春の日の出来事



     ==========第1章==========


大学の研究室にこもってフラフラになりながらアパートに帰る帰り道。
疲れた頭に寒風が当たる。
春もすぐそこに来るような日中の気温だけど、日が沈むとまだ寒さが堪える。


梓との半同棲生活が始まって早4年が過ぎようとしている。
何を思ったのか知らないが俺と同じ大学に進学することが決まって、
俺と同じアパートに越してきた梓。
それ以来、俺と梓はどっちかの部屋で夕食をとり時々にはそのまま朝まで一緒に過ごすことが日課になった。
一緒に住める部屋を探そうと梓に言ったが、この位離れている方が新鮮でいいからと梓が言うのでそのままになっている。
最初の2年間はどっちかの部屋に行っていたが、俺が大学院に進学することが決まって一日の大半を研究室に
こもることが多くなって以来、俺の部屋で梓が夕食の支度をしながら待っていることが多くなった。
最初のころは、部屋に置きっぱなしになっていたヤバイ雑誌を梓が見つけてえらく怒られたが…。


夕日に染まるアパートが見えてきた。
部屋のあかりがついているので多分今日も梓が来ているのだろう。
アパートの階段を駆け上がり部屋の前まで行く。
換気扇から漏れてくる美味しそうな匂いと窓から漏れてくる灯り。
やはり良いもんだなと思う。
俺はドアのノブに手を回し部屋に入った。
「ただいまー」
「あ、耕一? お帰り」
玄関の方に顔だけ出して梓が答えてくれる。
玄関に入り夕食の香りが俺を包みこむ。
醤油のこげた匂い、久しぶりに嗅ぐ香り。
俺はキッチンに顔だけ入れ梓に聞いた。
「美味そうな匂いだな。今日は肉じゃがか?」
「お、耕一もわかってきたじゃない。」
うんうんと嬉しそうに頷いている。
俺は部屋に入り荷物を置きながら答えた。
「そのぐらいわかるさ」
「そりゃそうだ」
二人で笑ってしまう。
「耕一、出来るまでまだ時間がかかるから風呂にでも入ってきてよ」
「おう、そうします。ところで梓は入ったのか?」
「ううん、まだ。後で入るから」
じゃあ、梓が入ったときに悪戯でもして上げましょうかね…。
「変なことを考えてないで、さっさと入ってきなよ。」
タイミング良く答える奴だ、これが…。
「エルクーの感て奴だよ。たくもうまだわからんかね…」
「大人しく入ってきます…」
それしか答えられない…


夕食は肉じゃが、大根とレンコンのサラダ、大根の残りと葉で作った味噌汁。
食べ始めるといつもの事を聞いてくる。
「美味しい?」
毎回聞かなくてもよさそうなもんだが…。
「美味いよ」
俺は正直だからな。
「しかし梓、おまえの料理は天下一品なんだから、毎回聞かなくてもよさそうなもんだが」
当然なこととだ。
「そうなんだけどね…」
何時もなら照れるか怒るのだが、今日は寂しそうに呟く。
何かあるのか…。
「それはそうと耕一、今日は面白いことがあったよ」
「何か?」突然、何時ものように明るい梓に戻った。
得意そうにふふんと鼻を鳴らしながら、にやけた様に話し始める。
「何時ものようにスポーツクラブに行ったんだけどさ。そこでナンパされちゃった」
「まさかおまえそいつに付いて行ったんじゃないだろうな」
「行っても良かったんだけどさ、心配?」
目を輝かせながら俺に聞いてきやがって。
「そりゃ心配するさ」
俺が答えると、鼻をかきながら照れてやがる。
可愛い所もあるんだからもう少し素直になれば良いのに。
「それにしても、おまえはもてるな」
「ふふん、この梓様にかかれば男なんていちころだよ」
胸を張って言うことか…。
俺はこんな何気ない日常が続くものだと思っていた…。


それから何日かすぎた日曜日、俺は春の暖かい陽射しを体全体に浴びながらトレーナーにジーパン姿でごろごろしていた。
久々の休日、ごろごろするには絶好の日和だといわんばかりに家でごろごろしていた。
窓からさんさんと差込む早春の陽射しとコタツのぬくもり…極楽だよね…この気持ちよさ…瞼が重くなって…オヤスミ…。
……………。
頭の辺りが温かく柔らかい感触がして意識が戻って行く、決して嫌な目覚めではなく幸せな気分…。
俺はこの不思議な感触を確かめようと目を開けて見た。
「おはよう耕一…」
目の前には微笑んだ梓の顔があった。
梓か…どおりで…なに! そお言えば梓の膝枕なんて始めてだ…。
「ん〜梓、おはよう…」この不思議な感触をもう少し味わってみたくて半分寝たふりをする俺。
「しょうがないな、もう少しこのままでいてあげる」
何時もより優しい気がする、ならば絶好のチャンス〜俺は寝返りを打つふりをして色々態勢を変えながら感触を楽しんで見る。
「耕一、ごそごそしないで…」頭を押さえたと思ったら俺の髪をなで始める。
今日は人生最高の日かと思ってしまう俺。
ここでよせば良いのに悪戯心が出てくる。
俺はうつ伏せになり梓の太ももの間に顔を埋める。
「耕一なにやってるの」驚いたように声をあげるが跳ね除けようとはしない。
「まあ良いけど…」おかしすぎるいつもの梓ならこんなに優しくはない・・・。
「梓…」よせば良いのについ出てしまった一言。
「…何?」
「…今日はあの日か」
「え…」
「…何か匂うな」
俺が言った瞬間、太ももが震えだしその次は俺の頭は中を舞っていた。
「バカヤロー」
わき腹に走る激痛と共に梓の声が遠くで聞こえたような気がした。
……………。
「おまえなあ…手加減できないか」
手当てを受けながら文句を言う俺。
「ふん、悪いのは耕一だ」
膨れながら手当てをする梓。
「でもなあ、俺だから良いけど他の奴なら死んでるぞ…」
「ご免…」やりすぎたと思ったのか、やけに素直…。
何かあるに違いない、かおりちゃんがおかっけて来たとか…。
「何か悩みでもあるのか…相談に乗るぞ…」
「うん…」それっきり黙ってしまう。
「さあ終わり!」言葉と共にバチンと傷口をたたく。
「いて〜、そこは…バカヤロ…」手加減しやがれ。
「あ、ご免耕一」何時もの通りかな。
……………。
外はまるで桜の葉が待ってきそうな陽気だ。
小春日和とでも言うのかな。
こんな良い天気の日、しかし部屋の中はコタツがピッタリのような冷気を感じる。 「耕一…」 俺の目の前には、うつむいたままの梓がいる。
「………」 「オイ、梓」 「…うん、あ、何?」 笑顔で答える梓…。 「何かあったのか、相談に乗るぞ」 つくづく解り易い奴だ。そんな所も良いんだけどな。 「…うん」また暗くなってしまう。 「しょうがないな…言いたくなったら言えよ。いつでも相談にのるから」 「…うん」 「………」 俺は寝転んで雑誌でも読もうと思い、手を伸ばして寝転ぼうとした時。 「…耕一…私…私」 顔を上げて俺のほうも見てしゃべり出した。 「私、卒業したら家へ帰ることにした」 ………… 「…そうか…やはり帰るのか」 俺の一言に梓は驚いたように顔をあげた。 「何故…」 この時、正直言って俺は戸惑っていたのかもしれない。 いつもと違う梓を前にして…。 そして、部屋の中を改めて見回して見た。 窓から入る夕日で部屋は赤く染まっていた。 その部屋の中で赤く染まった梓がたたずんでいる。 もともと美しい梓だけど改めてみると本当に美しい…。 「…いち、…ういち、こういち」 「ん、あ、うん」 俺は見とれてたなんて言えず曖昧に答えてお茶を濁した。 「耕一…なんで知ってるの…」 「…この前、偶然に楓ちゃんと会ったんだ」 「あ、そうなんだ…」 「ああ、気になって初音ちゃんに電話したよ」 ………… 「あの子…いつも自分の事は…」 「ああ…でも…」 「でも?」 「俺は梓とこれからも一緒にいたかったがな…」 「耕一…」      ==========第2章========== そして引っ越し当日 俺は梓の部屋のドアの前に立つ。 理解しているつもりだと思っていた。 初音ちゃんだけにあっちの事をおしつける訳にはいかない。 だからあいつは卒業したら戻る。 …………。 笑顔で送り出してあげないと…。 (しっかりしろ耕一) 俺は自分に言い聞かせながら梓の部屋のドアを開けた。 「あずさー終わったか?」 「ああ、耕一良い所に来てくれたよ」 俺はあきれながらも 「手伝えって言うのだろう…」 「へへへー、お・ね・が・い」 嬉しそうに手を合わせやがって。 「しょうがねえな」 明日は筋肉痛にならなければいいが、と思いながらも答えた。 「おーい、そっちは終わったか」 梓は手元を見つめてじっとしていた。 早く終わらせようぜ、と声をかけようとした時 「え、うんもうすぐだから」 泣き笑いのような感じで答えた梓ガ印象的だった。 ………… 「おわったー」 梓が嬉しそうに叫んで荷物は片付いて部屋はきれいさっぱり…。 「おい梓今夜はどうする…」 「え、あ、ははは…どうしよう…」 すがるような顔で俺を身るな…。 …………負けた。 ため息をついて俺は答えた。 「いいよ、今夜泊まれよ。」 「わるいねー、美味しい物作ってあげるね」 「期待してます…」 正直なやつ…。 「ごっそさん」 「どういたしまして、美味しかった?」 「うん、まあまあかな」 「ったく、素直じゃないね」 「俺は素直じゃないからな」 「「ははははは」」 部屋には俺達の笑い声打けが響いていた。 静かな夜だった、風の音も、蒸しの声もしないただ星の奇麗な夜だった。 そして梓とここで一緒にいられる最後の夜だった。 「…耕一…耕一もう寝た?」 「…………」 もちろん、まだ寝たわけではなかった。 ただこの静か空間で話しをするのがいやだった。 「…ごめんね…」 「…………」 「…一緒にいたかったなって言ってくれて嬉しかったよ。でももうきめた…」 「梓、最後じゃないんだから、また会えるんだから、いつでも来いよ」 「耕一…うん…」 そして夜の闇が俺達を包みこんだ。 トントントンと音がする。 まぶたを通して光さしこんでくる。 (朝か…)心地好いまどろみの中、理想的な状態、もう少し寝よう…。 梓がこっちにやって来る音がする。 しょうがない、起きるか…。 梓は立ち止まったようだ、チャンスは一度だけ…。 手をかけた、今だ! 「やあ、おはよう」 目を開けてさり気なく言う、さり気なくが重要だ。 「…!」 目を見開いて硬直している。 「び、びっくりした…」 「さ、めしにしようか」 「耕一やったなー」 いつと同じ朝が始まる。 時が過ぎるのはあっと言う間だ、ゆっくりと過ごしたい時に限って早く過ぎる。 「そろそろ時間だな」 「うん…」 「さ、行くか」 「え、いいよ。悪いし…」 「いいんだよ。俺が行きたいんだから」 「うん、じゃ行くよ」 バス停まで歩いてすぐだ。 無言で歩く、空まで曇って来ている。 「バスこねえな…」 「うん、いつも遅れるよね」 「「…………」」 やがてバスがやって来て俺達は駅へ向かった。 いつもは混む道も珍しくすいていてあっと言う間に駅に着いた。 別に会えなくなる訳ではない、以前のように向こうに行けばいつでも会える。 そう、戻るだけだ…。 「ここ迄でいいよ…」 梓ガ笑顔で言う。 「元気でな、来週には向こうに行けると思うから」 「うん、待ってるよ。耕一にもてつだってもらおうっと」 「お、おまえなあ、勘弁しろよ…」 「「あはははは」」 「じゃあ、時間だからここまででいいよ…」 「そうか…」 「耕一、さ…」 「またな、梓」 俺はあいつを遮るように言った。 梓は微笑むと 「うん、またね」 そう、会えなくなる訳ではないからな。 そして改札口を通ってふりかえることもなくホームへ降りて行った。 いっちまった…。 俺は、そのままアパートに帰る気にもなれずぶらぶら歩く事にした。 何か、何か大切な事を忘れているような気がして…。 あいつが肩を落として改札口を通って行ったのが気になる。 …………。 アパートが見えて来た時、 「…!」 俺は駅へ向かって走り出していた。 「梓、梓、梓、待っていてくれ、俺は大切な事をいい忘れていた」 …………。 駅の階段をかけ上がり、改札口を通りぬけホームへ駆け降りる。 …………。 ホームには誰も居なかった…。 アパートに帰って来て俺はただただ「ぼぅ」としていた。 窓を開けて部屋には早春の優しい風がふきぬけていた。 気が付いた時には日が傾きかけ窓から夕日がさしこんでいた。 「ピンポーン」 玄関のベルがなる。 セールスマンでも来たんだろうっと思い無視しようとした時。 「ピンポーン、ピンポーン」 まだ鳴っている。 「わかったよ」と俺は玄関に行きドアを開けた。 「はいなんで…」 「帰って来ちゃった」 にこやかに微笑む梓が立っていた。                                                   ==========第3章========== 帰って来ちゃった 俺は突然の事に口を開けて立っていた。 「帰ってきちゃった」 「梓…」 「耕一…?」 俺は、梓を抱きしめていた。 「もう、どこにも行くな…」 「…うん…」 梓の腕が俺の背中に回る。 …………。 「ところで、どうして戻って来た?」 とりあえず梓を部屋に上げ落ち着いた所で俺は聞いた。 「…東京駅に着いて、初音の所に電話を入れたんだけど…」 どうやら東京駅で電話をしたら千鶴さんがでたらしい。 そして二人から目茶区茶怒られたそうだ。 「まあ、千鶴姉に怒られるのは毎度の事だけど、初音が  あそこまで怒ったのは初めてだったよ…」 初音ちゃんには迷惑かけっぱなしだよな…。 「ほんと、初音には心配かけっぱなし…」 「なあ梓」 「何? にやにやして怪しい」 「なあ、来週になったら俺も暇になるから向こうに  行かないか?」 「え! 本当、行こう行こう」 嬉しそうにしやがって。 「じゃあ早速電話電話」 嬉しそうに電話に向かう。 「耕一、さっきから何にやにやしてるの?」 「あ? そんなににゃけてるか?」 梓、おまえこそ嬉しそうな顔をしているんだが。 「まあいいけどさ…私がいると嬉しい?」 以前の俺なら茶化す所だけど。 「うれしい」 「ふふふ」電話を持ち上げてダイヤルする。 「あ、初音? 私私、うんそう…」 俺はささやかな幸せを感じつつ梓の電話を聞いていた。 「…耕一? うんいるよ、隣でにやにやしている。たく何やってるのかねー」 …………まあ今日は勘弁しといてやるか。 「耕一、初音が変わってくれって」 「ん? はいはい」 俺は電話を受取った。 「もしもし、初音ちゃん…」







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