体験者は語る C (4/5)
蓮如上人御一代記聞書 続き
本願寺出版社発行 蓮如上人御一代記聞書 現代語版 115頁から
(180)
「 蓮如上人がご存命のころ、山科本願寺の
南殿であったでしょうか、ある人が蜂を殺して
しまって、思わず念仏を称えました。
そのとき、上人が、
< あなたは今どんな思いで念仏を称えたのか
> と、
お尋ねになったところ、
その人は、< かわいそうなことだと、ただそれだけを
思って称えました > と答えました。
すると上人は、< 信心をいただいた上は、
どのようであっても、念仏を称えるのは仏恩報謝の
意味であると思いなさい。
信心を頂いた上での念仏は、すべて仏恩報謝に
なるのである > と仰せになりました 」 と、
このようなことを伝えた人がいました。
(181)
山科本願寺の南殿で、蓮如上人は、
暖簾をあげて出てこられる際に、 「 南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏 」 と称えて、 「 法敬よ、今わたしが
どのような思いで念仏を称えていたかわかるか
」 と
お尋ねになりました。
法敬坊が 「 まったくわかりません 」 とお答えすると、
上人は、 「 今、念仏を称えたのは、阿弥陀仏が
このわたしをお救いくださることをうれしいことだ、
尊いことだと喜ぶ心なのだよ 」 と仰せになりました。
(182)
蓮如上人に対して、西国から来たという人が、
安心について受けとめているところを申しあげたとき、
上人は 「 心の中が今いわれた通りであるのなら、
それがもっとも大切なことである 」 と仰せになりました。
(183)
蓮如上人は、 「 ただいま、どなたも口では、安心に
ついて受けとめているところを同じように申された。
そのように言葉の上だけで同じようにしているから、
信心が定まった人とまぎれてしまい、往生することが
できない。
わたしはそのことを悲しく思うのである 」 と
仰せになりました。
(184)
「 信心をいただいたからには、それほど悪いことは
しないはずである。
あるいは、人にいわれたからといって、悪いことを
するようなことはないはずである。
このたび迷いの世界の絆を断ち切って、浄土に
往生しようと願う人が、どうして悪いと思われる
ようなことをするであろうか 」 と、
蓮如上人は仰せになりました。
(185)
蓮如上人は、 「 仏法は、簡潔にわかりやすく
説きなさい 」 と仰せになりました。
また、法敬坊に対して、 「 信心・安心といっても、
聞く人の多くは文字も知らないし、また、信心・安心
などというと別のもののようにも思ってしまう。
だから、わたしたちのような凡夫が弥陀のお力で
仏になるということだけを教えなさい。
仰せのままに浄土に往生させてくださいと弥陀を
信じておまかせすることを勧めなさい。
そうすれば、どんな人でもそれを聞いて信心を
得るであろう。
浄土真宗には、これ以外の教えはないのである
」 と
仰せになりました。
『安心決定鈔』 には、 「 浄土のみ教えは、第十八願を
しっかりと心得る以外にはない 」 とあります。
ですから、上人は、御文章に、 「 仰せのままにお救い
くださいと疑いなく仏におまかせするものを、たとえ
罪はどれほど深くても、弥陀如来は必ずお救いくださる
のである。
これが第十八の念仏往生の誓願の心である 」 と
お示しくださっているのです。
(186)
「 信心を得ていないから悪いのである。
ともかくまず信心を得なさい 」 と、
蓮如上人は仰せになりました。
上人が悪いことだといわれたのは、信心がないことを
悪いといわれたのです。
このことについて、次のような話しがあります。
上人がある人に向かって 「 お前ほど悪いものはいない。
言語道断だ 」 と仰せになったところ、
その人は 「 何ごとも上人のお心にかなうようにと思って
おりますが、悪いところがあるのでしょうか
」 と
お答えしました。
すると上人は、 「 まったく悪い。信心がないのは
悪くはないのか 」 と仰せになったということです。
(187)
蓮如上人が、 「 どんなことを聞いても、わたしの
心は少しも満足しない。
一人でもよいから、人が信心を得たということを聞きたい
ものだ 」 と独り言をおっしゃいました。
「 わたしは生涯を通して、ただ人々に信心を得させたいと
願ってきたのである 」 と仰せになりました。
(188)
「 親鸞聖人のみ教えにおいては、弥陀に
おまかせする信心がもっとも大切なのである。
だから、弥陀におまかせするということを代々の
上人がたがお示しになってこられたのであるが、
人々はどのようにおまかせするのかを詳しく
知らなかった。
そこで、蓮如上人は本願寺の住職になられると、
御文章をお書きになり、<念仏以外のさまざまな
行を捨てて、仰せのままに浄土に往生させて
くださいと疑いなく弥陀におまかせしなさい> と
明らかにお示しくださったのである。
だから、蓮如上人は浄土真宗ご再興の上人と
いわれるのである 」 と仰せになりました。
(189)
「 善いことをしてもそれが悪い場合があり、
悪いことをしてもそれが善い場合がある。
善いことをしても、自分はご法義のために善いことを
したのだと思い、自分こそがという我執の心が
あるなら、それは悪いのである。
悪いことをしても、その心をあらためて、弥陀の
本願を信じれば、悪いことをしたのが、善いことに
なるのである 」 というお示しがあります。
そういうわけで、蓮如上人は、 「 善いことをして
その功徳を仏に差しあげようとする自力の心が
悪い 」 と仰せになったのです。
(190)
蓮如上人は、 「 思いもよらない人が過分の
贈物を持ってきたときは、何かわけがあるに
違いないと思いなさい。
人からものを贈られると、うれしく思うのが人の
心だから、何かを頼もうとするときは、人は
そのようなことをするものである 」 と
仰せになりました。
(191)
蓮如上人は、 「 行く先だけを見て、自分の
足元を見ないでいると、つまずくに違いない。
他人のことだけを見て、自分自身のことについて
心がけないでいると、大変なことになる 」 と
仰せになりました。
(192)
よき師の仰せではあるが、これはとうてい
成就しそうにないなどと思うのは、大変
嘆かわしいことです。
成就しそうにないことであっても、よき師の
仰せならば、成就すると思いなさい。
この凡夫の身が仏になるのだから、そのような
ことはあるはずがないと思うほどのことが他に
何かあるでしょうか。
そういうわけで、赤尾の道宗は、 「 もし蓮如上人が、
< 道宗よ、琵琶湖を一人で埋めなさい > と
仰せになったとしても、< かしこまりました
> と
お引き受けするだろう。
よき師の仰せなら、成就しないことがあろうか
」 と
いわれたのです。
(193)
「 < きわめて堅いものは石である。
きわめてやわらかいものは水である。
そのやわらかい水が堅い石に穴を
あけるのである。
心の奥底まで徹すれば、どうして仏の
さとりを成就しないことがあろうか >と
いう古い言葉がある。
信心を得ていないものであっても、真剣に
み教えを聴聞すれば、仏のお慈悲によって、
信心を得ることができるのである。
ただ仏法は聴聞するということにつきるのである 」
と、蓮如上人は仰せになりました。
(194)
蓮如上人は、 「 信心がたしかに定まった
人を見て、自分もあのようにならなくてはと
思う人は、信心を得るのである。
あのようになろうとしても、なれるはずがないと
あきらめるのは嘆かわしいことである。
仏法においては、命をかけて求める心が
あってこそ、信心を得ることができる 」 と
仰せになりました。
(195)
「 他人の悪いところはよく目につくが、
自分の悪いところは気づかないものである。
もし自分で悪いと気づくようであれば、それは
よほど悪いからこそ自分でも気がついたのだと
思って、心をあらためなければならない。
人が注意をしてくれることに耳を傾け、素直に
受け入れなければならない。
自分自身の悪いところはなかなかわからない
ものである 」 と、蓮如上人は仰せになりました。
(196)
「 世間のことを話しあっている場で、
かえって仏法の話しが出ることがある。
そのようなときは、われ先にものをいわないで
人並みに振舞っておきなさい。
どのような考えの人がいるかわからないのだから、
注意をおこたってはならない。
けれども、念仏の仲間が集まって、お聖教の講釈を
聞いて学ぶときや、仏法について語りあったりする
ときに、少しもものをいわないのは、大きな誤りである。
仏法について語りあう場では、心の中をすべて
打ち明け、互いに、信心を得ているかいないかに
ついて語らなければならない 」 と仰せになりました。
(197)
ある人が金森の善従に、 「 このごろは、あなたも
さぞかし退屈でつまらないことでしょう 」 といったところ、
善従は、 「 わたしは八十を超えるこの年まで、退屈と
感じたことはありません。
というのも、弥陀のご恩のありがたさを思い、ご和讃や
お聖教などを拝読していますので、心は晴ればれと
楽しく、尊さでいっぱいです。
だから、少しも退屈ということがないのです
」 と
いったということです。
(198)
実如上人が善従の逸話を紹介して、
「 ある人が善従の住いを訪ねたとき、まだ履物も
脱がないうちから、善従が仏法について話し始めた。
側にいた人が、< 履物さえまだ脱いでおられないのに、
どうしてそのように急いで話しをはじめるのですか
>
というと、善従は < 息を吐いて吸う間もないうちに
命が尽きてしまう無常の世です。
もし履物を脱がないうちに、命が尽きたらどうするの
ですか > と答えたのであった。
何をおいても、仏法のことはこのように急がなければ
ならないのである 」 と仰せになりました。
(199)
蓮如上人が善従のことについて、
「 まだ山科の野村に本願寺を建立するという
話もなかったころ、神無森というところを通って、
金森へ帰る途中で、善従は輿から降り、野村の
方向を指して、< この道すじで仏法が栄えるで
あろう > といった。
つきそっていた人々は、< 年老いてしまったから
こんなことをいうのだ >などささやいていたのだが、
ついにその地に本願寺が建ち、仏法が栄える
こととなった。
不思議なことである 」 と仰せになりました。
また上人は、 「 善従は法然聖人の生れ変わりで
あると、世間の人々はいっている 」 とも仰せになりました。
善従が往生したのは、八月の二十五日でした。
(200)
「 東山の大谷本願寺が比叡山の法師たちによって
打ち壊されたとき、蓮如上人は避難されて、どこに
おいでになるのかだれも知らなかったのだが、
善従があちらこちら訪ね捜して、あるところで
上人にお会いすることができた。
そのとき、上人はたいそうお困りの様子であったので、
< このありさまを見ると、善従もきっと
悲しむことであろう >
とお思いになったのだが、
善従は上人にお目にかかるや、
< ああ、ありがたい。すぐにも仏法は
栄えることでしょう > といった。
そしてついにこの言葉通りになったのである。
<善従は不思議な人だ> と
蓮如上人も仰せになっていた 」 と、実如上人は
仰せになりました。
(201)
去る大永三年、蓮如上人の二十五回忌に
あたる年の三月はじめごろ、実如上人は夢を
ご覧になりました。
御堂の上壇、南の方に、蓮如上人がおいでになって、
紫色の小袖をお召しになっています。
そして、実如上人に対して、 「 仏法はみ教えを
聞いて喜び語りあうということに尽きるのである。
だから、十分に語りあわなければならない 」
と
仰せになったのです。
目が覚めてから、実如上人は、 「 これはまことに
夢のお告げともいうべきことである 」 と仰せになりました。
そういうわけで特にその年は、 「 み教えを聞いて
喜び語りあうことが大切である 」 と
お示しになったのです。
このことについてさらに、 「 ただ一人いるときも、
喜びの心がおこってくるのが仏法である。
一人でいるときでさえ尊く思われるのだから、
二人が会って話しあえば、どれほどありがたく
感じられることであろうか。
ともかく仏法のことについて寄り集って話しあい
なさい 」 と仰せになりました。
(202)
今までの心をあらためようという人が、
「 どんなことをまずあらためたらよろしいでしょうか 」
とお尋ねしたところ、 「 悪いことはすべてあらためなさい。
それも、心の中をはっきりと表に出して、あらためる
ということでなければならない。
どんなことであれ、人が直すことができたということを
聞いて、自分もそのように直るはずだと思い、自身の
悪いところを打ち明けなかったなら、直るものではない
」
と、蓮如上人は仰せになりました。
(203)
「 仏法について話しあうとき、ものをいわないのは、
信心がないからである。
そういう人は、心の中でうまく考えていわなければ
ならないように思っているのであろうが、それはまるで
どこかよそにあるものを探し出そうとしているかのようである。
心の中にうれしいという思いがあれば、それはそのまま
あらわれるものである。
寒ければ寒い、暑ければ暑いと、心に感じた通りが
そのまま口に出るものである。
仏法について話しあう場で、ものをいわないのは、
うちに信心がないからである。
また、油断ということも、信心をいただいた上で言う
ことである。
しばしば念仏の仲間とともに集まり、み教えを聞いて
喜び語りあうなら、油断するということはあるはずが
ないのである 」 と、蓮如上人は仰せになりました。
(204)
蓮如上人は、 「 信心がたしかに定まったのだから、
弥陀のお救いをすでに得たというのは、現在の
この身でさとりを開いたように聞こえるのでよくない。
弥陀を信じておまかせするとき、お救いくださることは
明らかであるけれども、必ずお救いにあずかるという
のがよいのである 」 と仰せになりました。
また、 「 信心をいただいたとき、往生成仏すべき身となる。
これは必ず成仏するという利益であり、表にはあらわれ
ない利益であって、仏のさとりに至ることに定まった
ということなのである 」 とも仰せになりました。
(205)
徳大寺の唯蓮坊が、 「 摂取不捨 」 とは
どういうことなのか知りたいと思って、雲居寺の
阿弥陀仏に祈願しました。
すると、夢の中に阿弥陀仏が現れて、唯蓮坊の
衣の袖をしっかりととらえ、逃げようとしても決して
お放しにならなかったのだそうです。
この夢によって、摂取というのは、逃げるものを
とらえて放さないようなことであると気づいたといいます。
蓮如上人はこのことをよく例に引いてお話しになりました。
(206)
蓮如上人がご病床にあったとき、ご子息の蓮淳さま、
蓮悟さまが上人のもとへおうかがいし、 「 目に見えない
仏のおはたらきにかなうというのは、どのようなこと
でしょうか 」 とお尋ねすると、上人は 「 それは、弥陀を
信じておまかせするということである 」 と仰せになりました。
(207)
「 人に仏法の話しをして、相手の人が喜んだときは、
自分はその相手の人よりも、もっと喜んで尊いことだと
思うべきである。
仏の智慧をお伝えするからこそ、、このように人が喜ぶ
のだと受けとめて、仏の智慧のおはたらきをありがたく
思いなさい 」 と、蓮如上人はお示しくださいました。
(208)
「 人前で御文章を読んで聴聞させるのも、
仏恩報謝であると思いなさい。
一句一言でも、信心をいただいた上で読み聞かせる
のなら、人も信じて受け取るし、また仏恩報謝にもなる
のである 」 と仰せになりました。
(209)
蓮如上人は、 「 弥陀の光明のはたらきは、
たとえていえば、濡れたものを干すと、表から
乾いて、裏まで乾くようなものである。
濡れたものが乾くのは日光の力である。
罪深い凡夫にたしかな信心がおこるのは、
弥陀のお働きによるものである。
凡夫の罪はすべて弥陀の光明が消して
くださるのである 」 と仰せになりました。
(210)
「 信心がたしかに定まった人はどんな人であれ、
一目その人を見ただけで尊く思えるものである。
だが、これはその人自身が尊いのではない。
弥陀の智慧をいただいているから尊いのである。
だから弥陀の智慧のはたらきのありがたさを思い
知らなければならない 」 と仰せになりました。
(211)
ご病床にあった蓮如上人が、 「 わたしは、もはや
何も思い残すことはない。
ただ、子供たちの中にも、その他の人々の中にも、
信心のないものがいることを悲しく思う。
世間では、思い残すことがあると死出の旅路の
さまたげになるなどというが、わたしには今すぐ
往生してもさまたげとなるような思いはない。
ただ信心のないものがいることだけを嘆かわしく
思うのである 」 と仰せになりました。
(212)
蓮如上人は、あるときには訪ねてきた人に
酒を飲ませたり、ものを与えたりして、このような
もてなしをありがたいことだと喜ばせ、近づきやすく
させて、仏法の話をお聞かせになりました。
「 このようにものを与えることも、信心を得させる
ためであるから、仏恩報謝であると思っている
」 と
仰せになりました。
(213)
蓮如上人は、 「 ご法義を善く心得ていると思って
いるものは、実は何も心得ていないのである。
反対に、何も心得ていないと思っているものは、
よく心得ているのである。
弥陀がお救いくださることを尊いことだとそのまま
受け取るのが、よく心得ているということなのである。
物知り顔をして、自分はご法義をよく心得ている
などと思うことが少しもあってはならない 」
と
仰せになりました。
ですから、『口伝鈔』 には、 「 わたしたちの上に
届いている弥陀の智慧のはたらきにおまかせする
以外、凡夫がどうして往生という利益を得ることが
できようか 」 と示されているのです。
(214)
加賀の国の菅生の願生が、蓮智のお聖教の
読み方を聞いて、 「 お聖教はありがたいのですが、
お読みになる方に信心がございませんので、
尊くも何ともありません 」 といいました。
蓮如上人はこのことをお聞きになって、蓮智を
お呼び寄せになり、ご自身の前で毎日お聖教を
読ませ、ご法義についてもお聞かせになりました。
そして、 「 蓮智にお聖教を読み習わせ、仏法に
ついても話して聞かせた 」 ということを願生に
お伝えになり、蓮智を郷里に帰されました。
その後は、蓮智がお聖教を読むと願生も、
「 今こそ本当にありがたい 」 といって、心から
喜ぶようになったということです。
(215)
蓮如上人は、年少のものに対しては、
「 ともかくまずお聖教を読みなさい 」 と
仰せになりました。
また、その後は、 「 どれほどたくさんのお聖教を
読んだとしても、繰り返し読まなければ、その甲斐が
ない 」 と仰せになりました。
そして、成長して少し物事がわかるようになると、
「 どれほどお聖教を読み、漢字の音などをよく学んだ
としても、書かれている意味がわからなければ、
本当に読んだことにはならない 」 と仰せになりました。
さらに、その後は、 「 お聖教の文やその解釈を
どれほど覚えたとしても、信心がなければ何の
意味もない 」 と仰せになりました。
(216)
ある人が心に思っていることをそのまま法敬坊に
打ち明けて、 「 蓮如上人のお言葉の通りには心得て
おりますが、とかく気がゆるみ、なまけ心が出て、
ただただ情けないことです 」 といいました。
すると法敬坊は 「 それは上人のお言葉の通りでは
ありません。何ともふとどきないい方です。
お言葉には、< 気をゆるめてはいけない。なまけては
いけない > と、示されているではありませんか
」 と
いわれました。
(217)
ある人が法敬坊に、 「 これほど深くあなたは仏法を
信じているのに、あなたの母上に信心がないのは、
どういうことでしょうか 」 と、疑問に思っていることを
尋ねたところ、法敬坊は、 「 その疑問はもっともな
ことですが、朝夕、どれほど御文章を読み聞かせても、
少しも心を動かさないのですから、このわたしが教えた
くらいのことで、どうして聞いてくれるでしょうか
」 と
いわれました。
(218)
順誓が申されるには、 「 人々にご法義の話を
するのに、蓮如上人がおられないところで話す
ときは、何か間違ったことをいいはしないだろうかと
気になって、脇の下から冷汗の出る思いがする。
反対に、上人がお聞きになっているところで話すときは、
間違ったことをいっても、直ぐに直していただけると
思うので、安心して話すことができる 」 ということでした。
(219)
蓮如上人は、 「 疑問に思うということと、少しも
知らないということとは、別のことである。
まったく知らないことを疑問に思うというのは、
間違っている。
物事をだいたい心得ていて、その上で、あれは
何であろうか、これはどうであろうかというのが、
疑問に思うということである。
ところが、人々はわけを少しも知らないで尋ねる
ことを、疑問に思うといってごまかしている
」 と
仰せになりました。
(220)
蓮如上人は、 「 山科の本願寺や大坂などの
御坊のことは、親鸞聖人がご在世の時と同じように
考えている。
つまりこのわたしは、しばらくの間、聖人の留守を
お預かりしているだけなのである。
そういうことではあるが、聖人のご恩をかたときも
忘れたことはない 」 と、お斎の折のご法話で
仰せになりました。
そして、 「 お斎をいただいている間も、少しもご恩を
忘れることはない 」 と仰せになりました。
(221)
善如上人と綽如上人の時代のことについて、
実如上人が次のように仰せになりました。
「 このお二人の時代は、外見をおごそかに
することを大事にされていた。
そのことは、黄袈裟、黄衣をお召しになった
お姿で描かれているお二人の御影像に今も
あらわれている。
そこで、蓮如上人の時代、浄土真宗にそぐわない
本尊など多くのものを、仏具・仏像を洗う湯を
沸かすたび、上人は焼くようにお命じになった。
このお二人の御影像も焼かせようとして
取り出されたところ、どのように思われたので
あろうか、包んでいる紙に < 善い・悪い > と
お書きになって、御影像を残しておかれたのであった。
このことを今考えてみると、< 歴代の宗主の
中でさえ、このように間違うことがある。
まして、わたしたちのようなものは間違うことが
ありがちだから、仏法のことは大切であると
心得て、十分気をつけなさい > というお諭しで
あったのである。
このときの上人のお心を、わたしは今そのように
受けとめている。
また、< 善い・悪い > とお書きになったのは、
< 悪い > とだけ書けば、本願寺の先代のことで
あるから、恐れ多いと思われて、どちらにも
取れるようにされたのである 」 と。
そしてまた、実如上人は、 「 蓮如上人の時代、
親しくお仕えしていた人々の多くがみ教えを
間違って受けとめることがあった。
わたしたちは、大切な仏法をますます深く心に
とどめ、人に何度も何度も尋ねて、み教えを
正しく心得なければならないのである 」 と
仰せになりました。
(222)
「 仏法に深く帰依した人に、わずかばかりの
間違いがあるのを見つけたときは、あの方でさえ
このように間違いを犯すことがあると思って、
わが身を深くつつしまなければならない。
ところがそれを、あの方でさえ間違いがあるのだ、
まして、わたしたちのようなものが間違えない
はずがないと思うのは、大変嘆かわしいことである
」
とのことです。
(223)
「 < 仏恩をたしなむ > という仰せがあるが、
これは世間で普通にいう、ものをたしなむなどと
いうようなことではない。
信心をいただいた上は、仏恩を尊く、ありがたく
思って喜ぶのであるが、その喜びがふと途切れて、
念仏がなおざりになることがある。
そういうときに、このような広大なご恩を忘れるのは
嘆かわしいことだと恥じ入って、仏の智慧のはたらきを
思いおこし、ありがたいことだ、尊いことだと思うと、
仏のうながしによってまた念仏するのである。
< 仏恩をたしなむ > というのはこういうことなので
ある 」 と仰せになりました。
(224)
「 仏法について聞き足りたということがなければ、
それが仏法の不思議を信じることである 」 という
お言葉があります。
このことについて、実如上人は、 「 たとえば、世間でも、
自分の好きなことは知っても知っても、もっとよく
知りたいと思うから、人に問い尋ねる。
好きなことは何度聞いても、もっとよく聞きたいと
思うものである。
これと同じように、仏法のことも、何度聞いても
聴き足りることはない。
知っても知っても、もっとよく知りたいと思うものである。
だから、ご法義のことは、何度も何度も人に問い尋ね
なければならないのである 」 と仰せになりました。
(225)
仏のおかげで与えられたものを世間のことに
使うのは、尊いお恵みを無駄にすることであると
恐れ多く思わなければならない。
けれども、仏法のためであれば、どれほど使っても、
これで十分だということはないのである。
そしてまた、仏法のために使うのは、仏恩報謝にも
なるのである。
(226)
「 人が何の苦労もしないで徳を得る、
その最上のことは、弥陀を信じておまかせする
だけで仏になるということである。
これ以上のことはない 」 と仰せになりました。
(227)
「 人はだれでもよいことをいったり、行ったりすると、
仏法のことであれ世間のことであれ、自分自身が
すでに善人になったと思いこみ、その思いから、
仏のご恩を忘れ、自分の心を中心にしてしまう。
そのために、仏のご加護から見放されてしまい、
世間のことにも仏法のことにも、悪い心が必ず出て
くるようになるのである。
これは本当に大変なことである 」 と仰せになりました。
(228)
堺の御坊で、ご子息の蓮悟さまが、蓮如上人に
御文章を書いていただきたいとお願いしました。
そのとき上人は、 「 こんなに年をとったのに、
難儀なことを願い出る。
困ったことをいうものだ 」 と、ひとたびは
仰せになりましたが、その後で
「 仏法を信じてくれさえすれば、どれだけ書いても
よい 」 と仰せになりました。
(229)
同じく堺の御坊で、蓮如上人は、深夜,蝋燭をともさせて、
お名号をお書きになりました。
そのとき、 「 年老いたので、手も震え、目もかすんできたが、
お名号を求めているご門徒が、明日、越中に帰るというので、
こうして書いているのである。
つらいけれども書くのである 」 と仰せになりました。
このように上人はご門徒のために、わが身を顧みず大変
ご苦労されたのです。
「 人々に苦労をさせずに、ただ信心を得させたいと思っている
」 と、
上人は仰せになりました。
(230)
「 珍しい食べ物を用意し、料理してもてなしても、
客がそれを食べなければ無意味である。
念仏の仲間が集まって,み教えについて語りあっても、
信心を得る人がいなければ、せっかくのごちそうを
食べないのと同じことである 」 と仰せになりました。
(231)
「 物事に飽き足りるということはあるけれども、
わたしたち凡夫が仏になるということと、弥陀のご恩を
喜ぶことには、もはや聞き足りた、もう十分に喜んだ
ということはない。
焼いてもなくならない貴重な宝は、南無阿弥陀仏
の名号である。
だから,この宝をわたしたちにお与えくださる弥陀の
広大なお慈悲はとりわけすぐれているのであり、
宝である名号をいただいた信心の人を見ただけでも
尊く思われるのである。
本当にきわまりのないお慈悲である 」 と
仰せになりました。
(232)
「 たしかに信心が定まった人は、仏法のことについては、
わが身を軽くして報謝に努めなければならない。
そして、仏法のご恩を、重く大切に敬まわなければならない
のである 」 と仰せになりました
(233)
蓮如上人は、 「 宿善がすばらしいというのはよくない。
宿善とは阿弥陀仏のお育てのことであるから、
浄土真宗では宿善がありがたいというのがよいのである
」 と
仰せになりました。
(234)
他宗では、仏法にあうことを宿縁によるという。
浄土真宗では、信心を得ることを宿善が開けたという。
信心を得ることが何より大切なのである。
阿弥陀仏のみ教えは、あらゆる人々をもらさず救うので、
弘教すなわち広大な教えともいうのである。
(235)
「 み教えについて語るときには、浄土真宗のかなめ
である信心、ただこのこと一つを説き聞かせることが
大切である 」 と仰せになりました。
(236)
蓮如上人は、 「 仏法者には、仏法の力によって
なるのである。
仏法のすぐれた力によらなければ、仏法者に
なることはできない。
そうであるから、仏法を学者や物知りが人々に述べ
伝えて盛んにすることはないのである。
たとえ文字一つ知らなくても、信心を得た人には
仏の智慧が加わっているから、仏のお力によって、
その人の話しを聞く人々が信心を得るのである。
だから、人前で聖教を読み聞かせるものであっても、
われこそはと思いあがった人が、仏法を伝えた
ためしはないのである。
何一つ知らなくても、たしかに信心を得た人は、
仏のお力で話すのだから、人々が信心を得るのである
」
と仰せになりました。
(237)
「 弥陀を信じておまかせすれば、南無阿弥陀仏の
主になるのである。
南無阿弥陀仏の主になるというのは、信心を得る
ということである。
また,浄土真宗において、真実の宝というのは
南無阿弥陀仏であり、これが信心である 」 と
仰せになりました。
(238)
「 浄土真宗の中に身を置きながら、み教えを謗り,
悪くいう人がいる。
考えてみると、他宗からの非難であれば仕方がないが、
同じ浄土真宗の中に、このような人がいるのである。
それであるのに、わたしたちは尊いご縁があって、
このみ教えを信じる身となったのだから、本当に
ありがたいことだと喜ばなければならない 」
と
仰せになりました。
(239)
蓮如上人は、どのような罪を犯したもので
あっても、あわれみ不憫にお思いになりました。
重罪人だからといって、その人を死刑にしたり
することがあると、とりわけ悲しんで、
「 命さえあれば、心をあらためることもあるだろうに
」
と仰せになるのでした。
ご自身で破門にされたものであっても、心さえ
あらためれば、すぐにお許しになったのです。
(最終は、314です)
掲載 妙念寺 藤本 誠