第937回 それまでして 〜求めるものがあるのなら〜

 平成23年 1月 6日〜

テレビで仏教の話がよく聞かれます。
その一つに 鑑真和上のお話を 放送していました。
来客があり 部分的にしか見ることはできませんでしたが、日本に戒律を伝えるために 
苦難の航海の末 やっとたどり着いたその苦労を 語られていました。


その中で 何でまた そんな苦労をして 海を渡って日本に来られたのかとの、
質問と 解説がありました。

日本では 正式に僧侶になるために 戒律を正しく授けることが出来る人が必要だと、 
中国大陸への留学生を通して 鑑真和上に 御弟子さんを 日本に派遣くださいと要請しました。


これに答えて 鑑真さんは 弟子達に志願者を募りましたが 師匠と離れてまで、 遠い日本に 
しかも危険をおかして出かけようとする者は誰もいませんでした。

そこで、鑑真和上自身が 「仏法の為に生命を惜しむことがあろうか。
 お前達が行かないのなら私が行く!」。ご自分が渡航する決心をされました。


師の揺るがぬ決意を聞き、弟子21人が随行することになりました。
さっそく海を渡る準備を進めましたが、出国を阻まれたり 暴風雨で何度も漂流するなど 
5度も失敗 10年以上の歳月を経て 日本に やっとたどり着き、これと同時に 
沢山の教典をも もたらされたといいます。


この話を聞きながら 日本に戒律を伝えた方であり、 浄土真宗とは 関係ないようにも思っていましたが、
調べて見ますと このときに伝えられた天台経典に 最澄さんは出遇うことで やがて 中国へと 
導かれたと伝えられているようです。

教えを伝えるためには 命を惜しむことがあろうかというところに 仏教者の基本の立場があるようです。

最澄さんが開かれた  比叡山で、修行をされた 法然上人も 親鸞聖人も
そのまま比叡山での生活で良かったはずが 何故 山を下りて お念仏を弘められ、
島流しになってまで努力されたのか それが 仏法のためには いのちを 惜しまない
そのことだったのだろうと思います。


鑑真和上の御弟子さんたちが 遠い国まで 危険をおかして率先して 渡航しようとしなかったのか。
それは 仏法のことより 自分自身の立場を さきに考え 迷い苦しむ人々、 大衆 衆生 のことを 
優先することが出来なかったからかもしれません。


一人でも 求めるものがあるのなら、命も惜しまぬ それだけの 価値がある それが 
仏教の教えではないでしょうか。


自分のことより この教えに出会えず 迷い苦しむ人を救いたい それが 仏様のはたらきであり
仏様の善親友といわれる お念仏に出会ったものの やむにやまれぬ行動ではないでしょうか。

鑑真和上が 命がけで日本に渡ってこられたように、仏様は この私ひとりのために 
すべてを投げ打って 親鸞聖人も その90年の人生は ひとへにこの私のための御苦労であったと 
味わえると まことに申し訳なく 恥ずかしく こんなことでは 相済みませんと 思わずにいれません。


親鸞聖人が 如来大悲の恩徳は 身をこにしても報ずべし 師主知識の恩徳は 骨をくだきても謝すべし 
の ご和讚を読まれたのは お釈迦さまをはじめ 教えを伝えてくださった多くの方々の その思いが 
はっきりと 味わえたからに違いありません。


それまでして と 思えるほど 仏様は はたらきかけてくださるのです。
これでもか これでもか 何とか 何としても 教えに出あってほしい 南無阿弥陀仏と
はたらきかけておられる。呼びかけておられる。

それが 少しでも味わえる 人生 それこそが 最高の豊かな人生といえるのではないでしょうか。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は 1月13日に新しい内容に変わります。


         


           私も一言(伝言板)