第948回 念仏しなされや 〜七里和上のことば〜

 平成23年 3月24日〜

九州新幹線が、鹿児島から博多まで つながり開通しました。
博多の男性的な夏祭りとして知られる山笠がありますが、
その出発地のすぐ横に萬行寺という大きなお寺があります。


明治のころ七里恒順(ごうじゅん)という和上さまが住職をしておられました。
和上(わじょう)の説教を聴くために、全国より参詣の方々が集まり、お寺の付近には数十軒の
旅館が立ち並んだとさえ伝えられています。

和上さまは、参詣の方々にいつも、お念仏することを勧められました。
今も萬行寺の境内には「念仏しなされや(和上さまの言葉)」と書かれた掲示板がたっています。
この七里和上のお墓参りをされたご講師のお話を聞きました。

本堂にお参りした後、裏手の墓地に回ると 都会のど真ん中とは思えないくらい広い敷地で、
大きな銀杏(いちょう)の木が何本も立っており、その一本の銀杏の下に「願行院釈恒順教師」
と書かれた和上の墓碑がありました。
お参りを済ませ、墓地の中を散策しますと、この墓地には 墓石の表に南無阿弥陀仏と彫られた、
名号碑が圧倒的に多いことに気付かれたそうです。


その中に、ひときわ大きな名号碑があって、その石の台座には「シベルユナト」と書かれており、
外国人までもお念仏に出あったのかと感心していると、

それは、左からではなく、右から読むと 「トナユルベシ」と書かれていると気づいたということです。

この墓の主は、縁あって自分の墓の前に立つ者がいるならば、念仏しなさいと言っているのだと
分かりました。
念仏のある人生がいかに素晴らしい人生であったかを、伝えているのでしょう。

このお話を聞いて、七里和上のご法話を探してみましたが、こんなご法話がありました。


 釈迦如来は、「世に出興する所以は、道教を光闡し、群萌をすくひ、恵むに真実の利を
以ってせんと欲してなり」と、この南無阿弥陀仏が恵みたいばかりで、

この世にお出なされた。然るに釈迦如来さまは、頭がけから南無阿弥陀仏を
お説きなされそうなものに、なぜ八万四千の法門とか、七千余巻の経文とかを、
お説きなされたのであろうと云うに、ここがおぼし召しのあるところぢや。


たとへと見れば、人のところに金を借りに行ったとき、頭から金を貸して下さいと
云へばよいけれども、始めの間は時候の挨拶より種々のよもやま話をして、
一番終わりにどうか金を何ぼ何ぼ貸してくだされと云う。


金さえ借りれば前の話はいらぬことぢゃ。けれどもさう云わねば貸手はない。
釈迦如来さまも実は始めから、南無阿弥陀仏がお説きなされたいは山々なれども、
前話をして人機をととのへると同様に、なかなか我慢の強いお互いが、
ハイと頂きはせぬゆえに、我々の機嫌を取る為めに、しばらくは八万四千の門を
説いて下されたもの。

されば南無阿弥陀仏さへ頂けば、即ち光闡道教は入用でない。

・・・・とあります。

一般の人の生活に近い例えで お説きいただいています。
我慢の強いという表現が、身に染みて味わえます。
「念仏しなされや」の呼びかけに 南無阿弥陀仏とお応えしたいものです。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、3月31日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)