第894回 風船の外側の世界 〜往生浄土の人生〜

 平成22年 3月 11日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

こんな文章に出会いました。その一部分ですが

現代を生きている私たちは、無意識のうちに自分が把握して
理解している世界が 全世界であり、その他に世界があるとは
考えていません。

しかし私は、仏法は、私たちが生きている世界を 『二重構造』として
捉えていると考えています。

それが仏教の、特に浄土真宗の教えを理解するのに分かりやすいと
考えています。

 たまたま、ある講座の折、「仏教の究極の目的、目指すところは何ですか」
という質問をいただき、おおよそ、次のようにお答しました。
「仏教の究極の目的、目指すところは、私たちが今生きている世界
(世間・シャバ・生死の世界・此岸)の外に、私たちの思いを超えた世界、
次元を異にした世界、すなわち絶対真実世界(出世間・浄土・彼岸・
不可思議の世界)があることに目覚め、その世界を自己の立脚地として
生きる私に成ることです。」

最近では、その世界をイメージ図にして紹介しながらお話させて
いただいています。
「風船の内側の世界」と「風船の外側の世界」の二重構造ということです。


 「風船の内側の世界」は、私たちが今生きている現実世界、人間理性の
世界、自我の世界です。私たちはそこだけが実際にあると考えています。
それが合理的な 「科学の知」 が及ぶ世界です。

 実は、それを超えた世界があるということを教えるのが、真実の「仏教」
あるいは「宗教」です。
それを「風船の外側の世界」と私は言っています。


そこは「絶対真実の世界」です。「私の思いを超えた世界」です。
その世界を親鸞聖人は「他力の世界」と言われているのだと思います。

私たちは「風船の内側の世界」を生きています。そこからは壁に遮られて

「風船の外側の世界」は見えません。

そういう世界があるとは気づきません。中国古代の思想家荘子のいう
「井の中の蛙大海を知らず」ということです。

 現代の私たちは「科学の知」があまりに有効であるために、それに
酔ってしまい、それを超えた世界があることに気づこうとしません。

そういう世界が無くても生きていけると思っています。そこに現代社会の
持っている「深い闇」があると私は考えています。

 私たちが今生きている世界は「人間の思い・理性」が作り上げた
「自我欲望の世界」です。そこは「真実に背いた世界」です。
だから「迷いの世界」「苦悩の世界」というのです。

 仏法は、苦悩に沈む私たちを大悲して、その世界を超え出る道(=解脱・往生)
を説きます。この世間を超え出たところに賜る世界を「出世間の世界」、
即ち「真実世界」「仏・如来の世界」「浄土」といいます。

そこに私たちが「真実のいのちの立脚地」をいただくことが「救われる」
ということだと思います。

その「真実のいのちの世界」「浄土」を自己の立脚地として、この
「苦悩のシャバ」を生きる私に成ることが「往生浄土の人生」です。

 仏道、特に念仏は、私たちを、その「仏教の究極の目的」、真実世界に
目覚めさせるためにあるのです。

そしてその目覚めは、良き師に出遇い、真実の教えに遇って、本当の自分の
相に気づかされ、自我の壁が崩壊(南無)した時に、自ずからたまわるのだと
思います。

 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
 次回は、3月18日に新しい内容に変わります。

     (在家仏教 22年4月号 谷川理宣師 真実との出遇い の一部分)


         


           私も一言(伝言板)