見て・聞いて
仏教は、さまざまな説き方が
あります。
南無阿弥陀仏の教えは、
その中の一つです。
仏説無量寿経に説かれる
阿弥陀如来の本願の
はたらきで、すぐれた功徳を、
すべての衆生に与え、
「南無阿弥陀仏」一つで、
救われることを、教えて
くださったのが親鸞聖人です。
親鸞聖人を、宗祖と仰ぐ、
浄土真宗の本願寺派。
そこに所属する九州・佐賀の一寺院で
製作しているのがこのホームページです。
「南無阿弥陀仏」の味わいを、電話で
お話ししています。毎週木曜日に、
内容を変更しています。
法話原稿をこのページに掲載して
います。ここで、「見て、聞いて」 ください。
メールマガジン始めました 「こんな話を聞きました」。
ユーチューブ 妙念寺
(佐賀局 ニシ ホンガンと
記憶してください。)
24はニシ、西。 本願は、18願。
そこで、24-1800は、西本願
第1673回 鏡で見ると
令和 7年 2月 20日~
学生の時、「鏡を見ると 左と右が逆転しているけれど 何で上下は
逆転しないのか」と問われて いろいろと考えたものの、
答えが出せずに、先生に尋ねると、
「鏡は間違いなく 左は左に 右は右に 上は上に 映しているが
自己中心の心で見ているので、左右が逆のように見えるのだ」と
教えられた話を聞きました。
この世の中のことを、私たちは ちゃんと見ているようで、
実のところ自分の都合のよいように見ているのです。
雨が降っても、嫌いな行事が中止になる雨は、良い雨であり、
楽しい行事の前では いやな、悪い雨です。
同じ現象も、自分の都合で見方が、まったく変わってきます。
私たちは 自分に都合のよい尺度を持って生きています。
そして、努力さえすれば自分の思い通り 希望通りになるもの、
思い通りになるのが幸せであると信じ、そう育てられてきました。
しかし、この世の中は、自分の思い通りになることばかりではありません。
生老病死 生まれたからには、必ず歳を取り、病気になり、
いのちが終わっていくことは間違い真実です。
ところが、他人はそうでも、自分だけは特別で、努力さえすれば
大丈夫と、思い込み、病気になるとその原因を探し、慌てています。
全ての生き物、全ての物質は、必ず変化して
やがて消滅すると、諸行無常であることを、仏教では説かれています。
刻々と変化して二度と戻らない1日1日、一刻一刻を、今、生きているのだと
説き、教えていただいていますが、自分のこととしては、納得していません。
もし今ここで、仏さまの願い 仏さまのはたらきを聞くことが
出来ると、そうした真実にはっきりと、目覚めることが出来るのです。
真実を聞くことで、当たり前の毎日が、当たり前ではなくなり 有り難い
1日1日であると知らされ、人生の味わいが深まり、今まで
知らなかった新たな喜びが 生きる力が湧き出てくるのです。
平凡な日常が、有り難い大事な1日に、転じられ感じられてくるのです。
二度と無いこの瞬間、二度と無いこの出あい、この瞬間、今を
しっかりと全力で 何事にも向き合って、生きていくことが出来るように
なるのです。
それが、仏さまの願いにかなった、もっとも人間らしい有り難い
毎日となるのです。
第1672回 今 ここに 生きる
令和7年 2月13日~
今を生きずに いつを生きる
ここを生きずに どこを生きる
昭和期の教育者として浄土真宗の僧侶として、苦難の中、精一杯
生き抜かれた東井義雄さんの言葉です。
これまでのことを思い起こすと、夢中で生活をしていた若い頃、
今現在よりも、これから未来のことばかりを考えながら生きていたように
思います。
あそこへ連絡し あれを準備して、あそこを改良しよう、それよりも
こうしたほうが良いのかも、等など、仕事のこと、その段取りに気を取られて、
今を充分に味わいながら、生きていた実感があまりありません。
お釈迦さまは、「過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。
ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。
今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、
よい一日を生きる道である」と 説かれたといいます。
過去や未来に、こころを奪われずに、今、現在、この一瞬、
一瞬を強く生きる、こうした生き方こそが どんな時代になろうと、
歳を重ね、病気になろうと、もっとも人間らしく、生きていく生き方で
あるのだろうと思われます。
食事するときは 目の前のお料理の一つ一つに、ちゃんと向き合って、
その調理と味付けに思いをいたし、子どもや家族との時間は 二度と
無いこの瞬間を 帰ってはこないこの時を、味わいながら
仕事の時には その仕事に夢中になって、こころを、どこかに遠くに、
他のことに泳がすことなく、今 ここで 充分に生きていく、そうした人生を
味わいながら、送りたいと思います。
今生きているここで、生かされていることの実感を味わいながら、
また、東井先生には、こんなことばがあります。
自分は 自分の主人公 世界でただひとりの
自分をつくっていく責任者
今この瞬間を 味わい深く、喜び感謝の思いを持ち、出来ることを、
やるべき事を、精一杯 限りあるいのちを、この世で残されたいのちを
生き続けていきたいものです。
それが 今 ここに生きること、ここに生きることなのでしょう。
第1671回 良かったね 母さん
令和7年 2月6日~
夕方の通勤電車に乗りました。満員で奥まで行けず
入り口に立っていると、発車直前に、三歳ぐらいの男の子が、
お母さんに手を引かれて乗り込んできました。
男の子は大人たちに囲まれ「お母さんー 疲れたあ 座りたい」と
ぐずり始めました。
仕事帰り、みんな疲れているのに 子どものその言葉に
車内は微妙な空気に包まれました。
その時、おかさんが、意外なことを言いました。
「よかったね。人気があんだね、この電車、
こんなに沢山の人が乗ってるでしょう。
この電車 とても人気の電車なんだよ。乗れて良かったね」と。
そばに立っていた高校生の男の子が、お母さんを応援するように
「この電車人気があるんだね。俺も乗りたかったんだ」
「乗れて良かったね」と、笑いながらいいました。
ぐずり出しそうだった小さな男の子は、高校生と母親を見上げて
「人気の 電車に乗れて、よかったね母さん、やったーやったー」と。
環境が変わったわけではありません。同じ満員電車でも受け取り方で
まるで違って感じられたのです。
これは、子どもだけの話ではありません。
歳を重ねてくると 体もあちこち痛く、物忘れをする、暗い気持ちで
「歳を取って 良いこと何もないね」と、愚痴る仲間と一緒にいると、
辛い苦しい人生に感じられてしまいます。
ところが、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の仏さまは、
この私に、「待ってるよ 期待しているよ、お浄土へおいでね。
と 呼びかけおられる」 こう聞くことの出来た人は、
同じ環境でも、違ってくるものです。
若いときのように、体が思うように動かなくなり、周りの
みんなに迷惑をかけ、誰にも相手にされず邪魔者扱いされ、
独りぽっちであっても、仏さまの呼びかけ、「期待しているよ、まってるよ
あなたが必要 お浄土で仏になって 多くの人を救うはたらきを
一緒にしてほしい。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と
聞くことができた人は、受け取り方がまるで違います。
若い頃 合格通知を受け取って 入学や 会社に入社する日を
期待して待っていた時のように 大きな仕事が始まる前のように
希望に満ちた生活が送れるのです。
私は 期待されて待たれている。
前だった親も祖父母も、一緒に 頑張ろう 期待しているよ
と呼びかけ、待っていただいている。
そう味わえてくると、希望が 喜びがわいてくるものです。
苦しい状況でも、悲しい状況のまっただ中でも
感じ方、味わい方が 違ってくると、まるで違った世界が見えてくるものです。
私もあなたも、まもなく 仏さまとして活躍出来るお仲間 期待され
待たれていると味わいながら、この世での一日一日を
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にして
精一杯 生きていきたいものです。
第1670回 大丈夫 大丈夫 順調 順調
令和7年1月30日~
年忌法要のお斎で、隣の席は自動車学校の先生でした。
その先生の話を聞いていると、ああだろう こうだろうと、
勝手に、都合の良い思い込みで 運転するのが一番危険だといいます。
この道は 誰も通らないだろう、自転車が飛びだすこともないだろう
小さな子どもなど居ないだろうと、勝手に思い込んで運転することが
一番危険であると、教えてくださいました。
では、どうすればいいのか、
多くの危険があるのが公道、常に「〜かもしれない」すべての
可能性があると、前の車は 急ブレーキをかけかもしれない、
自転車が出てくるだろう、子どもが飛び出しくる、あらゆる危険が
起こる可能性があるものと思って運転すべきであると教えてくださいました.
私たちの日常の生活も、自分の都合の良いように、ああだろう
こうだろうと、思い込み、その通りにならなくて大慌てをしていますが、
不都合なことが起こるのも、当たり前 起こりえる可能性が充分にあると思い
生活すべきであるということでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 貴方の人生 決して
あなたの思い通りにいくことばかりではありませんよ。
必ず 老病死の苦しみは 間違いなく起ってくる、それでも
間違いなくお浄土へ生まれさせるから心配しなくっていい。
これから、何が起こるか分からないが
どんなに真面目に 立派なことばかりしていても、不都合なこと必ず起こる
誰も逃れる事は出来ないこと、でも心配はいらない充分に気をつけて
生活しなさいと、呼び続けていただいているのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は ぼんやりと生きている私に 老病死が
襲ってくるのは当たり前、そのことを分かった上で 堂々と生きてきなさい
いのちが終われば必ず 仏に成るのだから、そして、今、貴方の大切な先輩は
親は 祖父母や 多くの方々は 仏になって貴方のことを心配して見守って
いただいているのですよ。
先輩達が みんな通ったこの道 決して平坦ではないが、大丈夫
今、やれることを、やるべき事を 精一杯つとめなさい、何が起こっても
大丈夫 必ず救うからねと、呼びかけていただいているのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 仏さまがこの私に呼びかけていただいている
応援の言葉、励ましの言葉、お褒めのことば、大丈夫大丈夫、順調順調と
呼びかけていただいていると味わっています。
第1669回 マルテンを見ると
令和 7年 1月 23日~
年忌法要の後、おときの席で、こんな話を聞きました。
学校給食がまだ始まらない、みんな弁当を持って登校していた思い出です。
冬になると、教室の教壇の前に大きな箱が置かれ、子供たちは
持参した弁当箱を 好きなところに入れていました。
炭火のすぐ上に置けば、お焦げが出来ることもあり、良い置き場を確保
しょうと、朝は競争になっていた。
やがて教室いっぱいに、いろいろなお料理の匂いが漂ってくるし、
お昼休憩の鐘がなると、やけどしそうに熱くなったアルミ製の弁当箱を
取り出して、弁当の蓋にお茶をもらって、お昼を食べていた。
弁当箱の中心には みんな、赤い梅干しが入っており、その酸のせいか
どの弁当箱も、中央部分は 色が変わっていたことを思い出す。
ご飯にはまだ麦が入っていた時代で、白いお米の部分だけを
すくいとって はずかしくないように 弁当に入れてくれていたのを
思い出すねと。
うちは弁当のおかずは 毎回マルテンを甘く煮たものだった、
魚のすり身を天ぷらにしたマルテンだった。ゴボウも入っていた
ごぼう天だったように思う。
親父が戦死して、母親がひとり働いていたので、ことによると、
子供心に、マルテンが美味しかった、大好きだと、親を安心させるために、
自分が言ったのかもしれないなあ。
何しろ品物のない時代、そのマルテンを買うのも実は大変だったのだろうと
今は 有り難く思っていると。
今でも、マルテンを見ると、子供の頃 そして母親の苦労を
思い出し、胸が熱くなってくるものだとも。
でも、こんなに大きくなった体も、マルテンのお陰だったのだろうなあと、
懐かしく、しみじみとお話されていました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の声を聞くと 懐かしい母親や
おばあちゃんのイメージ、あかぎれが出来た指の溝に黒い膏薬を
ねじ込んで、頑張っていたその姿を、懐かしく有り難く
思い出すものだなあと、白が頭のお年寄りたちが、親の法事のおときで
昔を懐かしく語りあっておられました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1668回 世間か 娑婆か
令和 7年 1月 16日~
気になることがあります。
どうも、日頃、「世間では」という言葉をよく使っているようで、ある方から
注意を受けてしまいました。
「世間では」とは この世の中ではとか この娑婆世界では、
宗教心のない人々の生きている世界では、などの意味で使っていたようですが、
その場に居た方からは、世間よりも 娑婆世界という言葉の方が、
仏教的ではないですかとの助言もいただきました。
そして、注意して下さった人は、若い人をさして みんな世間のことは
よく分かっていますよと、苛立たしくつぶやかれました。
そのことを、他の人に話ましたら、世間知らずだという趣旨で発言している
ように、誤解して受け取られたのではないかとの感想も頂きました。
世間というよりも 娑婆といった方が、仏教的ではないかと言われても
それもどうも違うように感じます。
娑婆というと、仏教的な知識認識がある人が、この世のことを見て
仏の国、あるいは理想の国に対して、娑婆と表現している言葉のようにも
聞こえます。
世間という言葉は、仏教的な価値観を持つことのない人が、
もくもくと生きている世界、この複雑な人間世界という意味で使っている
言葉であったようにも思います。
中には 刑務所などにいる人が、自由な世界を意味して娑婆に出たら、
ああしたい こうしたいなどという、夢見るイメージがあるなどと、
おしゃる方もありました。
ところで、浄土真宗本願寺派では、教学を専門に研究する組織があり、
ネットを使って、いろいろお聖教の検索が出来ます。
それを使って、浄土三部経というお経で、娑婆と世間という単語が
説かれている箇所を検索すると、世間が 27回 娑婆が1回。
その中で、これこそ真実の教といわれる、仏説無量寿経では、
世間が24回 娑婆が0回 という結果が出てきました。
親鸞聖人の書かれた教行信証では、世間が58回 娑婆が29回
蓮如上人の御文章では 世間が10に対して 娑婆が2、断然
世間という言葉が多いことも分かりました。
これは お師匠の法然聖人の選択集では 10件の世間 4件の娑婆
親鸞聖人が 世間を多く使われたのは、この流れによるの
だろうと、思われます。
そして、真宗の聖教全体では、233の世間と 130回の娑婆。
どうも、日常的に使っていた世間という言葉は、お聖教の勉強会などで
講師の先生が、この私たちの生きて居る世界のことを 娑婆というより、
世間、世間ではと、仰っている言葉のオウム返しをして使っている言葉で
あったように感じています。
それにしても、娑婆という言葉よりも、世間という言葉が 浄土真宗の
お聖教では、とても多く使われていることを、改めて知りました。
第1667回 これもご報謝
令和7年 1月9日~
年末から お正月の三が日 お寺の境内にあるお墓には
多くの方々がお参りに なりました。
お子さんを連れた方が 多かったのは 有り難いことですが、
本堂へ上がって、お参りの方は 少数で ちっと残念な風景でもありました。
中には お正月の晴れ着の方もあり、近くの神社へ
初詣の方もあったのかもしれません。
親戚でもない神様は 誰にでも一律でしょうが、身内のご先祖さまは
自分だけには 特別扱いで、わがままな願いを聞いてくれる
のではないか、かなえてくれるのではないかとの
ほのかの願いが、あっての墓参りかもしれません。
ところで、当妙念寺の電話サービス 初期のころのお話を、まとめて
印刷しようと準備していますが、その中で、こんな言葉がありました。
マザーテレサさんのお母さんは、常日頃、
「大切なのは 貴方がやりたいことを知ることではなく、
神様が望まれることを知ることです」と、言っておられたと。
私たちの場合は、自分のわがままな願いを聞いてもらうのではなく
阿弥陀さまの願いを 聞きとることが大事といえるのでしょう。
また、浄土真宗は、職業であるならば、猟漁をも商い奉公をもせよ、
出家しないで、家にいるままでよい、欲のあるままでよい、
そのまま必ず救うと。
そこで日常の生活は、すべて報謝であると心得えての
生活をするといい、農業の人は、鍬の一打ち 一打ち
大工さんお場合には 槌のひと打ち 一打ちが 皆ご報謝と
思って生活しようではないか。
お仏壇の前で お念仏するときだけが 報謝ではなく、
朝起きてから晩寝るまで、すべてがご報謝のしどおしと成るように
生活するのが 浄土真宗の報恩感謝であると
教えていただいてもいます。
そして、
幸せだから 感謝するのでない
感謝するから 幸せなのだ という言葉もありました。
第1666回 私の宝ものです。
令和7年 1月2日~
本堂正面に今年は、絹の紫色の幕を張っています。
いつもの木綿の幕に比べて 軽く色も鮮やかですが、残念ながら
たたみシワが はっきりと見える欠点があります。
木綿幕の時には、霧吹きをして、そのシワを
伸ばしていましたが、絹製でも同じようにしても良いのか、
ネットで調べてみましたが、絹は水が大好きですと書かれており、
お風呂掃除用洗剤のボトルをよく洗い、そこに
水を入れて シュシュと吹き付けて、たたみシワを立派に
伸ばすことが出来ました。
昭和48年 3月 川崎みやと、寄進者の名前と
「宗祖親鸞聖人、御生誕800年記念」とあり、今から50年前に
御寄進いただいたもの、シワが取れヒーンと伸びた下り藤の幕、
太陽があたると輝いて見え、うっとりと見とれています。
ところで、こんな話を聞きました。
一人住まいだった母親を亡くし、故郷に帰って
遺品を整理をしいたときのことです。
母のタンスの上に 一つの箱が置かれていました。
それを開くと、中学、高校の時 夢中だった
野球のユニホームが 綺麗に洗って 入っていました。
太ってしまい、もう着ることはできませんが、母親が
捨てずに大事に保存していたのが意外でした。
そして、ユニホームの下には、小学生、中学生、高校生の
通信簿が順番に全部 そろって入っていました。
自分の子どもや妻に、とても自慢出来るような内容ではなく、
そのまま捨ててしまおうと ゴミ袋に入れようとしましたが,
箱の一番下に、母親の字で 「マー君 よく頑張ったね
貴方は私の宝ものです」と書かれた紙が 張ってあり、
捨てるのを思いとどまりました。
お通夜 そして葬儀、初七日と ご住職の話で
南無阿弥陀仏のことを、
「任せない あなたを必ずそのまま救う 親だから」と
南無阿弥陀仏の意味を教えていただきましたが、
ただひたすらに、この私のことを見守り続けてくれた母
今まで気づかなかっただけ、
何の条件もなく、私の頑張り努力の結果ではなく、
そのままの私を 受け入れてくれていたことを知りました。
そして阿弥陀さまの国で 仏になった 今も 私を見守り続けているのだ、
だろうと気づきました。
もっと頑張りなさい、努力しなさいではなく、よく頑張ったねの
言葉に、安心しホットしました。
任せない あなたを必ずそのまま救う 親だからと
の言葉が 有り難く。
いま仏になった母親が、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼びかけているのだろうと。
この故郷へは 帰るつもりはまったくなかったのが、今
定年後、帰って親たちが生きてきた世界を見直してみようと
思うようになってきました。 と
第1665回 浄土真宗は 有り難いですね
令和6年 12月26日~
こんな話を聞きました。
あるご住職が、普段着に着替えず、布袍を着たままで
銀行に行かれた時の話です。
ATM 現金自動預け払い機の前に行くと、長い行列が出来ていました。
カンターにある受付の方を見ると、そこには、お客さんの姿がありません。
申し込み用紙に、名前などを記入したり、ハンコを押すのが
面倒なので、みなさん機械の方に、並んでいるのでしょう。
このまま 立ってじっと待っているよりも、あっちの方が早いかもしれないと、
申し込み用紙に、必要事項を記入して、奥の窓口の方に向かいました。
受付の女性の方は、「いつも有り難うございます」と、挨拶した後、
「ご住職は 何宗ですか」と、尋ねられ、びっくりしました。
記入する欄に、宗派を書く必要があって それを忘れていたのかと
一瞬思いましたが、自分が僧侶の布袍の姿だったので、
尋ねられたのだろうと、気づき、「浄土真宗ですよ」と、答えたそうです。
すると、その女性は、「そうですか、浄土真宗は有り難いですね」と
にこやかに仰います。
突然の言葉に、驚きながら、見つめ返すと、その女性は
「大好きな 祖母を先日亡くしまして、悲しくて、辛くて 落ち込んでいましが
ご住職が、死んだら すべてが終わりではなく、
お浄土に生まれて 仏さまになられて 私たちに
はたらきかけてくださっているのですと、教えていただいて、
ほっとしました。
悲しさが少し消えて 嬉しくなりました。死んでしまったのではなく
おばあちゃんは 生まれたんだと聞いて、浄土真宗は 有り難いですね」
と、手続きをしながら、仰いました。
いつもお会いするご門徒ではなく、まったく関係のない銀行の窓口の
人に、浄土真宗は有り難いですねと、言われて、気づきました。
子供のころから、お浄土がある、仏様になると、繰り返し聞いて
いましたので、当たり前になっていました。
そして、誰もがみんな そのことが分かっている、知っているものと、
思い込んでいました。
しかし、多くの人が そうではなく、亡くなった人はどうなるのか
自分が死んだらどうなるのか、心配しながら生活しておられるのだと、
改めて気づかせていただきました。
近頃 お仏壇の無い家で 子供たちは育っています。
きっと多くの若者が、お浄土があることも、仏さまになった方が
はたらきかけていただいていることも、まったく知らずにいるの
だろうと、思います。
大切な方を亡くした人に、「浄土真宗は 有り難いですね」と言われ、
この言葉が、新鮮に聞こえ、とても嬉しく、有り難く味わわせていただきました。
私たちは、もっともっと 素直に お浄土があることを、
喜んでいいのだと思います。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1664回 良いことをするときには
令和6年 12月19日~
令和6年の正月は、早々に 大きな地震が発生、そこに
救援物資を、繰り返し運んでいた海上保安庁の飛行機が、羽田空港の
滑走路で事故に遭遇し、大変悲しい辛い年明けとなりました。
その事故原因調査が進められていますが、飛行機に設置されていた
ボイスレコーダの解析などから、残念ながら指示を間違って受け取り、
滑走路手前で待つべきところを、滑走路の中に入ってしまい、それが、
事故の原因だったようです。
普通は、機長、副機長が管制官からのことばを、再確認するものの
ようですが、被災地へ何度も救援物資を運んでいるこの飛行機を
最優先に、出発できるよう、周りが誰もが配慮してくれているとの、
誤解が、思い込みがあったようです。
人は 自分の為、自分の利益のために努力しているときなど、
どこか後ろめたさがあるためか、充分に配慮して行動しますが、
良いこと、人に為になることに邁進しているときには、どうしても
注意が散漫になることがあるようです。
周りのみんなが、自分と同じように考えて、心配りをしているのだろう
誰もが自分たちと同じ気持ちでいると思い、感じて、突き進んで
しまうことがあるようです。
良いことをするときには、ついつい間違いを起こしてしまうものです。
悲しいことですが、辛いことですが、人間はそのように出来ているようです。
そして、僧侶である自分もまた、仏さまの教え、仏法を多くの人に
知ってもらおうと、良いことをしていると思い、注意を怠り
周りの人や 相手の気持ちに無頓着になって、突き進んでいるのだろうと、
このニュースを聞きながら感じています。
良くないこと、自分にとって有利なこと、少し後ろめたいこと、
恥ずかしいことを 実行するときのように、良いこと、人の為になることを
するときには、油断せずに充分に配慮しないと、折角の努力も
かえってマイナスになってしまうこともあるのだろうと、
心にかみしめています。
何がご縁になるか分かりませんが、力まずに 淡々と お念仏の
味わいを 表現することで、後は 仏さまのはたらきに お任せ
することだと、意気込まないことが大切だろうと思います。
日頃、車で走るときも、横断歩道でないところを、歩行者が横切ろうとして
いるときなど、安慰に道を譲るのではなく、周りをよく注意をして
行動しないと、親切にしたことが、かえって悲しい結果を
もたらす事があるものと思います。
自分が、良いことをしていると思ったときには、慢心にならずに
充分に気をつけて、周りをよく見ながら、誰もが自分と同じ考えではないと
意識しながら、行動することが大事であると 改めて感じています。
第1663回 絵本の読み聞かせ
令和6年 12月12日~
大阪に行信教校という 浄土真宗の専門学校があります。
そこの校長先生だった方が、こんな話をされたことがあると
いいます。
子どもが夜寝る前に 親が絵本を読み聞かせて
寝かしつけることがあります。
その絵本の内容を 子どもに伝えようということよりも、
子どもに添い寝して一緒にいるから安心しなさい、
ちゃんと母さんは 父さんはここに居るよと
寄り添うことで、子どもは安心して眠りにつけるのです。
浄土真宗のお説教は この読み聞かせと同じようなもの、
辛いこと悲しいこと悩み苦しんでいるこの私に、心配しなくていい
いつも一緒にいるから大丈夫 大丈夫 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と 阿弥陀さまが呼びかけていただいていることを、
繰り返し繰り返し 聞かせていただくのだと、
教えていただいたと言います。
先日亡くなった 詩人の谷川俊太郎さんが、若いお母さんの質問に
こんな答えをしたと聞きました。
私は、夜になると、一日が終わることと、いつか死ぬことが怖くて
怖くて泣いていた子どもでしたが、娘も同じように「死ぬのが怖い」と
夜な夜な泣く子です。母親として、どんな言葉をかけてやったら
いいのでしょうか、という質問です。
これに対して谷川さんの答えは「抱きしめて、母さんも死ぬのが
怖いと一緒に泣けばよい」。
「大丈夫 大丈夫ではなく、母さんも怖いよと伝えること。
人は誰でも死ぬ。みんな怖いのです。
抱きしめてそのことを、子どもに伝えてあげたほうが良い」と。
詩人の谷川さんは、そんなときには言葉ではなく
しっかりと抱きしめて 一緒に泣いてあげることですよと。
言葉を大事にしている方が、言葉ではなく、寄り添い
抱きしめてあげることですとの意外な回答だったと言います。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も 阿弥陀さまがいつも一緒だよ
何があろうと、どんなことがあろうと、私が一緒だよと
呼びかけ、私を抱きしめてくださっている、そう味わうことで
どんなことが起こっても、何があっても、この人生は 安心です。
それには、繰り返しお聴聞することが大事なことです。
そして、阿弥陀さまと一緒になって、今は亡き、父も母も
祖父母も私の大切な人が、みんな揃って、私を見守り 抱きしめ
支え続けてくださっていることを、自分でお念仏し、耳で
南無阿弥陀仏の声を聞かせていただくことで、怖さも吹き飛んで
安心して生きていけるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その呼びかけの声です。
第1662回 ハッピーバースデーだね
令和6年12月5日~
こんな話を聞きました。
とても熱心で、厳しく、しかし誰にでもやさしかった門徒総代さんの
お葬式の時のことです。
開式のアナウンスがあり、全員で合掌礼拝をして、キンを
打とうとした時のことです。
「ハッピーバースデーだね」と 幼いお嬢さんの元気な声が
会場に響きました。
葬儀のお勤めを始めましたが 子どもさんの言葉が、気になります。
確かに お葬式は、お浄土へ生まれた お祝いの会なんだと味わえます。
亡くなった総代さんは、自分が死んで居なっても
お浄土へ生まれて 仏さまになるのだよと、可愛いひ孫さんに
言い聞かせていたのだろうなあと、総代さんの写真を見ながら、
その思いに 気づき だんだんと有り難くなってきました。
お勤めが終わり、喪主の方が控え室へ挨拶にこられて
「先ほどは大変失礼しました。」と謝られます。
「何でしょう」と聞くと 「孫が 大きな声で
あんなことをいってしまって 大変申し訳ありません」と
恐縮しておられます。
「いやいや、きっとおじいちゃんが ひい孫さんへ お話をされて
いたんでしょうね。とても有り難い事ではないですか」と言うと、
「実は つい先日 あの子の2歳の誕生パーティーを
開いたばかりで、そのときにローソクを付けてお祝いしましたので、
今日 またローソクを見て 誕生会のことを 思い出し、
場所もわきまえず 大変申し訳なく思っています」と仰います。
お孫さんは そうだったのかもしれませんが、あれほど熱心に聴聞された
有り難い総代さんのことですから、死んだんじゃないよ、お浄土へ生まれて
仏さまといっしょに、お前達のことを 応援しているぞと、
お孫さんの口を通して 教えて頂いたんじゃあないでしょうか。
本当に有り難いことですねと。お話ししました。
お通夜は 娑婆のお別れの会 人間の卒業式とおしゃる方があります。
そして、お葬式は、お浄土の入学式 仏さまの就任式であると、
ですから、確かにお浄土へお生まれになって 仏さまになられたということは
喜びのお祝い ハッピーバースデー に違いありません。
仏さまは いろいろの人を通して そのはたらきを教えてくださっています。
ところが、それに、ほとんど気づかないでいるのが私たちです。
南無阿弥陀仏の声は そうした仏さまになられた方々の はたらきかけ
呼びかけの言葉なのでしょう。
耳を澄ませて 先輩方の呼びかけを 願いを、しっかりと聞かせていただき
生きがいある喜び多い毎日を 南無阿弥陀仏とともに過ごさせて
いただきたいものです。
第1661回 周りに迷惑をかけて
令和6年 11月28日~
仏教では「多くのお陰によって生かされている」と教えてくれています。
植物や動物の生命を奪うことでしか、人は生きることができません。
そのことへの「痛み」があってこそ「人間」であり、痛みを失ってしまえば
人間とはいえません。
(「無慚愧は名づけて人とせず」・慚愧は罪に対して痛みを感じ、
罪をおかしたことを羞恥する心。慚愧がなければ、人と呼ぶことは
できないという意味。涅槃経の言葉を 教行信証に引用)
慚愧がないことは、畜生という主体性を失った生き方(飼い主に
生殺与奪の権利を握られ)、欲に振り回されている存在(餓鬼)に
なってしまうと教えています。
それでは長生きをしても喜べず、むなしく過ぎる人生を送ることに
なるというのです。
私たちはすでに人間として生まれていると思っていますが、
仏教では、多くの「お陰さま」を、感じることができて初めて
人間と言えるというのです。
外見は人間でも、中身が餓鬼畜生のような在り方なら、間柄を
受け取れる智慧の目がないと、人は傲慢なる危険性があり、
相手に迷惑をかけ、苦しめる三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の
世界を生きることになるのです。
「人間」、それは、間柄を生き、あらゆるものと関係をもって
存在しています。
単独の存在を主張する人は、あたかも真空パックの中に
いるようなものです。三分間も経てば酸欠で必ず死を迎えます。
人間のありさまの過去・現在を、あるがままに見ると、
父母をはじめ、あらゆる存在の犠牲の上に今、現に存在して
いるのです。
いくら「誰にも迷惑をかけてない」と、うそぶいてみても、
人は周りに迷惑をかけずには生きていけません。
私たちの分別は、科学的思考を信条としていますが、
戦後の貧しさを克服して、物質的に豊かな国になった成功体験から、
仏教などなくても生きていけると、傲慢になっているのでは
ないでしょうか。
いくら科学・医学が進歩しても、人間は「老病死」を免れる
ことは出来ません。
迷いの人生の苦しみを超える仏教の教え、私たちの分別の
次元を超えた(異質な)仏の世界に触れることによって、
私のあるがままの姿に気づき、目覚めさせられるのです。
仏の心に触れるとき、「人間として生まれてよかった。生きて
きてよかった」という人生を生きることに導かれるのです。
田畑正久著 「生きることを教える仏教」本願寺出版社
第1660回 親の足を洗う
令和6年11月21日~
こんな話を聞きました。
ある会社では、入社試験に毎年、「これから三日の間に、
お母さんの足を洗って、その感想文を提出してください」という
問題を出すそうです。
学生達は、簡単な問題でほっとして、会社を後にしますが、
なかなか母親に言い出すことが、できない人が多いようです。
ある学生は、二日間、言い出せず、やっと三日目、ようやく
母親を縁側に連れて行き、その足を洗おうとしましたが、
その足の裏が、あまりにも荒れ放題で、ひび割れているのを
掌で感じて、絶句してしまったといいます。
「
この荒れた足は、自分達のために働き続けてくれた足だ」と、
胸が一杯になり「ありがとう」と、つぶやくと
それまで、ひやかしていた母親は、声を詰まらせ「ありがとう」と
言ったまま黙り込んでしまいました。
「私はこんなに素晴らしい経験をしたのは初めてでしたと・・・・」
今まで 自分の頑張り、努力したことばかりを意識していましたが、
自分のために、はたらいてくれた親の苦労に はじめて気づきましたと。
親鸞聖人が 29歳のとき、比叡山を降りて法然聖人のもとを
訪ねられたときも それまで、自分の力で修行をすることばかりを
考えていたのに、自分の努力以上の、仏さまの大きなはたらきかけに、
気づかれたのでしょう。
自力から他力への転換です。
お釈迦さまの時代、仏足頂礼 仏前にひざまずき、
仏足を自分の頂にあてて礼拝することを最高の敬意を表すことと
されていたようですが、これも、ことによると、教えを説き、各地へ
休むことなく厳しい旅を続けられて 痛んだその足を拝むことで、
そのご苦労を改めて気づき、味わい、感謝することを意図したのかも
しれません。
私たちは、自分の行いや努力、自分のことしか気づきませんが、
お念仏にあうことで、南無阿弥陀仏を聞くことで、私のために、
いかに多くのはたらきかけが、ご苦労があるかに気づかされ、
感謝する力が育てられていくのです。
感じる力が育ってくると、なんとありがたい人生であったかと
味わうことが出来るのです。
気づくことができないと、自分ひとり苦労して、何もいいことは無かったと
辛い苦しい人生だったとしか、味わえないで一生を終わるのです。
気づくか 気づかないか、感じるか感じないか、それで、まるで
違った人生となってしまうのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を聞く度に だまって私のために
はたらきかけてくださる 多くの有り難いはたらきかけが 力があることに
改めてはっきりと、気づかせていただきたいものです。
第1659回 願いを知る
令和6年 11月14日~
月忌参りをはじめ、本堂での法座では、いつも「正信偈」を
お勤めしています。
お仏事ですから、阿弥陀経などお経をお勤めするのが普通でしょうが、
親鸞聖人のまとめていただいた「正信偈」を、いつも拝読しているのには
大きな理由があります。
お釈迦様の教えは 八万四千の法門といわれるように数多くあると
言われます。
しかし、その多くは 出家して、厳しい修行をし、さとりを
開こうとする、お弟子さん達のために説かれたものと言われます。
ところが、私たちは 出家していません、修行をするような
気持ちもありませんし、また、その能力もありません。
そうした私たちをも、何としてでも救いたいと、阿弥陀さまは、
はたらき続けておられると、お釈迦さまは、教えていただいているのです。
わがままで、自分が生きるためと、生き物のいのちを奪い、
罪の意識もなく平然と生きています。
しかし、その報いで、私は必ず地獄にいく生き方をしているのです。
それなのに、阿弥陀さまは自分の国、お浄土へ生まれさせて、
救いたい、何としても仏にしたいと、南無阿弥陀仏のお念仏となって
はたらき続けておられるというのです。
親鸞聖人自身は 出家して修行をして さとりを得ようと
努力された方でした。
しかし、すでに末法の世、自分で努力しても、人間の力では
決してさとりを得ることの出来ない時代であることを知り、
お念仏の教えでしか、救われないことを、法然聖人に
出会うことで、はっきりと理解されたのです。
これはインド、中国、日本の優れた先輩たちが
自分自身で味わい喜び、伝え残していただいた、有り難い教えであると、
教行信証にまとめていただいてるのです。
ですから、正信偈のおつとめをするのは、数多くの教えがあるものの
今の時代、この私が救われる教えは、このお念仏の教えしか無い。
他の教えでは、助かることは出来ないと教えていただいているのです。
そして、ご和讚で詠んでいただいたように
安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし
お浄土へ生まれて仏と成って、はたらいておられる
両親や 祖父母・多くの先輩の方々は、お釈迦様のように
私のために この教えでしか救わる道はないと勧めて
いただいているのです。
いつも正信偈を拝読しているのは 先だった両親の
遺言を読み直すようなもの、親の願いを聞くことなのです。
なかなか親の願いに気づくことができませんが、
その思いに、願いに出会うことが出来ているのです。
遺言書を 読むように、親の願いを味わわせていただき、
お勧めいただいているとおり、お念仏して、同じお浄土へ
生まれるものとしての生き方をさせていただきたいものです。
第1658回 私は 私でよかった
令和6年 11月7日~
こんな話を読みました。お医者さんでお念仏の人、
田畑正久先生の本で「生きる ことを 教える仏教」
その中の「私は 私でよかった」という内容です。
日常生活で、われわれは 事に当たって 何か判断する時、
私にとって 善か 悪か、損か 得か、勝ちか 負けかを 考えます。
われわれが善いもの、得になるもの、勝ちになるものを
集めようとするのは、そうすることで 自分の人生を
充実したものにしたい
という心が 働いている
からだと思われます。
世間的には 自分を 充実させるもの として、良好な人間関係、
経済的安定、社会的評価や 健康等を 考えます。
しかし、それらは 相対的なものですから、どこまで
手にすれば 満足することに なるか わかりません。
人間を 一番 困らせるのが「 死 」です。
哲学者のフィヒテは「 死というものは、どこかに
ある
のではなくて、真に 生きることの できない人に
対して のみある 」と言われています。
フィヒテの言う「 真に 生きる 」とは、「 足るを知って 生きる 」
「 私は 私で よかった 」「 完全燃焼 できた 」
「
生きてきて よかった 」と いうような 生き方だと 思われます。
江戸時代の思想家で、医師でもあった 三浦梅園の書に、
「 人生 恨むなかれ 人知るなきを 幽谷深山 華 自ずから 紅なり 」
( 他人が 自分のことを 評価してくれなくても 嘆くことはない。
深山幽谷に咲く花は、誰かに 見られなくても 精一杯
見事な花を 咲かせている )
最後の「 華 自ずから 紅なり 」は、私は 私でよかったという
「 真に 生きる 」ことを 表現した言葉と
思われます。
「
真に 生きる 」ことのできない状態を、仏教では 餓鬼、
畜生と
表現することがあります。
餓鬼とは、いつも
何かを 取り込まないと 満足できず、
常に 取り込もう、取り込もう としている 状態を 示します。
畜生は 家で飼っている ペットのようなもので、
飼い主の顔色を うかがいながら 生きて、主体性が 無い状態です。
自らに 由ってない、自由でない 生き方です。
「
真に 生きる 」とは 足を 知って、主体的に 自由自在に
生きることを示しています。
自分に 与えられた 場を、「 これが 私の現実 」と
受け取れる人は、その場で
精いっぱい 生き切ることが
出来るでしょう。
あとは 安心して「 仏へ お任せ 」になるのです。
田畑正久著 「
生きる ことを 教える仏教 」本願寺出版社刊
第1657回 私が 仏になる
令和6年10月31日~
やがて、「仏に成る」ことが、なかなか理解出来
ないという方があります。
阿弥陀如来という仏さまは 一人も漏らさず必ず仏にしたいと、
宇宙的長い間自分で修行をし、南無阿弥陀仏を口にするものを、
お浄土へ必ず生まれさせ、仏にし 続けておられると、
お釈迦さまは説かれています。
それで、親鸞聖人は 念仏をしようと思うこころがおこった時
摂取不捨の利益、間違いなく仏の仲間であると、言われた
と歎異抄にあります。
仏教は 因果の道理 自業自得が説かれており、
自分でつくった原因は 必ず自分に帰ってくると。
そこで、生き物を殺さないこと、(不殺生)、盗みをしない(不偸盗)、
よこしまな姓の交わりをしない(不邪淫)うそをいわない(不妄語)、
酒を飲まない(不飲酒)など、慎むべきことが説かれています。
生き物を殺すと、その報いを受けることになると。
しかし、皆やっていることで、生きていくためには必要なことだと
何の心配もしていませんが、その報いを受けることは間違ないのです。
そこで、地獄にしかいけない自分であると、気づき、
仏さまの助けが必要であり、 阿弥陀さまは この私のために
お念仏を与えていただいたと、理解し、味わえるように
なったものを、真実に気づいた人、目覚めた人を、本当の人間、人間になったと
いうのでしょう。
私たちは人間に生まれ、すでに完全な人間になっていると
思っていますが、実は、そうではなく、いつも満足出来ずに、
欲望を追い求めて飢餓の状態、餓鬼の毎日であり、
動物のように養われ、本能のままに生きている畜生の生活、そして
絶えず対立し闘争する 修羅の人生、まさしく六道の餓鬼、
畜生、修羅、地獄のような苦しみの生活をおくっているようです。
自分の行いの報いで、自分の行き先は 間違いなく地獄であると
理解できたとき、阿弥陀如来のはたらきでしか、救われることは
ないのだと味わえて、南無阿弥陀仏と、お念仏を口にしようとするとき、
はじめて人間になったということなのでしょう。
親鸞聖人は、「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は
一定すみかぞかし。」とおしゃっていたと。
この私は、地獄にしか行くところがない 南無阿弥陀仏の
はたらきでしか、救われることはないのです。
本当の人間になり、お念仏を口にすることができれば、やがて間違いなく
お浄土へ生まれることが出来る、お念仏の人は もう仏の仲間であると。
私たちは、私、私と 自己主張をしていますが、
私の字から 人を引くと 仏になると 漢字ではみえます。
のぎへんから -(マイナス) 人 は、にんべんとなります。
私は 仏になれるのです。
本当の人間に成り、やがてお浄土で仏になる、それは
私の力ではなく、仏さま 阿弥陀さまのはたらきのお陰なのです。
そして今、感謝報恩のお念仏が出来る 仏の仲間の生活を
送っているのです。
今の状態から、もっとよくなる浄土へ生まれるのではなく、
地獄へ行くべき所を 救われてお浄土へ生まれ仏になれるのです。
第1656回 救われる私
令和6年10月24日~
こんな話を聞きました。
祖父の33回忌法要のために、四国に帰り、祖父が
長年書き綴ったものを、見るご縁がありました。
戦前のこと、成績が良かった長男に期待して 地元の学校ではなく、
海を渡った広島の学校に入学させ、その成長を楽しみにしていました。
ところが、昭和20年、原爆が投下され、広島の親戚が、探し回り
被爆して横たわっている長男を発見し、連れ帰ってくれましたが、
30分もしないうちに「おやすみ」と、一言残して息絶えてしまった
ということです。
電話も手紙も通じず、やっと、6日の後、遺骨になった我が子と
対面することになりました。
見取ってくれた親戚に、自分たち父や母のことを、何か口にしなかったかと、
何度も確かめましたが、「おやすみ」の言葉だけで、他には何も
言わなかったと聞かされ、子どものためと思って、遠い広島の学校に
一人で出してしまって淋しかったのではないか、恨んでいたのではないかと、
悔やまれ、それからは悲しく苦しい毎日だったとあります。
この子がどんなところにいようとも、なんとしても
助けなければいけない、救ってやらねばならないと、それからは
お聴聞を繰り返す生活をしていましたが、あるとき、ふと気づかせて
いただいたと。
自分が救おう、自分が仏となって救おう、救ってやろうと思っていたが、
あの子のご縁で、こうしてお聴聞させていただいているのである、
救われなければならないのは、若くして亡くなった子どもではなく、
この子をご縁として、私こそが救われているのではなか。
救う側ではなく、自分は救われる側であったと、
味わえるようになったと書かれていました。
本願寺第十四代ご門主 寂如上人は
引く足も 称える口も 拝む手も
弥陀願力の 不思議なりけり
こうして、お仏壇の前に座り、本堂にお参りし、おつとめをして
お聴聞し、お念仏を口にし、手をあわすという尊いご縁は、
私の力ではなかった、阿弥陀さまのはたらきのお陰であったと。
そして、そのご縁を結んでいただいたのが、若くして亡くなった
あの子であったと味わえるようになったと。
第1655回 後になって 気づく
令和6年10月17日~
あるお寺の掲示板に 「後になって気づく ことばかり」と
ありました。
あの時、ああすれば良かった、こうすればよかったと、後になって
悔やむことがあります。
歳を重ねてくると、若いころ気づかなかったことに、あれは
ああ、そうゆうことだったのかと、有り難く感ずることも
多くなるものです。
前もって 気づくことが出来ればいいのですが、後になって、
反省したり、悔やんだり、感激したりしています。
ネットに 前もって気づくには、どのようにすればいいですかと、
尋ねると、「経験者や先輩に聞くこと」との返事が返ってきました。
そういえば、親鸞聖人は 教行信証の最後に中国の道綽禅師の
『安楽集』の言葉「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」
と書かれています。
「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は
先人の生きた道を問いたずねよ」という呼びかけです。
訪え、尋ねることを、とぶらえ(訪え) 訪問する家庭訪問の訪の字が
使われています。
訪ねていって聞くということでしょう。
仏教は、お釈迦さまが説かれた教え、人生を深く見つめて悟られた内容を
多種多様に説いていただいています。
その神髄を、800年前の親鸞聖人は インド中国そして日本の優れた
先輩が理解し味わわれ、解釈していただいた内容を、教行信証に
まとめて表し、私たちに残していただきました。
そこで、仏法を聞く、お聴聞するということは、訪ねて
先人に、経験者に訪ね、聞くことなのです。
このお念仏の教えに遇うことが出来れば、後になって気づく
のではなく、今、前もって気づかせていただくことが出来るのです。
失敗し後悔するのではなく、気づいていなかった親切や思いやり、
温かい はたらきかけにも 気づかせていただくのです。
良いことも悪いことも、後で気づくのではなく、今 前もって
気づかせていただける、それが、お念仏に生きる人の特徴だと
いえましょう。
そして訪ねれば、訪ねるほど、有り難くなり、喜びがましてくるのです。
後悔や 反省することよりも、感謝の思いが深く味わえてくるのです。
何事も当たり前になって、気づいていなかった
仏さまのはたらきを、はっきりと感じ、味わえ、喜ばせて
いただけるのです。
それが、お念仏の生活、南無阿弥陀仏に遇えた人生です。
第1654回 ハチドリのひとしずく
令和6年 10月10日~
こんな話を聞きました。
「ハチドリのひとしずく」という 物語です。
森が燃えていました
森の生き物たちは、われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
と言って笑います
クリキンディは、こう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
南米のアンデス地方に伝わるお話だといいますが、
この物語を翻訳し出版されると、大きな反響があるようです。
多くの小学校では、この森の火事はこの後、どうなったのでしょうかと
子どもたちに問いかけると ほとんどの学校では
「ハチドリの姿を見て、森の動物たちも、火を消すことをはじめ、
森の火は、やがて消えました。」との回答がほとんどだといいます。
純粋な子どもたちは、先生の問いかけに、授業の時間ですから、
正しい答えは何かと考えて、そのように回答するようですが、
世間の現実を知っている、大人の世界では、はたしてどうゆう
答えが返ってくるのでしょうか。
大きな出来事だけではなく、身近な問題、小さな出来事でも
自分の出来ることを、無理だと思っても、無駄だと思えても
ほんの小さなことでも行動し、活動し続けていきたいものです。
そして、浄土真宗の門徒の私たちは、まず出来ることは、何か、
それは、声にだして、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と口にする
ことなのかもしれません。
その声が、少しでも聞こえてくると、やがて、仏さまの仲間が
増えていき、仏さまの願いが、はたらきが味わえる人の輪が、広がって
世界は少しづつ、変わっていくのだろうと味わいます。
ほんの小さな声の南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏でも、
仏さまのはたらきかけ、やがては、大きな変化が起こって
くることでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1653回 墓 友 ~この世からの仲間~
令和6年 10月3日~
お墓を維持していくことが出来なくなったと、墓所を
整理する人が増えています。
少子化で、後を見る人がいなくなったとか、地方の
出身者が都会へ出て、もう故郷には帰って来ないなど、お墓が
あることが負担となっている人が増えてきたようです。
先祖から受け継いできたもの、粗末には出来ないものの、
なかなかうまく維持できず、どうすればよいのか、関係者に
とっては、お墓の存在は 切実な問題のようです。
また、お墓を持たない人は、お骨を海にまく散骨や、
樹木の元に納める樹木葬などが注目されてはいますが、
なかなか、そこまでは踏み切れず、それといって、新しく墓を
ひとりで建てるのは無理だと、仲間でお墓を建てようという墓友、
お墓に一緒に入る仲間を募って、お墓を建てようという動きが
あるようです。
死んでからだけではなく、同じことなら、生きている間に
親しい仲間になろうではないかという、墓友の会というのがあると
テレビで放送していました。
親子や兄弟などの血縁関係ではなく、友達で一つの墓を建てようと
いうお墓の友だち、お墓の仲間・グループです。
お稽古事や、趣味の仲間、友だちは、元気で、生きている間だけのこと、
墓友は、生きている間だけではなく、いのち終わっても
ずっと一緒の仲間であると、まったくの赤の他人が、あの世までも
一緒しようという話です。
このテレビの内容を聞きながら、浄土真宗のご門徒は、みんな
墓友ではないかと思えてきました。
同じお墓ではないものの、同じお寺の境内の墓地に入り
そこに留まるのではなく、みんなお浄土で仏さまになる。
そして、仏さまとして、人々を救うはたらきをするのです。
テレビでは、墓友という新しい仲間づくりをする、斬新な発想と、
紹介していましたが、もう、数百年も前から、真宗門徒は
存在していました。
この世だけではなく、お浄土でも共にはたらく仲間、それが、
浄土真宗の門徒ではなかったかと、味わっています。
そして、浄土真宗の仲間は、いのち終わっても
一緒に、よろこびをもって はたらく仲間です。
しかも、時代を超えて 両親や祖父も、ずっと前の多くの祖先とも
再開し、共に同じ 喜びと生きがいをもって、活躍できるのです。
そして今、やがて仏となる仲間と一緒に、生きているのです。
みんな一緒にお聴聞をし、御斎を共にし、共におつとめをし、
共に歌い、共に笑って、共に泣き生きているのです。
限られたこの世の短い間だけではなく、末通って、共に生きる仲間、
それが浄土真宗の門徒なのです。
第1652回 法座 & フォークソング
令和6年 9月26日~
ご法座の多くは 午後の1時半から始めていますが、
お彼岸法要と門信徒総会・降誕会の時だけは
午前中にスタートしています。
親鸞聖人の降誕会では 斎のあと それぞれが日頃鍛錬した
かくし芸や、カラオケを披露しあって楽しんでいますが、
彼岸会ではここ数回、福岡県甘木市から 石井太郎さんの
ギターとボーカル、
三原奈津子さんのピアノの、お二人を招いて
昭和時代の懐かしいフォークソングを聞かせていただいています。
午前中の法座だけで帰られた方もありましたが、お弁当の後、
40人ほどの方が残っていただき 、
希望に燃えた青春時代の思い出に
ドップリとしたっていただきました。
その歌詞の多くは、周りの親切や思いやり、純粋な愛に
気づかずに、悩んでいた青春時代、歳を重ねて、少しずつ気づかせて
いただけるようになると、みなさんに支えられた有り難い時代を
生きてきたことを感じとれる感動的な曲ばかりでした。
本堂の椅子に、体を揺らすこともなく座って、静かに聞く姿を
見ていましたが、中には、眼を閉じて、歌詞に合わせて、
唇を動かす方があることに気づきました。
なつかしい、なじみの曲を、一緒に口ずさんでおられるようです。
その姿を、じっと見つめながら、お念仏を喜ばれた有り難い
先輩の方々を思い出しました。
ご法話を聞きながら、いつもお念仏を口にされたいた懐かしい方々です。
未来への不安や思い通りにならない悲しく苦しかったのが青春時代、
それに対して、お念仏の人は 明るい未来と安心を
お念仏を口にしながら確認し味わっておられたことでしょう。
あるご婦人が、こころが洗われるような、心地よさを味わわせて
いただきましたと、お礼を言っておられましたが、
南無阿弥陀仏のお念仏もまた、心からの安心と喜びを味あわさせて
いただくものだと感じています。
こころにしみる音楽と、こころに新たな喜びを与えてくれる
ご法話、南無阿弥陀仏のお念仏、私に元気を与え、生きていく力を
与えてくれるところに、共通点があるように感じています。
第1651回 はじめての道 はじめての人生
令和6年9月19日~
山登りが大好きなご住職に、こんな話を聞きました。
学生時代は 高い山に登っていましたが、近頃は、そうもいかず
時間をつくっては、近くの山によく登っているとのことです。
慣れ親しんだ山であっても、別れ道では、右だったか、左だったか、
よく悩むものだそうです。
でも、そんなところには、テープでの目印や、岩にペンキで矢印が
書かれてあったり、迷うことがないようにと山の仲間が、ちゃんと
心配りをしてくれているのだそうです。
一歩一歩、登っていくのは大変ですが、新鮮な空気、眼に鮮やかな
赤や、緑、眼下に広がる豊かな自然に、なんとも言えない喜びがわいてきて、
どうしても、登山はやめられないものだそうです。
そして、山登りは 人生と同じように、荷物が軽いと軽快ですが、
どうしても捨てきらず、ついつい沢山の荷物をしょいこんでしまうと、
その道のりは、とてもきつく苦しいものになるといいます。
登頂まで何日もかかる高い山ですと、専門の案内人を付けないと
とても無理ですが、日帰りできる山でも、道案内や標識がなければ
迷ってしまうとても危険なものです。
ところで、この人生も、私にとっては、はじめての経験です。
どこへ向かっていけばいいのか、どこが目的で、どう行けばいいのか、
まったくわかってはいません。
その道を知った人に、経験した人に尋ねることができれば、少しは
安心ですが、尋ねることもなく、自分勝手に、どんどんと歩んで、
苦しんでいる人が多いものです。
人間について、深く深く考え抜いたお釈迦さまが説いていただいた、
そして、それを私たちにわかり安く、紹介し解説してくださった
親鸞聖人が示してくださった確かな道が、行き先があるのだと
先輩が先祖や親たちが、私たちに伝え残してくださって
いるのです。
ところが、それを知らず、気づかず、振り向かないで、一人悩み
苦しんでいるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏の教えに遇えれば、自分でやれること、仏さまに
任せておけば、大丈夫なこと、この限られた人生だけではなく、
いのち終わっても大丈夫な世界、有り難い価値観があるのだと
聞かせていただけるのです。
初めての人生、初めての道 知らない危険な山に登るのと同じことです。
重い荷物を背負い込んで、自分ひとりで悩み苦しむのではなく、先人たちの
経験を、教えを素直に聞く耳を持ち、豊かな有り難い人生を
喜びながら、一歩一歩、歩みたいものです。
第1650回 自分の姿を鏡で見る
令和6年9月12日~
近くの県にある親のお骨を近くに移したいが、どうしたら
良いのでしょうかと、美容師の方が、相談に来られました。
そこで、美容院と お寺 多くの共通点があるように思います。
定期的によく美容院に通われる方と、まったく無関心な方があるように、
お寺も定期的に、よくお参りいただく方と、まったく
ご縁のない方があるものです。
美容院にいくと、頭が軽くなり、こころも明るくなってくるものですが、
お寺も、お参りして仏さまのお話を聞くと、すっきりとして、
心も明るくなるものです。
お墓に花をあげただけで、帰る方がありますが、それでも、
少しは気持ちがすっきりするものです。
しかし、これはちょうど、美容室の花瓶に花をさし、
待合室で雑誌を見ただけで帰るようなもので、カットや髪を洗って
セットしていただかないと、本当の喜びは感じられないものです。
それと同じように、お寺も、ただ墓にお参りするだけではなく、
お話を聞いて、新たな価値観を、新しい視点を受け取ることがなければ、
余り有り難いものでは、ありません。
美容院の鏡で、素敵になった自分の姿を見たときのように、
仏さまの話を聞くことで、心の中が、新鮮な喜びを、感じられてきて、
すっきりとして、うれしくなってくるものです。
浄土真宗では、特に恩ということをいいます。
親鸞聖人の御命日を報恩講といい、よく歌ううたも、恩徳讃、恩という
言葉がよく聞かれます。
これまでいかに多くの方々の力、支えがあったかを気づかされて、
心の中が喜びでいっぱいになり、生きていく力がわいてくるものです。
美容院を出るときのように、世界が変わって見え、未来が明るくなるものです。
とはいえ、しばらく時間がたつと、その喜びは薄れてくるものです。
髪も伸びて、気持ちが悪くなるように、心もだんだんと重たくなって
どんよりとしてくるものです。
そこで、美容院に行って、綺麗にしていただくように、浄土真宗の方は
仏さまのお話を聞くことで、心の喜びがよみがえっていくものです。
ですから、ただお骨を預けるだけではなく、それをご縁に
お話を聞くことができる所に、ご相談されることをおすすめします。
第1649回 あんたが悪い
令和6年 9月5日~
こんな話を聞きました。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
仏教のことばが書かれた掲示板がお寺にはあります。
これは、山の断崖の大きな岩のくぼみに建てられた奥院
国宝の「投入堂」で有名な鳥取県三朝町(みささちょう)にある
天台宗の三佛寺(さんぶつじ)境内にある自動販売機に
掲げられていたことばだそうです。
自販機に掲示板というのは、なかなか斬新な有り難い発想です。
お前が悪いと 一方的に批判しているのが私たちです。
相手を指さし非難していますが、その手をよくみると、
人差し指は相手をさしていても、折り曲げられた中指、薬指、
小指の3本は、自分の方を向いているものです。
人を指している指は自分の目からよく見えますが、自分を指している
3本の指は意識しないので視界にはあまり入って来ません。
相手の悪いところが 見えたとき、気づいたことは、私の方には、
その三倍の問題があるのだと、教えてくれているようです。
相手の悪い部分と同じようなことを 自分もしていることに
気づいていないのが、私たちです。
もし、相手に怒りや憤りを思えたときには 一息入れて
自分の方には、気づいていない三倍の 悪い点を 回りに見せていると
理解した方がよいようです。
中国の善導大師は
経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし。
しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す。
『観経疏』序分義 にあります。
仏法は 鏡に映すようなものだと言われていますが、
誰かの悪が見えたとき 自分自身の姿を 鏡に映すように
点検してみることが、重要なようです。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
第1648回 まだ仕事は残っています
令和6年 8月29日~
「老いて聞く 安らぎへの法話」という 本の中に
最後の仕事という項目が ありますが、
その一つで、「まだ仕事が残っています」というお話です。
本願寺派に雑賀正晃というとても立派な布教使さんが
おられました。
そのご法話で こういうお話を聞いたことがあります。
雑賀先生のお寺の檀家総代 Yさんが老齢で入院され、
もう末期になられた。
雑賀先生がお見舞いに行かれると、目に涙をためて、
「先生、もう私は何もできません。この家内と看護師さんの
お世話になるばかりで・・・・」と細い声で言います。
「いや、Yさん、あなたには まだ大事な仕事が残っています。」
「仕事って、どんなことですか」
「『ありがとう』って言うことですよ。奥さんにも、先生にも、
看護師さんにも、お見舞いの人にも『ありがとう』とお礼を言うのが
あなたの仕事です。もし声が出なかったら、手で、眼で
言ってください」
「あぁ、そうでした、そうでした。本当ですね。『ありがとう』
ございました」
「それにね、Yさん。どのようになっても、お救いくださる
阿弥陀さまにお礼申しあげることが第一ですよ」
「あぁ、そうでした、そうでした。なもあみだぶつ、
なもあみだぶつ、・・・・」
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
まだ、まだ先は長いと思っていますが、明日がしれないこのいのち
大切な人に、そして阿弥陀さまに ありがとうございますと
お礼をする一日でありたいものです。
第1647回 さいごの仕事
令和6年8月22日~
あるご門徒さんが言われました。
「わたし、歳がいったらもう何もできません。
あかんもん(だめなもの)になってしまいました」と
そこで私は「いや、いや。まだ大事な仕事が残っていますよ」
と、言って次のようなお話をしました」
大阪府吹田市の光徳寺さんの掲示板にこういう詩がはってありました。
病気になって 気付く 空の青さ 空の高さ 空の広さ
直海玄洋師
ある日、中年の女性が、この人は薬剤師さんでしたが、
この詩を見て感動します。
実はガンの宣告を受けて、悩んでいたのです。
さっそく住職の直海先生にお会いしてお尋ねします。
「私は、余命いくばくもないと宣告されてから、身の回りの
整理をしましたが、どうしても心の整理がつきません。
人間、何のために生まれてきたのでしょうか」
すると直海先生が、
「仏法を聞いて、仏の世界に生まれ、仏のさとりを
得るために生まれてきのです」
と答えられます。
女性は目の前が明るくなるのを感じました。
それから、彼女は何回も仏法を聞かれましたが、
ついにこの世のご縁が尽きて亡くなられました。
すると、ベッドの下から遺書が見つかりました。
私は間に合ってよかった。
みんな、手遅れにならない中に、仏法に遇うておくれ。
彼女は、自分自身のいのちの行き先をハッキリするという
大仕事をやり遂げ、さらに遺された若い人たちをも、
その人生の行き先に導くという さいごの仕事をされたのでした。
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
第1646回 お母さんの 一言
令和6年8月15日~
阿弥陀さまのお話をユーチューブで繰り返し聞きながら、
何故か、子どもの頃に見たモノクロの映画のことを断片的に思い出しました。
当時、「母もの映画」といっていたようですが、三益愛子という
俳優さんがいつも母親役で、食料事情も良くない戦後まもなく、
その日 その日、食べることにさえ苦労していた、大変な時代のこと、
苦労して苦労して一人息子を育てていた母親。
しかし、子どもの方は、その親の心が分からず、反抗し悪い仲間と
つるんで問題ばかり起こして、心配をかけつづけていますが、ついに
警察につかまってしまいます。
それでも見捨てることのできない母親、連行されていく子どもが、
そこに母の姿を見て、はじめて「おかあさん」と、呼んだ時、観客は、
みんな一斉に涙を流していたのを思い出しています。
「お母さん」との息子の言葉、涙する母親、一緒に泣いている
満員の観客。
どの母もの映画を見ても みんな同じような物語だったように思います。
今思えば、脚本家か監督か制作者なのか、浄土真宗のご法話を聞き
阿弥陀さまのはたらきに、反抗する人が、その有り難さに気づいて
南無阿弥陀仏と口にお念仏するそのことを、母と子の関係で
表現したのではないかと、味わっています。
反抗し 反抗し 困らせ続けた息子が 最後に一言 お母さんと
声に出す、それは、母親の苦労、心配に気づいて 有り難く
感じてた瞬間だったのでしょう。
出来損ないの息子が、親のきもちに触れて、お母さん と
呼んだときと同じように 南無阿弥陀仏と 声を出したとき、
こころから喜んでくださる方あることを、改めて味わっています。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 私を思い よびかけ続ける
大きなはたらきがあることを、そして、その有り難さを
感じたときに、口から漏れ出る 大きな願いのことばなのでしょう。
仏さまが、親たちが 最も喜んでいただくことば、安心することばです。
第1645回 未来は 前か 後ろか
令和6年8月8日~
こんな話を聞きました。
私たちは、未来へ、あしたへ向かって精一杯生きていますが、
未来は 明日は、どちらの方向にあるのでしょうかとの質問です。
多くの人が、前に進む 前向きに生きると 未来は自分の前にあると
イメージしています。
「眼の前に広がる」のが未来であり、「後ろは振り返らない」などと、
うしろにあるのは、過去のことです。
未来は 自分の前にあり、過去は、自分の後ろにあるものと思っています。
しかし、「この後のご予定は」等と言うとき、私たちは
未来を前ではなく「あと(後ろ)」に置いています。
三日後にまたお会いしましょうとか、五年後にはこうなるとか、
未来は 前ではなく、 後ろにあるように話しています。
そして、三日前に、一年前は などと、過去のことは 前と表現しています。
日頃使う言葉では、過去のことは 前方にあり、未来のことは 後ろ、
後方で表しているのです。
ですから、「以前」は、前は過去で 「以後」、後ろは、未来のことです。
私たちの気持ちの上では
前が未来で 後が過去なのですが なぜか 言葉では
逆の 未来を後ろ 過去を前の 表現をしています。
ヨーロッパの国では、過去は前にあり、全部見えるが、
未来は 自分の後ろにあり、何も見えないという表現をするところが
あるようです。
蓮如上人のお手紙である 御文章にある 後生の一大事 も
後生とは、これから先、未来のことを意味します。
見えているようで、見えないのが未来です。
浄土真宗では、お釈迦さまが説いていただいたように
精一杯生きている人は、必ずお浄土へ生まれさせ
自分と同じはたらきをさせる仏にすると、阿弥陀さまは、はたらきかけて
いただいている、後は任せればいいのだと、受け取っています。
これから、老病死 沢山の苦難が訪れるものの、心配はいらない
かならず、お浄土へ、そこには両親をはじめご縁のあった
多くの方々が、待っていていただく世界へ 生まれていくのですと、
呼びかけてくださっているのです。
その呼び声が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏なのです。
見ることの出来ない未来 阿弥陀さまにおまかせして
今できることを 精一杯 生きていきたいものです。
お盆が近づきましたが、地獄へ落ちた人は、地獄の釜の蓋が開く
13日に、お帰り頂くのでしょうが、お浄土の人は いつでも
私のために、遠くではなく、今、ここではたらいていただいているんです。
第1644回 気づかない 私が
令和6年8月1日~
大阪のおばちゃんが、左足のしびれが出始めて、病院にいきました。
診察したお医者さんは、「うーん、これは残念ながら、高齢のためですね」と
告げました。
「でも、先生、この右足も同級生ですぜ」と、返事しました。
先生も負けず、「心配せんでええ、まもなく右足もしびれてきます」と。
同級生という表現でいえば、右足だけではなく、私の手も頭も口も
心臓もみんな同級生なのです。
ところが、頼みもしないのに、みんなだまって働き続けてくれています。
夜になれば、私自身は、眠って休んでいますが、
一日も、一刻もやすむことなく、働いてくれた同級生も沢山います。
心臓はその一つです。
頼みもしないのに、やすむことなく働づめで私を生かしてくれています。
私が気づかないところで多くの臓器が、精一杯、黙々と働いて
くれていたのです。
そればかりではないといいます。
頼みもしないのに、阿弥陀さまは、この私のためにずっと
はたらきかけ続けていただいているというのです。
気づかないだけ、知らなかっただけで、私のために多くの同級生と
一緒になって、私を生かし続けていただいているのです。
そう気づくとき、感謝しても感謝しきれないことが、いかに多いかが
知らされてきます。
当たり前になって気づかないことが、なんと多いことか、南無阿弥陀仏は
その多くのはたらきかけに、気づき、心から、感謝することばであり、
仏さまが、そして私の体のすべてがもっとも喜んでくれる言葉なのです。
何事も当たり前では、何の感動もなく不平不満のつらく苦しい毎日になりますが、
多くのはたらきかけに気づき、味わうことができれば、なんと
ありがたく喜びいっぱいの、豊かな人生を味わうことができるものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その喜びを、感謝を表す言葉、
「ありがとうございます」という言葉にもよく似た、親たちが受け継いで
残してくれた 有り難いことばです。
私に、多くの はたらきかけがあることに気づかせてくださる
仏さまの言葉です。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1643回 感じ取る力
令和6年 7月25日 ~
「学仏大悲心」という大きな額が、講堂の正面に掲げられている
学校があります。
善導大師が説かれた、仏の大悲心を学ぶという言葉です。
学ぶということは
勉強する。学問をする。
教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。
習得する。経験することによって知るという意味がありますが、
そればかりではなく、 まねをするという意味もあります。
何をまねるのか、それは苦悩するものを必ず摂取して捨てないと
はたらき続ける仏さま、阿弥陀さまの大悲心を学び、それを、ほんの
少しでもまねることだと言われます。
お念仏の教えは、仏さまの話を聞くこと、お聴聞することが大事と
いわれますが、これは、仏の大悲心、仏さまのはたらきを聞く
ということです。
それは、頭で理解したり、何かを覚えたりすることではなく、
全身で、仏さまのはたらき、仏さまのお慈悲のぬくもりを
感じとることを意味します。
必ず救う、ひとり残さず救うという、摂取不捨の光明に
照らされていることを、この身に感じることが出来るように
育てられていくことなのです。
そうした、大きなはたらきかけがあることを、感じることが出来る
ようになると、自分ひとりで生きているのではなく、
実は、生かされているのだという、大きな喜びと安らぎを感じることが
出来るようになっていくものです。
いくら仏教を深く学んでも、お慈悲のぬくもりを感じることが出来
なかったら、なかなか喜びは味わうことが出来ません。
仏さまのはたらきを、感じることが出来ると、そのはたらきの
まねをさせていただくこと、ところが、自分中心の私には、とても
とても、仏さまのようには、できないということに、気づかされて
いくと、人生は大きく変わってくるものです
仏さまのはたらきは、目にはなかなか見ることはできませんが、
仏さまのお話を繰り返し、繰り返し聞くことによって、仏さまのはたらきを
ほんの少しずつでも感じることができるようになっていくものです。
仏さまのはたらき、真実が、ただ一つのことば、南無阿弥陀仏となって
私に絶えず、喚びかけてくださっていることを、感じ取れていくのです。
第1642回 誰の安心のためか
令和6年 7月18日~
ある布教使さんから、こんな話を聞きました。
近くのお寺に招かれて、ご法話にいったとき、
控え室でお茶をいただいていると、帽子をかぶった紳士の方が、
お参りになる姿が見えました。
その姿をじっと見ていると、坊守さんが、あ、あの方の奥様はとても
有り難い方で、今日もお参りになりましたねと、おっしゃいました。
本堂でご法話中、その紳士がうなずきながら熱心にお聴聞されており、
隣の奥様も、にこやかな笑顔でお聴聞いただいていました。
うらやましいご夫婦と拝見していましたが、一席を終わり休憩のあと、
本堂にいくと、その紳士の隣には、別の女性が座っておられます。
どうゆうことだろうと、気になっていましたが、その女性は、
どちらかと言えば、暗い顔をして、あまり反応がないを方でした。
控え室に帰って、ご住職に聞きました。
あの紳士の奥様は、最初に横に座っておられたかたですよね、
後半、横に座った方はどなたですかと聞きますと、住職さんは
どなたのことですかね。聞き返されます。
帽子をかぶった立派な紳士の奥様のことですよと、言いますと、
いえあの方の奥さんは、もう何年になりますかね、ご往生されましたよ。
大変有り難い方で、婦人会の役員もしておられましたが、
ガンにかかられて亡くなられました。
奥様が元気なころは、ご主人は、まったくお参りになりませんでしたが、
病気になった奥様が、私がいなくなったら
必ずお寺でお話を聞いてとご主人に頼まれたそうです。
あまりにも熱心なので、わかったわかった、私がお寺に行けば、
あなたは安心出来るのでしょうから、必ず参りますよと、返事を
されたそうです。
そうすると、奥様は、私が安心するのではなく、残された貴方が
安心できるから、どうか、お参りしてくださいと、真剣に頼まれたそうです。
その奥様のことば通りに、あの方はお寺でお話を聞かれるように
なったのです。
亡くなっていく人を安心させるのではなく、生き残った自分のことを
心配してくれた奥さんのご縁で、お聴聞されるようになりました。と
お念仏の教えは、先立つ親や、連れ合いを安心させる教えではなく、
自分自身が安心を得られるもの、この人生を堂々と生き抜く力を
与えられていくのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は、心配しなくていい、間違いなく
お浄土へ生まれさせ仏にするぞ、一緒に仏として はたらいてくれと
真剣に呼びかけ、はたらきかけていただく仏さまの言葉です。
誰の安心のためなのか、この私の安心のための教えです。
第1641回 いつも一緒の阿弥陀さま
令和6年 7月11日~
近頃 ご門徒のお宅へお参りするのがとても
楽しくなりましたと、いうご住職に会いました。
どうしてなのか、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてくると ああここにも、
阿弥陀さまが はたらいておられると味わえるようになったからですと。
朝目覚めたとき 南無阿弥陀仏とお念仏して、ああここに阿弥陀さまが
顔を洗いながら 南無阿弥陀仏 ここにも阿弥陀さまが、
食事のときも、着替えのときも、おつとめをするときばかりではなく、
南無阿弥陀仏といつも私と一緒の 阿弥陀さま。
ご門徒のお宅にお参りすると、お経さんの本をちゃんと
準備して、待っていただいており、一緒に合掌し、いっしょに声を出して
おつとめをしていただくと、ああ、このお宅でも阿弥陀さまは
間違いなく はたらいておられるのだと、確認出来て有り難く
嬉しくなり、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
自分の口から出た 南無阿弥陀仏は勿論ですが、近くの
どなたかの口に南無阿弥陀仏が出て、聞こえてくると、
阿弥陀さまのはたらきが、なお一層はっきりと、感じられます。
日差しが 暑い中、境内のお墓参りにおいでの方を見ても、阿弥陀さまが
あの方を、お墓まで導いていただいていると、
法座の時に、沢山の方が本堂に座っていただくと、目でも見えて
とても心強く、頼もしく、お堂いっぱいに南無阿弥陀仏が聞こえてくると、
有り難く嬉しくなってくるものです。
ところで、若いころ、親しい友と また明日ねと 別れる時など
バイバイ、グッドバイといっていましたが、その意味を訪ねてみると
実は、「神様があなたと一緒にいますように!」とか、
「神さまの御加護を!」という意味なのだといいます。
いつも、神様があなたを守ってくださいますように、
というキリスト教の祝福の言葉だったというのです。
そういうことなら、浄土真宗では、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は
いつも阿弥陀さまが一緒という意味なので
別れの時、「では、またあした 南無阿弥陀仏」でいいはずです。
私たちが 気づいていなくても、忘れていても、阿弥陀さまは
いつも私のことを見守り、励まし、導いてくださっているのです。
寝ても覚めても、居ても立っても、嬉しいときも悲しいと時も
悔しいときも、悲しいときも、いつも阿弥陀さまがいっしょ
阿弥陀さまは、私といっしょに、はたらき詰めであります。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏となって。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
第1640回 浄土真宗にないもの
令和6年 7月4日~
築地本願寺の晨朝のご法話で、こんな話を聞きました。
京都でタクシーに乗ったら、運転手さんが話しかけてきました。
京都は、どこへいってこられましたかと、聞かれ
本願寺ですと答えると、そうですか、それでは突然ですが
クイズですと。
京都には 数多くのお寺さんがありますが、他のお寺にあって
東西本願寺さんだけにないものがあります。
それは何でしょうかとの問題、質問です。
お寺には必ずあるのに、本願寺だけにないもの、それはなにか。
浄土真宗には、戒律はない、座禅はしない、たたく木魚はない、などと
つぶやいてみましたが、
運転手さんは いえいえ、外からすぐ見えるものです。
思いつかずに、黙り込んでいると、
正解は 入り口の門に、敷居が無いことです。
確かに、山門を入るときに敷居をまたぐことなく、スムーズに
門をくぐって入っています。
多くの人は 門の前で立ち止まり、軽く頭をさげてから、
入っていかれますが、足下を気にするはありません。
お参りの方は、年配者が多く、安全のために 敷居をなくしたのだろう、
今はやりの「バリアフリー」の先取りなのではないかと思っていましたが、
どうも、それだけではないというのです。
普通の寺院は、山門から中は 別の世界、一段高い敷居は、
外の世界と境内を分ける結界であると言うことです。
また木造建築では、敷居は、強度をたかめるためには重要なはたらきを
しているものだそうです。
そこで、またいで通るもの、踏みつけて劣化させないためにも敷居は、
踏まずに、またぐものだといわれるそうです。
山門をくぐって神聖な別の世界に入っていくのが一般の寺院ですが
浄土真宗の寺院だけは ひとり残らず、一人漏らさず
必ず救うという阿弥陀さまの教えを伝えるお寺であるために
結界である、敷居はないのだそうです。
当たり前になって、気づきもしませんが、敷居のないのが、
浄土真宗である 他力のお念仏の教え、そして、浄土真宗の
お寺であると、教えていただきました。
よくお寺は敷居が高いといいますが、浄土真宗のお寺には
敷居がないのです。
いつでも自由に入ってこれるのが、開かれた貴方のお寺なのです。
第1639回 かっこいい大人に
令和6年6月27日~
東京都知事選挙に、異色の候補者が登場し、善戦しています。
ユーチューブという動画配信を使い、情報発信をして有名になった
広島の安芸高田市の市長だった石丸伸二という青年です。
街頭演説では、「かっこいい大人になってください」と、
歩道いっぱいに集まった人々に呼びかけています。
一人ひとりに投票権があり、政治に直接参加できるのに
投票したところで、どうせ変わりはしないと諦めています。
しかし、みんなで投票することで、東京を動かし、日本を動かして
いきましょう。
東京のみなさんは いま日本全国から期待され注目されているのです。
かっこいい大人の姿を、子どもたちに見せてやってくださいとの演説です。
その言葉を何度も何度も、ユーチューブで聞きながら、浄土真宗の
お念仏の教えも かっこいい大人の姿を、次の世代に見せ、
残していくものではないかと、感じました。
多くの人が、死んだら終わり、死んだらすべてなくなると
思い込んで生きています。
しかし、阿弥陀さまは 私たちを、自分の国お浄土へ生まれさせ、
一緒に はたらいてほしいと、呼びかけておられるというのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にする人に 仏に成って
すべての人のために、はたらいてくださいと願われているのです。
生きていくためには、どうしても自分の家族や仲間のために、
努力せずにはおれず、利己主義にならざるを得ません。
しかし、やがていのちが終り、仏になったら、
みんなのために はたらいてほしいとの仏さまの願いとは、
いったい何を意味しているのでしょうか。
一人ひとりが、損得ぬきに、自分の出来ること、勤めをはたし
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口に、にこやかに喜びながら、
いきいきと、堂々と生き抜いていく。
お金や財産などすぐに消えてしまうものだけではなく、
おかげさまでと感謝して、楽しく自信にあふれた、
かっこいい大人の姿を見せていくことが、次の世代に対しての
最高の贈り物となることでしょう。
かっこいい大人になる これがお念仏に生きるということなのでしょう。
第1638回 因を知り 感じる力
令和6年6月20日~
仏教では、因果の道理が説かれています。
因果とは、原因の「因」と結果の「果」で、行いや考え方に
よって、それに応じた結果が出るというのです。
子どものころから、勉強しなければ良い結果は出ない、
努力することこそが大事だと、教えられて頑張ってきました。
病気になるのも、歳を取るのも、自分自身で
その原因をつくっているのだと思い込み、精一杯生きています。
ところで、今、私は、将来のために行動し、様々な原因、
因をつくっていますが、因果関係でいえば 今、結果、果も
受け取っています。
ご恩という言葉がありますが、恩という字は、原因の因と、心と書きます。
現在は 結果であるとすれば その原因を、因をはっきりと知り、
感じとることを、恩を知るということなのでしょう。
今この状態を、なにもかも当たり前と思っていますが、
数多くの人々のご苦労やご縁により、今ここにいるのです。
因果関係を 過去に遡って正しく見つめ、感じる力が
育てられてくると、私の人生は平凡ではなく、とても素晴らしく
有り難いことと味わうことが出来るものです。
これまで育て導いてくださった、両親をはじめ、
気づいていない沢山の人々、いのちを投げ出して、食物となった
動物や植物、そして自然、感謝しても感謝仕切れるものではありません。
どうかご恩を味わう力を持ってほしいと、先輩達は、南無阿弥陀仏の
お念仏を伝え残してくださったのでしょう。
私たちは、明日のこと、将来のことを心配しているにもかかわらず、
知らず知らずに地獄へいくような悪い原因ばかりをつくり続けて
いるといわれますが、心配はない。大丈夫だよ。
南無阿弥陀仏の人は 間違いなくお浄土へ生まれさせ仏にする、
すでに、阿弥陀仏がその原因を完成されているので、心配はないと。
阿弥陀さまは、あなたの未来は大丈夫、任せておきなさい
それよりも、いままで気づいていない、数々の因や縁を、感じ取る力を、
ご恩に気づき 今を喜び、感じ取り、味わえるように
なってほしいと、呼びかけ、はたらきかけていただいているのです。
南無阿弥陀仏は、将来ではなく、今を喜ばせていただく、
報恩のことばです。
第1637回 かんしゃくのくを 捨てて
令和6年 6月13日~
かんしゃくの く(苦)を捨てて 日を暮らす
かんしゃく から、くをとると かんしゃ(感謝)になります。
ご本山の常例布教に出講中のご講師が、ご本山にいる間は
腹を立てることもなく、有り難い日々を送らせていただいています。
何故かというと、それは 腹を立てる相手が近くにいないからですと、
にこやかにお話くださいました。
自分の不甲斐なさに立腹することもありますが、多くの場合
そこに相手がいて、自分と違った主張をしたり、行動したり
思い通りにならないことに、イライラしてしまうものです。
その相手がいなので、腹の立てなくていいとの意味でしょう。
一方 かんしゃくの苦を取った感謝の方は、そこに相手が
居ても居なくても、しかも現在だけでなく、過去も未来も、
有り難く感じ味わうことができるものです。
食事の前の、食前のことば 「多くのいのちと みなさまのおかげにより
この御馳走を 恵まれました。深く御恩を喜び ありがたくいただきます。」
この言葉を通しても、食事の度に 感謝することもできるものです。
ネットで 「感謝する」と検索してみましたら、
日本予防医学協会という組織のページに、
「人生は 感謝するだけで 好転する」とありました。
外国の心理学者の実験で、「小さなことでよいので、感謝できることを
5つ書き出す、それを続けてもらうと、感謝することを毎日考えた
グループは、何もしなかったグループと比べてみると、
感謝することで、幸福度が高まる 体調がよくなる
人間関係がよくなる 生産性が高まる、よく眠れるなど、
様々な良い効果が期待できるということです。
また感謝すると体内で何が起っているのか
科学的研究の結果から、感謝することで、セロトニンや
ノルアドレナリン(情動や感情に作用)、サイトカイン(抗炎症および免疫力)、
コルチゾール(ストレスホルモン)、血圧、心拍数 、血糖値など、
様々な体内のシステムのバランスが取れる、そして、心身の多くの
機能に好影響を与えてくれることが分かってきたと書かれています。
昔から、感謝することは大切!と言われていましたが、心身の健康に
大きな影響を及ぼすことが科学的に実証されてきているのです。
そして、お聴聞をしている人にとっては、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の
お念仏は、感謝を表すことば です。
先輩達は 感謝することで こころと体に、いい影響があることを知って、
私たちに、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏のお念仏を残して
くださっているのでしょう。
第1636回 まずは 仏さまに
令和6年6月6日~
こんな話をききました。
子どもさんが持ち帰った算数のテスト用紙をみていると、
×が、ついたところがありました。
理解出来ていないのはどんなところかと、問題をみてみると。
りんごを4つもらいました。
お友だち三人で分けたら、一人、何個づつになるでしょうか
という問題に、答えを 1個と書き ×がついていました。
一個と3分の一、分数や小数以下のことが 理解出来ていないと
思い、子どもに聞いてみました。
子どもは こう答えました。
「お友だち三人で 一個づつ分けて、一個は仏さまにあげたので、
みんな一個づつだよ」と、いいます。
「だって、もらったリンゴだから、仏さまにあげなきゃ
いけないでしょう」との答えです。
算数の問題だから、仏さまのことは、考えなくて
いいのと言おうと思いましたが、
なんだか こころが温かくなり、そうだね、いただいたものは
まずは、仏さまにもあげなきゃねと、
そのままにしました。
理科の時間に 氷が解けると何になりますかの問いに、
「氷がとけたら 春になる」と答えた子どもがいたという
話を聞きます。
同じように、頂いたリンゴは 仏さまに、まずはあげるのだという
子どもに 嬉しく有り難く感じました。
近頃 仏壇のある家では、子供たちは育っていません。
自分たち家族だけ、生きている人間中心の生き方を
していては、気持ちのやさしさや 思いやりのある子どもは
なかなか育ってこないのではないでしょうか。
氷がとけたら 春になるとの答えと 同じように、
いただいたものは、まずは ほとけさまに上げるとの
答えも、正解にしたい、こころ暖まる、有り難い答えだと味わいました。
子どもの純粋なこころを、大人たちがだんだんと、損だ得だ、
勝った負けた、比較し競争していくことを教え込んでいます、
例え損をしても、負けても、間違いと言われても
思う存分、心豊かに生きる力を、持ち続けてほしいものだと
思っています。
それを、先輩たちは 仏さま お仏壇 お墓ご先祖さま
などを通して、伝えようとしてくださったのだろうと味わいます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も そうした
先輩たちの願いのこもった ことばなのでしょう。
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妙念寺