第883回 仏教の基本 〜念仏は常識を超えた教え〜

 平成21年 12月 24日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございます。

毎月 大阪から 先生においでいただき 勉強会が開かれていますが、
今回から 阿弥陀経に入りました。


その第一回として 「仏教の基本」ということを改めて お話しいただきました。

浄土真宗に最初から ご縁のあった人々は お念仏で救われるということに 
何の疑問も持たずに 当たり前のように受け取っています。


しかし、これは 他の宗派の人にとっては とんでもない話で そんなことが 
起こるわけがないと 思われるのが当然だろうと
 思うべきです。

お念仏だけで 救われると お釈迦さまが説かれていると 明らかにして 
いただいたのは 法然上人であり インドでも中国でもなく 日本で 
はじめて発見していただいたことです。


ところが これは それまでの仏教の常識からは 大きく逸脱している考え方
ひたすら努力して さとりを開こうとしている 仏教の研究者や、修行の実践者
からすれば とても許せることでは なかったと思われます。

仏教共通の考えかたとしては 七仏通誡偈と 言われるものがあります。

というのが仏教共通の基本とされてきました。

ところが この基本を お念仏の人々は あまり重要と理解していません。
  何が善やら何が悪やら 私たち凡夫には 分からず ただ念仏だけが
  善であり お念仏だけでいいと理解していますし、とても自分のこころを

  清くするなど 出来ないと諦め、お念仏一つで救われる と味わっています。

 確かに お念仏のはたらきは そうでしょうが お念仏に出あい 
 お念仏の生活をすることで 七仏通誡偈の意味する重要性に
 気付かされるものの 自分の力ではとても とても実践できないことであると
 ありありと 知らされ 恥じ入るばかりであるはずです。

 救われるということも お浄土へ往生出来るというだけではなく
 お浄土へ往生すると同時に 仏になるということも 仏教の常識では 
 考えられないことですが、親鸞聖人は お釈迦さまの教えにそれを
 見出していただきました。

 自分で一生懸命に努力して お浄土へ生まれることが出来、 お浄土という
 素晴らしい環境のもとで 徹底して 修行に修行を重ねて やっと仏になることが
 出来るというのが仏教の常識でしたが、


 今修行中の 弥勒菩薩でさえ これから 56億7千万年の修行をして 
 やっと仏になられるといわれます。 

 それが お念仏のはたらきで この私は お浄土へ往生すると 即 仏になるという 
 有難い教えが浄土真宗であります。


 また それが 将来明らかになるのではなく 今この時に 正定聚の位に
 住するということも 一般の仏教の常識を超えている 教えです。

 そのことの有難さが そのことの素晴らしさが 仏教の基本を理解せずに 
 最初からお念仏に出会った 人には なかなか味わえないのではないかと 
 思えます。

  誰でも 念仏一つで 仏になれる それが当たり前であると思うのか
 そのことは とても 有難いことであると味わえるかによって 報恩感謝ということの
 意味合いが 大きく違ってくるのではないでしょうか。

 本当は 自分の力で 善を積み 徳を積み 煩悩を無くして お浄土へ
 往生すべきところを 南無阿弥陀仏を口にし 聞く生活で お浄土へ
 生まれさせていただき 即 仏のさとりを得られるということを そして
 すでに 今 正定聚の位 仏になる仲間であるという有難さを
 もう一度はっきりと味わわせていただきたいものです。

 それを 明らかに教えていただいたのが 親鸞聖人であったと 
 もう一度 はっきりと 気付かせていただきたいものです。

  妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
  次回は、12月31日に新しい内容に変わります。

         


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