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サンド

 

見て・聞いて

     
仏教は、さまざまな説き方が
あります。
南無阿弥陀仏の教えは、
その中の一つです。

仏説無量寿経に説かれる
阿弥陀如来の本願の
はたらきで、すぐれた功徳を、
すべての衆生に与え、
「南無阿弥陀仏」一つで、
救われることを、教えて
くださったのが親鸞聖人です。

親鸞聖人を、宗祖と仰ぐ、
浄土真宗の本願寺派。
そこに所属する九州・佐賀の一寺院で
製作しているのがこのホームページです。

「南無阿弥陀仏」の味わいを、電話で
お話ししています。毎週木曜日に、
内容を変更しています。

法話原稿をこのページに掲載して
います。ここで、「見て、聞いて」 ください。

メールマガジン始めました 「こんな話を聞きました」。
    
   ユーチューブ 妙念寺

0952
 -24-1800

(佐賀局  ニシ  ホンガンと
記憶してください。)

24はニシ、西。 本願は、18願。
そこで、24-1800は、西本願



第1713回 何を聞くの 

 令和7年11月27日~

 浄土真宗は お聴聞の宗教 聞くことが大事、聞くこと一つと言われますが、
いったい何を聞くのでしょうか。

 普通 聞くというと これから何をすればいいのか 何が
必要か、ああしなさい、こうしなさいと、私が行うべきことを
聞くことだと 考えます。

 ところが、お聴聞というのは、私がやるべきことを聞くのではなく、
私のために、仏さまがすでにはたらきかけていただいていることを、
聞かせてもらうのだというのです。

多くの人が、今さら聞く必要などない、もう充分にやるべきことを 
やってきたと、思っています。
そこでお聴聞を勧めても、私は大丈夫ですと拒否されることが多いものです。


 しかし、私がこれからやるべきことではなく、すでに、
私のためにしていただいたことを 私のためのはたらきかけ、
仏さまの願いを、知らせていただくのだというのです、そしてそれを
確認することだと言われます。

 例えは余りよくありませんが、これから新たに宝くじを買いましょうではなく、
すでに当選している宝くじをいただいているのに、気づいていない私に
当選くじを持っていますよ、当たっていますよと、教えていただくようなものです。

気づかずにいる私に、すでに、私のためにはたらきかけがあり、
沢山のものをいただき、素晴らしい能力をもっていることを

気づかずにいるこの私に それを教え気づかせていただくのです。

 今は人間として悩み苦しんで生きていますが、やがて
必ず 仏になって、すべての人々が 喜び多く 生き甲斐をもって
生きていける、お念仏の教えがあることを、それを伝え知らせることが出来る 
仏になるのだと、教えていただいているのです。

 ただの平凡な人間と思っていますが、そうではなく間違いなく
やがて仏さまになって みんなのためにはたらく未来があるのです。
そして、先だった先輩達は、阿弥陀さまといっしょになって、ずっと、
はたらきかけていただいている、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 を口にして、堂々と生きていきなさい
あなたはもう 仏になる仲間 間違いなく仏さまになる人なのですようと。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のお念仏ですよ。

間違いなく 仏に成る人なのですよと、呼びかけていただいているのです。






第1712回 ぼんやりしないで

 令和7年11月20日~

 暑さ寒さも彼岸までといいますが、ひと月遅れで やっと
暑さがおさまってきたようです。
急に冷え込んだお陰で、柿の葉やモミジなどの紅葉が、今年はいつも以上に
鮮やかです。

折角の色どりを尚一層輝かせようと、山門に近い一部分だけ

ライトアップをはじめました。
寝る前に その消灯に出て つまざき倒れ、左ひざ頭、手の平、
顔の左ホウの一部を、参道の石畳に、強く打ち付けてしまいました。

 しばらく、立ち上がることが出来ずにいましたが、顔が腫れ上がるのは
さすがにみっともない、イヤだなあと思い、なんとか起き上がり、
まっすぐ冷蔵庫に、保冷剤を取り出し、近くにあったマスクを当て、
その上から、顔を冷やしはじめました。

そのうち、だんだんと本当に痛い部分がはっきりとしてきて、
顔よりも、どうも手のひら、左ひざ頭のお皿の部分が最も痛く感じます。
お皿は割れてはいないようですが、その痛い部分を見下ろすと、
ズボンが血で赤くそまっています。
おそるおそる覗いてみると、かなり出血しており、このままでは
布団に入るわけにもいかず、どうしたものかと悩みました。

 膝小僧のしわしわの部分に、かさぶたができると、正座したときに
出血しそうで、固まらないように、シワをしぼめたり 伸ばしたり
しながら、眺めていると、どんどんと変化していき、傷があるのは、
三カ所のようで、そこが、黒くなっていき、やがてピンクに変わり、
出血は止まったようです。

 膝小僧から、くるぶしまで 流れていた血も、赤から黒に
変化してきて、自分の体が、一生懸命に傷を治そうと頑張っている様子が
有り難く感じられてきました。
自然は、本当に素晴らしいものだと、感じながら、痛さを我慢して
しばらく眺めていました。

 そして、いつまでも若いと思うな、つま先をちゃんと上げて
いるつもりでも、上がっていないもの、つまずき易くなっていることを、
改めてハッキリ知らされました。
とともに、この程度のケガですんだことに、有り難く、これが、
阿弥陀さまに守られているということだろうと、深く感じ、あじわいました。

 ぼんやりとし、不注意に、行動していることを、痛さとともに
はっきりと味わわせていただき、気づかされ、有り難く、感謝の、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を、傷が治まっていくのをじっとながめながら
お念仏させていただきました。






第1711回 阿弥陀さまのはたらきかけ

 令和7年11月13日~

 十年半に一度担当しお勤めする 佐賀組の巡番報恩講 先月、
10月の初旬に、五日間お勤めすることが出来ました。
そのお疲れさん、ご苦労さま会を、総代会、壮年会、婦人会の
メンバーに加えて、連日お手伝いしていただいた方々をお招きして、
日曜日の夕方に開きました。

 いつものように机に椅子を置いての会では、なかなか交流ができだろうと、
本堂に机を置き それぞれに、オードブルやお寿司 おでんなどをならべて、
各自が自由に取って食べる、立食パーテー形式にしましたが
予想以上に みるみるとお料理がなくなっていき
その食欲のすごさにびっくりしました。

 会の途中で、プロのカメラマンに撮ってもらった、
雅楽が入った法要三日目と、稚児が出た4日目の写真、700枚近くを
スクリーンに大きく映して、皆で見ました。

そこには、日頃なかなか見せない笑顔やご法話を聞き入る真面目な顔、
おやつの時間の、にぎやかで楽しい様子などが写っていましたが、
見ていくうちに、気づいたことがあります。

 本堂になかなか座っていただけない方が、お手伝いに来て、
活躍しておられる姿が、あちこちに写っているのです。
見慣れたお顔の中に、これまでお寺では、拝見することのなかったが
方々のお顔が、沢山あり、感激しました。

 仏さまの御はからいという言葉がありますが、黙々とはたらいて
いただいている多くの姿を見て、私の周りには、いろいろの
はたらきかけがあるのに、それに気づいていなかったのだけだと、
改めて味わいました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 耳に聞こえるお念仏とともに
阿弥陀さまは 数々の多くの人を通して、あらゆるところで、
さまざまに はたらきかけていただいているのに、それを見落として、
まったく気づいていないことがいかに多いのだろうと、感じました。

 いつもお世話いただく皆さま、そして、今回初めてご苦労いただきました
皆さま、本当に有り難うございました。
そして、その方々も、自分の力だけではなく、阿弥陀さまの
はたらきかけで、先だった親たちの導きで、こうしてお寺にお参りし、
法要に参加いただいたのだろうと、有り難く有り難く味わっています。

 仏さまの多くのはたらきに、気づかせていただき 感激し、
感謝しております。
 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏






第1710回 おかげさま  お影さま

 令和7年11月6日~

「ご家族はお元気ですか」と ひさしぶりに会った人から
尋ねられたときに、「おかげさまで元気です」と答えて、
いいものでしょうか。

直接には、お世話になっていないのに「おかげさまで」と言うのは
どうも抵抗を感じる人がいるのではないかとの疑問に
NHK放送文化研究所が調査したところ「おかげさまで」という
言い方に、抵抗があるのはほんの少数で、ビジネスの世界などでも
広く使われていると言うことです。

 この「おかげさま」ということばは 近江商人が、
全国に行商する中で、こうして商売をさせていただけるのは
阿弥陀如来の「御蔭」であると、「おかげさまで」ということばを
大切にしながら全国を巡ったので、この言葉が広まったのだと、
司馬遼太郎さんが『街道をゆく』という紀行文集の中で
おっしゃっています。

 また大阪商人は「儲かりまっか」「まあ、ぼちぼちでんな」
という挨拶を交わすと言われますが、昔は「儲かりまっか」と
聞かれると「おかげさんで」と必ず言っていたそうです。
「おかげさんで」とは仏さまのご加護によってなんとか
生きていけることを〈お陰〉と感じて、その〈お陰〉を
感謝する思想なのでしょう。

大阪商人も 非常に宗教的な心をもった人たちであると
思われます、有名な御堂筋は、東西本願寺の別院、御堂が
ある通りのことです。

「おかげさま」という言葉を言い換える 日頃からお力添えをいただき、
誠にありがとうございますなど、お力添えお力は、
相手の力のことを指し、助けていただいて有り難うございます。
との意味でしょうし、
物事がうまくいっていることをおかげさまと同様に、
“ありがたいことに”とも、使っています。

また、スピーチや挨拶状の中では、“ご協力のたまもの”
“ご支援のたまもの”という表現を使って大勢の相手に対して
感謝の意を伝えるために使われています。


 京都の西本願寺には 阿弥陀堂と 御影堂とがありますが、
御影堂の御影は、「おかげ」とも読めます。
ですから、お陰さまという漢字より、
お影さまの方が浄土真宗では 良いのではないかと感じます。 
また「させて頂きます」も、阿弥陀さまのはたらきの「お影さま」と
感じる浄土真宗の教えから生まれた言葉だともいわれます。








第1709回 おまかせ おまかせ

 令和7年10月30日~

 お寺の坊守さんで 47歳の若さで亡くなった
鈴木(すずき)章子(あやこ)さんという方がおられました。
ガンが見つかって、5年間の闘病生活の後、昭和63年に命終られました。

 鈴木さんは、入院してガンの治療に取り組まれましたが、
限られたいのち前では、世間一般の価値観が通用しなくなることに
気づかれて、「お先真っ暗」となり、ここで、はじめて
「生死」の問題と向き合うことになり、悩んでいた時、
次のような手紙を受け取ります。

 八十歳を過ぎた実家のお父さんからの手紙には、

「あなたは、一体何をドタバタしているのか。
生死はお任せ以外にはないのだ。人知の及ばぬことは
すべてお任せしなさい。
そのためにお寺に生まれさせてもらって、お寺に
嫁いだのではないか。
生死はあなたが考えることではない。
自分でどうにもならぬことをどうにかしようとすることは、
あなたの傲慢である。

ただ事実を大切にひきうけて任せなさい」とありました。
        (『癌告知のあとで』二一頁)

 お父さんの言葉に、誰にも代わってもらえない人生であることに
はっきりと、気づいたと言われています。
仏教は、人生の苦悩を克服するために、煩悩をなくしていくことを
本来は 教えるものです。
しかし、煩悩をなくすことなどとても不可能です。
そこで、心の持ち方を転換し、視点を変えることによって、
少しでも苦悩を克服できる方法があると気づかされ、そのことを、
四人の子供達へ伝えるために たくさんの詩を残しておられます。

その中に『変換』と題する詩には

死にむかって進んでいるのではない 今をもらって生きているのだ
今ゼロであって当然な私が 今生きている
ひき算から足し算の変換 誰が教えてくれたのでしょう
新しい生命
嬉しくて 踊っています “いのち 日々あらたなり”
うーん 分かります

人間の力の及こと、及ばないことがある。
自分で やれるだけやったら 後は お任せすればいいだけ、
間違いなく一番良い方向に進んでいくものです。


 後がないと、残された日を、11日 引き算していくのではなく、
毎日毎日を精一杯生き抜くだけ、いのち終わってもすべてが
終わりではなく、まだまだお浄土で はたらくことのできる 
未来があるのです。

大きな 確かな あしたがあるのです。





第1708回 愚者になりて 往生す

 令和7年10月23日~

 あるお寺の掲示版に
「よい人になろうと、お寺に通ったのに、どうしようもない
人間だと知らされた」とありました。

私たちは、子どもの頃から、よい人立派な人になろうと、勉強し、
社会に出ても一生懸命に頑張ってきました。
お寺に行くのも、よい人、立派な人になれるようにと、足を運びました。

 ところが、浄土真宗のお話を聞いていると、これまで気づかなかった、
自分自身の本質に気づかされてくるのです。

あの人のここが問題、あの人は、間違っていると、
周りの人を批判するばかりで、自分自身の姿は見ることは
出来ていませんでした。


 親鸞聖人は、関東の門弟たちに、たくさんの消息、お手紙を
京都から書き送っておらえれます。
その中に、最晩年の88歳の時、書かれた中に

故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と
候(そうら)いしことを、たしかにうけたまわり候いし

(今は亡き法然聖人が「浄土の教えに生きる人は愚者になって
 往生するのです」と言われたことを確かにお聞きしました)と。

親鸞聖人は、29歳から35歳までの若い間に、東山の吉水で聞いた言葉を、
それから50年以上たって大切な教えとして、関東の門弟たちに
伝えようとしておられるのです。


ここで言う「愚かさ」とは、賢いとか愚かという相対的な意味ではなく、
人間、誰もが持つ根源的な愚かさのことを指しています。
たとえば、欲望にとらわれて自分を見失ったり、自分にとって
都合の悪いものを排除しようと、他者を傷つけ悲しませたり
するような愚かさです。


「愚者になる」とは、そのようにして生きている自分自身を、
他者を見るように、はっきりと見つめ、愚者の自覚を持つことこそが、
仏の教えに出会え、まことに生きることが出来るのだと述べて
おられるのです。

 自分の愚かさを自覚するということはなかなかできることでは
ありません。
私たちは少しでも自分の姿をよく見せようとし、自己弁護して
正当化して、自分自身の本当の姿からつい目を背けてしまうからです。


自分の愚かさを認めるところから、他の人を理解し、人々との
深い関わりを持つことが出来、仏の願いが聞こえてくるようになるのです。


浄土真宗は 立派な人間になって救われるのではなく
愚者になって救われる教えであると知らされると、不安がなくなり
なんと有り難いことかと喜ばれるものです。

南無阿弥陀仏の呼び声に答えて、南無阿弥陀仏とお念仏が口にし 
先輩達が勧めて頂いている 真実の教えを、素直に、心ゆくまで 
味わわせていただきたいものです。






第1707回 裏のはたらき

 令和7年 10月16日~

 こんな話を聞きました。
明治時代のことでしょうか、京都の西本願寺にお参りした人が
はじめて、水道というものに出会いました。
ひねるだけで 水が出てくるのに驚いて、旅館の人に尋ねました。

これは、どこで買えるのですかと、これは職人さんが
取り付けてくれましたが、金物屋さんにあるのではないでしょうか。

金物屋さんに立ち寄り、水道の蛇口を幾つか求めて帰りました。

帰ると早速、壁に取り付けて、みんなを集めて、蛇口をひねりますが、
当然、水は出てきません。
水道の蛇口だけで、出るわけかがないのに、それを知らなかった
という話です。

これを聞いて、素直に笑ってはおれません、同じような生活を私たちは
毎日送っているのかもしれません。

 まどみちを さんの詩に
「水道のせん」というのがあります。
水道のせんをひねると 水が出る 水道のせんさえあれば
いつ どんなところでも きれいな水が出るものだというように
とおい谷間の取入口も 山のむこうの浄水池も 山の上の配水池も
ここまでうねうねと土の中を はいめぐってきているパイプも
それらのすべてを つくった人も いっさい関係ないかのように

牛乳びんさえあれば 牛乳がやってくるかのように
電灯のたまさえあれば 電灯がともるかのように
水道せんひねると 水が出る

 とあります。


 私たちは 表面的な目に見えることしか感じていません。
そこにつながる大きな働や力、さまざまなご苦労があったことに
気づくことなく、あれもこれも、みんな当たり前になって、感謝も
喜びもない、無感動な生活をしています。

気づくのか、気づかないか、見えるか見えないかで、人生の味わいは
大きく違ってくるものです。
そして、こうしてお念仏を口にすることが出来ているのも、沢山の
はたらきが、ご縁があってのことです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏に出あい、お聴聞することで 
表だけではなく、その裏に隠れている多くのはたらきに、
思いに気づかせていただき、はじめて
感動的な有り難い豊かな人生を受け取ることが出来るのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のはたらきによって、
私に届いている大きなはたらきかけを感じ、気づかせて
いただくことができるのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏






第1706回 無税の相続

 令和7年 10月9日~

 おかげさまで 10年半に一度の 佐賀組の巡番報恩講は
10月1日から 五日間 多くの方にお参りいただき有り難い法要となりました。
日頃は 一日だけ法要にお参りして、それで終わりの方が多いのですが、
今回は 連続してお参りいただく方が多かったように感じました。
ご講師の渡辺崇之先生の軽快なお話に、笑いと笑顔が絶えることのない
明るく賑やかな法要となり、有り難いことでした。

 ところで、毎日の法座の最後に、総代と住職が挨拶していますが、
今回は、こんな話をしました。
それぞれのお宅に上がり込んで、月忌参りや法要に伺って30年あまり、
お念仏にご縁があるお宅と、まったくご縁の無いお宅とでは、まるで
違うことをつくづく感じます。

 相続という言葉がありますが、相続というと今、税金のかかる
ことばかりをイメージされる方が多いと思いますが、もともとは、
念仏相続という言葉から出てきものではないかと思います。

 昔は、長男が家を継ぎ、財産も家も家業も 全部一人で受け継いでいました。
他の兄弟には、その権利はありませんでした。
現代では 兄弟がみな平等に遺産を相続できるようになってきました。
財産は、分配すれば、段々と少なくなっていくものですが、
お念仏の教えは、全員に平等に伝えても 減ることはなく、子どもや孫へ
いつまでも、そのまま受け継ぐことができるものです。
物は、使えばすぐなくなってしまうものですが、お念仏の価値観は
どんなに分けても、減ることはなく、代々伝えていくことができるものです。

 税金のかかる相続ばかりではなく、先だった親たちが最も喜ぶ、お念仏を通して
感じる力、思いやりのこころ、感謝の気持ち、喜びを受け取っていき
それを確実に次の世代へ伝えていただきたいものです。

 どんな宝ものにもまして、このお念仏の価値観は 有り難い財産です。
歳を取っても、病気をしても、どんな災害に見舞われても、これほど
価値があり確かなものはありません。

 それを、次の世代に受け継ぐには、まず、大人の私たちがお聴聞をして、
喜ぶ姿を見せること、あんな生き方が理想だと思えるように、
力強く、明るく活き活きとした姿を見せてあげることでしょう。

それには、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏を、確かに受け取り
味わう力を身に着けることがまずは第一です。
この秋には、秋の法座も予定しています。
一月は ご正忌報恩講 そして、3月には 次の真覚寺さんでの
巡番報恩講 まずは、大人がお聴聞をして、その喜びを、感じ取って
いくことが、お念仏相続の もっとも早道だろうと、思います。







第1705回
 みんな 一人残らず


 令和7年 10月2日~

 テレビを見ていると、観光地や事件事故でも、スマホを
手に撮影する人々の姿をよく見かけます。
今は、写真や動画を、誰でも簡単に撮ることが出来るようになりましたが、
カメラ好きで、展示会をよく開いている方からこんな話を
聞いてことがあります。

 子どもの運動会で写真を撮りたいので、カメラを貸してくれと ずっと昔に
友だちから頼まれたことがありました。
そこで、誰でも簡単にとれる簡易なカメラを準備すると、友人は
初めての子どものためだから、もっと良いものを貸してくれとの注文です。

 自分が日頃使っているカメラは 扱いが難しいから無理だと
いっても聞いてくれません。
無理矢理、大きな望遠レンズの着いた高価なカメラを持って友人は
運動会へ行き、大量の写真を撮って意気揚々と帰ってきました。
ところが、どれもピントや絞りがうまくいかず、まともに写った
ものは一つもなかったということです。

 どんなに高級なカメラでも それを使う知識や技能がないと
何の役にも立ちません。
見かけはヤスっぽい全自動のカメラですが、
知識のない人にとっては、それが一番ありがたい立派なカメラです。

 これと似て、どんなに立派な教えがあっても、
その教えの通りに修行したり、戒律を守ったり出来ない人にとっては
何の意味もありません。
すべての人を必ず救うというお念仏の教えだから、技能や知識を
持たず、努力することも出来ない人でも、間違いなく
救われることが出来るのです。
これこそが、最も立派で有り難い教えと言えるでしょう。

 ある運動会でのこと、やっと歩けるようになった子どもたちの
かけっこで、わずか10メートルほどの決勝点に向かって、
すぐに走り出す子どももいれば、ゴールではなく親の方に、
来てしまう子ども、大きな声の応援に驚いて、
スタートラインの上で 泣き動けなく成った子どももいます。

 いつまでたっても、泣くだけで、動けない子どもに、先生が
抱き上げで、ゴールまで走ってくれた姿を見て、あああれが
阿弥陀さまの一人も漏らさず必ず救うということだなあと、
有り難く見せてもらったという 話も聞きました。

 阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏となって、
一人も漏らさず救うと、今、はたらいていただいているのです。
いろいろ有り難い立派な教えがあっても、この私には 
お念仏で救われる教え これしかないのです。








第1704回 世界中が雨の日も

 令和7年 9月25日~

 こんな話を聞きました。
10年ほど前の 朝の連続テレビ小説 「とと姉ちゃん」が
現在 お昼休みの時間に 再放送されています。
その主題歌は、宇多田ひかりさんの 「君に花束を」という曲です。

 すばらしい歌だと聞いていますが、ある音楽番組に 
この宇多田ひかりさんが出演、 司会者が質問して
「ご自分の歌で好きな歌は何ですか」との問いに、
この「君に花束を」が好きだと答えていました。


「その中でも 好きな部分はどこですか」との質問に
 世界中が雨の日も  君の笑顔が僕の太陽だったよ 
 ですと答えていました。


 世界中が雨の日も 太陽とは
どこかで聞いた言葉のように思えますが、日頃お勤めしている
正信偈の 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 を思い出しました。

 私たちは貪りや憎しみ、愚痴などの煩悩に覆われて、
阿弥陀様のはたらきに、なかなか気づくことができませんが、
たとえ雲や霧が覆っていても、雲や霧の下にも明るさが
届いているように、阿弥陀さまのはたらきは、届いているのです。

 空が、どれほどあつい雲におおわれていても、雲の下に闇はないように、
どれほどの愚かさを抱えた凡夫であっても、阿弥陀さまのはたらきは、
その愚かさが障りとならないと親鸞さまは仰っています。

 自分の力で 煩悩を無くすことが出来なくても、
決して煩悩が妨げにはならないということ。
しかし親鸞さまは、
雲の上を見ようとするのではなく、雲の下に闇のないことを
驚かれました。
光はとどいている。どれほど私の愚かさの雲霧があつくとも、
阿弥陀さまのみ心は届いてくださっていた。そのことに驚かれたのです。


 宇多田ひかりの 「君に花束を」

  世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ  
「その歌詞の君の笑顔の 君とは 誰ですか」との問いに 
今はなき
 母親 藤圭子だと、答えていました。

 母親の愛 そして阿弥陀さまのはたらき どんな雨の日も
霧の日も、そのままの私を いつも見守ってくれる 
そのはたらきに、気づくことができる時、ありがたさが
沸いてくるものです。

どんな時も、見守り続けてくださる はたらきがあるのです。







第1703回 あなたは どちら

 令和7年9月18日~

 秋の彼岸法座のご案内に、こんなことを書きました。
ある念仏者の言葉に、「人生いろいろというが、
私は二つしかないと思う、阿弥陀さまのお慈悲を聞くか、
聞かないか」の違い。

聞くことが出来れば、有り難く恵まれた人生だったと喜べるし、
聞かねば、苦しく辛い無価値な人生だったと感じられてしまうもの。
あなたは どちら・・・。

との葉書を出しました。

阿弥陀さまのお慈悲 はたらきを、お聴聞するか しないか
そのチャンスが あるか ないかで、
人生は まるで違って見え、感じられるのです。

周りから見れば、同じような人生を送っていても、有り難かったと
喜びながら 充実した生き方ができる人と、こんなに努力したのに
苦労したのに 誰も分かってくれない。
いいことは 一つもなかった、悔しい 腹が立つ と

憤りながらの苦しい人生を送る人との、違いが出てくるのです。

 仏さまの話を聞くことができた人は、自分の努力 頑張りばかり
ではなく、周りの人々の努力 頑張り 思いやりなどが少しづつ
見え感じられるようになるのです。

見る目が 感じる力が育ってくると、私の努力よりも 
私に対する もっともっと大きな、多くの はたらきかけがあることに 
気づくことが出来るのです。

そうすると、もったいない こんなことでは 申し訳ないと
感謝とともに もっと頑張ることができるようになるものです。

 お聴聞のご縁がなく、周りが見えない人は 自分のことしか
見ることができず、ひとり孤独で、悪戦苦闘する感覚ばかりで 
感謝も 喜びも 生き甲斐もなく

苦しい つらい人生であると感じられてしまうのです。

そうした 感じる力 知る力を身につけるには、
仏さまの話を 仏さまのはたらきを、お慈悲を聞いていくことで、
いかに有り難い人生であるか、何と 多くの人々が 私のために 
はたらきかけていただいているかに、気づき はっきり感じ

喜び、感謝の気持ちが起こってくるのです。

そのお聴聞のご縁、この 10月 1日からの巡番報恩講の五日間

またとない 尊いチャンスです。最後のご縁です。

仕事を休んでも 大事な用事を後回しにしても
このご縁にあうことは、もっとも価値があることと思います。

聞いてくれ 聞いてくださいと
先だった父母 祖父母 多くの先輩達が そろって南無阿弥陀仏 
南無阿弥陀仏 呼びかけていただいているのです。
今しかない あしたでは遅い 今 聞いてくれと
願われているのです。

そして、 豊かな有り難い人生を 受け取って、
喜び多い感謝の毎日を送ってほしいと。







第1702回 誰も皆 86,400

 令和7年9月11日~

 一周忌で、「よくお聴聞されておられたご主人は、仏さまとなって、
今も 私たちのためにはたらいておられることでしょう。」
と、お話をし、最後の合掌をした後、床の間に置かれた遺影の前に、
ご本人のものと思われる腕時計が、置いてあるのに気づきました。

 のぞき込んで、「あら、ちゃんと動いていますよ。」というと、
年配の妹さんが、「あらあーと」と、驚きの大きな声を出されました。
「この腕時計だけではなく、今、ご本人もちゃんと働きかけておられるのに、
 こっちが気づかないだけなのでしょうね」
「そうやろね、そうやね・・・」 との高齢の妹さんの感動の声を
聞きながら帰ってきました。

 時計、時間といえば、こんな話を聞きました。
すべての人に、86、400円、毎日毎日お渡ししますと言われると
とても、嬉しく有り難いものです。
だだ、次の日に持ち越すことはできず、その日のうちに
使い切ってしまわなければならないというのです。
自分の好きなものを、自由に買えて、うれしいものですが、残すことが
出来ない、使い切ってしまい貯金が出来ないのは、残念なことです。

 同じように、私たちすべての者に、毎日毎日、86、400秒、
分にならすと1440分、24時間が間違いなく平等に
与えられているのです。


 誰もがみんなが頂いている、86、400秒の時間ですが、
当たり前になって、感動もなく、余り喜んでもいません。
そればかりか、意識もせずにぼんやりと、無駄に使い切っています。

 時には 誰かの行動や、言葉に腹を立てて、くやしい、
許せにないと、イライラ くよくよと、そのことばかりに心奪われて、
長い時間、悶々と無駄な時間を過ごすることもあります。

 折角いただいている毎日毎日の86、400秒、無駄遣いをすることなく、
出来れば、喜び多い時間を多く持ちたいものです。
お金と同じく 自分の為だけに使うのではなく、
誰かの役立つこと、喜びを分けてあげることにも、挑戦するなど
意味ある使いかたを 考えて見ることも大事なことでしょう。

もし、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏を口にするご縁があれば、
平凡で 当たり前の毎日が、意味深く、有り難く、喜び多い、
素晴らしい価値ある時間であることが確認出来ることでしょう。

つらいこと、苦しいことで悩み続け、時間を無駄に使い切るより、
仏さまも 亡き父母も喜んでくださる、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏を口に、味わい深い、喜び多い、豊かな時間を
味わいたいものです。






第1701回 見る 感じる力

 令和7年 9月4日~

  ご本山の朝のお勤めのご法話でこんな話を聞きました。

 私たちは見えるものだけを大事にしていますが、見えないものも
有り難く大事なものがあることに、気づいていないのではないかという
お話です。

見えないものもあるというと、金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」の詩を

思い出します。

 青いお空のそこふかく、 海の小石のそのように 
 夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

 ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、
 春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

 本当に大事なもの 有り難いものは 見えないものが多いようです。
親の愛や思いやり、優しさなどを、見ること、感じることができるか
出来ないかで、 その人の人生は大きく違ってくるものでしょう。

 見る力がないのか 見ようとしないのか。
それが、見えるように 感じられるようになってくるのは、
学校教育などの知識の教育だけでは不十分で、
仏さまのお話、ご法話を聞かせていただくことで
今まで気づかなかった大事で、有り難いものに気づき、
見過ごしていることに気づき、感じられるようになってくるのでしょう。

仏さまのお話を聞かせていただく中で、少しづつ 
変化が訪れてくると、人生はまるで違って見えてくることに気づきます。
見る力 感じる力、味わう力、それを育てていただくことが出来きるのが、
仏法に出遇うということだと、思います。

 まわりが少し見えるようになってくると
いかに多くの力に守られ育てられているか、なんと有り難く
素晴らしことかに気づかせていただけるのです。

 どうか、次の世代へも この見る力、感じる力を 伝え残して
行きたいものです。
それには、南無阿弥陀仏のみ教えを受け継ぐことが、もっとも確実で
近道だと味わいます。






第1700回 感謝・喜びの効果

 令和7年 8月28日~

こんな話を 聞きました。
龍谷大学の臨床心理学の先生から「感謝の効用」のお話を聞きました。

 その先生は、自分の講義を受けている学生さんたちに、3カ月間、
小さな習慣を続ける実験に参加してもらったそうです。  
それは、寝る前に「今日も  おかげさまで 一日を 終えることができました。
ありがとうございました 」と、感謝の言葉を  3回繰り返すことです。
そして、実験に参加し学生さんには「 もし  何か 生活に  変化があれば、
メモして おいてください 」と、頼まれたそうです。


 毎晩 3回 感謝の言葉を唱えることに、どんな意味があるのだろうかと 
半信半疑だったようですが、3カ月たった頃、学生さんたちからは、
「 笑顔が増えてきた 」「 憂鬱な 気分が減った 」「 家族関係や
 人間関係がよくなった 」「 身体的な 疲れが減った 」「 バイト先で
気遣いができるようになった 」などの 報告が あがってきたそうです。


 どんな人にも、辛く苦しいことばかりではなく、うれしいこと、
感謝すべきことが必ずあるものです。
毎日 毎日 感謝の言葉を口にする、この習慣がきっかけとなって、
うれしいこと、感謝できることに  目が向くようになってくると、
神経伝達物質やホルモンのバランスよくなることが、いろいろの実験や、
研究でだんだんとわかってきたといいます。


「 幸せだから感謝するのではない。感謝できることが幸せである 」
という言葉があります。
幸せは、地位や名誉や財産などだけで決まるのではなく、ものの見方、
感じ方によって大きく変わってくるものです。


 これまでの長い人生の中では、苦しいこと悲しいこと、つらいこと、
いろいろと困難なことに、どなたでも出会われたことでしょう。
しかし過去ではなく、今の自分を喜ぶことが出来る人こそ
幸せといえるでしょう。


 思えば親鸞聖人のご生涯は、大変ご苦労の多いものでした。
大飢饉を何度も経験され、罪人とされ流罪にもなり、晩年には息子さんを
義絶するという悲しい出来事もありました。
社会一般のものさしでは、とても幸せとは言えない人生だったでしょうが、
もし聖人にお尋ねすることが出来れば、きっと「いろんなことがあったが、
多くの尊いご縁に よって  阿弥陀さまの ご本願に遇わせていただけた。
私ほど幸せな人生はなっかた 」とおっしゃるのではないでしょうか。


 お念仏を称えることは、お念仏を聞くこと。お念仏を聞くとは、
阿弥陀さまの願いに遇わせていただき、阿弥陀さまのお慈悲の中に 今 
私が生かされていると  知らされることです。

〝 感謝の言葉 〟でもある〝 お念仏・南無阿弥陀仏 〟を、称えて生きる
人生とは、まさに導かれ 護られている 有り難く、喜びいっぱいの
幸せな人生であることに、はっきりと気づかされ、味わう生活です。


 親鸞聖人は 念仏者に恵まれる精神的喜びのことを「心多歓喜の益
( 心に よろこびが多いという利益  )」「 知恩報徳の益( 如来の恩を知り
その徳に報謝するという利益 )」そして最後に(やがて仏になると定まった
正定聚の位に入る )「 入正定聚の益・にゅうしょうじょうじゅのやく」との
十種の利益があると、『教行信証』に、お念仏を  口にする人が感じる喜びを
はっきりと示していただいています。

(本願寺新報二〇二四年七月二十日号掲載) 高田 文英師 
龍谷大学教授 福井県鯖江市・西照寺衆徒を参照しました。








第1699回 スパイスをきかす人生

 令和7年 8月21日~

 電話法話の原稿を 大きな活字で印刷しようとしていますが、
その2冊目の校正をしていて、20年以上前のこんな 文章に出会いました。

 お参りした時に、こんな質問を受けました。
「宗教は、どうして必要なんでしょうかね」と。
お料理が、得意そうな方でしたので、こんな答えをしました。

 私たちは、毎日毎日食事をしています。
ところが、それを、いつも喜んで食べている方と、何の感動も持てず
淡々と食べている人、中には、文句をばかり言う人、
昔食べてあれは美味しかったと、目の前のものを
味わえない人など 様々な人がいます。

 同じことなら、喜んで美味しく食べたいものですが、
中には、お世辞にも美味しいと言えない料理もあるものです。
どんなに高価な材料を使った料理でも、どうももう一つ
美味しさに欠けることもあります。

 人生もおなじことではないかと思います。
周りからみれば、何不自由のない恵まれた生活、経済的にも
社会的にも、何の問題もない生活なのに、何か一つ足りない。
ちょうど高い材料を使って料理していながら、もう一つ味わいの少ない
お料理と共通するところがあるようです。

 お料理なら、ほんの少しのスパイスをきかすだけで、もっともっと
美味しく魅力的になることもあります。
おそばには ワサビ、うどんには七味、そうめんにはショウガと、
おなじ麺類でも、違いがあります。

 それぞれの料理を引き立たせて、尚一層美味しくするものがあるものです。
それを、ちゃんと知っている人と知らない人。
折角、誰かが薦めてくれるのに、大丈夫大丈夫と、いつもお醤油だけを
かけて食べているような生活を送っている人もいます。

 人生でも、ほんのひと工夫、見方を変えることで 大きく
味わいが変わってくるのに、それを知らずに一生を終わって
いく人も多いようです。

 宗教とは、多くの経験し、さまざまな失敗や過ちを
繰り返した先輩たちが、同じ誤りをしないように、もっと喜びを感じ
味わいを深める生き方があることを、伝え教えようとしたものでは
ないかと思います。

 南無阿弥陀仏のお念仏を口にすることで、ものの見方が変えられて
同じ人生でも、ひと味違う、味わう力、味覚が育てられることを
先輩、ご祖先たちは伝えようとしているのではないかと感じます

 同じ人生ならば、先輩のすすめを受け取って、味わい深い人生を、
喜び多い 感動的な人生を、送りたいものです。







第1698回 有り難い方の お通夜で

 令和7年 8月14日~

 先頃 いつもお参りいただいた有り難い方が 亡くなられまいした。
そのお通夜の席で こんなお話をしました。

 〇〇さん 92歳の堂々とした ご一生でした。
子どものころ、鳥栖で空襲を受け苦労した話を、先日新聞に語って
おられましたが、成長後、〇〇会社に勤務 定年後は、地元で
自治会活動で活躍され、その誠実なお姿は、ここに参加されている
皆さんお一人お一人が、それぞれの場で充分にお感じになって
いることでしょう。

 私が存じ上げる 〇〇さんは、お父様のご命日にご自宅に伺い
一緒にお勤めしていただく 真面目でありがたいお方でした。
お手元にお経さんの本が渡っていると思いますが、その本を
いつも持って、六ぺージからのお正信偈のおつとめしておられました。

 ご自宅でばかりではなく、お寺でお彼岸や報恩講など 行事の折りには
必ずお参りになり、いつも大きな声で ご一緒に、
もう何百回と、お勤めをしておりました。

 出来ますれば これから、みなさんも、〇〇さんとご一緒の
つもりで、お勤めをしていただければ有り難いことです。
お勤めの内容は、 お釈迦様が説かれた仏教ですが、それぞれの能力に
見合って、具体的にさまざまに数多く説かれています。

 その中で、親鸞聖人という方が、これこそが、私のために説かれた教え
この教えでこそ、人間らしく堂々と生きていくことの出来る有り難い
教えであると、ご自分で味わい、私たちに勧めていただく内容で、
この教えこそが、お釈迦さまがもっとも説きたかった内容であると
まとめていただいているものです。

 これから、みんな必ず老病死を迎えますが、その苦しみ
悩みを、乗り越えていくことの出来る 人間らしく生きぬく事のできる
南無阿弥陀仏の教えが説かれています。

このお勤めの後をした後で、毎回、必ずお話していたことが
ありますが、それは お勤めのあと、また お話しいたします。

 まずは、〇〇さんとご一緒のつもりで、お勤めいたしましょう。

  正信偈のおつとめ

  ご一緒に おつとめいただきまして、ありがとうございます。
こうして、いつもお勤めした後、必ずお話していたことは
毎回 同じこと、ただ一つです。

 お手元の経本の表紙に 浄土真宗とあります。
私たちの 科学的な頭では いのちが終われば、すべて無くなると
思っていますが、お釈迦様は この世だけではなく、自分の行いによって、
次の世界へ生まれていくのだと、教えていただいいます。

 ほとんどの人は、自分で作った罪で、地獄へ生まれることになるのですが、
南無阿弥陀仏の人は お浄土へ生まれて 仏さまになって 活躍すると

教えていただいています。
ですから、もう〇〇さんは、仏さまとして 今すでにここで 
はたらいていただいているのです。

残された私たちが出来ることは 仏さまになられた方が、喜んで
いただけるような生き方をすることでしょう。 
それには、お念仏の教えに出あい、喜び多い生活をさせて
いただくことでしょう。  ・・・・・

   このような お話をしました。






第1697回 見ていない 見えていない世界

 令和7年 8月 7日~

悲しい事件が 起こりました。
外国から技能実習生として日本に来ている 青年が 住まいの近くの人を
傷つけ、殺害するという、どうしようもない悔しい事件です。

今、近くのコンビニの店員さんも、その多くは外国の若い人で
親切、丁寧で 日本人の若者には、とても出来ないほど、
立派な対応をしてくれます。

日本は 現在大変な、労働力不足だそうで、農業 工業 水産業
製造業あらゆる部門で、日本人が働きたくない、
大変な仕事を、彼らが受け持ってくれています。

技能実習法という法律では、「技能実習は、労働力の需給の調整の
手段として行われてはならない」とあるものの、現実は そうは
いかないように見受けます。

 残念なことは、生活習慣の違いから、住居地で深夜まで騒いだり、
生活ゴミの出し方で、近所とのトラブルがあったりもするようですが、
受け入れる企業によって、生活の環境は大きく違っているようです。
どうも、私たちは、自分とは関係無い、余所のことだと
無関心で見て見ぬふりをしています。

 お念仏の生活とは、自分の立場からだけで世間をみるのではなく
仏さまの目に 気づかせていただくことだとうと味わいます。
日頃、利害関係、知り合いかどうかなどを基準に、
世間を見ているようで、本当に狭い目でしか、世の中を見ていません。

 自分に代わって、大変な仕事を、日本人が嫌がって逃れている
ことを、暑い中汗をかき、早朝や深夜、危険な仕事を
外国の若者が、最低賃金で頑張ってくれていることに、気づき、
こころに留め、見守ることが、出来るようになりたいものだと、思います。

 私はちゃんと世の中を見て、何でも分かったつもりになって
いますが、仏さまから見れば、自己中心で 傲慢などうしようもない
人間に見えていることでしょう。
悲しい事件でしたが、そのことを私に気づかせてくださるため、
ご苦労だったのだと、受け止めさせていただいています。

 観無量寿経が説かれるご縁となった 提婆達多が阿闍世をそそのかして
頻婆娑羅王を害させるという王舎城の悲劇、そのご縁で釈尊が
韋提希をお導きになって、阿弥陀仏の浄土を教えてくださったように
私のためのご苦労くださった方々であったと 味わえてなりません。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏



                        妙念寺       

 

電話法話一覧表へ (平成9年)~
                        

     

掲載者 妙念寺住職  藤本 誠


電話法話一覧表

( 平成18年 )
第676回 味わえる人生  1月 4日~
第677回 祈らない宗教  1月12日~
第678回 どんな苦しみでも  1月19日~
第679回 世間の人々は  1月26日~
第680回 一つの目印  2月 2日~
第681回 デジタル時代の一つの試み  2月 9日~
第682回 来迎は諸行往生にあり  2月16日~
第683回 真実ということ  2月23日~
第684回 善悪のふたつ  3月 2日~
第685回 永遠のいのち  3月 9日~
第686回 念仏せよの呼びかけ  3月16日~
第687回 目的地は  3月23日~
第688回 肥 料  3月30日~
第689回 蓮の花  4月 6日~
第690回 今 ここに寄り添って  4月13日~
第691回 人間と動物の違い  4月20日~
第692回 善 と 悪  4月27日~
第693回 足元にある  5月 4日~
第694回 降誕会によせて  5月11日~
第695回 願いの言葉  5月18日~
第696回 生涯を疑わない  5月25日~
第697回 ありがたい  6月 1日~
第698回 好きなものだけ  6月 8日~
第699回 痛みは 呼び声  6月15日~
第700回 出る息 入る息  6月22日~
第701回 預かりもの  6月29日~
第702回 気づいてみれば  7月 6日~
第703回 誰が 救われるのか  7月13日~
第704回 誰のために  7月20日~
第705回 仏の仲間  7月27日~
第706回 二つの言葉  8月 3日~
第707回 気づくか 気づかないか  8月10日~
第708回 伝えたい  8月17日~
第709回 行き先変更  8月24日~
第710回 GNP より GNH  8月31日~
第711回 卒業記念の団体参拝  9月 7日~
第712回 積極的に参加したい  9月14日~
第713回 念仏と呪術  9月21日~
第714回 新たな価値観  9月28日~
第715回 ある遺書 10月 5日~
第716回 み仏の影 10月12日~
第717回 同じ 光なのに 10月19日~
第718回 無関心は 無責任 10月26日~
第719回 今を生きる 11月 2日~
第720回 誰かのために 11月 9日~
第721回 光と ともに 11月16日~
第722回 自然法爾ということ 11月23日~
第723回 男の料理教室 11月30日~
第724回 伝統の意味 12月 7日~
第725回 有り難い 尊いご縁  12月14日~
第726回 やはり基礎工事が大事 12月21日~
第727回 遇 う 12月28日~
( 平成 19年 )
第728回 賢い主婦は  1月 4日~
第729回 伝統の有難さ  1月11日~
第730回 無我について  1月18日~
第731回 後をたのみます  1月25日~
第732回 闇を破る  2月 1日~
第733回 青色青光  2月 8日~
第734回 功 徳  2月15日~
第735回 あなた この世に  2月22日~
第736回 仏に成る  3月 1日~
第737回 犬に噛みつく  3月 8日~
第738回 ご縁をいただく  3月15日~
第739回 広大なる智慧  3月22日~
第740回 照らされている  3月29日~
第741回 表面だけでなく  4月 5日~
第742回 呼び声 聞こえたら  4月12日~
第743回 更新プログラム  4月19日~
第744回 スペースができました  4月26日~
第745回 見方 考え方 味わい方  5月 3日~
第746回 アンパンマン  5月10日~
第747回 いのちの願い  5月17日~
第748回 わがまま坊や  5月24日~
第749回 応報大悲弘誓恩  5月31日~
第750回 あなたの願いは 何ですか  6月 7日~
第751回 右か 左か 1か0か  6月14日~
第752回 その名を聞くと  6月21日~
第753回 他力ということ  6月28回~
第754回 いただきもの  7月 5日~
第755回 習 慣  7月12日~
第756回 お掃除  7月19日~
第757回 人間に生まれても  7月26日~
第758回 人間と環境  8月 2日~
第759回 ハードとソフト 機と法と  8月 9日~
第760回 浄土真宗の教え  8月16日~
第761回 ベースが大事  8月23日~
第762回 深く生きるためには  8月30日~
第763回 子供が思う以上に  9月 6日~
第764回 癒しと 安心と  9月13日~
第765回 名号は 声である  9月20日~
第766回 私を救ってくださるのは  9月27日~
第767回 私にかわって 10月 4日~
第768回 学仏大悲心 10月11日~
第769回 生きている 今が 10月18日~
第770回 知らされた時 10月25日~
第771回 念仏者へのお手紙 その1 11月 1日~
第772回 念仏者へのお手紙 その2 11月 8日~
第773回 念仏者へのお手紙 その3 11月15日~
第774回 健康第一と言うけれど 11月22日~
第775回 感謝する だけでなく 11月29日~
第776回 明日に向かって 12月 6日~
第777回 ナンマンダブのマーチ 12月13日~
第778回 明日が 12月20日~
第779回 死んだら おしまい ? 12月27日~
( 平成 20年 )
第780回 気づくか 気づかないか  1月 3日~
第781回 電子顕微鏡  1月10日~
第782回 敬いの こころ  1月17日~
第783回 福は内 鬼は内  1月24日~
第784回 信心まことにうるひとは  1月31日~
第785回 隠れた能力  2月 7日~
第786回 ふかくたのみまいらせて  2月14日~
第787回 育ち 盛り  2月21日~
第788回 愚者になりて  2月28日~
第789回 引いたら ゼロ  3月 6日~
第790回 注意していたつもりでも  3月13日~
第791回 順調は プラスか  3月20日~
第792回 名号のほかに 何が不足  3月27日~
第793回 唯説→ 唯聴⇒ 唯説  4月 4日~
第794回 悪人正機  4月10日~
第795回 本当に可愛いのなら  4月17日~
第796回 私の歩む道  4月24日~
第797回 迷いの世に還って  5月 1日~
第798回 念仏は称えるが  5月 8日~
第799回 仏と語る人  5月15日~
第800回 無明我執の中で  5月22日~
第801回 情報操作  5月29日~
第802回 いのちの尊さ  6月 5日~
第803回 自他ともに 心豊かに  6月12日~
第804回 この世も  6月19日~
第805回 奥の座敷には  6月26日~
第806回 目的は  7月 3日~
第807回 見る人の能力で  7月10日~
第808回 いま はたらいて  7月17日~
第809回 自然のはからい  7月24日~
第810回 いのちに組み込まれた  7月31日~
第811回 功徳の宝海  8月 7日~
第812回 これでいいのだ  8月14日~
第813回 恥ずかしいこと  8月21日~
第814回 報いは 自分自身で  8月28日~
第815回 仏教もさまざま  9月 4日~
第816回 感じる能力  9月11日~
第817回 ウイルス対策ソフト  9月18日~
第818回 戦争は したくない  9月25日~
第819回 新しい誕生 10月 2日~
第820回 法味愛楽の目 10月 9日~
第821回 信心は 信受 10月16日~
第822回 私 ひとりのために 10月23日~
第823回 ホンマは 私の娘よ 10月30日~
第824回 伝わっていく 11月 6日~
第825回 亡き人の はたらき 11月13日~
第826回 それを幸いに 11月20日~
第827回 小倉山 モミジの葉 11月27日~
第828回 待たれる身 12月 4日~
第829回 最終の目標 12月11日~
第830回 お預かりします 12月18日~
第831回 通過点 12月25日~
 ( 平成21年 )
第832回 無量寿  1月 1日~
第833回 阿弥陀如来の化身  1月 8日~
第834回 お誘いするのは  1月15日~
第835回 如来と共に  1月22日~
第836回 名号を となへんものをば  1月29日~
第837回 お祝のことば  2月 5日~
第838回 二種の回向  2月12日~
第839回 新たな出発には  2月19日~
第840回 如来のはたらき  2月26日~
第841回 自分の心の中に  3月 5日~
第842回 癒しで 止まったら  3月12日~
第843回 八万劫中大苦悩  3月19日~
第844回 聞くべきものを 聞いたか  3月26日~
第845回 共に歩いて  4月 2日~
第846回 こころにも 栄養を  4月 9日~
第847回 目標は  4月16日~
第848回 信ずるは 喜び  4月23日~
第849回 よく見れば  4月30日~
第850回 赤ちゃんを授かって  5月 7日~
第851回 私なりの花が咲く  5月14日~
第852回 自力回向 他力回向  5月21日~
第853回 ブッダの願い  5月28日~
第854回 法然の発見 親鸞の確信  6月 4日~
第855回 二つの宗教  6月11日~
第856回 ギリギリ最後の  6月18日~
第857回 北風と太陽  6月25日~
第858回 みんな輝け  7月 2日~
第859回 お聴聞のご縁に  7月 9日~
第860回 ああ そうか  7月16日~
第861回 リーダーになる  7月23日~
第862回 いつも一緒に  7月30日~
第863回 生まれた意味は  8月 5日~
第864回 目標を持って  8月13日~
第865回 親の願いは  8月20日~
第866回 問題の解決  8月27日~
第867回 一人 ひとり  9月 3日~
第868回 あまえ  9月10日~
第869回 一歩 一歩  9月17日~
第870回 いま はたらいて  9月24日~
第871回 ご本山と同じように 10月 1日~
第872回 ハタと 気づく 10月 8日~
第873回 人間の考えは 10月15日~
第874回 明るくて たしかなくらし 10月22日~
第875回 知恩 感恩 報恩 10月29日~
第876回 頼む 後は頼みます 11月 5日~
第877回 平生業成の世界 11月12日~ 
第878回  第28願 (本 願) 11月19日~
第879回 ローマの休日 11月26日~ 
第880回 二軒屋の譬え  12月 3日~
第881回  私たちのみ教え(浄土真宗) 12月10日~ 
第882回  これも預かりもの  12月17日~
第883回  仏教の基本  12月24日~ 
第884回 朽ちていくもの 萌えるもの 12月31日~ 
   ( 平成22年 )  
第885回  科学だけでは   1月 7日~
第886回 56億7千万   1月14日~
第887回  多くの いのち と   1月21日~
第888回  仏さまって どんな方   1月29日~
第889回  いつも ニッコリ 笑うこと   2月 4日~
第890回  アア そうか そうなんだ   2月11日~
第891回  不幸の完成   2月18日~
第892回 「昨日の私」 「今日の私」   2月25日~
第893回 なにの分別もなく   3月 4日~
第894回  風船の外側の世界   3月11日~
第895回 決して無駄にはしません   3月18日~
第896回  生老病死の問題   3月25日~
第897回 今 末法の時代には   4月 1日~
第898回  どうぞ お先に  4月 8日~
第899回  ちょうどよい  4月15日~
第900回  安楽浄土に いたるひと   4月22日~
第901回  栄光への脱出   4月29日~
第902回 讃えます  5月 7日~
第903回 可愛い子には  5月13日~
第904回  呼ばれたら   5月20日~
第905回  お浄土のただ中に   5月27日~
第906回  はたらきかけ   6月 3日~
第907回  分別を離れて   6月10日~
第908回  低反発の   6月17日~
第909回 転じられて  6月24日~
第910回  願いにかなった   7月 1日~
第911回  若者に こそ   7月 8日~
第912回 ここは愛敬町  7月15日~
第913回 第二の矢   7月22日~
第914回 あなたは すばらしい   7月29日~
第915回  こころに 唇に  8月 5日~
第916回  縁起するいのち   8月12日~
第917回  見てますよ   8月19日~
第918回  数限りない仏がたが  8月26日~
第919回  遠い国でも  9月 2日~
第920回  見ているもの  9月 9日~
第921回 いそいそと   9月16日~
第922回  骨を砕きても  9月23日~
第923回  親の心を  9月30日~
第924回  子どもと どう向き合えば  10月7日~
第925回 そのうちお世話に  10月14日~
第926回   たった一日のいのち 10月21日~ 
第927回 おかあさん おかあさん  10月28日~
第928回  親指と小指の法則  11月 4日~
第929回  私のために生まれてくれた人 11月11日~
第930回  今がチャンス 11月18日~ 
第931回  目覚めれば弥陀の懐  11月25日~ 
第932回 「今ここ」 の 生き方  12月 2日~
第933回  莫大な遺産  12月 9日~
第934回 見聞が蓄積されても  12月16日~ 
第935回 罪の消滅  12月23日~
第936回 阿弥陀仏の救い  12月30日~ 
   ( 平成23年 )  
第937回  それまでして   1月 6日~ 
第938回  みちみちて   1月13日~
第939回  母の愛よりも   1月20日~
第940回 生きる意味と方向   1月27日~
第941回  自己満足のためではありません   2月 3日~
第942回  人と宇宙との関係   2月10日~ 
第943回  み教えを あなたと聴く   2月17日~
第944回  いよいよ ご本山の大遠忌法要   2月24日~
第945回 お念仏に生きる喜び  3月 3日~
第946回  命の尊さと喜び   3月10日~
第947回 与えられた いのち   3月17日~
第948回 念仏しなされや   3月24日~
第949回  今大切なもの   3月31日~
第950回 新しい誕生   4月 7日~
第951回 修正プログラム   4月14日~
第952回  いつも人々の中にいて   4月21日~
第953回  迷惑では  ないよ   4月28日~
第954回  ボランテイア   5月 5日~
第955回  アクセス解析   5月12日~
第956回  片思い    5月19日~
第957回  自在の救い   5月26日~
第958回  人生そのものの問い   6月 2日~
第959回  真実の教え  6月 9日~
第960回  限りなき光と寿の仏    6月16日~
第961回  今ここでの救い    6月23日~
第962回 光の浄土   6月30日~ 
第963回  報恩の念仏    7月 7日~
第964回 かならず再び会う    7月14日~
第965回  まずは 南無阿弥陀仏から    7月21日~
第966回 ありがとう、よかった、うれしい    7月28日~
第967回  周りのすべてに    8月 4日~
第968回  VIP待遇    8月11日~
第969回  二泊三日    8月18日~
第970回  人生は 自分のものではない   8月25日~
第971回  無党派層は 無関心層ではない    9月 1日~
第972回  いのち終わっても    9月 8日~
第973回  痛手を受けて  9月15日~ 
第974回  今から練習   9月22日~
第975回  トウガラシ    9月29日~
第976回  自業自得(自因自果)  10月 6日~
第977回  極上の良書 10月13日~
第978回  八方の風に 柳は  10月20日~ 
第979回  本当の慈悲は  10月27日~ 
第980回  ピーコちゃん  11月 3日~
第981回 大いなる恵み 11月10日~ 
第982回 反抗しても 抵抗しても  11月17日~
第983回  南无阿弥陀仏の意義  11月24日~
第984回  前提が違う  12月 1日~
第985回  一水四見  12月 8日~
第986回  二つのグループ  12月15日~
第987回  雑行雑修自力  12月22日~
第988回 何事も 初ごと  12月29日~
   ( 平成24年 )   
第989回 泥の中の白蓮華    1月 5日~
第990回 元気が自然に    1月12日~
第991回  野菜づくり   1月19日~
第992回  信心をいただくと  1月26日~ 
第993回   たまたまの出あい  2月 2日~ 
第994回   最高のプレゼント  2月 9日~ 
第995回   生きる基本   2月16日~
第996回  他力本願とは   2月23日~
第997回  さすがあー   3月 1日~ 
第998回  聞く側の問題  3月 8日~ 
第999回  もっと分かる話を  3月15日~ 
第1000回   遠い目標   3月22日~
第1001回  阿弥陀如来=南無阿弥陀仏   3月29日~
第1002回  蓮如上人と 一休和尚   4月 5日~
第1003回  全体を見る    4月12日~
第1004回 三つのよろこび   4月19日~
第1005回   心は 六つに変わる   4月26日~
第1006回 仏さまの拝み方   5月 3日~
第1007回  仏さまのこと  5月10日~
第1008回 生まれてきてくれて ありがとう   5月17日~
第1009回  喜びの言葉を口に   5月24日~
第1010回  呼び続ける親  5月31日~
第1011回  私の一冊  6月 7日~
第1012回 二河白道のたとえ  6月14日~
第1013回  宝もの   6月21日~
第1014回 天与のオモチャ  6月28日~ 
第1015回  桧舞台と味わう  7月 5日~
第1016回 親の片思い  7月12日~
第1017回  素通りしてはいませんか  7月19日~
第1018回  キーワードは 恩  7月26日~ 
第1019回 人生の目的   8月 2日~ 
第1020回  往生の彼方に  8月 9日~ 
第1021回  無くして はじめて   8月16日~ 
第1022回  見えぬものでも  8月23日~
第1023回  迷惑でも  8月30日~
第1024回  声の仏さま  9且 6日~ 
第1025回  ただ念仏  9月13日~
第1026回  百獣の王  9月20日~ 
第1027回  おつとめ  9月27日~ 
第1028回 うらを見せ  10月 4日~ 
第1029回  判断の基準は  10月11日~
第1030回  毎日が 表現の舞台  10月18日~ 
第1031回 生前中は  10月25日~ 
第1032回  なんまんだぶつの子守歌  11月 1日~ 
第1033回 主役は あなた  11月 8日~ 
第1034回 ご縁に 遇えば  11月15日~ 
第1035回  仏教の基本  11月22日~
第1036回 次の世代へ  11月29日~ 
第1037回  ほめ称えずには おれない  12月 6日~
第1038回 追善供養を超えて  12月13日~ 
第1039回  確かな道  12月20日~
第1040回  本願の意味  12月27日~ 
  ( 平成 25年 )  
第1041回 み光をうけて   1月 3日~
第1042回  そっとつながる  1月10日~ 
第1043回  学ぶ 喜び  1且17日~ 
第1044回  お念仏の教えは 仏教です   1月24日~ 
第1045回  ナモアミダブツとは、なんですか  1月31日~ 
第1046回  近道すれば 南無の一声  2月 7日~ 
第1047回 親を喜ばせたければ  2月14日~
第1048回 出家と在家をえらばず  2月21日~
第1049回  念仏の行者   2月28日~
第1050回  手を合わせられる   3月 7日~ 
第1051回 今 気づかせていただく    3月14日~
第1052回 いそぎ 仏に成りて   3月21日~
第1053回 過去 現在 未来   3月28日~
第1054回 仏心とは 大慈悲これなり   4月 4日~
第1055回 いただいている名号   4月11日~
第1056回  前に生まれた人は   4月18日~
第1057回 阿弥陀さまの願いの中に   4月25日~
第1058回 往き易くして人なし    5月 2日~
第1059回 花は 菊だけ?   5月 9日~
第1060回 味わい深い人生   5月16日~
第1061回  こころと身体   5月23日~
第1062回  かえると 一茶と あみださま    5月30日~
第1063回  この私には   6月 6日~
第1064回 根本的な治療法   6月13日~
第1065回  なぜ今 「仏教」 なのか   6月20日~
第1066回  今ここでの救い 2   6月27日~
第1067回 幸せの見える人   7月 4日~
第1068回  独り生まれ 独り死し   7月11日~
第1069回 信心と利益   7月18日~
第1070回  本願力にあひぬれば   7月25日~
第1071回  宮殿に生まれて   8月 1日~
第1072回  わたくしの救い   8月 8日~
第1073回  見守られている私   8月15日~
(平成25年)  
 第1074回 ただ信心の救い   8月22日~
 第1075回 目標がある   8月29日~
 第1076回 彼の岸をめざして いまを生きる   9月 5日~
 第1077回 み仏を よぶわが声は   9月12日~
 第1078回 はたらきづめの 仏さま  9月19日~ 
 第1079回 念仏成仏 これ真宗  9月26日~
 第1080回 ほくほく 生きる 10月 3日~
 第1081回 大好きだよ 10月10日~
 第1082回 ゆらぐ心の支え 10月17日~
 第1083回 お育ていただいた人は強い 10月24日~
 第1084回 行き先が決まった 10月31日~
 第1085回 自力心の否定 11月 7日~ 
 第1086回 失敗のない人生 11月14日~
 第1087回 わが身に驚く 11月21日~
 第1088回 信心 11月29日~
 第1089回 後生 12月 5日~
 第1090回 煩悩 12月12日~
 第1091回 大悲 12月19日~
 第1092回 救うが先手 たすかるが後手 12月26日~
 (平成26年)  
 第1093回 涅槃  1月 1日~
 第1094回 聴聞  1月 9日~
 第1095回 転じられる  1月16日~
 第1096回 やわらかな眼  1月23日~
 第1097回 願作仏心  1月30日~
 第1098回 千無一失  2月 6日~
 第1099回  六神通の願  2月13日~
 第1100回  恩を感じる能力    月 20日~ 
 第1101回  子どもへのメッセージ  2月  27日~ 
 第1102回  地獄と極楽   月  6日~
 第1103回  法要は どんな気持ちで   3月13日~
 第1104回  お念仏で 何が変わるか   3月20日~
 第1105回  浄土とは どのような世界なのか   3月27日~
 第1106回  天上天下唯我独尊   4月 3日~
 第1107回  近道すれば 南無のひと声   4月10日~
 第1108回  磁石のたとえ   4月17日~ 
 第1109回  願いの方向   4月24日~
 第1110回  聴 と聞   5月 1日~
 第1111回  耳で聞く 如来の慈悲   5月 8日~
 第1112回  迷いのHO   5月15日~
 第1113回 浄土は黄金の大地   5月22日~
 第1114回 お念仏は 誰の仕事   5月29日~
 第1115回 「他力」と「自力」の違い   6月 5日~
 第1116回 大きな視線   6月12日~
 第1117回 頑張り知ってるよ   6月19日~
 第1118回 念仏は 呪文では ?   6月26日~
 第1119回 見えぬものでもあるんだよ   7月 3日~
 第1120回 諸行無常   7月10日~
 第1121回 プラス条件を増やせば幸せか   7月17日~
第1122回 いま浄土とは・・   7月24日~
 第1123回 おかあさん   7月31日~
 第1124回 「まかせなさい」の南無阿弥陀仏   8月 7日~
 第1125回 供花のこころ   8月14日~
 第1126回 ロボットにも大事  8月21日~
 第1127回 布施のこころ  8月28日~ 
 第1128回 ご法義のお風呂   9月 4日~
 第1129回 いい人が集まると   9月11日~
 第1130回 アミダさまは ナミダさま ?   9月18日~
 第1131回 星は見えない時でも光っている   9月25日~
 第1132回 育ちざかり  10月 2日~
 第1133回 人は「モノサシ」で物を見る  10月 9日~
 第1134回 「嫌いな人」は あなたを映す鏡  10月16日~
 第1135回 あなたを仏さまにする  10月23日~
 第1136回 どんな あなたであっても  10月30日~
 第1137回 地獄と極楽  11月 6日~
 第1138回 心が変わると景色が変わる  11月13日~
 第1139回 バトンタッチ  11月20日~
 第1140回 わかってるー  11月27日~
 第1141回 習っていないのに  12月 4日~
 第1142回 相手のよろこびは  12月11日~
 第1143回 迷惑かけずに  12月18日~
 第1144回 無駄なものはない  12月25日~
 (平成 27年 )  
,第1145回  遊ぶように   1月 1日~
 第1146回 阿弥陀さまのサイン   1月8日~
 第1147回 右と左   1月15日~
 第1148回 傷つける言葉   1月22日~
 第1149回 一人じゃないから   1月29日~
 第1150回 思い上がり   2月 5日~
 第1151回 プレゼント   2月12日~
 第1152回 両手あわせて   2月19日~
 第1153回 流す涙   2月26日~
 第1154回 あなたが大切   3月 5日~
 第1155回 位牌か 過去帳か   3月12日~
 第1156回 お寺にお参りするのは ?   3月19日~
 第1157回 葬儀は 何故するの   3月26日~
 第1158回 お仏壇は なぜ金色なの ?   4月 9日~
 第1159回 お寺の名前の意味は   4月16日~
 第1160回 阿弥陀如来の救い   4月23日~
 第1161回 他人の失敗は   4月30日~
 第1162回 自分が大切なら   5月 7日~
 第1163回 お浄土でまたあえる   5月14日
 第1164回 死後の浄土より 今が大切   5月21日~
 第1165回 生命は   5月28日~
 第1166回 虹の足   6月 4日~
 第1167回 トンボは 水たまりを 池だと思う   6月11日~
 第1168回 鬼は 私のなかにすむ   6月18日~
 第1169回 どのいのちも 生きようとしている   6月25日~
 第1170回 泣きたいときは   7月 3日~
 第1171回 信心の利益   7月 9日~
 第1172回 憶念の心   7月16日~
 第1173回 求めなくても   7月23日~
 第1174回 有ればあったで   7月30日~
第1175回 ほんとうの宗教とは   8月 6日~
 第1176回 必ずお救いに   8月13日~
 第1177回 お恥ずかしい   8月20日~
 第1178回 如来さまのプレゼント   8月27日~
 第1179回 阿弥陀仏の金の鎖   9月 3日~
 第1180回 出てる 出てるよ   9月10日~
 第1181回 一本の藤蔓   9月17日~
 第1182回 智慧のはたらき   9月24日~
 第1183回 人生は価値ある一瞬  10月 1日~
 第1184回 こころの進歩  10月 8日~
 第1185回 「おかげさまで」のこころで生きる  10月15日~
 第1186回 艱難なんじを玉にす  10月22日~
 第1187回 こころを休める  10月29日~
 第1188回 「自分探し」に惑わされない  11月 5日~
 第1189回 生命科学は万能か  11月12日~
 第1190回 食は いのちの基本  11月19日~
 第1191回 「自分が正しい」 ばかりでは  11月26日~
 第1192回 「苦」 は喜びの種  12月 3日~
 第1193回 自分に自信を持つ  12月10日~
 第1194回 老いも尊い  12月17日~
 第1195回 不安の中で生きる  12月24日~
 第1196回 感激する こころ  12月31日~
 (平成 28年)  
 第1197回 過去から逃げない未来を   1月 7日~
 第1198回 美しく生きる   1月 14日~
 第1199回 この世に生まれてきたのは   1月 21日~
 第1200回 人にまけて信をとる   1月 28日~
 第1201回 母の背中で聞く   2月 4日~
 第1202回 仏さまのお育て   2月11日~
 第1203回 出世本懐   2月18日~
 第1204回 私が如来となる   2月25日~
 第1205回 則我善親友   3月 3日~
 第1206回 報恩 忘恩   3月10日~
 第1207回 にんげんを卒業したら 何になる   3月17日~
 第1208回 私が目覚める   3月24日~
 第1209回 心田を耕す   3月31日~
,第1210回 手を合わすご本尊は ?    4月 7日~
 第1211回 往生浄土の真実   4月14日~
 第1212回 一番良い方向に   4月21日~
 第1213回 聞法の道場   4月28日~
 第1214回 喜んで 勤めて見せる   5月 5日~
 第1215回 祖父母が体験した価値観   5月12日~
 第1216回 乳母車でご案内   5月19日~
 第1217回 手の温もり   5月26日~
 第1218回 阿弥陀如来の本願は   6月 2日~
 第1219回 オキシトシン   6月 9日~
 第1220回 散華楽(さんげらく)   6月16日~
 第1221回 金箔の輝き   6月23日~
 第1222回 正座は 僧侶だけ   6月30日~
 第1223回 老いのよろこび   7月 7日~
 第1224回 私でよかった   7月14日~
 第1225回 世界は誰のために   7月21日~
 第1226回 親のよび声   7月28日~
 第1227回 万人平等の   8月 4日~
 第1228回 人生のもしもしコーナー   8月11日~
 第1229回 自力ということ(聞法のいとなみ)   8月18日~
 第1230回 本願招喚の   8月25日~
 第1231回 還相の菩薩   9月 1日
 第1232回 本当の姿を知る   9月 8日~
,第1233回 精いっぱい生きた いのち   9月15日~
 第1234回 「ナモアミダブツ」 は   9月22日~
 第1235回 目覚まし   9月29日~
 第1236回 条件をつけない  10月 6日~
 第1237回 自分を優先  10月13日~
 第1238回 好き嫌い  10月20日~
 第1239回 欲を拝んでいた私  10月27日~
 第1240回 苦しみからの解放  11月 3日~
 第1241回 熱気球の世界大会  11月10日~
 第1242回 あなたがいて 私がいる  11月17日~
 第1243回 自分は自分の主人公  11月24日~
 第1244回 信心の利益  12月 1日~
 第1245回 空蝉の家  12月 8日~
 第1246回 釈迦の本概  12月15日~
 第1247回 老苦の解決  12月22日~
 第1248回 人間の知恵 仏の智慧  12月29日~
 (平成 29年)  
 第1249回 甚難信   1月 5日~
 第1250回 闇を破る   1月12日~
 第1251回 おそだて   1月19日~
 第1252回 感じる力   1月26日~
 第1253回 法蔵菩薩と阿弥陀仏   2月 2日~
 第1254回 他力は 超・大回転   2月 9日~
 第1255回 わが身ひとつ   2月16日~
 第1256回 憂いも悩みもない世界   2月23日~
 第1257回 完全燃焼の生き方 ー南無ー   3月 2日~
 第1258回 おつとめする意味   3月 9日~
 第1259回 優しい心遣いに応える言葉   3月16日~
 第1260回 独りじゃない場所   3月23日~
 第1261回 四門出遊 ~お釈迦さまの出家~   3月30日~
 第1262回 お葬式と浄土真宗の救い   4月 6日~
 第1263回 報恩講の赤い蝋燭   4月13日~
 第1264回 みな漏れず往生すべし   4月20日~
 第1265回 むなしさを超える   4月27日~
 第1266回 念仏の声   5月 4日~
 第1267回 二種の回向   5月11日~
 第1268回 降誕会とは どういう意味ですか?   5月18日~
 第1269回 本願寺 Q&A   5月25日~
 第1270回 仏教の「救い」とは ?   6月 1日~
 第1271回 一緒性   6月 8日~
 第1272回 仏教の「救い」とは ②   6月15日~
 第1273回 仏教の「救い」とは ③   6月22日~
 第1274回 念仏は 喜び   6月29日~
 第1275回 人身受け難し   7月 6日~
 第1276回 教行信証総序 その一   7月13日~
 第1277回 教行信証総序 その二   7月20日~
 第1278回 南無阿弥陀仏とは   7月27日~
 第1279回 お通夜の席で   8月 3日~
 第1280回 仏教への先入観 ?   8月10日~
 第1281回 仏教への先入観 ②   8月17日~
 第1282回 門徒葬後の朗読法話   8月24日~
 第1283回 他者のしあわせを   8月31日~
 第1284回 夢と希望と喜びを   9月 7日~
 第1285回  誰の、私のお寺   9月14日~
 第1286回 いのちのふるさと   9月21日~
 第1287回 わかりゃいい   9月28日~
 第1288回 乾杯というよりは  10月 5日~
 第1289回 「蜘蛛の糸」の後に   10月12日~
 第1290回 お育ていただいて  10月19日~ 
 第1291回 信心獲得とは  10月26日~
 第1292回 みんな仏に成れるのか  11月 2日~
 第1293回 若い二人に(結婚式での挨拶)  11月 9日~ 
 第1294回 私が私になる  11月16日~ 
 第1295回 引力 浮力 磁力 本願力  11月23日~
 第1296回 生きる喜びに  11月30日~ 
 第1297回 新しいいのちを聞く み仏の声  12月 7日~
 第1298回 至極最上の教え  12月14日~ 
 第1299回 三つの生き方  12月21日~
 第1300回 ただ法を聞く  12月28日~ 
 (平成30年)  
 第1301回 むなしく過ぐる 人ぞなき   1月 4日~
 第1302回 おつとめする意味   1月11日~ 
 第1303回 他力本願とは   1月18日~
 第1304回 今や 稀少な教えに   1月25日~ 
 第1305回 ご先祖が最も喜ぶのは   2月 1日~
 第1306回 お墓や納骨堂は   2月 8日~ 
 第1307回 お礼をする   2月15日~
 第1308回 盲亀浮木(もうきふぼく)   2月22日~
 第1309回 親の七光り   3月 1日~
 第1310回 もらったこと   3月 8日~ 
 第1311回 おばあちゃんのように   3月15日~
 第1312回 小さな石に お花が   3月22日~
 第1313回 「行く」のか 「来る」のか   3月29日~
 第1314回 会葬御礼    4月 5日~
 第1315回 凡夫はわたくし   4月12日~
 第1316回 遇えて はじめて   4月19日~ 
 第1317回 自力と他力   4月26日~
 第1318回 恥ずかしい   5月 3日~ 
 第1319回 私の心に入って   5月10日~
 第1320回 智慧の念仏   5月17日~ 
 第1321回 人生が変わる   5月24日~
 第1322回 みほとけとともに   5月31日~
 第1323回 断捨離   6月 7日~
 第1324回 面白い 楽しい   6月14日~
 第1325回 信心の本質   6月21日~ 
 第1326回 ありのままに見る    6月28日~
 第1327回 足るを知る    7月 5日~
 第1328回 自らを灯明とせよ    7月12日~
 第1329回 布施のこころ    7月19日~
 第1330回 憍慢のいましめ   7月26日~
 第1331回 倒懸 とうけん   8月 2日~
 第1332回 悪を転じて 徳とする   8月 9日~
 第1333回 人生と念仏   8月16日~
第1334回 願以此功徳   8月23日~
第1335回 あみだくじ   8月30日~
第1336回 お願いごと    9月 6日~
第1337回 老いの中で   9月13日~
第1338回 相続すること   9月20日~
第1339回 聴聞のすすめ    9月27日~
第1340回 法を聞く 10月 4日~ 
第1341回 仏さまのおこころ 10月11日~
第1342回 正定業 10月18日~
第1343会 み仏は共に悲しみたもう  10月25日~
第1344回 つなぐ 受け継ぐ  11月 1日~ 
第1345回 帰すべきところ 11月 8日~ 
第1346回 のんのさま  11月15日~
第1347回 恵まれた念仏  11月22日~
第1348回 お念仏のこころ  11月29日~
第1349回 「相続メモ」の手引き 12月 6日~
第1350回 私たちのちかい  12月13日~ 
第1351回 「聞く」 ということ 12月20日~
第1352回 信心正因のおすすめ 12月27日~ 
(平成 31年)  
第1353回 南無阿弥陀仏のおいわれ    1月 3日~
第1354回 念仏の生活   1月10日~
第1355回 慚愧と歓喜    1月17日~
第1356回 悪を転じて徳とする   1月24日~
第1357回 人生と念仏   1月31日~ 
第1358回 チューリップの花    2月 7日~
第1359回 法名と戒名   2月14日~
第1360回 命日は「いのちの日」   2月21日~
第1361回 年忌法要   2月28日~
第1362回 光顔巍々   3月 7日~
第1363回 先哲のことば    3月14日~
第1364回 いつもが臨終法話   3月21日~
第1365回 私の側 仏さまの側   3月28日~
第1366回 努力の質が問題    4月 4日~
第1367回 毎日を仏法という鏡に   4月11日~
第1368回 自己中心の心   4月18日~
第1369回 いつも見守っていてくださる   4月25日~
  (令和 元年)  
第1370回  逃げている私を   5月 2日~
第1371回 次の世代に引き継いでいく   5月 9日~
第1372回 ご先祖をしのんで   5月16日~
第1373回 仏弟子として   5月23日~
第1374回 供花のこころ   5月30日~
第1375回 念仏往生こそが真実の教え(1)    6月 6日~
第1376回 念仏往生こそが真実の教え(2)    6月13日~
第1377回 真実の如来の言葉 「大無量寿経」    6月20日~
第1378回 お念仏によって方向転換する人生(1)   6月27日~
第1379回 お念仏によって方向転換する人生(2)   7月 4日~
第1380回 念仏と信心によって浄土の世界があらわれる   7月11日~
第1381回 聞法の道場に    7月18日~
第1382回 誤解されたお念仏   7月25日~
第1383回 往相回向・還相回向に集約される浄土真宗   8月 1日~
第1384回 ねがいの歌    8月 8日~
第1385回 今すぐに聞く   8月15日~
第1386回 宗教と道徳   8月22日~
第1387回 宗教と科学    8月29日~
第1388回 念仏は 唯一の道    9月 5日~
第1389回 阿弥陀経は 名医の言葉    9月12日~
第1390回 諸仏に護られる    9月19日~
第1391回 もうあう   9月26日~
第1392回 空過か 勝過か   10月 3日~
第1393回 世界の宗教と民族宗教   10月10日~
第1394回 後生の一大事  10月17日~
第1395回 仏智を疑う  10月24日~
第1396回 苦悩は なぜおこるのか  10月31日~
第1397回 苦悩を解決する道 (縁起をみる その1)   11月 7日~
第1398回 聞の宗教  11月14日~
第1399回 予告編   11月21日~
第1400回 老病生  11月28日~
第1401回 信心あらんひと  12月 5日~
第1402回 「なも」か 「なむ」か  12月12日~
第1403回 一時停止は 南无阿弥陀仏  12月19日~
第1404回 忙しいので   12月26日~
(令和 2年)  
第1405回 南无阿弥陀仏は   1月 2日~
第1406回 迷える者は道を問わず   1月 9日~ 
第1407回 内定通知    1月16日~
第1408回 煩悩を持ったままで    1月23日~
第1409回  自灯明とは   1月30日~
第1410回  よかったね   2月 6日~
第1411回 お念仏の人は    2月13日~
第1412回 48願の最初の願は   2月20日~
第1413回 地獄はあるのか   2月27日~
第1414回 ありがとう   3月 5日~
第1415回 終活で一番大事なこと    3月12日~
第1416回 聞くということ   3月19日~
第1417回 価値観の転換   3月26日~
第1418回 水の浮力   4月 2日~
第1419回 死と往生の違い   4月 9日~
第1420回 往生と成仏   4月16日~
第1421回 一切の聖教章の大意   4月23日~
第1422回 雑行・雑修自力の心   4月30日~
第1423回 ほんものの念仏   5月 7日~
第1424回 少しずつマシに    5月14日~
第1425回  怠け者   5月21日~
第1426回 人生を導く教え   5月28日~
第1427回 念仏は 目的   6月 4日~
第1428回 他力のお育て   6月11日~
第1429回 天眼通の誓い   6月18日~
第1430回 天耳通の誓い   6月25日~
第1431回 お世話され 上手になろう   7月 2日~
第1432回 お仏壇って 要りますか ?   7月 9日~
第1433回 仏様の視点   7月16日~
第1434回 発事とは   7月23日~
第1435回 常識を超える教え   7月30日~
第1436回 明るい未来が 開ける   8月 6日~
第1437回 誰に感謝するのか   8月13日~
第1458回 ともに   8月20日~
第1439回 宗教的目覚めを求める叫び   8月27日~
第1440回 命の長短を 超える   9月 3日~
第1441回 取り扱い説明書に気づく   9月10日~
第1442回 親鸞聖人の御恩   9月17日~
第1443回 親鸞聖人の他力観   9月24日~
第1444回 後生の一大事  10月 1日~
第1445回 磁石のたとえ  10月 8日~
第1446回 信心の行者  10月15日~ 
第1447回 すべては如来のお育て  10月22日~
第1448回 大悲還相   10月29日~
第1449回 歯医者さんの言葉   11月 5日~
第1450回 見て聴いてください   11月12日~
第1451回 怖さを知らずの皆様  11月19日~ 
第1452回 おまかせして生きる   11月26日~
第1453回 私の歩む道  12月 3日~
第1454回 素晴らしい発見  12月10日~ 
第1455回 信心は 如来の心  12月17日~
第1456回 最強のワクチン   12月24日~
第1457回 還相回向の菩薩方  12月31日~
    令和  3年  
第1458回 念仏の人を護る    1月 7日~
第1459回 二艘の船    1月14日~
第1460回 健康も病も    1月21日~ 
第1461回 好きか 嫌いか    1月28日~
第1462回 喜びを感じる力    2月 4日~
第1463回 老病死 と 老病生    2月11日~
第1464回 仏さまも 南無阿弥陀仏    2月18日~
第1465回 聞くこと    2月25日~ 
第1466回 待たれていた私    3月 5日
第1467回 小さな針箱    3月11日~
第1468回 言ってしまった一言    3月18日~
第1469回 母が植えた花     3月25日~
第1470回 頭がさがる人生     4月 1日~
第1471回 お念仏に 違いは    4月 8日~
第1472回 見守られている私     4月15日~
第1473回 愛敬父母     4月22日~
第1474回 人生の目的を    4月29日~
第1475回 人形を抱く 母    5月 6日~
第1476回 いつも見守る親    5月13日~
第1477回 私一人が苦労して    5月20日~
第1478回 二の矢を受けない     5月27日~
第1479回 今 よかろうか     6月 3日~
第1480回 声に余言をあらはさず    6月10日~
第1481回 お寺の近くに    6月17日~
第1482回 感じ 味わう力を     6月24日~
第1483回 背番号 17番     7月 1日~
第1484回 浄土真宗は 出会いの仏教    7月 8日~
第1485回 ありのままの自分との出会い    7月15日~
第1486回 声の仏さま 「南無阿弥陀仏」    7月22日~
第1487回 親鸞聖人を知ろう    7月29日~
第1488回 「阿弥陀さま」 との出会い     8月 5日~
第1489回 阿弥陀さまとの出会いを伝える    8月12日~
第1490回 たった2泊3日だけ?    8月19日~ 
第1491回 名前を呼ぶ    8月26日~ 
第1492回 本当の姿を映す鏡    9月 2日~
第1493回  お寺は どんなところ    9月 9日~
第1494回 「おぶっぱん」    9月16日~
第1495回 期待され 待たれている私    9月23日~ 
第1496回 お念仏は 讃嘆のことば     9月30日~
第1497回 今や 貴重な教えに   10月 7日~
第1498回 ご縁で人生は変わる   10月14日~
第1499回 平等な はたらき   10月21日~
第1500回 願いが届いたところ   10月28日~
第1501回 思い通りに    11月 4日~
第1502回 教信行証か 教行信証か   11月11日~
第1503回  温泉とお念仏   11月18日~
第1504回  みえないものでも あるんだよ   11月25日~
第1505回  釈尊も 南無阿弥陀仏   12月 2日~
第1506回  ご本尊は お釈迦さま 阿弥陀さま   12月 9日~
第1507回 すべての仏さまが 讃嘆される   12月16日~
第1508回  ご縁のある人 ない人   12月23日~
第1509回 人間の力の限界   12月30日~
        令和 4年  
第1510回 伝絵には 比叡山が    1月6日~
第1511回 よろこぶこころ 身にうれば     1月13日~
第1512回 のんのさま    1月20日~
第1513回 遇い難くして 今遇う    1月27日~
第1514回 平生業成    2月 3日~
第1515回 信心正因    2月10日~
第1516回 信心を いただくということ     2月17日~
第1517回 総代さんのお通夜    2月24日~
第1518回 総代さんへの弔辞     3月 3日~
第1519回 念仏者の生き方     3月10日~
第1520回 選択称名の願     3月17日~
第1521回 第17願     3月24日~
第1522回 限られた情報だけでは     3月31日~
第1523回 新しい会を 開きたいと    4月 7日~
第1524回 考えに 考えて 選ばれた道    4月14日~
第1525回 こころ ころころ     4月21日~
第1526回 私が ここにいるよ     4月28日~
第1527回 19願 20願     5月 5日~
第1528回 お寺 楽しいーん     5月12日~
第1529回 仏縁を結ぶ     5月19日~
第1530回 初めての道を行く     5月26日~
第1531回 浄土真宗は 讃嘆の教え     6月 2日~
第1532回 あじさいの花     6月 9日~
第1533回 一番上等のお供え    6月16日~
第1534回 ただ 「今」 を 生きる     6月23日~
第1535回 歩くカラス     6月30日~
第1536回 命の代表選手     7月 7日~
第1537回 サラダ記念日    7月14日~
第1538回 半 眼    7月21日~
第1539回 仏さまになって    7月28日~
第1540回 かくれんぼ    8月 4日~
第1541回 大丈夫は 優しい言葉    8月11日~
第1542回 見えないぬくもり    8月18日~
第1543回 人の為は 偽    8月25日~
第1544回 知ろうとすること わかろうとすること    9月 1日~
第1545回 いつも一緒のアミダさま    9月 8日~
第1546回  健康寿命日本一    9月15日~
第1547回 お世話したのか されたのか     9月22日~
第1548回 驚いたこと     9月29日~
第1549回 お母さんの写真が   10月 6日~
第1550回 しあわせな人生    10月13日~
第1551回 かけがえのない君へ   10月20日~
第1552回 朝のどまんなかに   10月27日~
第1553回 片道か 往復か   11月 3日~
第1554回 誓いと 願い   11月10日~
第1555回 言葉で 救う   11月17日~
第1556回 人間にわかる言葉で    11月24日~
第1557回 お念仏は 公の言葉    12月 1日~
第1558回 伝え 伝えて   12月 8日~
第1559回 お仏壇の前で   12月15日~
第1560回 何事も お念仏の助縁   12月22日~
第1561回 遇い難くして 今遇う   12月29日~
            令和 5年  
第1562回 深い 深い 思い    1月 5日~
第1563回 最も確実な親孝行は    1月12日~
第1564回 酔っぱらって    1月19日~ 
第1565回 親は 子どものために     1月26日~
第1566回 最も度し難いのは この私    2月 2日~
第1567回 はたらき続ける仏さま     2月 9日~
第1568回 お浄土への道     2月16日~
第1569回 等しく ~すべてのものを~    2月23日~ 
第1570回 還相の菩薩さま方     3月 2日~
第1571回 願いを伝えていく   3月 9日~ 
第1572回 お育ていただくと     3月16日~
第1573回 合格通知が届きました   3月23日~
第1574回 お浄土も人手不足か    3月30日~
第1575回 信心喜ぶ そのひとを     4月 6日~
第1576回 すれ違い 行き違い   4月13日~
第1577回 法事の参拝者は    4月20日~
第1578回 親のよび声   4月27日~ 
第1579回 問題は 内側に    5月 4日~
第1580回 葬儀をなぜするの?    5月11日~ 
第1581回 お経を聞くと アルファー波が   5月18日~
第1582回 忘れなければ 生きていけなかった   5月25日~ 
第1583回 新しい領解文   6月 1日~ 
第1584回 仏前結婚式での ご法話   6月 8日~ 
第1585回 頼まないのに 呼びかけ   6月15日~
第1586回 ちゃんと見られている   6月22日~
第1587回 人は 誰しも いつかは   6月29日~
第1588回 きく・菊・聴く・聞く    7月 6日~ 
第1589回 仕合わせな人生を    7月13日~
第1590回 仏教のことば    7月20日~
第1591回 しあわせ 幸せ 仕合わせ   7月27日~
第1592回 仏法は 聴くべきもの    8月 3日~ 
第1593回 この世に 無駄なし    8月10日~
第1594回 受け継がれていくもの   8月17日~ 
第1595回 物差しを変える     8月24日~
第1596回 疑り深い私のために    8月31日~
第1597回 さるべき業縁のもよほさば    9月 7日~
第1598回 さとりの身となって    9月14日~
第1599回 子どもや孫の将来を思うと     9月21日~
第1600回 私の生活の中に     9月28日~
第1601回 溺れる人がいれば   10月 5日~
第1602回 難しい道と 易しい道    10月12日~
第1603回 つれていくぞの 親の呼び声    10月19日~
第1604回 今 困っていても    10月26日~
第1605回 組織は 人で    11月 2日~
第1606回 まだ 間に合う   11月 9日~
第1607回 逃げ回る 落ち葉    11月16日~
第1608回 プレゼンの原語は   11月23日~
第1609回 里帰り 「あら お帰り   11月30日~
第1610回 自分が居なくても   12月 7日~
第1611回 何がしあわせ   12月14日~
第1612回 育ち盛り ~いつも私を~   12月21日~
第1613回 卒業式 入学式    12月28日~
           令和  6年  
第1614回 生かされている不思議   1月 4日~
第1615回 ただ念仏して    1月11日~
第1616回 渋柿の渋   1月18日~
第1617回 梅は こぼれる 菊は舞う    1月25日~
第1618回 遠くて 近いのは    2月 1日~
第1619回 遺伝に加えて    2月 8日~
第1620回 赤ちゃんに聞く    2月15日~
第1621回 ける かるのご法話   2月22日~
第1622回  諦めず呼び続ける   2月29日~
第1623回 はたらき続ける    3月 7日~
第1624回 いつも 私を   3月14日~
第1625回 みんな違って みんないい    3月21日~
第1626回 これさえ残せば   3月28日~
第1627回 体の中では 変化が    4月 4日~
第1628回 仏さまは 忘れずに   4月11日~
第1629回 視点が変われば 世界が変わる    4月18日~
第1630回 よろこぶ こころ みにうれば   4月25日~
第1631回  いつも一緒に   5月 2日~
第1632回 母の日のプレゼント   5月 9日~
第1633回 よく頑張ったね   5月15日~
第1634回 お任せします 有り難うございます   5月23日~
第1635回 孫たちのために   5月30日~
第1636回 まずは 仏さまに    6月 6日~
第1637回 かんしゃくのくを 捨てて   6月13日~
第1638回 因を知り 感じる力    6月20日~
第1639回 かっこいい大人に    6月27日~
第1640回 浄土真宗にないもの   7月 4日~
第1641回 いつも一緒の阿弥陀さま    7月11日~
第1642回 誰の安心のためか   7月18日~
第1643回 感じ取る力   7月25日~
第1644回 気づかない 私が   8月 1日~
第1645回 未来は 前か 後ろか   8月 8日~
第1646回 お母さんの一言   8月15日~
第1647回 さいごの仕事   8月22日~
第1648回  まだ仕事が残っています   8月29日~
第1649回 あんたが悪い   9月 5日~
第1650回 自分の姿を鏡で見る   9月12日~
第1651回  はじめての道 はじめての人生   9月19日~
第1652回  法座 & フォークソング   9月26日~
第1653回  墓友 ~この世からの仲間~  10月 3日~
第1654回  ハチドリのひとしずく  10月10日~
第1655回  後になって 気づく  10月17日~
第1656回  救われる私  10月24日~
第1657回  私が仏になる  10月31日~
第1658回  私は 私でよかった  11月 7日~
第1659回  願いを知る  11月14日~
第1660回  親の足を洗う  11月21日~
第1661回  周りに迷惑をかけて  11月28日~
第1662回  ハッピーバースデーだね  12月 5日~
第1663回  絵本の読み聞かせ  12月12日~
第1664回  良いことをするときには  12月19日~
第1665回  浄土真宗は 有り難いですね  12月26日~
          令和 7年  
第1666回  私の宝ものです   1月 2日~
第1667回  これもご報謝   1月 9日~
第1668回  世間か 娑婆か   1月16日~
第1669回  マルテンを見ると   1月23日~
第1670回  大丈夫 大丈夫 順調 順調   1月30日~
第1671回  良かったね 母さん   2月 6日~
第1672回  今 ここに 生きる   2月13日~
第1673回  鏡で見ると   2月20日~
第1674回  アリガトウ   2月27日~
第1675回  対治 と 同治   3月 6日~
第1676回  籠を水に   3月13日~
第1677回  いつもいっしょ   3月20日~
第1678回  私と 仏さま   3月27日~
第1679回  自分自身を 採点すると   4月 3日~
第1680回  相続していますか   4月10日~
第1681回  知恩報徳   4月17日~
第1682回  実を結ぶために   4月26日~
第1683回 よいいっしょ 良い一生   5月 1日~
第1684回  何が起ころうと 大丈夫   5月8日~
第1685回 グッドタイミング   5月15日~
第1686回  期待され 待たれている私   5月22日~
第1687回 因果応報 自業自得   5月29日~
第1688回 言えば 良かった   6月 5日~
第1689回 呼びかけ続ける   6月12日~
第1690回 安心して堂々と生きる   6月19日~
第1691回 尊いご縁で   6月26日~
第1692回 ヨシ 間違いなし   7月3日~
第1693回 水道の蛇口 電灯のたま   7月10日~
第1694回  未来を開く ことば   7月17日~
第1695回 感じる力 知る力   7月24日~
第1696回 無駄な いのちは 一つもない   7月31日~
第1697回 見ていない 見えていない世界   8月7日~
第1698回 有り難い方の お通夜で   8月14日~
第1699回 スパイスをきかす人生   8月21日~
第1700回 感謝・喜びの効果   8月28日~
第1701回 見る 感じる力   9月4日~
第1702回  誰で皆 86,400   9月11日~
第1703回  あなたは どち ら   9月18日~
第1704回  世界中が雨の日も    9月25日~
第1705回  みんな一人残らず  10月 2日~
第1706回  無税の相続  10月 9日~
第1707回  裏のはたらき  10月16日~
第1708回  愚者になりて 往生す  10月23日~
第1709回  おまかせ おまかせ  10月30日~
第1710回   
第1711回  


                       
               妙念寺



記載者 住職  藤本 誠

 
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