第984回 前提が違う  〜母親と妻とでは〜

 平成23年12月1日〜

阿弥陀さまという仏さまは 私たち衆生の罪を見ても それを裁きません。
「あなたのところに南無阿弥陀仏という名の仏となって至り届き、

あなたに南無阿弥陀仏を聞かせて救うよ」と語りかけて下さいます。

これは私たちには なかなか理解しがたいのです。
「善い人は浄土に参るかもしれないが、悪い人は地獄に堕ちるのが当たり前だ」
というのが私たちの考えです。


しかし、阿弥陀さまは私の罪を裁かれません。
それは私と阿弥陀さまは「親子」の関係だからです。
親と子というのは特別な関係ですね。

 先日、友人が面白い話をしてくれました。
子どもの時に母親の作ったご飯がおいしくないと「これはおいしくない」と
平気で口にし、残すことができた。
場合によっては母親の前でカップラーメンを食べることもした。

しかし、結婚した今、妻の作ってくれたご飯には「これはおいしくない」
とはなかなか言えない。「あれ、これちょっと・・・」と言って、

「どうしたの?」と向こうが気づいてくれるのを待っている。

「もしかしたら僕の口がおかしいのかもしれないが、ちょっと

塩辛いのではないかなあ」と言って、向こうから「辛すぎるかな」と
言ってくれるのを待っている。


この違いは何だろうか、というものです。面白いですね。これは皆、経験がありますね。
なぜ、母親と妻では態度が違うのか。それは前提が違うからです。


夫婦というのは、お互いが「仲良くしようね」と約束をして夫婦になります。
お互いの意見を確かめ合ってから、一緒に暮らし始めます。

しかし、親子はそうではありません。母親の方が一方的に子どもを産んで、
一方的に子どもを育て始めます。子どもと約束して親子になるのではありません。

 母親は子どもが赤ん坊の時、お乳を飲ませます。それは子どものため、
子どもが元気に成長するため、無条件で子どもを愛しているからで、子どもも
何となくそのことを感じているのでしょう。確かにご飯を残せば母親の機嫌は悪いです。
しかし、もう二度と食事を作ってくれなくなるというようなことはありません。


それどころか、翌日は子どもの好きなものを作ろうとする。
もし、母親とけんかして食事も食べずに部屋に引きこもってしまったなら、母親は
夜中にそっとその子の部屋の前に
 おにぎりを置いておくのでしょう。
それは子どもが心配でならないからです。

一方、妻は違いますね。夫婦とは、お互いが助け合う約束を交わして夫婦に

なったからです。ですから相手が一方的に約束を破ったら、もう食事は作ってくれません。
作った食事に「おいしくない」とクレームをつけるのはルール違反です。

もし、妻の前で食事を残し、カップラーメンを食べたりすれば、まず三日は食事を

作ってはくれないでしょう。
「あなた、そんなことをするなら、明日から自分で料理を作りなさい」と、

きついお叱りがありますね。

 しかし、子どもはいつしか「おいしくない」といって平気でご飯を残すように
なりますね。それは子どもにとって、私の妻は母であるからです。母親と妻とは
前提が違います。

阿弥陀さまは 私の親さまです。私が背を向けている時も、
「あなたを捨てることはできない、あなたは私の子どもだから」と私を
抱き取ってくれるのです。・・・・・・・ (後略


大乗23年12月号より 一部掲載  大阪府・正満寺住職 安方哲爾師

         


           私も一言(伝言板)