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 小経 (現代語版)


(これが宝庫⑦  7/7 )




仏説阿弥陀経   (小経)



浄土三部経(現代語版) 217頁~


姚秦の三蔵法師鳩摩羅什詔を奉じて訳す



(1) 次のように、わたしは聞かせていただいた。

 あるとき、釈尊は舎衛国の祇園精舎においでになって、千二百五
十人のすぐれた弟子たちとご一緒であった。

 これらはみな世に知られた徳の高い阿羅漢であって、そのおもな
ものは、長老の舎利弗をはじめ摩訶目犍連・摩訶迦葉・摩訶迦旃
延・摩訶倶絺羅・離婆多・周利槃陀伽・難陀・阿難陀・羅睺羅・憍
梵波提・賓頭廬頗羅堕・迦留陀夷・摩訶劫賓那・薄拘羅・阿ぬ楼駄
などの弟子たちであった。またすぐれた菩薩たち、すなわち文殊菩
薩・弥勒菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩などの菩薩たちや、そ


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の他、帝釈天などの数限りないさまざまな神々ともご一緒であった。


(2) そのとき釈尊は長老の舎利弗に仰せになった。

  「 ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、
極楽と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏と申しあげる仏
がおられて、今現に教えを説いておいでになる。


(3) 舎利弗よ、その国をなぜ極楽と名づけるかというと、その国
の人々は、何の苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受けて
いるから、極楽というのである。

 また舎利弗よ、その極楽世界には七重にかこむ玉垣と七重におお
う宝の網飾りと七重につらなる並木がある。そしてそれらはみな
金・銀・瑠璃・水晶の四つの宝でできていて、国中のいたるところ
にめぐりわたっている。それでその国を極楽と名づけるのである。

 また舎利弗よ、極楽世界には七つの宝でできた池があって、不可


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思議な力を持った水がなみなみとたたえられている。池の底には一
面に金の砂が敷きつめられ、また四方には金・銀・瑠璃・水晶でで
きた階段がある。岸の上には楼閣があって、それもまた金・銀・瑠
璃・水晶・硨磲・赤真珠・瑪碯で美しく飾られている。また池の中
には車輪のように大きな蓮の花があって、青い花は青い光を、黄色
い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、い
ずれも美しく、その香りは気高く清らかである。

 舎利弗よ、極楽世界はこのようなうるわしいすがたをそなえてい
るのである。

 また舎利弗よ、その阿弥陀仏の国には常にすぐれた音楽が奏でら
れている。そして大地は黄金でできていて、昼夜六時のそれぞれに
きれいな曼陀羅の花が降りそそぐ。その国の人々はいつも、すがす
がしい朝に、それぞれの器に美しい花を盛り、他の国々の数限りな


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い仏がたを供養する。そして食事の時までには帰ってきて、食事を
とってからしばらくの間はそのあたりを静かに歩き、身と心をとと
のえる。

 舎利弗よ、極楽世界はこのようなうるわしいすがたをそなえてい
るのである。

 また次に舎利弗よ、その国にはいつも白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・
迦陵頻伽・共命鳥などの色とりどりの美しい鳥がいる。このさま
ざまな鳥たちは、昼夜六時のそれぞれに優雅な声で鳴き、その鳴き
声はそのまま五根・五力・七菩提分・八聖道分などの尊い教えを説
き述べている。そこでその国の人々はみな、この鳴き声を聞いて仏
を念じ、法を念じ、僧を念じるのである。舎利弗よ、そなたはこれ
らの鳥が罪の報いとして鳥に生れたのだと思ってはならない。なぜ
なら阿弥陀仏の国には地獄や餓鬼や畜生のものがいないからである。


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舎利弗よ、その国には地獄や餓鬼や畜生の名さえもないのだから、
ましてそのようなものがいるはずがない。このさまざまな鳥はみな、
阿弥陀仏が法を説きひろめるために、いろいろと形を変えて現され
たものにほかならないのである。

 舎利弗よ、またその仏の国では宝の並木や宝の網飾りがそよ風に
揺れ、美しい音楽が流れている。それは百千種もの楽器が同時に奏
でられているようであり、その音色を聞くものは、だれでもおのず
から仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を起すのである。

 舎利弗よ、阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえ
ているのである。


(4) 舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜその仏を阿弥陀と申し
あげるのだろうか。

 舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、すべての国々を照らし


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て何ものにもさまたげられることがない。それで阿弥陀と申しあげ
るのである。

 また舎利弗よ、その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限り
がなく、実にはかり知れないほど長い。それで阿弥陀と申しあげる
のである。舎利弗よ、この阿弥陀仏が仏になられてから、今日まで
すでに十劫という長い時が過ぎている。

 また舎利弗よ、その仏のもとには数限りない声聞の弟子たちがい
て、みな阿羅漢のさとりを得ている。その数の多いことは、とても
数え尽すことができない。また菩薩たちの数もそれと同じく、数え
尽すことができない。

 舎利弗よ、阿弥陀仏の国はこのようなうるわしいすがたをそなえ
ているのである。


(5) また舎利弗よ、極楽世界に生れる人々はみな不退転の位に至


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る。その中には一生補処という最上の位の菩薩たちもたくさんいる。
その数は実に多く、とても数え尽すことができない。それを説くに
は限りない時をかけなければならない。

 舎利弗よ、このようなありさまを聞いたなら、ぜひともその国に
生れたいと願うがよい。そのわけは、これらのすぐれた聖者たちと、
ともに同じところに集うことができるからである。

 しかしながら舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもそ
の国に生れることはできない。

 舎利弗よ、もし善良なものが、阿弥陀仏の名号を聞き、その名号
を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、ある
いは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日の間、一心
に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするときに、阿弥
陀仏が多くの聖者たちとともにその前に現れてくださるのである。


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そこでその人がいよいよ命を終えるとき、心が乱れ惑うことなく、
ただちに阿弥陀仏の極楽世界に生れることができる。

 舎利弗よ、わたしはこのような利益があることをよく知っている
から、このことを説くのである。もし人々がこの教えを聞いたなら、
ぜひともその国に生れたいと願うがよい。


(6) 舎利弗よ、わたしが今、阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめた
たえているように、東方の世界にも、また阿しゅくび仏・須弥相仏・大
須弥仏・須弥光仏・妙音仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざ
まな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界の
すみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、
まごころをこめて、< そなたたち世の人々よ、この 《 阿弥陀仏の不
可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる
経 》 を信じるがよい > と仰せいになっている。


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(7) 舎利弗よ、また南方の世界にも、日月灯仏・名聞光仏・大焔
肩仏・須弥灯仏・無量精進仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさ
まざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世
界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあら
わし、まごころをこめて、< そなたたち世の人々よ、この 《 阿弥陀
仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくだ
さる経 》 を信じるがよい > と仰せになっている。


(8) 舎利弗よ、また西方の世界にも、無量寿仏・無量相仏・無量
憧仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏など、ガンジス河の砂の数
ほどのさまざまな仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示
して、世界のすみずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であるこ
とをあらわし、まごころをこめて、< そなたたち世の人々よ、この
《 阿弥陀仏の不可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお


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護りくださる経 》 を信じるがよい > と仰せになっている。


(9) 舎利弗よ、また北方の世界にも、焔肩仏・最勝音仏・難沮仏・
日生仏・網明仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざまな仏がた
がおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみずみに
まで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まごころ
をこめて、< そなたたち世の人々よ、この 《 阿弥陀仏の不可思議な
功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経 》 を信じ
るがよい > と仰せになっている。


(10) 舎利弗よ、また下方の世界にも、師子仏・名聞仏・名光仏・
達摩仏・法幢仏・持法仏など、ガンジス河の砂の数ほどのさまざま
な仏がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のす
みずみにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、
まごころをこめて、< そなたたち世の人々よ、この 《 阿弥陀仏の不


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可思議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる
経 》 を信じるがよい > と仰せになっている。


(11) 舎利弗よ、また上方の世界にも、梵音仏・宿王仏・香上仏・
香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・娑羅樹王仏・宝華徳仏・見一
切義仏・如須弥山仏など、ガンジス河の砂の数ほとのさまざまな仏
がたがおられ、それぞれの国でひろく舌相を示して、世界のすみず
みにまで阿弥陀仏のすぐれた徳が真実であることをあらわし、まご
ころをこめて、<そなたたち世の人々よ、この 《 阿弥陀仏の不可思
議な功徳をほめたたえて、すべての仏がたがお護りくださる経 》 を
信じるがよい > と仰せになっている。


(12) 舎利弗よ、そなたはどう思うか。なぜこれを < すべての仏が
たがお護りくださる経 > と名づけるのだろうか。

 舎利弗よ、もし善良なものたちが、このように仏がたがお説きに


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なる阿弥陀仏の名とこの経の名を聞くなら、これらのものはみな、
すべての仏がたに護られて、この上ないさとりに向かって退くこと
のない位に至ることができる。だから舎利弗よ、そなたたちはみな、
わたしの説くこの教えと、仏がたのお説きになることを深く信じて
心にとどめるがよい。

 舎利弗よ、もし人々が阿弥陀仏の国に生れたいとすでに願い、ま
たは今願い、あるいはこれから願うなら、みなこの上ないさとりに
向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生れているか、
または今生れるか、あるいはこれから生れるのである。

だから舎利弗よ、仏の教えを信じる善良なものたちは、ぜひとも
その国に生れたいと願うべきである。


(13) 舎利弗よ、わたしが今、仏がたの不可思議な功徳をほめたた
えているように、その仏がたもまた、わたしの不可思議な功徳をほ


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めたたえてこのように仰せになっている。

 < 釈迦牟尼仏は、世にもまれな難しく尊い行いを成しとげられた。
娑婆世界はさまざまな濁りに満ちていて、汚れきった時代の中、思
想は乱れ、煩悩は激しくさかんであり、人々は悪事を犯すばかりで、
その寿命はしだいに短くなる。そのような中にありながら、この上
ないさとりを開いて、人々のためにすべての世に超えすぐれた信じ
がたいほどの尊い教えをお説きになったことである > 

 舎利弗よ、よく知るがよい。わたしは濁りと悪に満ちた世界で難
しい行を成しとげ、この上ないさとりを開いて仏となり、すべての
世界のもののためにこの信じがたいほどの尊い教えを説いたのであ
る。このことこそ、まことに難しいことなのである 」

 
(14) このように仰せになって、釈尊がこの教えを説きおわられる
と、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や


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人々も、阿修羅などもみな、この尊い教えを承って喜びに満ちあ
ふれ、深く信じて心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったの
である。





 仏説阿弥陀経  終

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これで浄土三部経 終り



大経の最初に


観経の最初に


小経の最初に


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掲載 妙念寺 藤本 誠 


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