第933回 莫大な遺産  〜お慈悲の相続〜

 
平成22年 12月 9日 〜

お医者さんで 念仏者 宮崎幸枝さんの本に「お浄土があってよかったね」の中に
こんなところが ありました。

私にとって莫大な遺産相続 

なぜもっと早く聞けなかったのだろう。
お互いここまで年をとってしまった今まで、コレを聞くのに時間がかかった。
ひとえに私のせいである。目前のことにカマケテ、忙しいことを表向きのイイワケに
母と過ごす時間をないがしろにしていた私の浅はかさに因る。

しかしタイムリミット内に聞けてよかった。危ない、危ない・:。
たしか、昨年のある日、母と過ごした一日に意外な形で先祖からの想いが私に届けられた。

予期せず母の昔語りの中にあった祖先の深く大きな願いと、強い愛情を感じ、
思わず感涙していた。

その日は、妹と同居の母をたまには、と私が家に預かり世話を引き受けていた。
ゆったりと流れる時間を共有しつつ、私は話しかけた。

「お母さん、お母さんを可愛がってくれたというおばあちゃんて、どんな人だったの?・」
もう聞けなくなるかもしれない、九十二才を過ぎた母に聞いておきたい、
そう思っていた。側にペンと用紙を用意しながら。
・・・・・・

*セツという母のおばあちゃんのこと
おばあちゃんは、かまどでお粥を炊きながら「ナマンダブツ」と言うんで、
「終わってから言うたらええやないか」て言うたら、おばあちゃんは「そやなあ」と
言ってまた「ナマンダブツ」と言うてはったわ。

六才になるまでおばあちゃんのお膝で大きなったんや、お念仏を聞き聞きな。
わたしが一番、おばあちゃんには可愛がられたねえ。
死んだ時悲しゅうて、おばあちゃんの布団に入っておばあちゃんと寝てたわ、
ちっとも 怖いことなかったよ。
                        (母が六才の時にセツ往生)


*スガという母のおかあちゃんと孫の私のこと
「この子もお念仏よろこぶようになるんやろなあ」
と、孫のあんたを見ておかあちゃん言うてたわ。

アノ松の木の下で、いつもあんたを寝かしつけるとき、お念仏しながらだっこしてたよ。
「うちの孫ほどかわいらしい子はいない」
と、おかあちゃんよう言うてたわ。随分色々な人来てあんたを可愛がってくれたねー.

「うちの墓にはナンマンダブ喜んだ人ばかりや」とおかあちゃん、言うてたわ。
                  (私が三才の時 スガ往生)

・・・・・

「そうだったのか、そうだったのか、知らなかった」
なぜ私の心が仏法に向き「なむあみだぶつ」という絶対他力のお念仏と出遇ったのか?・
人生の謎がまた一つ解けた瞬間であった。なぜ私が人間を愛し、人を信頼しきれるような
者になれたのか、これも偏に私への莫大な愛情が注がれた故だったと……

たまたま行信を獲ば、遠く宿縁をよろこべ  (『教行信証』総序)

ひいおばあちゃん、おばあちゃん、母、お念仏を私が赤ちゃんの時からあびせ聞かせ、
ちゃんと私の中にお念仏の「種」を蒔き、仏法に頭が下がるという「芽」が出るように
私の知らないところでお膳立てがなされていたのですね。知らなかった。


・・・・・

「有難う、有難う、ありがとう」
これこそ先祖が私に、子孫に残したご遺言であり、後世へ遺された「珠玉の至宝」と 
言えよう。

私はと言えば、今の今まで、自分が考え、自分が行動し、努め、仏法に出遇ったと、
どこかで自分を買っている自分がいた。
「遠く宿縁をよろこべ」と言われていることを知りながら……。恥ずかしい。
「知っている」と「届く」とは大違いであった。

私の知らない無限の過去からのお慈悲の相続が続いていたのであった。
ご先祖さま、お母さん、そして有縁の皆さま、お師匠さま方、そしてそして何よりも
阿弥陀さま、本当にありがとう。ナマンダブツ

これが私の後世に残したい最大の詞であります。・・・・

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 12月16日に新しい内容に 変わります。


         


           私も一言(伝言板)