗正法」というのは、「唯除」とは
ただ除くという言葉です。五逆の罪を犯した極悪人を嫌い、仏法を謗る罪の
重いことをしらせようとされることです。

そして、この二つの罪の重いことを示して、十方のすべての人びとが
みな洩れず往生できることを知らせようとされているのです。


 と、尊号真像銘文に述べていただいています。

           本願寺出版社 聖典セミナー白川晴顕師 著 より 一部抜き出し

 妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
 次回は 11月26日に新しい内容に変わります。


         


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