体験者は語る B (3/5)
蓮如上人御一代記聞書 (末)
(119)
ご法話をされた後で蓮如上人は、四、五人の
ご子息たちに、 「 法話を聞いた後で、四、五人ずつが
集まって、話しあいをしなさい。
五人いれば五人とも、決って自分に都合のよいように
聞くものであるから、聞き誤りのないよう十分に話し
あわなければならない 」 と仰せになりました。
(120)
たとえ事実でないことであっても、人が注意して
くれたときは、とりあえず受け入れるのがよい。
その場で反論すると、その人は二度と注意して
くれなくなる。
人が注意してくれることは、どんなことでも心に
深くとどめるようにしなければならない。
このことについて、こんな話しがある。
二人のものが、お互いに悪い点を注意しあおうと
約束した。
そこで、一人が相手の悪い行いを注意したところ、
相手のものは、 「 わたしはそうは思わないが、
人が悪いというのだからそうなのでしょう 」
と
いいわけをした。
こうした返答の仕方が悪いというのである。
事実でなくても、とりあえず 「 たしかにそうだ
」 と
返事をしておくのがよいのである。
(121)
一宗の繁昌というのは、人が多く集まり、
勢いが盛んなことではない。
たとえ一人であっても、まことの信心を得ることが、
一宗の繁昌なのである。
だから、『報恩講私記』に、 「 念仏のみ教えの繁昌は、
親鸞聖人のみ教えを受けた人々の信心の力によって
成就する 」 とお示しくださっているのである。
(122)
蓮如上人は、 「 仏法を聴聞することに
熱心であろうとする人はいる。
しかし信心を得ようと思う人はいない。
極楽は楽しいところであるとだけ聞いて
往生したいと願う人はいる。
しかしその人は仏になれないのである。
ただ弥陀を信じておまかせする人が、
往生して仏になるのである 」 と
仰せになりました。
(123)
すすんで聖教を求め、持っている人の
子孫には、仏法に深く帰依する人が出て
くるものである。
一度でも仏法に縁があった人は、たとえふだんは
大まかであっても、何かの折にはっと気がつき
やすく、また仏法に心を寄せるようになるものである。
(124)
蓮如上人の御文章は、阿弥陀如来の直接の
ご説法だと思うべきである。
その昔、人々が法然聖人について、
「 姿を見れば法然、言葉を聞けば弥陀の直接の
説法 」 といったのと同じである。
(125)
ご病床にあった蓮如上人が、慶聞坊に
「 何か読んで聞かせてくれ 」 と仰せになったとき、
慶聞坊は 「 御文章をお読みいたしましょうか
」 と
申しあげました。
上人は、「 では読んでくれ 」と仰せになり、
三通を二度ずつ、あわせて六度読ませられて、
「 自分で書いたものではあるが、
本当にありがたい 」 と仰せになりました。
(126)
順誓が、 「 世間の人は、自分の前では何もいわずに、
陰で悪口をいうといって腹を立てるものである。
だが、わたしはそうは思わない。
面と向かっていいにくいのであれば、わたしのいない
ところでもよいから、わたしの悪いところをいって
もらいたい。
それを伝え聞いて、その悪いところを直したいのである
」 と
いわれました。
(127)
蓮如上人は、 「 仏法のためと思えば、どんな苦労も
苦労とは思わない 」 と仰せになりました。
上人はどんなことでも心をこめてなさったのです。
(128)
「 仏法については、大まかな受けとめ方を
するのはよくない。
世間では、あまり細かすぎるのはよくないというが、
仏法については、細部に至まで心を配り、細やかに
心をはたらかせなければならない 」 と、
蓮如上人は仰せになりました。
(129)
遠いものがかえって近く、近いものがかえって遠い
という道理がある。
「 灯台もと暗し 」 というように、いつでも仏法を聴聞する
ことができる人は、尊いご縁をいただきながら、それを
いつものことと思い、ご法義をおろそかにしてしまう。
反対に、遠く離れていてなかなか仏法を聴聞することが
できない人は、仏法を聞きたいと思って、真剣に求める
心があるものである。
仏法は、真剣に求める心で聞くものである。
(130)
信心をいただいた上は、同じみ教えを聴聞しても、
いつも目新しくはじめて耳にするかのように思うべきである。
人はとかく目新しいことを聞きたいと思うものであるが、
同じみ教えを何度聞いても、いつも目新しくはじめて
耳にするかのように受け取らなければならない。
(131)
道宗は、 「 同じお言葉をいつも聴聞しているが、
何度聞いても、はじめて耳にするかのように
ありがたく思われる 」 といわれました。
(132)
「 念仏するにも、よい評判を求めているかのように
人が思うかもしれないので、人前では念仏しないように
気をつけているが、これは実に骨の折れることである
」 と、
ある人がいいました。
普通の人と違った尊い心がけです。
(133)
ともに念仏する仲間の目を気にして、目には見えない
仏の心を恐れないのは、愚かなことである。
何よりも、仏がすべてをお見通しになっていることを
恐れ多く思わなければならない。
(134)
「 たとえ正しいみ教えであっても、わずらわしく
理屈を並べることはやめなければならない 」
と、
蓮如上人は仰せになりました。
まして、世間のことばかりを話し続けてやめない
というのはよくありません。
ますます盛んに勧めなければならないのは、
信心のことなのです。
(135)
蓮如上人は、 「 仏法では、功徳を仏に差しあげ
ようとする心はよくない。
それは自分の力で功徳を積み、仏のお心にかなおう
とする自力の心である。
仏法では、どんなことも、仏恩報謝のいとなみと
思わなければならないのである 」 と仰せになりました。
(136)
人間には、眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの
感覚器官があって、これらがちょうど六人の盗賊
のように、人間の善い心を奪い取ってしまうのである。
だがそれは、自分の力でさまざまな行を修める
場合のことである。
他力の念仏の場合はそうではない。
仏の智慧である信心を得るのであるから、仏の力に
よってただちに貪り・怒り・愚かさの煩悩もさわりの
ないものとしてくださる。
だから 「 散善義 」 には、 「 貪りや怒りの心の中に、
清らかな信心がおこる 」 とあり、 「 正信偈
」 には、
たとえば日光が雲や霧にさえぎられても、その下は
明るくて、闇がないのと同じである 」 と
述べられているのである。
(137)
わずか一言のみ教えであっても、人はとかく自分に
都合のよいように聴聞するものである。
だから、ひたすらよく聞いて、心に受けとめたままを
念仏の仲間とともに話しあわなければならない。
(138)
蓮如上人は、 「 神に対しても仏に対しても、
馴れてくると手ですべきことを足でするようになる。
阿弥陀如来・親鸞聖人・よき師に対しても、慣れ
親しむにつれて気安く思うようになるのである。
だが、慣れ親しめば親しむほど、敬いの心を
深くしなければならないのは当然のことである
」 と
仰せになりました。
(139)
口に念仏し身に礼拝するのはまねをすることが
できても、心の奥底はなかなかよくなるものではない。
だから、力の及ぶ限り、心をよくするよう努めなければ
ならないのである。
(140)
衣服などでも、自分のものだと思って踏みつけ
粗末にするのは、情けないことです。
何もかもすべて親鸞聖人のおはたらきによって
恵まれたものなのですから、蓮如上人は、着物などが
足に触れたときには、うやうやしくおしいただかれたと
お聞きしています。
(141)
蓮如上人は、 「 表には王法を守り、心の奥深くには
仏法をたもちなさい 」 と仰せになりました。
また、 「 世間の倫理も正しく守りなさい 」
と仰せになりました。
(142)
蓮如上人は、お若いころ大変苦労されました。
ただひとえに、ご自身の生涯のうちに浄土真宗の
み教えをひろめようと願われた志一つで、このように
浄土真宗が栄えるようになったのです。
すべては上人のご苦労によるものです。
(143)
ご病床にあった蓮如上人が、 「 わが生涯のうちに
浄土真宗をぜひとも再興しようと願った志一つで、
浄土真宗が栄えるようになって、みんながこのように
安らかに暮らせるようになった。
これもわたしに、目に見えない仏のおはたらきがあった
からなのである 」 と、ご自身をほめて仰せになりました。
(144)
蓮如上人は、お若いころ粗末な綿入れの白衣を着て
おられました。
白無地の小袖なども気軽に着られることはなかった
そうです。
このようにいろいろと貧しい暮らしをされたことを折に
ふれてお話しになり、そのたびに 「 今の人々はこういう
話を聞いて、目に見えない仏のおはたらきをありがたく
思わなければならない 」 と繰り返し仰せになりました。
(145)
蓮如上人は、お若いころ何ごとにも苦労ばかりで、
灯火の油を買うだけのお金もなく、かろうじて安い
薪を少しずつ取り寄せて、その火の明かりで
お聖教をお読みになったそうです。
また、ときには月の光りでお聖教を書き写される
こともありました。
足もたいていは冷たい水で洗われました。
また,二、三日もお食事を召しあがらなかったことも
あったとお聞きしています。
(146)
「 若いころは思い通りに人を雇うこともできなかった
ので、赤ん坊のおむつも、わたしの手で洗ったものだ
」
と、蓮如上人は仰せになりました。
(147)
蓮如上人は、父上の存如上人の使用人をときおり
雇って使われたそうです。
その当時、存如上人は人を五人使っておられました。
ですから,蓮如上人はご隠居なさった後も五人だけ
お使いになりました。
このごろでは、用が多いからといって、思いのままに
人を使っていますが、恐れ多く、大変もったいない
ことだと思わなければなりません。
(148)
蓮如上人は、 「 昔、仏前に参る人は、襟や袖口
だけを布でおおった紙の衣を着ていたものであるが,
今では白無地の小袖を着て、おまけに着替え
まで持ってくるようになった。
世の中が乱れていたころは、宮中でも困窮して、
いろいろな品を質にお出しになり、ご用立てされた
ほどである 」 と例をあげて、贅沢に走ることを注意
されました。
(149)
蓮如上人は、 「 昔は貧しかったので、京の町から
古い綿を取り寄せて、自分一人で広げ用いたことも
あった。
また,着物も肩の破れたのを着ていた。
白の小袖は美濃絹の粗末なものを求めて、どうにか
一着だけ着ることができた 」 と仰せになりました。
このごろは、上人のこうしたご苦労も知らないで、
だれもが豊かな暮らしを当り前のように思って
いますが、このようなことでは仏のご加護も
なくなってしまうでしょう。
大変なことです。
(150)
「 念仏の仲間やよき師には、十分に親しみ近づか
なければならない。
<念仏者に親しみ近づかないのは、自力の人の
過失の一つである>と、『往生礼讃』に
示されている。
悪い人に親しみ近づいていると、自分はそのようには
ならないと思っていても,、折りにふれて悪いことを
するようになる。
だから、ただひたすら、深く仏法に帰依した人に
親しみ近づかなければならない 」 と、
蓮如上人は仰せになりました。
一般の書物にも、 「 人の善悪は、その人が
近づき習うものによって決る 」 、
「 その人を知ろうと思うなら,その友を見よ
」
という言葉があります。
また、 「 たとえ善人の敵となることがあっても、
悪人を友とするな 」 という言葉もあります。
(151)
「 < きればいよいよかたく、仰げばいよいよ
たかし >という言葉がある。
実際に切りこんでみて、はじめてそれが堅いとわかる
のである。
これと同じように、阿弥陀仏の本願を信じて、その
すばらしさもわかるのである。
信心をいただいたなら、仏の本願がますます尊く、
ありがたく感じられ、喜ぶ心もいっそう増すのである
」
と仰せになりました。
(152)
「 凡夫の身でこのたび浄土に往生することは、
ただたやすいことだとばかり思っている。
これは大きな誤りである。『無量寿経』に
「 難の中の難 」 とあるように、凡夫にはおこすことの
できない信心であるが、阿弥陀仏の智慧の
はからいにより、得やすいように成就して与えて
くださったのである。
『執持鈔』 には、< 往生というもっとも大切なことは、
凡夫がはからうことではない > と示されている
」 と、
蓮如上人は仰せになりました。
実如上人もまた、 「 このたびの浄土往生をもっとも
大切なことと思って、仏のはからいにまかせる人と、
わたしはいつも同じ心である 」 と仰せになりました。
(153)
「 念仏の教えを信じる人もいれば謗る人もいると、
釈尊はお説きになっている。
もし信じる人だけがいて、謗る人がいなかったなら、
釈尊のお説きになったことは本当なのかと疑問に
思うであろう。
しかし、やはり謗る人がいるのだから、仏説の通り、
本願を信じる人は、浄土に往生することがたしかに
定まるのである 」 と、蓮如上人はお説きになりました。
(154)
念仏の仲間がいる前でだけ、ご法義を喜んでいる
人がいるが、これは世間の評判を気にしての
ものである。
信心をいただいたなら、ただ一人いるときも、喜びの
心が湧きおこってくるものである。
(155)
「 仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。
世間の用事を終え、ひまな時間をつくって仏法を
聞こうと思うのは、とんでもないことである。
仏法においては、明日ということがあってはならない
」
と、蓮如上人は仰せになりました。
このことは 『浄土和讃』 にも
たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり
たとえ世界中に火が満ちているとしても、
ひるまず進み、仏の御名を聞き信じる人は、
往生成仏すべき身に定まるのである。
と示されています。
(156)
法敬坊が次のようにいわれました。
「 何人かの人が集まって、世間話をしている最中に、
中の一人が突然、席を立った。
長老格の人が、< どうしたのか > お尋ねになると、
< 大切な急ぎの用件がありますので > といって、
立ち去ったのである。
後に < 先日はどうして急に席を立ったのですか
>
と尋ねたところ、その人は、< 仏法について話しあう
約束があったので、おるにおられず席を立ったのです
>
と答えた。
ご法義のことは、このように心がけなければならない
のである 」 と。
(157)
「 仏法を主とし、世間のことを客人としなさい
」 と
いう言葉がある。
仏法を深く信じた上は、世間のことはときに応じて
行うべきものである。
(158)
蓮悟さまが、蓮如上人のおられる南殿へ
おうかがいし、存覚上人の著わされたお聖教に
少し疑問に思うところがあるのを書き出して
「 どういうことでしょうか 」 と、上人にお見せしました。
すると上人は、
「 名人がお書きになったものは、
そのままにしておきなさい。
こちらの考えが及ばない深い思し召しのある
ところが、名人の名人たるすぐれたところなので
ある 」 と仰せになりました。
(159)
蓮如上人に対して、ある人がご開山聖人
ご在世のころのことについて、 「 これはどういうわけが
あってのことでしょうか 」 とお尋ねしたところ、
上人は、 「 それはわたしも知らない。どんなことであれ、
たとえ、わけを知らないことであっても、わたしは
ご開山聖人がなさった通りにするのである 」
と
仰せになりました。
(160)
「 概して人には、他人に負けたくないと思う
心がある。
世間では、この心によって懸命に学び、物事に
熟達するのである。
だが、仏法では無我が説かれるからには、
われこそがという思いもなく、人に負けて、
信心を得るものである。
正しい道理を心得て,我執を退けるのは、
仏のお慈悲のはたらきである 」 と、
蓮如上人は仰せになりました。
(161)
一心というのは、凡夫が弥陀を信じておまかせ
するとき、仏の不思議なお力によって、凡夫の心を
仏の心と一つにしてくださるから一心というのである。
(162)
ある人が、 「 井戸の水を飲むことも仏法の
おはたらきによって恵まれたものだから、
一口の水でさえ、阿弥陀如来・親鸞聖人の
おかげなのだと思っている 」 といいました。
(163)
ご病床にあった蓮如上人が、 「 わたしのことで
思い立ったことは、ただちに成しとげることが
できなくても、ついに成就しなかったということはない。
だが,人々が信心を得るということ、このことばかりは、
わたしの思い通りにならず、多くの人がまだ信心を
得ていない。
そのことだけがつらく悲しく思われるのである
」 と
仰せになりました。
(164)
蓮如上人は、 「 わたしはどんなことも思った
通りにしてきた。
浄土真宗を再興し、京都山科に本堂・御影堂を建て、
本願寺住職の地位も譲り、大坂に御堂を建てて、
隠居の身となった。
『老子』 に < 仕事を成しとげ、名をあげた後、
引退するのは天の道にかなっている > とあるが、
わたしはその通りにすることができた 」 と
仰せになりました。
(165)
「 夜、敵陣にともされている火を見て、あれは
火でないと思うものはいない。
それと同じように、どんな人が申したとしても、
蓮如上人のお言葉をその通りに話し、上人の
書かれたものをそのまま読んで聞かせるので
あれば、それは上人のお言葉であると仰ぎ、
承るべきである 」 といわれました。
(166)
蓮如上人は、 「 ご法義のことは、詳しく人に
尋ねなさい。
わからないことは何でも人によく尋ねなさい
」 と、
折にふれて仰せになりました。
「 どういう人にお尋ねしたらよろしいのでしょうか
」 と
おうかがいしたところ、 「 ご法義を心得ているもので
ありさえすれば、だれかれの別なく尋ねなさい。
ご法義は、知っていそうにもないものがかえって
よく知っているのである 」 と仰せになリました。
(167)
蓮如上人は無地のものを着ることをおきらいに
なりました。
「 紋のない無地のものを着るといかにも僧侶らしく
ありがたそうに見えてしまう 」 という仰せでありました。
また、墨染めの黒い衣を着るのもおきらいになりました。
墨染めの黒い衣を着て訪ねて来る人がいると、
「 身なりのただしいありがたいお坊さまがおいでに
なった 」 とからかって、 「 いやいや、わたしのような
ものは、全然ありがたくない。
ただ弥陀の本願だけがありがたいのである 」
と
仰せになりました。
(168)
蓮如上人は、小紋染めの小袖をつくらせて、
大坂御坊の居間の衣掛けに掛けておかれた
そうです。
(169)
蓮如上人は、お食事を召しあがるときは、
まず合掌されて、 「 阿弥陀如来と親鸞聖人の
おはたらきにより、着物を着させていただき、
食事をさせていただきます 」 と仰せになりました。
(170)
「 人は上がることばかりに気を取られて、
落ちるところのあることを知らない。
ひたすら行いをつつしんで、たえず、恐れ多い
ことだと、何ごとにつけても気をつけるように
しなければならない 」 と、蓮如上人は仰せに
なりました。
(171)
「 往生は一人一人の身に成就することがらである。
一人一人が仏法を信じてこのたび浄土に往生
させていただくのである。
このことを人ごとのように思うのは、同時に一方で
自分自身を知らないということである 」 と、
円如さまは仰せになりました。
(172)
大坂御坊で、ある人が蓮如上人に、 「 今朝、まだ
暗いうちから、一人の老人が参詣しておられました。
まことに立派な心がけです 」 と申しあげたところ、
上人はすぐさま、 「 信心さえあれば、どんなことも
つらいとは思わないものである。
信心をいただいた上は、すべてを仏恩報謝と心得る
のであるから、苦労とは思わないのである 」
と
仰せになりました。
その老人というのは、田上の了宗であったと
いうことです。
(173)
山科本願寺の南殿に人々が集まり、ご法義を
どのように心にうけとめるかあれこれと論じあって
いるところに、蓮如上人がおいでになって、
「 何をいっているのか。あれこれ思いはからうことを
捨てて、疑いなく弥陀を信じおまかせするだけで、
往生は仏よりお定めくださるのである。
その証拠は南無阿弥陀仏の名号である。
この上、いったい何を思いはからうというのか
」 と
仰せになりました。
このように蓮如上人は、人々が疑問に思うこと
などをお尋ねしたときも、複雑なことをただ一言で、
さらりと解決してしまわれたのです。
(174)
蓮如上人は、
おどろかすかひこそなけれ村雀
耳なれぬればなるこにぞのる
群がる雀を驚かして追いはらう鳴子の音も、
今では効き目がなくなった。耳なれした雀たち
は、平気で鳴子に乗っている。
という歌をお引きになって、「人はみな耳なれ雀に
なっている 」 と折りにふれて仰せになりました。
(175)
「 仏法を聞いて、心の持ちようをあらためようと
思う人はいるけれども、信心を得ようと思う人は
いない 」 と、蓮如上人は仰せになりました。
(176)
蓮如上人は、 「 方便を悪いということはあっては
ならない。
方便によって真実が顕され、真実が明らかに
なれば方便は廃されるのである。
方便は真実に導く手だてであることを十分に
心得なければならない。
阿弥陀如来・釈尊・よき師の巧みな手だてによって、
わたしたちは真実の信心を得させていただく
のである 」 と仰せになりました。
(177)
蓮如上人の御文章は、凡夫が浄土に
往生する道を明らかに映しだす鏡である。
この御文章の他に浄土真宗のみ教えが
あるように思う人がいるが、それは大きな
誤りである。
(178)
「 信心をいただいた上は、仏恩報謝の称名を
おこたることがあってはならない。
だが、これについて、心の底から尊くありがたく
思って念仏するのを仏恩報謝であると考え、
何という思いもなくふと念仏するのを仏恩報謝
ではないと考えるのは、大きな誤りである。
自然に念仏が口に出ることは、仏の智慧の
うながしであり、仏恩報謝の称名である 」 と、
蓮如上人は仰せになりました。
(179)
蓮如上人は、 「 信心をいただいた上は、尊く
思って称える念仏も、また、ふと称える念仏も、
ともに仏恩報謝になるのである。
他宗では、亡き親の追善供養のため、
あるいはまた、あれのためこれのためなどといって、
念仏をさまざまに使っている。
けれども、親鸞聖人のみ教えにおいては、弥陀を
信じおまかせするのが念仏なのである。
弥陀を信じた上で称える念仏は、どのようで
あれ、すべて仏恩報謝になるのである 」 と
仰せになりました。
聞書の最終は、(314)です。
つづきをどうぞ
本願寺出版社発行 蓮如上人御一代記聞書(現代語版)より
114頁まで
掲載者 妙念寺 藤本 誠