第950回 新しい誕生 〜高いビジョンの自分に〜

 平成23年 4月 7日〜

考え深い一日でした。
もう 四半世紀前になるのでしょうが、1125本ある走査線の新しい高品質テレビの
実用化実験が 始まり、世界基準として名乗りを上げた頃のことです。

「高品位テレビ」という名前では あまりにも 一般的でないので 愛称というか 
名前の募集をしようと云うことになりました。


これは 歴史的な瞬間に立ち会っているのではないかと 仲間のみんなにも提案することを
勧めました。


テレビの一種でありながら 2倍以上の解像度の高い映像と、品質の高い内容、そして 
もっとも求められるのは 高い理想 高いビジョンこれこそが 重要であろうと、
「ハイ ビジョンのテレビジョン」 略して 「ハイビジョン」を 提案しました。


同じ名前の提案は 20数件あったようですが、提案をとりまとめた担当セクションに
催促して、命名記念品を 受け取りました。それには 昭和60年2月命名記念 
と刻印されています。


それから、衛星放送第1、第2、ハイビジョンと 3波で放送していたものが、
この 3月末日で終了し、BS1と BSプレミアムとに 生まれ変わりました。


デジタル時代となって すべてが ハイビジョンになったことで もう実験放送の意味は
終了したということでしょう。31日深夜0時 短いコメントのあいさつだけで 
電波は 止まってしまいました。

歴史が一つ 終わり 新しいものが誕生した瞬間を見届けた 考え深い夜 そして 朝でした。


 新しいBSプレミアム放送を、延々と見続けている自分に おかしくなりながらも、
野球やマラソン、ゴルフやサッカーの中継を見るように 自然や科学や芸術の番組を延々と
連続して見ているだけだろうと ひとり納得しています。


これまでダイジェスト版で、スポーツの結果を見るように、要点だけ短くまとめた教養番組を
見ていたのが 一冊の本を読むように
 科学雑誌や芸術雑誌の特集を読むような そんな
感じなのだと 思っています。


とともに これまでの自分の人生も 点々と、美味しいところだけを つまみ食いする
ように 表面的で深みがなかったようにも感じています。


そう感じられるようになったのは 南無阿弥陀仏の教えに出遇えたからでしょう。
南無阿弥陀仏の教えに出あうことで 急がなくてもいい そのままの自分を
 じっくりと
味わい、じっくりと楽しみ 苦しみ悲しみから逃れるのではなく
 焦らずに 毎日を
送ることを教えていただいたようです。


南無阿弥陀仏 一つで大丈夫 無駄な心配をしないで 今やれることを 急がず慌てず 
ゆっくりと、味わいながら、今の自分を生きていらっしゃいとの呼びかけに聞こえます。


東日本大震災直後の選抜高校野球大会は 終わりましたが、その大会歌「今ありて」の作曲者、
谷村新司さんが新聞に
 「今こそ歌を」との手記を寄せ

今、生かされていることへの感謝を知った時、「今ありて」の言葉の意味が心に響いてくる。
今あること……それは当たり前のことではなく明日が約束されているわけでもない。
一期一会の瞬間にすべての心を込めてこそ明日への歓(よろこ)びが見えてくる。
そしてその明日が今を歴史にしてくれる。人々の顔にほほえみが戻ったら唇にも歌が
戻ってくる。
そしてその歌が我々の心に大切なものを教えてくれる。それが歌の役割だと思っています。・・・・・・


 とあります。

南無阿弥陀仏も我々の心に大切なものを 教えてくれます。
南無阿弥陀仏を唇にし聞くことで 苦しみ悲しみを抱える人々の顔に、微笑みを
呼び戻してくれる。

今この瞬間に 当たり前のことを よろこびにと大きく変え、深く味わわせてくれる。
波乱万丈の人生、仏に成ることが出来る偉大な主役を この私に演じさせていただく。
壮大で最も高いビジョンの新たな自分が誕生する。


それが 南無阿弥陀仏の大きなはたらきだと 味わいます。
妙念寺電話サービス 次回は 14日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)