桜の木の下で
-小確幸番外編-


「なぁ、みさき先輩…」
俺は隣を歩いているみさき先輩に声をかけたはずだった。
「桜の香りがしてきそうな気がしない?」
「………」
いつもなら、すぐに来る返事が無いのが気になる。
「先輩?」
俺は後ろを振り返って見た。
いなかった………。
さすがの俺もこの時はあせりまくった上にうろたえまくった。
「あれ…先輩…おーい」
今から考えて見ると、以前瑞佳が毎朝、俺のいたずらにうろたえていた状況にそっくりだったと思う。
俺はこの時ばかりは、これからは悪趣味ないたずらは止めようと心に誓ったほどだった。
(そんなに遠くには行ってない筈だ)、すっかりうろたえている俺自身に言い聞かせながらあちらこちら探しまわった。
(でも、みさき先輩のことだから、わからないぞ…)ふと脳裏よぎる嫌な予感。
いくら先輩でも知らない場所にはそんなに行かないとは思うんだが………。
「あ、あそこかぁ」
わかってみれば、いつも行く場所に行っているに違いない。
誰も行かないような俺達のとっておきの場所。

辺りは桜の林になっていて、静かにしかし次から次ぎへと花びらが舞い降りている。
(風がふいたら、凄いこととになりそうだな)
俺は辺りを見渡しながら先輩を探す、ここら辺にいる筈なんだが。
「くすくすくす…」
後ろの方から女の子の笑い声が聞こえてくる。



思わず、声のした方に振り向くと桜の花びらが降り続く中ベンチに座ったみさき先輩が微笑みながらベンチに座っている。
その姿は毎日のように会っている俺でさえ、思わず見とれてしまったほどだった。
風が桜の花びらと共にみさき先輩の髪をゆらし、その中で嬉しそうに微笑んでいる、先輩。
以前、テレビアニメで花びらで町が埋まってしまうと言う物が会ったはずだ。
思わずそんな事を思ってしまう。
しばらくの間、そんなみさき先輩の姿を声も掛けずに眺めていた。
あちらの世界から戻る以前のようにいたずら目的で、と言うことではない。
どちらかと言うと奇麗な花や景色に見とれてしまうと言った所だろうか。
「浩平くんずるいよー、そこにいるのに…」
今までにこにこしていたみさき先輩が突然、すねた顔をしてつぶやいた。
「どわぁ、なぜわかったの」
突然のみさき先輩の言葉に驚いた俺は思わず言った。
「あ、やっぱりいたんだ、浩平君」
「あ、先輩こそずるいよ」
桜の花びらが舞う中での俺とみさき先輩のたわいないやりとり。
「ところで、なぜ突然いなくなったのさ…」
俺は、先輩の隣に座りながら言った。
するとみさき先輩は、まっ黒な大きな目を俺の方に向けて一言いった。
「仕返しだよ…。 でもこれでおあいこだね」
一瞬何のことかわからなかったが、俺は帰ってきてから1年が過ぎたことを思い出した。
「今年からまた同じ学校だね」
嬉しそうに微笑んでいる、この微笑みを見るたびに帰ってきて良かったと思う。
「またよろしくな、先輩」
この場所を偶然見つけたのは昨年の事だったと思う。

 

「うふふ…うふふ…うふふ」
みさき先輩は、俺の隣でさっきからずっとこの調子だ。
正直言ってみさき先輩らしくない笑い声である。
「みさき先輩、本当に嬉しそうだな」
俺も思わず笑顔になって聞いた。
「また一緒だから嬉しいんだよ、うふふ」
「そんな事を言ったって今までも一緒だったじゃないか」
「そんな事言ったって、学校は別だし、浩平君は忙しそうだし、私はつまらなかったよ」
すねたように言う。
以外かもしれないがみさき先輩は表情が豊かで、一緒にいて飽きないし楽しい。
のは良いのだが今日はちょっと…。
「今日は一日一緒にいられるから…」
満面の笑みで言う。
本当の事を言えば、今日は一日受験勉強でもと思っていたのだが、隣に座ってすねまくっている先輩に負けて出て来たのだが、出て来て正解だった。

ところで、先輩の笑みは本当に良い、俺は定期入れの中にこっそりと撮った先輩の写真を入れているのは良いのだが、この写真の購入希望者が続出したのには正直言って驚いた。その半数近くは女生徒だったのには更に驚いた。

「そうだな、俺も出てきて正解だったと思うよ」
「そうだよ、浩平君」
「ちょっと違うんじゃないか、先輩」
「え? 変じゃないよ。 浩平君の方こそ変だね」

変りつづく日常の中で変らない俺とみさき先輩。
そんな、日常がとても楽しく感じられる日々。
最近になって、俺をここにつなぎ止めたのは、
この様な日常をみさき先輩と過ごしたいと俺が望んだためなのかもしれない。

さて、俺がこの世界へ戻って来て1年が過ぎ様としている。
この1年はそれまでの俺を知る者は粗の変りようにきっと驚くに違いない。
まぁ、今までの俺を反省したためとかではなく、川名 みさきと言う女性とこれからの人生を過ごして行こうと真剣に考えた結果だった。
簡単に言えば、食費だ。
普通の人の10人前は軽く食してしまう先輩のことだ、並みの生活ではエンゲル係数の異常な高さが原因で生活苦が待っているのは必然と言うものだろう。
そこで、元々得意だった英語に磨きをかけ、他の科目も猛勉強をして、何とか先輩と同じ大学に入ることが出来た。
こう言っては何だけれども、みさき先輩が通う大学は知らない人はいないぐらい有名な某国立大学で、髭に言わせれば
「よくもまぁお前が合格ラインに入ったものだ。 きっと試験の時、大雪が降るから注意しろよ」と言って大笑いしていた。


「ねぇ、浩平君、ここが私の通う大学。 そして来年は浩平君の通う大学だよ」
校門の前にピタッと止まって、嬉しそうにおっしゃる。
「うむ、さすがはみさき先輩だけはある」
俺も先輩に負けないように…。
「浩平君、偉そうだよ…」
うっ、すねた顔も可愛いなんてなんて卑怯な人だ、とはどこかで聞いたことのある台詞だけど。
「真面目な話し、先輩、良く覚えたよ。 高校の時と変らないんじゃないかな」
「うん、浩平君を案内したかったからね。 私を外の世界へ、本当に素敵な外の世界へ連れ出してくれたお礼だよ」
先輩は俺の手を握りしめながら後者へと足を進める。
その歩みはぎこちなさも無く、しっかりとキャンパス全体を把握しているようだ。
俺は、先輩に引っ張られながら目頭が暑くなるような気がした。
高校の時は、目が見えていた時の記憶があったと言うのはみさき先輩の言葉なんだが。
「ついたよ、浩平君」
目の前には薄いピンク色に染まった桜の木に囲まれた公園だった。
「キャンパスの中にこんな所があったんだ…」
「気に入ってくれたかな」
先輩は真っ黒の大きな目を俺に向けて嬉しそうに微笑んでいる。
その奇麗な澄んだ目はなにも光を感じない筈なのに…。
「私の目は見えないけれど、感じることは出来るから、でもね、いつか浩平君と一緒に来たかったんだよ。どんな所なのか教えて欲しかったから…浩平君?」
恥ずかしい話しだが最後まで聞いていられなかった。
俺は先輩を抱きしめていた。
先輩はほんのりと桜の香りがした、
「先輩、ごめんな。 俺のためにここまで頑張ってくれて…」
俺が言った瞬間、先輩は体の力を抜き俺の背中にまわした手に力をこめた。
「浩平君こそありがとう。 約束守ってくれて…」
この時、俺達は完全に自分達だけの世界にいた。
昼間、しかも大学の構内だということ事を少しでも考えれば良かったのだ。
周りには、桜色に頬を染めた奴やら、にやにやしながら俺達の方を見ているやからでいっぱいだった。
「先輩!ちょっとあっちに行こう」
俺は叫ぶや否や先輩の手を握りしめたまま走り出した。
「こ、浩平君、危ないよー」
俺はかまわず走った。
先輩が足を取られずに付いてこられる事は百も承知だったし。
「こ、浩平君。 足元がふわふわするよ」
辺りに人の気配がしなくなった頃、先輩が不安そうな声をあげた。
俺は、立ち止まると人の気配がしない林の中にいる事に気がついた。
「浩平君どうしたの?」
突然立ち止まった俺を不信がるようにつぶやく。
「すごい…」
そう声をあげるのが精一杯だった。
桜の林の中、地面は桜の花びらで地面が見えず足元がふわふわしている。
それでも、木々にはなおいっそうの花びらで満開になっていてその満開の枝の間から春の日が射し込んでいる。
そんな風景だった。
「先輩…」
俺はつぶやくように言った。
「うん? 浩平君どうしたの…」
俺は先輩の肩に手を置くと静かに言った。
「先輩、目を閉じて…」
今考えると、先輩に目を閉じてと言うのは余計だったかもしれない。
しかし先輩はそっと目を閉じてくれた。
俺にとっても先輩にとっても幸いだったのは、先輩が桜を知っている事だった。
「あ、かすかに甘い香りがするんね。 それにまぶたの奥がきらきらしているよ」
結局俺達は日が傾いて寒くなって来るまでそこにいた。


時々、みさき先輩は俺の側からふっといなくなる。
そのたびに俺は慌てふためいて探しまわるんだが、はたと気が付きこの場所に来て見ると一人林の中に佇む先輩がいるのだった。
「本当に好きだなぁ先輩は」
「そんな誤解を招くような聞き方しちゃぁだめだよ、浩平君」
とまぁ、こんなリラックスした時間を過ごしていた。
そして、1年前と同じ様な桜の花びらのじゅうたんになった。
先輩は先に来ていて寝転んで感触を楽しんでいるらしい。
俺も先輩の隣に腰をおろしてから先輩の顔を覗き込む。
「損な所で寝ると風邪をひくぞ」
「浩平君が隣りにいるから大丈夫だよ」
相変わらず意味不明な所があるみさき先輩だが。
先輩はそっと目を閉じる。
「先輩…」
俺は先輩にささやきかけると…。

空からは相変わらず桜の花びらが降りそそぐ。
そんな花びらに埋もれても良いかなと俺は先輩を抱きしめながら思った。

 

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