〜子ども達の豊かな人生を振り返ります〜

A・Tちゃん(9歳)とその家族の歩み
Y・Y くん(9歳)とその家族の歩み
M・Nちゃん(9歳)とその家族の歩み
N・I ちゃん(19歳)とその家族の歩み

A・Tちゃん(9歳)とその家族の歩み

1 か 月
生後4日目に、ダウン症の疑いがあると言われ、血液検査の結果、1か月後に21番目トリソミーと診断される。合併症はなかった。
2 か 月
佐賀市にある県総合福祉センタ−の機能回復訓練に、2週間に1回の割合で通い始める。
そこで、同じダウン症の子や他の障害を持つ子供たちの母親と語り合えたことで、それまで暗く沈んでいた気持ちを明るくさせ、 訓練の先生の説明で先の見通しがつかめたような気がした。
1  歳
集団生活に慣れさせるため、土曜教室(佐賀発達障害療育研究会)に月2回通い始める。
1歳6カ月
合併症がなく、健康状態も良かったことから、順調に訓練を続け、歩き始める。
健常児では、ごく当たり前のわずかな成長にも、大きな喜びと感動を味わうことができた。
2  歳
少しでも早く話せるようになってほしいと願い、佐賀整肢学園の言語訓練に通う。
2歳5カ月
母親の職場復帰と同時に、長男と一緒に佐賀市の保育所に入園。
長男の異常な甘えも気になっていた。
同じように愛情を注いでいるつもりだったが、長男の方と多く話たり、遊んでやってちょうど良かったのではないかと思っている。
3歳7カ月
本人のためにも、長男のためにも兄弟は多い方が良いと思い、第3子を出産。
成長は逆転する時がくるかもしれませんが、いつまでもお姉さんであってほしいと思う。
4歳5カ月
小学校への就学のことを考え、小城町に引っ越す。
地元の保育園で友達をつくって、一緒に入学させたいと思ったためである。
この頃から、長男の授業参観など、よく学校へ連れていき、少しでも学校にも慣れさせるようにした。
5歳2カ月
何か好きなことをさせたいと思い、日本舞踊を習い始める。
2か月目で、4番まである振り付けを覚え、300 人もの観客の前で初舞台。堂々として、先生も家族もびっくり。踊りが好き、着 物が好き、お化粧が好き?、今でも喜んで通っている。
6歳5カ月
体力づくりと、少しでもスマ−トになればと、スイミング(送迎バス)に通い始める。
小城町の小学校へ入学。事前に何回も見学に行き、先生と話し合い、障害児学級に籍をおくが、原学級を主とした生活ということ でスタ−トした。
1学期の間は、自分の教室を抜け出し、長男の席の横にちょこんと座り、3年生の授業を一緒に受けていた。
先生にも暖かく見守っていただき、徐々に学校の「きまり」というものが分かっていったようである。
小学校に入ると行動範囲が広がっていくのは当たり前のことですが、帰宅後は自転車でどこまでも行くようになり、事故が心配でど うしたらいいのかと悩んだものである。
先生と話して、行くのを止めるより、道の渡り方や交通ル−ルを教えるのが大事だと考え、友達の家や買い物に行かせることにした。 今でも、よく捜しまわることがある。
8  歳
男兄弟にはさまれ、活発にたくましく育っています。兄弟けんかも頻繁で、言葉使いが男の子のようで困っている。
休みの日は、家族で外に出掛け、キャンプや登山、野球、サッカ−などをしている。小さい頃から、どこへも連れて行き、普通に 育ててきたつもりである。
毎日学校で走っているため、体力は大分ついてきた。白石町の歌垣マラソン大会(2.5kmのジョギングコ−ス)にも家族で参加し、 完走した。
体力は、将来仕事についた時、とても大事と思い日々の積み重ねを大切にして、また何かに挑戦して行きたいと思っている。
8歳5カ月
友達といるのが楽しいようで、自分の意志で友達と下校したがるようになり、帰宅すると、すぐに勉強道具を持って飛び出して行く。
友達ができるだろうか、遊んでくれるだろうかと悩んだのが嘘のようである。子供にもしっかりとした意志がある。
これからも、この子なりの成長を見守っていこうと思っている。

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Y・Yくん(9歳)とその家族の歩み

誕  生
身長51cm、体重2810g 、か細い泣き声1回だけで誕生。
殆ど眠っているばかりで、母乳ミルクも飲まず、ただ眠るのみ。
その内、チアノ−ゼがひどくなり、聖マリア病院に入院。ダウン症と診断される。
5 か 月
心室・心房中隔欠損症で、2か所の穴をふさぐ手術をする。
その後、肺、高血圧、心不全も落ち着く。
(3か月の頃、肺炎で入院し、この時期を逃したら手術はできないということで決断する。)
1  歳
お宮参り、皆に祝福され笑顔がかわいい。この時は、まだお座りができない。
3  歳
おしめが取れた(昼も、夜も)ところで、A幼稚園に2年間通う。
4  歳
言語訓練のため、佐賀整肢学園に通い始める。
5  歳〜
体力・脚を強くしたいということもあって、B幼稚園に転園する。年中さんの時は、1日も休まず通園する。
通園路にある、お地蔵様に手を合わせてよくお参りをしていたと聞く。(願い事は何かな?)
6  歳
年長の時、言語訓練に加え、総合福祉センタ−のどんぐり教室、スイミングに通う。
季節感を取り入れた単元で、バラエティに富み、たまにはご褒美、ゲ−ムも。
休みに時間には、先生や友達と野球ゲ−ムをするのを、とても楽しみにしており、先日もホ−ムランを5本打ったとかでメダルを 作ってもらい、得意気に見せていた。
9  歳
言語に不明瞭な点があるため、再び佐賀整肢学園に通う。
何とかなるさ、何とかしなくちゃ・・・・の二人三脚で始まった子育て。家族やいろんな人の協力を得て、元気に育ちました。
次男坊の気質そのままに負けず嫌いで、兄ちゃんとのけんかも絶えません。
要領が良く、何にでも興味を示し、愛敬者で親としてはかわいいばかりですが、「返事、挨拶、笑顔」だけは、きちんと身に付け させたいと思う。
親も子も、ある程度の努力は必要ですが、あまりにも一生懸命になりすぎて自分を見失わないように、「あせらず、あわてず、あ きらめず」で。

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M・Nちゃん(9歳)とその家族の歩み

誕  生
佐賀医科大学付属病院で生まれる。(身長 49.5cm 体重 3,595g)
元気がないとの理由で、保育器に入れられる。顔立ちを見て、ひょっとしてダウン症ではとの疑問が湧き、不安に思う。
1 か 月
1か月の入院の後、主治医からダウン症と告げられる。絶望のみ。「かわいがって育ててあげて下さい。」と言われる。
1か月半
定期検診で、心室中隔欠損、心房中隔欠損があり、心臓が正常の3倍の大きさになっているとのこと。
ジキタリスと利尿剤を服用させるようにとのことだが、ミルクを1回に25ccしか飲まない状態だったので、どうやって飲ませるか悩む。
3 か 月
首はなかなか座らなかったが、身体の柔らかさと足の力で寝返りをする。
1  歳
心臓の2つの穴がふさがる。
お座り、ハイハイを遅れながらも出来るようになるが、最後まで普通のハイハイはできず、足を開いたり閉じたりして進む、独特の ハイハイだった。
2歳7カ月
足を八の字に開いた形だが、何とか歩けるようになる。
佐賀市にある「くすのみ園」への入園を目指したが、歩けないことを理由に断られる。どこにも通えるところが無いのかとショック を受ける。
知的発達と身体発達に差があり過ぎるとの理由で、首の検査をする。
8mm程の脱臼が見つかり、以後はコルセットを着用する。
3  歳
10までの数を認知し、自分の名前(ひらがな)を読む。1歳半からはじめた療育(感覚、知覚)訓練の成果と思われる。
3歳11カ月
佐賀市の「T幼稚園」に入園。普通の子供たちとの間で楽しく過ごす。園の先生方の理解があり、安心して預けることができた。
ひらがな、カタカナの読み書きを、ほぼマスタ−する。
5  歳
1月間、熱が下がらず、レントゲンを撮り、マイコプラズマ肺炎と分かる。
佐賀医大に10日間入院。マイコ専用の抗生物質の点滴で、入院当日に熱は下がる。
心配続きの1月間だったので、心からほっとする。
カワイ音楽教室でピアノを習い始める。1年程で両手で弾けるようになる。
6  歳
佐賀市立N小学校(普通学級)に入学。
加配の先生を付けてもらうため、身障者手帳を取得(1種3級)する。
5月に加配の先生がつくまでの間、母親が学校で付き添う。
校内の読書感想画コンク−ルで特選に選ばれる。
7  歳
時々、頭が痛いというのでCTを撮ってみる。 大脳の発達は良かったが、小脳の発達が悪く、すき間があるとのこと。
体のバランス感覚の悪さ、眼振、左足の軽いマヒは、そこから来ているらしい。
8  歳
夏休みに37〜38度の熱が続き、食欲不振や下痢などで、1カ月の間に3キロ痩せる。
甲状腺の検査でホルモンが多量に出ていることが分かる。
慢性甲状腺炎と診断され、猛烈に苦い薬を飲むことになったが、ケロッとした飲んでくれたので助かる。
9  歳
現在は、N小学校3年に在学。体育は別メニュ−だが、他の教科は普通学級で勉強中。
漢字の読み書き、かけ算、割り算などもよくやっている。
知っている人とは、非常に良くしゃべり、内容もユ−モアあふれる会話である。
楽しい毎日を過ごしている。

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N・Iちゃん(19歳)とその家族の歩み

誕  生
佐賀市のS病院で生まれる(身長48.5cm、体重2,880g)。3日目に電話で、ダウン症と告げられる。
書店、図書館でダウン症に関する本を読み漁る。私や妻の両親に話す。
友人や知人にも機会あるごとに話す。妻には、1か月検診後に伝える。
1 か 月
体重3,050g、栄養状態不良と言われる。
母乳だけで育ててきたが、哺乳力が弱いため、哺乳びんを使い始める。
ミルクに変えていく。努めて声をかけ、音楽(童謡)を聞かせる。
2 か 月
体重4,310g。順調に育ち始める。果汁を加える。久留米医大を紹介される。
3 か 月
体重5,430g。ス−プを加える。日光浴。
6 か 月〜
体重7,460g。離乳食。心配したほど病気もせず、成育も順調で、安心する。
いろいろ試みては、効果が見えると次々に試してみた。
10か月でつかまり立ち。ハイハイは1年目。つたえ歩き1歳3か月。この頃、言葉が出始める。
1歳6か月で歩き始める。
久留米医大に定期的に受診するだけで、特に訓練などは受けなかった。
中央児童相談所には、時々行って、早期療育の必要性が言われるのに、その手立てがないのはおかしいと訴える。
2歳9カ月
   〜
姉4歳、これまで家庭で育ててきたが、姉もあと2年で小学校に入るため、一緒に入園できるところがあればと、福祉事務所に 相談に行く。
校区外のG保育園を紹介される。即日訪ねたところ、明日からでもとの嬉しい返事をいただく。
姉2年、本人4年、妹2年通園するが、この間に大きな成長を見せる。
3歳頃排尿、4歳頃、自分の名前が言えるようになる。
入学前には自分の名前が書けるようになり、排便、服を脱いだり着たりも何とかできるようになる。
自転車にも挑戦させたが、妹が先に乗れるようになり、止める。
1年後に再度挑戦し、乗れるようになる。
小中学校
地域でと考え、姉と同じ小学校の特学(母親は普通学級を希望)に入る。
朝は、姉とともに集団登校。帰りは近所の同級生と2人で下校。親は同行しなかった。
4年生の時に転校。姉6年生、妹1年生と一緒に通う。

中学校は単独下校になるが、自宅のすぐ近くで、心配は少なかった。
義務教育の9年間。地域の特学で過ごしたが、いろいろあった。
学校に対して、知育面に関しては過度な期待はしないようにした。とにかく、嫌がらないで通ってくれればとの思いだけだった。
それでも、ひらがな、カタカナ、漢字も覚え、日記をつけたり、作文も書く。たし算、引き算の繰り上り、繰り下がりの計算も 出来る。
かけ算、割り算については、無理をしないで、電卓を使うようにお願いした。

地域では、姉や妹、その友達に遊んでもらったりで、同級生の友達は少なかったようである。
子供クラブの行事などには、親と一緒に参加した。
高 等 部
ダウン症児の進路は、上になる程厳しくなる。
養護学校の高等部も定員があり、全入が心配されたが、何とか全入できてほっとした。
親として、地域の学校で学ばせることの意義を信じて実行してきたが、本人は養護学校の生活を、水を得た魚のごとく生き生きと 楽しんだ。
対等に話のできる友達ができ、先生にも恵まれたようであった。
卒 業 後
今は家にいる。テレビを見たり、書き物をしたり、音楽を聞いたり、料理・掃除・洗濯・買い物をひとりでする練習を重ねている。
時には、友達の家に行ったり、来てもらったり。
親が休みの日は、山登りをしたりしている。
これまでの縁で、施設などの各種行事も参加させてもらったりしている。
これからは、本人が一番望む方向で進路を決めたいと思う。
これまで、間違ったことはしていないと思ってはいるが、親の考えが強過ぎたのではないかと、反省もしている。
最後に一言。姉や妹のことであるが、どうしても、ダウン症児中心の生活になるため、姉や妹への手が抜けがちになる。
姉や妹に、より以上の愛情を注いだことが、結果的に、本人のよきライバル、先生となり、親を助けてくれたようである。
本人も、親より姉や妹の味方をすることが多く、頼りにもしているようである。
姉や妹から話を聞くと、いろいろな思いもあったようであるが、ダウン症の姉妹を持っていることで、よりやさしく、たのもしく 成長したように思える。
姉妹兄弟が発信する信号を見落とさないように、しっかり見守ることも大切なことだと思います。

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(この親子の歩みは、平成11年11月時点の記述であり、現在はそれぞれ年齢を重ね、皆とても元気です。)


ダウン症の子供たちからのメッセージ も御覧ください。