第932回 「今 ここ」 の生き方  〜空しくない人生を〜

 平成22年 12月 2日〜

「全ての医者は 坊主でもあれ」と 先輩からの言葉に 心ひかれ
「宗教なき医療は不健全である」と 医療現場でお念仏の生活をしておいでの
宮崎幸枝先生がまとめていただいた「お浄土があってよかったね」(樹心社) 
という本の中を読んでいます。

その中に こんなところがありました。


ガンの末期にも看護師さんに 労りの言葉をかけていた患者さん ホッチャンを思い出す。
ホッチャンが病苦、人間苦の真ん中で「同体の慈悲」という仏法を聞いた。

『安心』や「真の孤独の解消」に出遇い、人生の目的を達成した喜びからだったのではないか。
今『安心』の懐の中に住む幸せを心から喜んだのではないかと思われる。

不満足の人が多い中、彼は仏法の真髄である「今が既に安心で幸せ(平生業成)」という
目的の中心に居ることを彼自身が体験したに違いない。


人はいつも幸せを求め目的にしているが、今居るところが もう目的の中なのだという満足がない。
彼は「慈悲に出遇った人生と出遇わない人生との違いはここだよ」と我々に見事に見せてから
往生していかれた。


「病院の心」大切なことは、健者も病者も同価値、だからどのいのちも尊い、互いに人間に
生まれたことを喜び合えることであろう。

病院のかかげるスローガンの話ではない。
仏法からは「今、ここ」という生き方を学ぶ。

その結果は、例えば「新病院が建つまでは・・・とか、退院するまでは・・・幸せは来ない」
という生き方ではなくなる。


なぜなら「今既に、同体の慈悲の真っ只中」であれば、今は途中経過だという生き方はしなくなる。
「空っぽな時間」がなくなるのである。

そこで毎日が空しくない日々になる。これが「自分も他人も最大限に生かす」医療であり、
生き方では あるまいか。


今を大切にするのが仏教である。今を大事に生きる以上の素晴らしい明日はないであろう。
だって明日は今日に続く日なのだから。・・・・

と書かれています。


今 この瞬間 瞬間を お浄土へ向かって 歩んでいく
そこには 空っぽな時間がなくなっていく、自分も他人も最大限に生かす毎日が
芽生えてくるのでしょう。


南無阿弥陀仏に出遇うことで・・・
妙念寺電話サービス 次回は 12月9日に新しい内容に変わります。

 12月12日(日)は 餅つきです。午前8時〜 準備開始 お子様 お孫様を連れて ご参加ください。


         


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