第999回 もっと分かる話を ~お浄土の話しは難しい~

 平成24年 3月15日 ~

25回忌の父 17回忌の母を ご縁とした法要でのこと、
ご親切に 導師席のすぐ横に ストーブが置かれ 暑さに耐えての
お勤めを終わり、「わがまま言っていいでしょうか よろしければ
ストーブ
 皆さんの方へ 向きを変えていただけませんか」

いつものように 持参した 一枚法話を 読みながらお話をしておりましたら、
年忌の時にしかお会いしない老年男性が、
「今日は 父母の法事でみんな集まっているのですから そんな分からん話を
  せずに、父や母のことを 話していただけませんか」と、
 少し 感情的な声を掛けられました。

お手元の念珠から 新宗教か聖道門系の信者の方だろうと 思います。
南無阿弥陀仏の人は お浄土に生まれ 仏のはたらきをするという話が 
ご不満だったようです。

「そうですね。お父さん(おじいちゃん)は 写真でしか存知ませんから、
  叔父様方から 後で お聞きいただくとして、お母様 (お祖母ちゃん)とは
  毎月一回 叔母様がいつも一緒でしたが、今日のような 仏さまのお話
  お浄土のお話を 熱心に聞いていただいていました。・・・・・」


 ご主人を亡くされたお母さんが 取り残された方が知りたいのは 
亡くなった方が 今 どうしておられるのか、また、自分は今後
どうなるのだろうかとの疑問だろうと思います。

一緒にお念仏をして生活していた 大切な方が 自分を置いて
どこか 遠くへ 居なくなってしまったのではなく、お浄土へ生まれ
仏のさとりを得て 今も 自分のために はたらいていてくださる。

南無阿弥陀仏の仏さまとなって いつも一緒にいてくださる。
自分は 見捨てられたのではなく 生前と同じように自分のことを
気遣っていただいている そう 味わうことが出来れば 悲しさ寂しさを
乗り越えていける 大きな力になるのではないか。

同じように 子どもや孫も 父母や祖父母は 今も 自分たちのことを
いつも心配して 見守っていてくれる。
そう味わう人生は 素晴らしいものになるのではないか。

世間の常識で 勝った負けた損した得した 健康第一 死んだら終わり
という価値観だけではない。学校でも教えてもらえない 仏教的な価値観
それを受け取ること、それが、今は亡き父母が もっとも喜んでくれる
生き方ではないか、そして 私の人生を豊かにすることではないかと
お話をしましたが、

「よう分からん、もっとみ砕いて 分かるように話してください」
さらに注文が 入りながらも 法座は終わりました。


親の願いや 思いは なかなか理解出来ないもの、それ以上に仏の願は
なかなか分かる話ではありません。

繰り返し聞くことによって、世界観が 価値観が転換したとき
はじめて うなずくことが出来るものですが、ご縁がある方と
どうしても ご縁をない方 様々です。

「親の言うことを素直に聞く子どもと、なかなか聞けない方が
  ありますからね。でも お母さんは きっと、こうした価値観を
  お持ちでしたよ」とお別れしました。

外へ出ると 背の高い お孫さんが たばこを手に、
ニッコリ笑って 見送ってくださいました。

妙念寺 電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、322日に新しい内容に変わります。


         


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