第991回 野菜づくり  〜スーパーに並んだ野菜は〜

 
平成24年 1月 19日〜

親鸞聖人が ご往生されて749年 この116日は 750回忌にあたりました。
京都西本願寺では 昨年の49日から 65日間 のべ115座の法要が行われ、
参拝者は 140万人あったといいます。

 15日は 夜を徹して 通夜布教が行われ、ご本山の聞法会館 一階の総会所と 
3階にあるホールでは、全国各地から来られた13人の布教使さんが,
40分づつ 
ご晨朝がはじまる直前まで 連続して ご法話をいただきました。

その中に こんなお話がありました。

この大遠忌の前に,食事のことばが 改訂されました。
これまでは、「みほとけと皆さまのおかげにより このご馳走をめぐまれました。
深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます。」 だったのが

「多くのいのちと みなさまのおかげにより このご馳走を恵まれました。
深くご恩をよろこび、ありがたくいただきます」 に変わりましたが、
つくづくその通りだと感じているという お話です。

野菜作りをしていた先代の住職が亡くなってからは ご門徒のおじいさんが
畑を守ってくれていましたが、そのおじいさんもご往生になり、しかたなく、
農作業を始めることになりました。

それを見た,隣の畑の農家のおじさんは 大変に喜んでくれたものの、
「ごいっさんは 殺せるかなー」と謎のような言葉を つぶやいたといいます。

何のことか分からずにいましたが その訳がやっと分かったというのです。

野菜には 実に沢山の虫がつくもの 最初は 可愛そうで 一つ一つ取り除いて、
捨てていたといいます。

しかし、次の日には その虫たちは 野菜に戻って一生懸命に かじっている。

取り除いても 取り除いても 虫は 次々に野菜に戻って来るのです。
自分の手で殺すか 殺虫剤をまかないと、人間の食べるところは

無くなってしまうのです。

虫に食べさせれば 人間が食べる分がなくなり、虫を殺さないと

野菜は収穫出来ないことを知ったというのです。

スーパーに並んでいる野菜には 虫に食べられた痕跡は一つもありません。
ということは、すべての虫を殺したお陰であるというのです。

魚や肉、野菜や果物 動物や植物のいのちを頂いているということは

頭で理解していましたが、その野菜も 実のところ多くの虫のいのちを
奪った結果、食べることが出来ている、そのことを 自分で野菜作りを
始めてみて 初めて知ったというお話です。

 私は 自分一人で生きているのではなく 多くのいのちの犠牲の上に 
生かされているのだ。
そのことを、考えると もっともっとこの私の生活は充実させて行かねば
申し訳ないと味わえてくるものです。

私が生きているのではなく、多くのいのちに生かされている。

「多くのいのちと 皆さまのおかげで 生かされている」このことを
つくづくと 感じていますという お話でした。

南無阿弥陀仏の生活は、真実に目覚めさせていただく はたらきが
あるのです。
私の生き方を 問い直してくれる力があるものです。

妙念寺電話サービス 次回は、126日に新しい内容に変わります。

         


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