ずずずずず… ちゅるっ… 「…ぷはー。しっかし、うまくねーなー。カップラーメンてのは、なんでこんなにまず いんでしょうねえ? 新製品がでてもすぐにあきちまう。」 ずるずる… ぞぞっ 「ふー。まあ、しょうがないな。うまかったら結婚するやつなんていなくなるからじゃ ないか?」 「…主任が言うと説得力がありますね。」 どっ… 笑い声がはじける。研究室の中庭。すっかり若葉になった桜の木の下、今日も長瀬を中 心とした開発チームのスタッフが車座になって弁当やカップラーメンなどをかき込んでい た。天気の悪い日や、冬期をのぞき、彼らはたいていここで昼食をとることにしていた。 マルチとのお花見以来の習慣だ。 と、そのうちの一人が長瀬に声をかける。 「…ねえオヤジさん。マルチちゃんの起動ディスク、昨日くらいには着いてますよね。」 「…ああ。」 「マルチちゃん、喜んだろうなあ…」 「今頃は、二人で仲良くやってんだろーなー。」 「そりゃそうさ。最愛のご主人様のもとに帰れたんだぜ。…よかったよなあ。」 「お、なんだお前、泣いてんのかよ。」 「へへ… 娘を嫁に出した父親の気分だぜ。ね、主任?」 長瀬は苦笑すると胸のポケットからよれよれになったタバコを取り出して火をつけた。 カチッ… ふーーーーっ 深く吸い込んでゆっくりと吐き出す。 「…ま、マルチが幸せになれたんだから、それでいいんだけどな。…あいつのことだか ら、きっとぽろぽろ涙こぼしてあの藤田くんに抱きついたんだろうなあ。」 長瀬の言葉にスタッフがそろって頷く。一様に口元がゆるんでいる。誰の脳裏にも、嬉 し涙をあふれさせて大好きな「ご主人様」にしがみついている最愛の娘の姿が浮かんでい た。マルチの幸せは彼らにとっても最大の幸せであった。…むろんそれは一抹の寂しさ− 娘を嫁がせた父親の−を伴うものではあったのだが。 「…主任、相手の藤田くんの方は大丈夫なんすか? 心変わりとかしてるんじゃないで しょうね。確か一度お会いになってるんですよね。」 「…うむ。その時の感じから言うと、大丈夫だとは思うんだが…。」 「…もし、もしもですよ、マルチちゃんが不幸な目にあってたらどうするんすか? オ ヤジさん?」 長瀬はまだ残っていたタバコをベンチにぎゅっとこすりつけて消した。にやりと笑みを 浮かべる。 「…その時は、もう一度犯罪者になるだけのことだ。今度は殺人もアリ、だがな。」 どっ… 全員の笑い声がはじける。 「そりゃいいっすねえ。オレ金属バット持っていきますよ。」 「鋏で喉を突くってのもいいぜ。」 「バカ言え、そんなモンじゃすぐ死んじまって苦しくねーだろーが。マルチちゃんを苦 しめたんだから十分苦しんで死んでもらわなきゃな。5センチ間隔でスライスしていくと かよ。」 「あ、それいいじゃん。足の方から順番にやって、どの辺まで生きてるか賭けたりして な。」 スタッフは藤田浩之の殺害方法で盛り上がりを見せていた。と、その時… 彼らの耳になつかしい声が届いた。 「しゅにーーーん、スタッフのみなさーーーーん!」 ガタガタッ… ばしゃっ… 全員が一斉に立ち上がって声の方に顔を向ける。カップラーメンがこぼれたが誰も見向 きもしない。 少し離れたところで大学生くらいの青年に連れられたメイドロボが懸命に手を振ってい た。次の瞬間彼女はこちらに向かって駆け出した。 「ただいまあ〜」 満面の笑顔。 愛する娘の笑顔。 長瀬が、スタッフが、みんなが心の底から見たいと願ってきた笑顔。 愛するマルチの幸せな笑顔が彼らの目の前にあった。 …凍っていた彼らとマルチの時間も、また動き出したのだ。 「さだめ」とやらに逆らって。