第910回 願いにかなった 〜南無阿弥陀仏に生きる〜

 平成22年 7月1日〜

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。

ところで 近くに 大学受験 高校受験のための予備校が 幾つもあります。
○○大学合格 何名 ○○大学合格何名とか 個人の名前を張り出してある
予備校もあります。

小走りに 疲れた顔の若者たちが出入りしています。
勝負に勝って 他の人より点数を稼いで 受験に合格すること それが 
人生のすべてと 自分を奮い立たせて 頑張っているのだろうと 見受けます。

 ビズネスマンという人たちも 受験生と同じように 勝ちぬくこと
負けてはいけないと まずは自分を騙して 奮い立たせて、怠けずに 戦いに挑み 
負けたらお終いと頑張っている人が 多いのではないでしょうか。


目的は 勝つこと そのためには 自分も仲間も 多くのお客さんにも
これが最高 これしかないと訴えかけ 負ければすべてを失う、遅れちゃダメ 
時代おくれにならないように 朝から夜まで ひたすら走っている人が 
多いのではないかと思います。


しかし、それは 受験生でなくなれば 意味ないことのように 
その会社を退職したり 組織を外れれば意味がないことのようです。

あくまでもその組織や 受験生仲間の間だけの競争でしかありません。
企業同士の競争もあるでしょうが、生き残るか 潰されるか 必死の戦いでは
ありましょうが、その競争の場から 外れた時 意味をなさなくなってくるものです。

 宗教というのは 戦いの場でも 平和な時代でも ビジネスの場でも退職後でも 
病院の中でも、学校の中でも 子供のころでも 大人になっても 
 
たとえ いのち終わろうとするときでも 私の行動の中心になる 大黒柱のような 
脊髄のように 円の中心点のような 絶対にゆるぎないものであるように 思います。


その瞬間、瞬間を 上手に生き抜くためのものではなく 不器用だと言われようと、
損をするよと言われようと、変わり者と言われようと 絶対に譲れない私の 
判断基準だと思います。


 南無阿弥陀仏という お念仏は 阿弥陀如来がこの私を救おう お前一人を
救わねばおかぬとの呼びかけ、どんなに苦しくてもどんなに悲しくても
騙されても裏切られても お前のことを信じている 一人子のように
見守っているぞとの 親の呼び声を聞くのと同じであろうと 思います。

上手に生きていかなくてもいい 失敗してもいい 苦労してもいい 真実に生きてくれ 
との呼び声だと味わいます。


 ビジネス書、受験参考書 ノウハウものも有難いですが、南無阿弥陀仏に出遇うと 
それらの書物の味わい方も 刹那的ではなく 真実の喜びとはなにかが、はっきりと
見えてきて、違って見えてくるのではないでしょうか。


私の幸せ 仲間の幸せだけではなく すべての人の幸せのために はたらく。
仏さまへ 手を合わせ 南無阿弥陀仏と 讃嘆する生活は 勝った負けた 
損した得した 苦労した楽した 認められた認められなかったの 問題ではなく、
すべての人のために はたらく阿弥陀如来の願いにかなっているか 
外れているかの 問題だろうと思います。


  18番をつけた サッカーの本田選手が、自分だけ得点するのではなく
仲間に譲って 一緒に点を取ろうという あの精神が 競争の世界の中でも 
ほのぼのと 味わえてくるのだろうと 受けとめられます。


上手に生きるのではなく 南無阿弥陀仏に生きる 阿弥陀如来の願いに
生きること それが お念仏の人の生き方だろうと味わいます。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 7月8日に新しい内容に変わります。


         


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