〜子ども達の豊かな人生を振り返ります〜

洋 くん(32歳)とその家族の歩み
慶成くん(13歳)とその家族の歩み
麻衣ちゃん(11歳)とその家族の歩み
もうひとつの子ども達と家族の歩み
ダウン症の子供たちからのメッセージ

 洋 くん(32歳)とその家族の歩み
生後年月
成長の歩み
誕 生
1976年生まれ。3,140g。父27歳、母25歳の2番目の男の子として生まれる。
母親が福祉施設に勤務していたため、ダウン症についての知識があり、我が子との対面時に気 付いたが、病院からの告知なし。
4か月
病院を転々とし、九州大学付属病院でダウン症と診断される。
1歳半
障害のない子に比べ、少しづつ成長の差は出てくるが、いろんなものに興味を示し歩き始める。
2歳半
目立つほどではなかったが、両足指の合指を佐賀市のH外科で手術。
両足がギプスで、ロボットのように歩き、それを楽しんでいる様子がかわいかった。
3歳
当時は唯一、障害児の保育に積極的だった佐賀市のA幼稚園に入園。
そのために転居し、兄も転園して同じ幼稚園に通う。
5歳
就学前の一番の課題として、家族のみに通じる言葉が多いなど、言葉に関しては顕著な遅れが あり、訓練を行う機関がなかったため、ろう学校に相談する。
聴力には異常はなかったため、ろう学校での訓練はできなかったが、ろうあ児への言語訓練の 方法を母親が学び、遊びの中に取り入れる。効果大。
6歳〜
佐賀市の北川副小学校の障害児学級に入学。教室は、場所も含めて問題が多かったが、学級 担任と父兄の協力のもと待遇の改善が進む。
PTA活動にも積極的に参加し、障害児学級やそこで学ぶ子供たちを知ってもらうよう努力するこ とで、子どもにとって過ごしやすい小学校時代となった。
健康面では、スイミングクラブに入ったことで体力がつき、ほとんど病気をしなくなった。
時間はかかったが泳げるようになり、それが自信となって、自転車やなわとび等もひとりで練習 し、克服していった。
13歳〜
過保護や過干渉を避けるためと、異なった環境での生活に変化を期待して、県西部にある伊万 里養護学校中等部に入学する。
以後6年間、いい先生、いい友人に恵まれ、目覚ましく成長した。
距離をおいて暮らすことで、家族の絆の深まりを感じた。
職場実習、単独帰省などでの失敗も数多くあったが、失敗による学習も大きく、親の立場での踏 み出すタイミングも教えられた。
18歳
通所授産施設「K」に入所。パン工房に勤務。自宅から自転車で通い、寄り道の楽しさも覚え、 家庭内での役割も果たす。
計算等は苦手だが、買い物をはじめ通院等、ほとんどのことはできできるようになった。
20歳
A幼稚園で出会った障害を持つ仲間6家族と一緒に、小さいレストランを貸し切り、ミニ成人式を する。また、わが家の夏の恒例行事となっていた山登りでは、成人記念として、富士登山をする。
21歳
兄が結婚。家族に障害者がいることで、結婚の障害になることを心配していたが、杞憂に終わ る。結婚式では、準主役であった。
今は近くに兄夫婦が住んでいることで、頼れる存在になっている。
23歳
好きなコンサ−トや旅行とかを計画し、いつも楽しみをちょっと先においておくことで、毎日を頑 張れる状態をつくっている。
また、家族で町民運動会などの地域の行事に積極的に参加することで、本人のことをよく知って もらい、理解してもらうように努め、そうした関わりを持つ度に、地域で暮らしていくうえでの安心 圏が広がっていくように感じている。
子育てが一段落した今、ダウン症の子供を生み育てる過程で失ったものはほとんどなく、得たも のは抱えきれないほどあるというのが、私たち夫婦の正直な気持ちである
24〜26歳
発信機代わりにと数年前に持たせた携帯電話であったが、いろいろな機能を使いこなし、十分 用を果たしている。
運動機能を補うため、週1回のエアロビクスを始める。リズムに乗って汗をかく心地よさも覚え、ま た、いろんな場所で発表することで、障害のことを啓発できた。
障害者全国スポーツ大会「ゆうあいピック」岐阜大会、高知大会に、県フライディングディスクの 選手として出場。交流の輪が広がった。岐阜大会には、夫婦揃って横断幕を持って応援に行っ た。
27歳
佐賀市の運動施設に併設されたレストハウスに、オープンした時からウェイターとして勤務。
環境 の変化に戸惑いながらも、会話や接客等に心を配るようになった。
また、様々な所に顔を出す機会が増え、広報マンとしての役目も果たした。
性格のいい面が生かされたようだ。
母親と北海道旅行に行くが、機上でも車中でも、知らない人とも直ぐに仲良くなれたのは、レスト ラン勤務の効果だったかもしれない。
29歳
JDSさをり作品展(東京)に出品。ファッションショーにも甥と一緒にモデルとして出場。JDSの全 国の仲間との出会い、出品作品にも刺激を受ける。
人にも物にも動じないのは、経験の積み重ねかもしれない。
30歳
父親の定年を前に人生設計を見直す。暮らし易さを第一に考え、将来的には兄のサポートを前 提に、慣れ親しんだ地域に新居を構える。
直ぐ近くにいる兄一家の存在が大きな安心になっている様子である。
兄の子ども達にとっても、大好きな叔父さんであるらしい。
31歳
余暇には、好きな音楽を聴きながら、新聞や雑誌の切り抜き、レシートの整理、スケジュール帳 への書き込みなどをしている。
月2回のパソコン教室にも通い始めた。ゆっくるではあるが、まだ まだ伸びる芽があることに驚かされる。
私たち両親の35回目の結婚記念日にお祝いすることを決めていたらしく、手帳に予定として書 き込んでいた。食事とケーキを御馳走してもらう。
こんな日が来るなんて!と夫婦で顔を見合わせた。
現在
今は、「ひとりになっても、今の環境でいろんな人と関わりを持ちながら、いきいきと暮らしていけ るように」を目指して生活している。

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 慶成くん(13歳)とその家族の歩み
生後年月
成長の歩み
H6.12
29周からお腹の中で成長していないと言われて心配する。
S医大病院で検査し、大丈夫でしょう言われるが、不安を抱えていた。
H7. 2
予定日より2週間ほど早く帝王切開で生まれる。2,375gであった。
両足内反足があり、生後1週間目からS医大病院に通う。
H7. 3
1か月検診は異常なし。しかし、ミルクを飲みは悪い。 とにかくおとなしい。
何かあるのでは?の不安は募るばかり。
H7. 7
毎月S医大病院小児科に受診していたが、6か月近くになって、初めてダウン症と告げられる。
母親は、理由の分からない不安が解決し、別の意味でホッとした。父親は、帰宅後、男泣きした。
病院の帰り道に、Y養護学校があり、肛門の前に車を止め、ここに行くんだね〜、と2人で深いた め息をついた。
1歳
心房中隔欠損という心疾患があったが、1歳前にはふさがる。肺炎のため、10日間の入院。
生後2か月頃から良く笑う、反応のいい子だった。6か月頃から歩行訓練を始める。
2歳
2歳8か月で、一人歩きをはじめる。音楽教室に1年間通う。
4歳
下の子の妊娠を期に、多久市のS保育園に入園。泥遊び、散歩、水遊び、五感を育てることを基 本にしてあって、保母さんにも恵まれ、充実した毎日だった。
5歳
入学を前に、地元のM保育園に転入。
入学前で、就学前の行政との話し合いを経験し、違和感を覚える。
同年の子と比べ、知的にも体格的にも遅れがあり、地域の特学を考えていたが、この1年間で変 化していく。夫婦で十分議論し、普通クラスでやってみよう。
もし、無理があるようなら、その時点 で又考えようという結論に達した。
就学予定の小学校には、既に2人のダウン症児が特学に在籍しており、初めてのケースというこ とで、入学前に学校と十分な話し合いをし、入学してしばらくは親が付きそうことになった。
不本 意ではあったが、お互いに初めてのことなので協力することにした。
6歳
小城町立H小学校(普通学級)に入学。加配の先生をつけましょうかという学校の申し出があっ たが、子供同士の関わりを損ねるという理由で断る。
1年生
親の付き添い(朝は朝礼まで、午後は帰りの会から下校まで)も3か月で終了。
付き添いといっても、教室の後ろに座っているだけで、一切手を出さない事に気を付けた。
2年生
普通学級にこだわる事が大切だと感じはじめた。知識より、生きていく知恵の方が大切と確信し た。学校側の配慮で、1日1時間別教室で個人指導のスタート。
子ども達との関わりに差し障りが 出るようなら、即中止するという事を学校側と申し合わせた。
3年生
学力はほとんど付いていかなかったが、社会性はとても発達していると専門家に判定される。
「知的レベルの違う子供との授業」というテーマで、担任と父親が、Y養護学校で職員研修の講 演を行う。
全く違うレベルの子供でも、授業は成り立つ事を証明する。
4年生
何の問題もなく、楽しい学校生活を送る。
5年生
同級生と1泊2日の計画をたて、カレーをつくったり、楽しいキャンプを行う。
6年生
いよいよ中学校進学を間近に控え、担任との話し合い。
「普通クラスで行きたい」との要望に・・・。
「何の問題もないと思います。子ども達の姿を見てきましたが、そのまんま、何の問題もなくやっ ていけると思います。中学校へは、その旨を伝えます。」
あっけないくらいの答えで、中学校側とも何の話し合いもしないまま卒業式を迎える。
中学1年生
全学年6クラス、210名。
教科別で、先生、教室が変わること、教科書等の増加で、1学期間は親子ともども、戸惑う。
部員60名近くのサッカー部に入部。毎日の部活に加え、週1回のスイミング、習字、週2回の公 文を忙しくこなす。
土日も夏休みも休まず、部活に参加し、自宅にいることはほとんど無い状態。サッカーシューズ の紐も結べず心配していたが、チームメイトがさりげなくフォローしてくれている。
言葉もまだ不明瞭なので、伝達がうまくいかなかったが、同じクラスのサッカー部の保護者が、親 である私たちを携帯メールでフォローしてくれ、スムーズな学校生活が送れている。
とにかく、ひとりでは何も出来ないし、やっていけない。
周りの人たちに助けてもらうことが、一番大切だと思っている。これも、特学を選んでいたら、絶対 に無理であったろう。
子供も私たち親も、7年間、たくさんのクラスメート、その親と関わりを持って きた事が、子供の今の学校生活を支えているのだと思っている。

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 麻衣ちゃん(11歳)とその家族の歩み
生後年月
成長の歩み
0歳
佐賀市で誕生。家族は初めての女の子の誕生を喜ぶ。退院後、母乳を飲む力がとても弱く、1か 月検診のときには、誕生時の重さまで体重が減少していたことに驚く。
告知の時は、涙が出た。1週間後までに、親や兄弟に話したので、随分気が楽になる。
1歳
1歳になるが、膝から下の足の成長が生まれつき遅いようである。
とても歩けるようになるとは思えない状態で、将来が少し不安になる。体も全体的に柔らかく、筋 肉の成長が他のダウン症児と比べても遅いようである。
2歳
階段昇りを覚える。階段を降りることは出来ないので、しばらくの間、家族は麻衣の階段登りに付 き合わせられることになる。
歩けない状態が続いているためか、ハイハイが本格的になってきて、動くスピ−ドがどんどん早く なってくる。バタバタと音を立てながら、家の中で猛然と2人の兄を追いかけている。
ようやく人見知りが激しくなってきて、実家の祖父を困らせる。
2歳7か月
つかまり立ちを始める。しばらくは、家族みんなの関心の的となった。
3歳
歩き始めた麻衣は、とても危ない。目を離すと、外へ脱走しようとする。
佐賀市にある療育施設、くすのみ園に入園し、少し生活のリズムが出来てくる。
幼稚園へ翌春の転園を考えていたが、兄2人が通ったT幼稚園から断られて憤慨する。
4歳5か月
R保育園に入園し、障害のことを気にしない自由な雰囲気の中で楽しく通園する。
4歳8か月
兄が交通事故で入院したため、家族バラバラの生活が4か月間続く。 麻衣も、家族となかなか 会えない日が続く。母親は、保育園の運動会にも参加できなかった。
父と出かけたお店で、店員さんに自分語で話しかけたり、他の子供に遊ぼうという意味の声を掛 けたりするなど、少し積極性が出てくる。
5歳2か月
身長 94cm、体重 14kg。3歳並の大きさとのこと。お腹の中にいたときから膝から下の成長が遅 かったので、今でも少し足が短いようだ。
用便をするときは声を掛けるようになるが、お漏らしもまだまだ続いている。
5歳8か月
2階から「麻衣〜どこ」という問いかけに、階段下から「ここ」という返事。
ようやく返事をするように なる。かなり遅い成長だけど、少しづつの成長もある。
6歳
自由に行動したがるようになり、店などで一緒に行動しようとしても、少し我が儘に手を焼くように なる。以前は諦めていたのに、床に這いつくばって粘るようになる。
身長99〜100cm、体重は16〜17kg。ダウン症児では、標準的かなと思う。
言葉は、家族に分かる範囲で、それもわずかな数の単語に限られている。ただ、周りが話しかけ た非常に平易な日常用語は理解しているようだ。
身辺整理は出来ていない。特に排尿、排便が苦手で時々漏らす。
6歳2か月
日新小学校の普通学級に入学、1年1組。同時に、スイミングにも通うようになる。
学校では、1日に2回程度は、教室から脱走しようとする。
また、ベルの音で教室に戻るという習 慣がなかなか身に付かない。たまに居場所が分からず、学校を騒がせている。
6歳7か月
学習的な進歩は感じないが、少しづつ要領は良くなっているようだ。
また、以前に比べれば、物 わかりもよくなっているような気がする。
7歳3か月
麻衣の大脱走。自宅で母親が目を離した隙に、3時間もの間、ひとりで市内(自宅から駅前まで の約2Km)を小さな三輪車で走っていた。もう少しで、捜索願を出す状態だった。
ようやく、自分の名前だけはひらがなで書けるようになる。
7歳7か月
家族4人で、東京へ。お台場とディズニーランドに行く。車椅子が借りられたので、毎日、朝早く 出かけて夜遅くまで遊ぶという3泊4日のハードな行程にもどうにか耐える。
突然自分からおむつをしないと言いだし、おむつをしないで寝るようになる。夜、、寝る前には必 ず排尿するようにしたら、おねしょで失敗することはなかった。
8歳
普段は、会話にならない会話をしているが、娘が起きようとせかすので、”先に下に行って” と言 ったら、”うん、わかった”と言って一人で降りた。自然な会話になっていたので不思議になった。
8歳2か月
カルタ遊びをする。読み手は、娘であるが、読むのは最初の1〜2文字だけであった。
8歳3か月
2年生の終わり頃になわとびに夢中になっていたが、かなりの上達を示して、多いときで20回程 度は飛べるようになった。一緒にいる友達の影響は大きいと思う。
勉強もなかなか進まない。ひらがなを覚えたかなと思って安心すると、直ぐに忘れてくれるという 特技を常に発揮する。この忘れるという状態は何年も続く。
8歳8か月
身長111cm、体重約21kg。少し、ふっくらしてきたのが不安であるが、スイミングの効果もあっ て太股のあたりはしっかりと筋肉質になっている。
夏休みには、公園が近いこともあって、公園に 遊びに来た友達が、麻衣を誘って遊ぶようになる。時々、家にもやってくる。
9歳
週1回ピアノを習いに行き始めるが、習う日以外はあまりキーボードの鍵盤に近付かないので、 長続きしそうな気がしない。教室の時間が30分と短いことも物足りない。
9歳4か月
縄跳びの記録:前飛び8回、後ろ飛び2回、走り飛び6回。記録更新ならず。
腹筋の記録 :2回連続を4回。
50m走の記録:15秒。真剣に走るわけでもないので、こんなものかなと思う。
公文で、ようやくカタカナの練習を始める。ひらがなを長年していることもあって、想像していたよ りも覚えるのは早くなっている。
10歳
現在、5年1組に在籍中。この年代の子ども達は、友達とも少し距離をおくような傾向があるので 心配していたが、学校に行くのを嫌がりもしないので、大丈夫なんだと思っている。
2泊3日の自然教室のことは、何ヶ月も前から随分心配していたが、学校の先生やクラスの同級 生に助けられて、どうにか無事に過ごすことができた。感謝感謝でした。
11歳
相変わらず、言葉ははっきりしない。ダウン症の子も、それぞれ個人の能力には大きな差がある。 それでも、1年1年と成長を感じている。
少しづつではあるけれども、語彙が増えて、簡単な会話 ができるようになってきた。まだまだ自分語で話すことも多いけれども、いつの間にか普通の言葉 が出てきて驚くことがある。
現在
できれば、自然のまま、性格だけでものびのびとした子に育ってほしいと思っている。

(この親子の歩みは、平成20年1月時点の記述であり、それぞれ年齢を重ねています。)

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