第768回 学仏大悲心
平成19年 10月11日〜
妙念寺 電話サービス お電話ありがとうございました。
教区の基幹運動の研修会が開かれました。
僧侶と門信徒が共通の理解をしようということで ご門徒の方々と一緒の研修会
でしたが、ご講師のお一人 田中信勝先生が、資料として 梯實圓先生が教団の機関誌「宗報」に
お書きになった「真実ということ」や 仏教の学院である、「行信教校の学校案内」の言葉を
元にお話しいただきました。
学生募集や学校案内のために 書かれたものでしょうが、インターネットで 調べてみると、
行信教校の最初のページに出てくる有難い文章です。
行信教校の百余年の歴史を貫いて流れる建学の精神は、「仏の大悲心を学ぶ」という一語に
尽きます。それは善導大師が仏道を歩む人をたたえて「仏の大悲心を学びて長時に退くことなきひと」
といわれた言葉に依っていました。仏道を学ぶということは「大慈悲心」である仏陀の御心を学ぶこと
だったからです。
慈悲の「慈」とは、すべての者に愛欲と憎悪を超えたまこと平安を与えようと願う心であり、
「悲」とは、すべてのものの痛みを共に痛む、痛みの共感を意味していました。阿弥陀仏とは、
このような大慈大悲の心をもってすべてのものを包み、愛欲と憎しみを超えた怨親平等の浄土へと
導きたまう如来でした。
ひるがえって私どもを取り巻く現実は、おおよそ如来のお心とは真反対の在り方をしています。
自己中心の想念をもって、自分達に都合がいいか、邪魔になるかでことの是非、善悪を判定し、
利益になるものは際限もなく取り込み、邪魔者は正義の名において抹殺しようとして、互いに
憎み合い、恨みあって、果てしない抗争に明け暮れています。
こうした中で、仏の大悲心に呼び覚まされて、怨親平等の浄土こそ真実の世界であると信知し、
自分だけの幸せを求めている自分の愚かさに気づかせていただき、少しでも仏意にかなった生き方を
学ぼうと努めているのが行信教校なのです。
梯實圓
とあります。
そして ご講師は 学ぶとは まねぶ と同じ意味で 真似をする の意味もあると教えていただき
ました。
仏様の 慈悲のこころ とても 理解することも 真似ることも難しいことですが、
少しでも 近づくようにと 心がけて生きていくこと それが お念仏の生活だろうと
味わわせていただきました。
妙念寺 電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、10月18日に新しい内容にかわります。
私も一言(伝言板)