第997回 さすがあー  ~見られている立ち振る舞い~

 平成24年 3月 1日~

また一人 先輩のご住職が 往生されました。 
高等学校の先生をしながら 五十年余り住職として
お法を伝えて下さった方です。

同じ、組内の僧侶 全員が出勤して 門徒葬が行われましたが、
ご門徒ばかりではなく 多くの方々が参列していただきました。

葬儀委員長は ご挨拶で 戦後まもなく御住職は お寺でボーイスカートを
結成され 自分もその一員で 厳しく優しく ご指導いただいたと
懐かしく語っておられました。
子どもの頃からの尊いご縁が、今に続いていることを味わっています。


 ところで、市内の仏教会の会長さんも参列していただきました。
今は 修行をされるご宗派の会長さんで、
100日間の荒行から 帰ってこられたという 引き締まったお姿で
司会の案内に ひとり焼香に向かわれましたが、その時 「さすがーー」と、
参列していたご門徒の方から 声がかかりました。

七条袈裟を美しく着けた 20人近くの僧侶が 次々に焼香をした
その後で 黒い衣のご住職のさっそうとした立ち振る舞いに
つい「さすがー」との声が出てしまったのでしょう。

能楽か狂言 舞踊でもみるような ゆったりとして しかも緩急があり、
動作の一つ一つが ちゃんと決まって まさに流れるようで
お敬いの心も 深く感じられる 実に見事な お焼香でした。

見られている ということを 改めて感じました。
仏さまにいつも見守れている それとともに 多くの人々にも 
見られている。

自分の行動を ちゃんとコントロールできるように 寒い雪の季節に
水をかぶり 朝となく夜となく修行をされた方の素晴らしさを 感じました。

誰にでも出来ないことを ちゃんとやり遂げた方の言葉は 有り難く
素直に疑いなく 聞き取ることが出来るのではないか、
見られていることを 意識もせずに ごく自然に 傍目には
だらだらとした姿に見えている人の言葉は なかなか素直に聞こえないの
かもしれません。

仏さまの言葉を お取り次ぎするものとして そこにいる方々に
「さすがー」と 思わせる 立ち振る舞いも こころすべきではないかと
つくづく味わいました。

南无阿弥陀仏 南无阿弥陀仏は 仏さまのことば その 仏さまのことばを
口にする人が 美しく有り難く 目に写るように 心して 行動や
立ち振る舞い ことば使い 発言をしていきたいものです。

子どもや孫たちも、大人たちの姿をちゃんと見ているのだと感じます。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました
次回は 38日に新しい内容に変わります。


         


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