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サンド

 

見て・聞いて

     
仏教は、さまざまな説き方が
あります。
南無阿弥陀仏の教えは、
その中の一つです。

仏説無量寿経に説かれる
阿弥陀如来の本願の
はたらきで、すぐれた功徳を、
すべての衆生に与え、
「南無阿弥陀仏」一つで、
救われることを、教えて
くださったのが親鸞聖人です。

親鸞聖人を、宗祖と仰ぐ、
浄土真宗の本願寺派。
そこに所属する九州・佐賀の一寺院で
製作しているのがこのホームページです。

「南無阿弥陀仏」の味わいを、電話で
お話ししています。毎週木曜日に、
内容を変更しています。

法話原稿をこのページに掲載して
います。ここで、「見て、聞いて」 ください。

メールマガジン始めました 「こんな話を聞きました」。
    
   ユーチューブ 妙念寺

0952
 -24-1800

(佐賀局  ニシ  ホンガンと
記憶してください。)

24はニシ、西。 本願は、18願。
そこで、24-1800は、西本願



第1682回 実を結ぶために

 令和7年 4月24日~

 春 花が一斉に咲きほこっています。よく見ると小鳥や虫たちが
その花の周りで大活躍しています。
美しく咲く花だけに目を奪われていますが、私たちの食卓に出る、
多くの果物や野菜も、実は こうした虫たちのお陰で実を結ぶことが
出来ているのだといいます。

 とこで、イチゴやトマトなどはビニールハウスで栽培されることが
多くなり、自然から隔離したハウスの中では、虫のはたらきを
人間が変わってやる大変なご苦労だろうと思っていましたら、
ビニールハウスの中には、ミツバチを、それも何千匹という
ミツバチの巣箱を置くのだそうです。

専門の養蜂家に頼むのではなく、農家が自身で買い求めて、受粉させ
美味しいイチゴやトマトが収穫出来ているのだそうです。
科学が進んでも人間の力、機械の力だけでは無理で、多くの
自然の力にたすけられていることを、知りました。

 収穫までの話でなく、
収穫した後も、麹菌などの助けを借りて、味噌・醤油・酢、お酒
ワイン、漬物、パンなど、発酵させることで
味に変化をもたらし、おいしくいただいているものが多くあります。

 私たち人間は、食事をすることで、外からエネルギーを入れ
肉体を維持していますが、こころ、精神面でも
外からのはたらきかけで、大きく変られていくものです。

 お念仏の教えに出会えたのも、祖父母や両親、友人など、
周りの人々の はたらきかけのお陰で、物の見方、考え方が、
大きく変えられたのではないでしょうか。
ご縁に遇い、お聴聞を繰り返すことで、より一層、喜び多く、
不安がすくなり、堂々と生きていく力を受け取れるように
なったのです。

イチゴやトマトが、しっかりと実を結ぶように、この私もこの人生に
大きな花をさかせ、実を結ばせていただきたいものです。
若く元気で、自由に行動出来る時だけではなく、老病死が近づき
自分自身を自由にコントロールできなくなっても、
南無阿弥陀仏の力で生きていく智慧を受け取った人は、苦しみ悩む
ばかりではなく、感謝、感動、喜びと、生き甲斐を
手に入れることが出来るのです。

悩み苦しみ怒りの人生から、南無阿弥陀仏の力、はたらきかけによって、
新しい未来を、素晴らしい毎日を、受け取ることが出来、
人生は大きく変化し、平凡な人生が 有り難い、尊い 
素晴らしい人生であると味わえるようになったのです。













第1681回 知恩報徳

 令和7年 4月17日~

 ご門徒のお宅にお参りすると 普段は 蝋燭と花、お香の三具足、
年忌法要などの場合、蝋燭 お花が一対の五具足で、お荘厳されています。

 五具足の場合、蝋燭と蝋燭の間は、僅か 30㎝ほどのしか
離れていませんが、一つの箱から取り出した同じ大きさの蝋燭なのに
お勤めが終わるころになると、長く残っているものと 
短くなったもの 大きな差がつくことがあります。

 短くなったのは、より明るく燃え上がったためだけではなく
空気の流れが微妙に違っているのか、蝋がとけ出し流れ落ちている
場合が多いものです。

 これを見て、人間も同じ家に、兄弟として生まれても、
あるいは同じ時代に同じ地域で誕生し成長しても、ほんのちょっと違う
環境にいるだけで、大きな違いが出てしまう不思議を、
その蝋燭を通して味わっています。

 先輩達は こうしたお荘厳を通して、私たちに何を伝え、
何を感じ取らせようとしているのでしょうか。
お香も花も蝋燭も、仏さまの智慧と慈悲を表すものといわれますが、
もっと長生きし、自由に、思い通り、別の場所で活躍したいと
思っていたのかもしれません。

でも、自分の置かれたその場で、不満を言うこともなく、火が付けられ、
だまって、一生を終わっています。

 ところが、私たちは、すく損だ得だ、他の人がやればいい
自分はイヤだと、我が儘ばかり言って生活していますが、

花も蝋燭も、お香もだまって自分の勤めを果たし、
我が身を焼き、その命を投げ出し、一生を終わっている。

 お前の周りには多くの人々が、黙々と自分の役割を果たして、
精一杯生きていることを、はっきりと気づかせ、感じさせ、
何ごとも当たり前、無感動で過ごすのではなく、感謝することの
出来る力を身に付けてほしいと、こうしたお荘厳を受け継いで
きたのかもしれません。

 知恩報徳という言葉があります。
感じ取る力、そして感謝する力が身につくと、この人生は、
とれも有り難くなんと豊かなものであるかに気づくことが出来ると、

伝え、教えようとしているのでしょう。

 時々ではなく、毎朝 毎晩 お仏壇の前に座り、お荘厳を
目にすることで、大切な子や孫を目覚めさせよう、気づかせよう
育てようとして、代々受け継いできたものだろうと味わっています。











第1680回 相続していますか

 令和7年 4月10日~

 ある年配の住職さんから こんな話を聞きました。
境内にある墓地を掃除していながら、思ったというのです。
この大きなお墓、こんなに立派なお墓なのに、お子さんや
お孫さんたちは、ほとんどお参りになりません。

お墓を建立したおじいちゃんは、このお墓を通して
何を伝えたかったのか、何を残したかったのか
残念ながら、今は まだ伝わっていないようです。

 そして、住職さんは、自分の力不足を、つくづくと
感じ、仏さまになられた方々に申し訳ないと思われたと。
折角、こんな立派なお墓をたて、そればかりではなく、
お寺を維持していくために沢山の御寄進をされ
次の世代へ残そうとされたのに、それが伝えたい子どもや孫へ
伝わっていない。住職の自分の責任だと思うと嘆かれました。

 子どもの頃には、気づくことはできませんでしたが、
親になって、親というものは 自分のことよりも 
子どもや孫たちのことを第一に考えるものです。
家を建てるときも、そこに住むであろう人々、そして、
訪ねてくる人々のことを考えて設計し建設するものです。 

 農家の人は、次の世代の子孫のことを思って、
荒らさないよう収穫量が増えるようにと守り育てていくものでしょう。
商売をされる方は、お客さんを大事にして、末永く取引が
続くように工夫努力されて、次の世代へ残したいと頑張って
おられることと思います。

 それは、自分のことよりも、次の世代のことを考えてのこと、
境内にあるお墓もそうした先祖、先輩たちの思いがこもった

ものだろうと思います。

 仏教の教えは、お釈迦様の教えですが、それに加えて
親たちの願いがこもったものです。
やがて誰にでも間違いなく、訪れる老病死の苦しみ、悲しみ
つらさを何とか乗り越えて、喜び多く生き甲斐をもって生き抜いてほしい、
そうした願い仏教の教えを通して伝えようとされたのだと思います。

 お金や物などの遺産は、目に見えてはっきりして有り難いものですが、
目には見えないものの、親たちが残してくれたこの教えを
多くの時間や、費用をかけて守ってこられたその無形の遺産をどうか
しっかりと、受け取っていただきたいと思います。

 文化財にも有形の文化財と、無形の文化財とがあります。
お寺やお墓やお仏壇などは、形があるものですが、その意味
はたらき効果、親の願いをはっきりと確認いただけなければ
親の思いがムダになってしまいます。

是非、親たちの願いを 有形だけではなく、無形の財産を
相続していただきたいものです。











第1679回 自分自身を 採点すると

 令和7年 4月3日~
 
 ある法座で、自分自身を採点すると 10点満点で 何点くらいですかとの
質問がありました。
日頃の自分の行いを思い起こして、多くの人が、5点を基準に 
自分は 6点 いや 4点などと答える方が 大半のようで、
9点 10点などの高得点は たとえ思っていても人前ですからか
どうも少数のようです。

人並み以上に良くもなく悪くもなく 平均的な人間だと思って
おいでの方が、多いようです。

 その後、質問の仕方を変えて、では、仏さまの前、阿弥陀さまの
前で、採点すると、あなたは何点ぐらいですかと、質問が変わると、
お聴聞をしている人たちは、1点とか2点とか 0 点とか、
比較をする基準が違ってくると、その点数は大きく違って
くるもののようです。


 日頃は 周りの人間と比較しながら生活しているようですが、
仏さまのお話を お聴聞している人は、その基準が
時々変わってくる、自分の姿を客観的に見直すことが
出来るようになるのだろうと、思います。

 長年生活していると、身体ばかりでなく心が痛かったり、辛かったり 
悔しかったり 悲しかったりしますが、お聴聞することで、
そうゆう一面はあるものの 今の状態を見つめ直すと、何と有り難い
素晴らしい人生であるかが、再確認出来るものです。

 それとともに、仏さまのように見返りも求めずに、親身になって
私のために はたらきかけてくださる多くの方々、大きな
力があることに気づくことが出来るものです。

 自分自身を どう客観的に見つめ、どういう環境に自分が
置かれているのかを、理解し味わうことが出来ると、
人生は、有り難く素晴らしいものであることが味わえ、

感謝と喜びが感じられてくるものです。

 ものの見方 味わい方で 人生は大きく違ってくるものです。
同じ人生ならば 南無阿弥陀仏と共に
喜び多い豊かな人生を受け取りたいものです。












第1678回 私と 仏さま

 令和7年3月27日~

 阿弥陀さま、如来さま、仏さま、
私たちは 目で見える ご本尊やお名号に手を合わせ、礼拝しています。
そこで、仏さまは、私の外にあって、いつも私を見守り、導いて
いただいているのだろうと、受け取っています。

 しかし、仏さまは 自分の外ではなく 自分の内側 私と
いっしょであるとおっしゃる方に、出会いました。
その方は 「仏」という漢字と 「私」という漢字を書いて 
どこが共通で どこが違うかと聞かれます。 

私と 仏をよく見ていると、「のぎへん」と、
「にんべん」の横に 「カタカナのム」が書かれています。
ムの部分は共通です。

よく似ている 「私」と 「仏」 
のぎへんの 横棒と下の八を消すと、にんべんになり、私が仏になります。
あるいは 仏に 一と八を加えると 私になります。

一と八 があるかないかの違い、この1と8は、 18とも読めます。
もし、貴方がお念仏の教えに出会って 第十八願の教えを、
阿弥陀如来の願いを、聞くことが出来れば、仏と 私とは

いっしょになります。
ですから、お念仏の人の仏さまは 自分の外にあるのではなく、
私といっしょの仏さまであと、気づくことができるのですよと。

 その証拠には、お念仏の教えを聴聞した人は、口から
南無阿弥陀仏のお念仏、南無阿弥陀仏の仏さまが出てくださいます。
私の中の仏さまが 口を通して出てくださるのですから
お念仏の人の中には、仏さまがいらっしゃるのです。

 その私は、損だ得だ、勝った負けたと必死に生きていますが、
時には、仏さまのように優しい心、思いやりのある行動も出来るものです。
こうした多様な、複雑な能力・性質を持つ私が、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 仏さまが、私の口から
あふれ出て、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の生活をはじめると、
もう、仏となる仲間、今までの私とは、大きく違った生活が
はじまるのでしょう。

 仏さまを 外に置かないで、仏さまは 私といっしょるとの
思いでの生活をしていく、これが、お念仏の生活、浄土真宗に生きる
有り難い人生であるのだろうと、味わいます。












第1677回 いつもいっしょ
 
 令和7年 3月20日~

 幼児番組で 「おかあさんといっしょ」 という長寿番組があります。
ユーチューブなどテレビ番組以外も見ることの出来る新しい型のテレビでは、
放送している時間だけではなく、いつでも 何度でも繰り返し、
幼児番組を見ることが、出来る時代になりました。

 画面にくぎづけになって見とれている幼い子どもたち、
その子ども達だけにしないで、すぐ横には おかあさんがいつも、
いっしょにいてほしいものだという、そんな願いを込めての
番組のタイトルなのではないかと、画面の中には、お母さんが
どこにも登場しないのを見て、感じています。

 こんな話を聞きました。

 あるお宅に毎月のお参りにいくと、玄関まで4歳ぐらいの女の子が
出迎えてくれました。そして、お仏壇の部屋までついてきて、
住職さんの横に、ちょこんと座って言いました。。
「ねえ、ねえ、あたし 大阪に行くの」「そう大阪にいくの」
「うん、いくんだよ」「何でいくの」「え、知らない、大阪にいくんだもん、
だってお母さんがいっしゃだから・・・・」

 こうした会話をしながら想ったといいます。
私たちも やがてお浄土へいくと、聞かされていますが、
どのようしてお浄土へいけばいいのか、よくわかりません。
子どもが、大阪にいくのに、どの列車に乗って、どこで降りるのか、
まったく分からないでいるように、私たちも お浄土へ行く路も
方法もまったく知りません。

しかし、阿弥陀さんがいっしょだから、何の心配もいりません。
任せておけば良いのです。
小さな子どもが 大阪に行くのと喜んでいるように、お浄土へは
阿弥陀さんといっしょにいくのです。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏が口に出るのは
阿弥陀さんがいっしょだからです。
風をひけば咳が出るように、南無阿弥陀仏がひとりでに口に
出てくださるのです。

「おかあさんがいっしょだから大丈夫」という小さな女の子と同じように
阿弥陀さんがいっしょだから、私も何の心配もいりません。
ただ、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏だけでいいのです。
お念仏の人は いつも阿弥陀さんがいっしょなのです。
何の心配いらないのです。任せておれば いいのです。
お浄土へ行けるのです。









第1676回 籠を水に

 令和7年 3月13日~

 「私は、仏さまの教えを聴いている時は、なるほどその通りだ、
ありがたいことだなあ、と思っているのですが、すぐにそのような
気持ちを忘れてしまいます。
まるで、穴だらけのかごで水を汲もうとしているようなものですね。」
と蓮如上人に言った人がいました。

 それに対して、「かごで水を汲もうとするから大変なのでは
ないだろうか? かごを持ち上げずに、水に漬けっぱなしで
いたらどうだろか」と言われたと伝えられています。

 ここでいう仏さまの教えとは、なんのことでしょうか。

私たちの心が、自分中心で自分勝手な、物差しを持って
我が儘に生きていることを教えてくださっているのです。

本堂でお聴聞している間は 自分のこの心の問題を知らされて

これではいけないと想っていても、いったん日常生活に戻ると
すぐ忘れてしまい、損得勘定で自分勝手な生き方、判断を
していることに気づいたからなのでしょう。

 ここでいう「籠」とは、私のこと。
そして水とは仏法のこと。聴聞を重ねて仏さまの教えを
自分にため込もうと思っても、私が籠のように穴だらけなので、
そこから法がもれ落ちてしまう。
これではいつになっても法の水をためることができず、
自分はちっとも成長できない。どうしたらいいでしょうかと
いうことを 聞きたかったのでしょう。

それに対して蓮如上人は、
 その籠を水につけよ、
つまり、「その籠を水の中につけなさい。わが身を仏法の水に
ひたしておけばよいのだ」と答えられたよ。

 阿弥陀様の光は、いつでもどこでもみんなを照らしてくれています。
お寺で聴聞している時だけじゃなくて、ごはんを食べてる時も
テレビを見ている時も、友達とけんかしている時も、いつもいつも
照らしてくださっている。

私が忘れていても、私を忘れない阿弥陀様がいらっしゃる。
その光に、阿弥陀様のお慈悲にいつも心をよせることが、
「籠を仏法の水にひたす」ということなのでしょう。

どんなに聞いてもいい人にはなれない、そんなだめな自分にこそ
阿弥陀様の願いがかけられているのだよ。
そのまま来いよとの願いを聞いて、
阿弥陀様にお任せしていくこと、それを
蓮如上人は「籠を水につけよ」と教えてくださっているのでしょう。









第1675回 対治と 同治

 令和7年 3月6日~

 仏教に「同治」と「対治」という教えがあります。
「治」は、治療の治、政治の治、治めると書きます。

 たとえば高熱が出た時に、氷で冷やして熱を下げようとするのが「対治」で、
逆に、温かくして汗をかかせて熱を下げるのが「同治」といい、
熱には熱をもって治すという、対照的なやり方があるといいます。


 これは、悲しみ苦しんでいる人に、「ダメじやないか。
もっと元気を出しなさい」と、立ち直らせようとするのが「対治」で、
「辛いだろうね。よく分かるよ」と 悲しみを分かち合い、
相手の心の重荷を下ろしてあげるのが「同治」です。

「対治」は、現状を否定するのに対して、「同治」は、現状を
肯定するところから出発した考え方です。
現状を否定するか 肯定するかで 対応が違ってきます。

 教育者で僧侶の東井義雄先生の著書『いのちの教え』の中に
こんな話があります。


 小学校に入学以来ずっと登校拒否をしていた少年がいました。
担任の先生たちは、色々手を尽くし、「元気を出せ、頑張れ」と、
熱心に励ましましたが、どうにもならないまま六年生を迎えてしまいました。
六年生の担任になったのは、気の弱い一面がある若い先生でした。

その先生は「実は先生、気が弱くて、他の人がうらやましい。
君も僕も、自分のことよりも、まず相手の気持ちを考えてしまうんだよね。
でも、これは、人間として一番大切なことじゃないかなあ、
お互いに、僕らのこの気の弱さ、もっと大切にし合おうね」と
呼びかけたのです。
この先生が担任になってから、登校拒否はぴたりとやんだといいます。

 この先生の対応が「同治」です
一方、それまでの担任の先生たちは「対治」だったのです。
「対治」は、「登校拒否はダメだ」という考えから出発しています。

ところで、
阿弥陀さまには一切の否定がありません。
無条件で私を救いとって下さいます。
ありのままの私を受け入れて下さいます。
「頭が悪くても、気が弱くても 良いじゃないか」
「病気しようが 歳を取ろうが そのままでいい 大丈夫」
と、絶対的肯定、絶対的な許しこそが、阿弥陀さまの
大悲と呼ばれるお心なのです。

「一人漏らさず救う」といわれるのは、ここにあるのです。
これが「同治」の完全なあり方です。
そのままでよい。決して見捨てることはないからな」と。
これが私にとっては、この上もなく有り難いことです。
これは難度海(渡ることが出来ない)と呼ばれる人生を歩む
私たちに計り知れない大きな 支えになります。


阿弥陀さまは 今ここに 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と呼びかけ
はたらきかけていただいているのです。












第1674回  アリガトウ

 令和7年 2月 27日~

 二〇年前の電話法話の原稿を整理していましたら、こんな文章に出会いました。
千代田町の貞包哲朗先生がお書きになった御法話、その一部です。


 私たちの生活は「こと、ひと、もの」で成り立っていると教えられます。
「こと」とは、毎日の世事一切の出来事、「ひと」とは、周りの人のこと、 
「もの」は物品です。                             
周りの人への感謝の表現は、なかなか難しいものです。               
そこで、先ず身近な「もの」つまり「道具」に「アリガトウ」ということから     
始めようと思いました。

人は笑うかも知れませんが、ここは理屈なしに何にでも「アリガトウ」と       
いうことから始めようと思い立ちました。

先ず朝、起き上がり毛布をたたむ時「一晩暖めてくれてアリガトウ」。
足を通すパンツにも「アリガトウ、一日たのむよ」
スリッパにも 「足を包んでくれてアリガトウ」。                         
とにかく手、足が触れるもの全てに「アリガトウ」を言う。             
そのうち殊勝な自分がおかしくなって、つい笑ってしまう。            
つまりひとりの時に笑顔が出ることになりました。                     

「これはいいなあ」とやっていると、自然に「わが身」にも「アリガトウ」が出る。     
手や足、目や耳に「70年間よく助けてくれたのに今まで一度もお礼を       
いわなかった。                                
スミマセン、アリガトウ」。

そのうち「他の人」へ、身のまわりに起こる「こと」にも、時にはアリガトウが  
出るようになりました。                             
その結果、自然に分かって来たことが幾つかあります。               
先ずは、「イライラ、セカセカ」がなくなってくることです。             
何をやるにも無意識にせかせかする癖があったのが、「アリガトウ」を        
言いながらすると自然にそれが消えています。 

 二つに、何故か心が和んで来る。すると、やることが失敗なくスムーズにできる。  
三に、言っているうちに分かって来たことは「アリガトウ」と言うのが        
アタリマエということ。                            
何故ならそれらの力添えで私の生活は成り立っている。               
だから感謝の言葉はなにも特別の善い行為でも何でもない。            
むしろ言うことで、自分が幸せな気分になる作用をもっていることに気付きます。   
四に、不思議に、周りの人を責める気持ちが少なくなっている。          
五に、何よりも面白いことは、考え方が積極的になる。  
            
例えば、朝目覚めて神経痛で右足が痛い。                     
今までは「ああ、イタイ、ツライ、朝からイヤダナ」の気分で、           
のそのそ起きていたのが「痛いのは、人一倍?、私の為に              
働いてくれたのだ。それなのにいままで一言の礼もいわなかった。         
すまなかった、アリガトウ」すると、「痛いと言っても身体のごく一部じゃないか。  
手も動く、目も見える、歩くことはできる。                     
それなら結構じゃないか」という思い方になっている自分に気付きます。      
そして前よりも気分あかるく起きていくことが出来るようになりました。・・・・


 という体験談を元にしたご法話です。
アリガトウと同じように、南無阿弥陀仏も感謝の言葉、南無阿弥陀仏を      
口にする生活をしてみると、アリガトウと口にする生活と同じく、徐々に      
変わっていく自分が見えて来て有り難いものです。

             宗教 (教育新潮社)平成十四年 二月号











第1673回 鏡で見ると

 令和 7年 2月 20日~

 学生の時、「鏡を見ると 左と右が逆転しているけれど 何で上下は
逆転しないのか」と問われて いろいろと考えたものの、
答えが出せずに、先生に尋ねると、
「鏡は間違いなく 左は左に 右は右に 上は上に 映しているが 
自己中心の心で見ているので、左右が逆のように見えるのだ」と
教えられた話を聞きました。


 この世の中のことを、私たちは ちゃんと見ているようで、
実のところ自分の都合のよいように見ているのです。
雨が降っても、嫌いな行事が中止になる雨は、良い雨であり、
楽しい行事の前では いやな、悪い雨です。
同じ現象も、自分の都合で見方が、まったく変わってきます。

 私たちは 自分に都合のよい尺度を持って生きています。
そして、努力さえすれば自分の思い通り 希望通りになるもの、
思い通りになるのが幸せであると信じ、そう育てられてきました。
しかし、この世の中は、自分の思い通りになることばかりではありません。

 生老病死 生まれたからには、必ず歳を取り、病気になり、
いのちが終わっていくことは間違い真実です。
ところが、他人はそうでも、自分だけは特別で、努力さえすれば
大丈夫と、思い込み、病気になるとその原因を探し、慌てています。

 全ての生き物、全ての物質は、必ず変化して
やがて消滅すると、諸行無常であることを、仏教では説かれています。
刻々と変化して二度と戻らない11日、一刻一刻を、今、生きているのだと
説き、教えていただいていますが、自分のこととしては、納得していません。

 もし今ここで、仏さまの願い 仏さまのはたらきを聞くことが
出来ると、そうした真実にはっきりと、目覚めることが出来るのです。
真実を聞くことで、当たり前の毎日が、当たり前ではなくなり 有り難い
11日であると知らされ、人生の味わいが深まり、今まで
知らなかった新たな喜びが 生きる力が湧き出てくるのです。

 平凡な日常が、有り難い大事な1日に、転じられ感じられてくるのです。
二度と無いこの瞬間、二度と無いこの出あい、この瞬間、今を
しっかりと全力で 何事にも向き合って、生きていくことが出来るように
なるのです。

それが、仏さまの願いにかなった、もっとも人間らしい有り難い
毎日となるのです。 











第1672回 今 ここに 生きる

 令和7年 2月13日~

 
今を生きずに いつを生きる 
 
ここを生きずに どこを生きる

 
昭和期の教育者として浄土真宗の僧侶として、苦難の中、精一杯
生き抜かれた東井義雄さんの言葉です。

これまでのことを思い起こすと、夢中で生活をしていた若い頃、
今現在よりも、これから未来のことばかりを考えながら生きていたように
思います。
あそこへ連絡し あれを準備して、あそこを改良しよう、それよりも
こうしたほうが良いのかも、等など、仕事のこと、その段取りに気を取られて、
今を充分に味わいながら、生きていた実感があまりありません。

 
お釈迦さまは、「過去は追ってはならない。未来は待ってはならない。
ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。
今日すべきことを明日に延ばさず、確かにしていくことこそ、
よい一日を生きる道である」と 説かれたといいます。

 過去や未来に、こころを奪われずに、今、現在、この一瞬、
一瞬を強く生きる、こうした生き方こそが どんな時代になろうと、
歳を重ね、病気になろうと、もっとも人間らしく、生きていく生き方で
あるのだろうと思われます。

 食事するときは 目の前のお料理の一つ一つに、ちゃんと向き合って、
その調理と味付けに思いをいたし、子どもや家族との時間は 二度と
無いこの瞬間を 帰ってはこないこの時を、味わいながら
仕事の時には その仕事に夢中になって、こころを、どこかに遠くに、
他のことに泳がすことなく、今 ここで 充分に生きていく、そうした人生を
味わいながら、送りたいと思います。
今生きているここで、生かされていることの実感を味わいながら、

 また、東井先生には、こんなことばがあります。
自分は 自分の主人公 世界でただひとりの 
自分をつくっていく責任者


 今この瞬間を 味わい深く、喜び感謝の思いを持ち、出来ることを、
やるべき事を、精一杯 限りあるいのちを、この世で残されたいのちを
生き続けていきたいものです。
それが 今 ここに生きること、ここに生きることなのでしょう。










第1671回 良かったね 母さん

 令和7年 2月6日~

 夕方の通勤電車に乗りました。満員で奥まで行けず
入り口に立っていると、発車直前に、三歳ぐらいの男の子が、
お母さんに手を引かれて乗り込んできました。

男の子は大人たちに囲まれ「お母さんー 疲れたあ 座りたい」と
ぐずり始めました。
仕事帰り、みんな疲れているのに 子どものその言葉に
車内は微妙な空気に包まれました。

その時、おかさんが、意外なことを言いました。
「よかったね。人気があんだね、この電車、
  こんなに沢山の人が乗ってるでしょう。
  この電車 とても人気の電車なんだよ。乗れて良かったね」と。

 そばに立っていた高校生の男の子が、お母さんを応援するように 
「この電車人気があるんだね。俺も乗りたかったんだ」
「乗れて良かったね」と、笑いながらいいました。
ぐずり出しそうだった小さな男の子は、高校生と母親を見上げて

「人気の 電車に乗れて、よかったね母さん、やったーやったー」と。

 環境が変わったわけではありません。同じ満員電車でも受け取り方で
まるで違って感じられたのです。
これは、子どもだけの話ではありません。
歳を重ねてくると 体もあちこち痛く、物忘れをする、暗い気持ちで
「歳を取って 良いこと何もないね」と、愚痴る仲間と一緒にいると、
辛い苦しい人生に感じられてしまいます。

 ところが、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の仏さまは、
この私に、「待ってるよ 期待しているよ、お浄土へおいでね。 
と 呼びかけおられる」 こう聞くことの出来た人は、
同じ環境でも、違ってくるものです。

 若いときのように、体が思うように動かなくなり、周りの
みんなに迷惑をかけ、誰にも相手にされず邪魔者扱いされ、
独りぽっちであっても、仏さまの呼びかけ、「期待しているよ、まってるよ
あなたが必要 お浄土で仏になって 多くの人を救うはたらきを
一緒にしてほしい。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と
聞くことができた人は、受け取り方がまるで違います。

 若い頃 合格通知を受け取って 入学や 会社に入社する日を
期待して待っていた時のように 大きな仕事が始まる前のように
希望に満ちた生活が送れるのです。


私は 期待されて待たれている。
前だった親も祖父母も、一緒に 頑張ろう 期待しているよ
と呼びかけ、待っていただいている。
そう味わえてくると、希望が 喜びがわいてくるものです。

 苦しい状況でも、悲しい状況のまっただ中でも 
感じ方、味わい方が 違ってくると、まるで違った世界が見えてくるものです。
私もあなたも、まもなく 仏さまとして活躍出来るお仲間 期待され
待たれていると味わいながら、この世での一日一日を
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にして
精一杯 生きていきたいものです。 










第1670回 大丈夫 大丈夫 順調 順調

 令和7年1月30日~

 年忌法要のお斎で、隣の席は自動車学校の先生でした。
その先生の話を聞いていると、ああだろう こうだろうと、
勝手に、都合の良い思い込みで 運転するのが一番危険だといいます。

この道は 誰も通らないだろう、自転車が飛びだすこともないだろう
小さな子どもなど居ないだろうと、勝手に思い込んで運転することが
一番危険であると、教えてくださいました。

 では、どうすればいいのか、
多くの危険があるのが公道、常に「かもしれない」すべての
可能性があると、前の車は 急ブレーキをかけかもしれない、
自転車が出てくるだろう、子どもが飛び出しくる、あらゆる危険が
起こる可能性があるものと思って運転すべきであると教えてくださいました.

 私たちの日常の生活も、自分の都合の良いように、ああだろう
こうだろうと、思い込み、その通りにならなくて大慌てをしていますが、
不都合なことが起こるのも、当たり前 起こりえる可能性が充分にあると思い
生活すべきであるということでしょう。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 貴方の人生 決して
あなたの思い通りにいくことばかりではありませんよ。
必ず 老病死の苦しみは 間違いなく起ってくる、それでも
間違いなくお浄土へ生まれさせるから心配しなくっていい。
これから、何が起こるか分からないが 
どんなに真面目に 立派なことばかりしていても、不都合なこと必ず起こる
誰も逃れる事は出来ないこと、でも心配はいらない充分に気をつけて
生活しなさいと、呼び続けていただいているのです。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は ぼんやりと生きている私に 老病死が
襲ってくるのは当たり前、そのことを分かった上で 堂々と生きてきなさい
いのちが終われば必ず 仏に成るのだから、そして、今、貴方の大切な先輩は
親は 祖父母や 多くの方々は 仏になって貴方のことを心配して見守って
いただいているのですよ。

 先輩達が みんな通ったこの道 決して平坦ではないが、大丈夫
今、やれることを、やるべき事を 精一杯つとめなさい、何が起こっても
大丈夫 必ず救うからねと、呼びかけていただいているのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 仏さまがこの私に呼びかけていただいている
応援の言葉、励ましの言葉、お褒めのことば、大丈夫大丈夫、順調順調と
呼びかけていただいていると味わっています。









第1669回 マルテンを見ると

 令和 7年 1月 23日~

 年忌法要の後、おときの席で、こんな話を聞きました。

学校給食がまだ始まらない、みんな弁当を持って登校していた思い出です。

 冬になると、教室の教壇の前に大きな箱が置かれ、子供たちは
持参した弁当箱を 好きなところに入れていました。
炭火のすぐ上に置けば、お焦げが出来ることもあり、良い置き場を確保
しょうと、朝は競争になっていた。

  やがて教室いっぱいに、いろいろなお料理の匂いが漂ってくるし、
お昼休憩の鐘がなると、やけどしそうに熱くなったアルミ製の弁当箱を
取り出して、弁当の蓋にお茶をもらって、お昼を食べていた。


 弁当箱の中心には みんな、赤い梅干しが入っており、その酸のせいか
どの弁当箱も、中央部分は 色が変わっていたことを思い出す。
ご飯にはまだ麦が入っていた時代で、白いお米の部分だけを
すくいとって はずかしくないように 弁当に入れてくれていたのを
思い出すねと。

 うちは弁当のおかずは 毎回マルテンを甘く煮たものだった、
魚のすり身を天ぷらにしたマルテンだった。ゴボウも入っていた
ごぼう天だったように思う。
親父が戦死して、母親がひとり働いていたので、ことによると、
子供心に、マルテンが美味しかった、大好きだと、親を安心させるために、
自分が言ったのかもしれないなあ。
何しろ品物のない時代、そのマルテンを買うのも実は大変だったのだろうと
今は 有り難く思っていると。

 今でも、マルテンを見ると、子供の頃 そして母親の苦労を
思い出し、胸が熱くなってくるものだとも。
でも、こんなに大きくなった体も、マルテンのお陰だったのだろうなあと、
懐かしく、しみじみとお話されていました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の声を聞くと 懐かしい母親や
おばあちゃんのイメージ、あかぎれが出来た指の溝に黒い膏薬を
ねじ込んで、頑張っていたその姿を、懐かしく有り難く 
思い出すものだなあと、白が頭のお年寄りたちが、親の法事のおときで
昔を懐かしく語りあっておられました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏









第1668回 世間か 娑婆か

 令和 7年 1月 16日~

 気になることがあります。
どうも、日頃、「世間では」という言葉をよく使っているようで、ある方から
注意を受けてしまいました。
「世間では」とは この世の中ではとか この娑婆世界では、
宗教心のない人々の生きている世界では、などの意味で使っていたようですが、
その場に居た方からは、世間よりも 娑婆世界という言葉の方が、
仏教的ではないですかとの助言もいただきました。

 そして、注意して下さった人は、若い人をさして みんな世間のことは
よく分かっていますよと、苛立たしくつぶやかれました。
そのことを、他の人に話ましたら、世間知らずだという趣旨で発言している
ように、誤解して受け取られたのではないかとの感想も頂きました。

 世間というよりも 娑婆といった方が、仏教的ではないかと言われても
それもどうも違うように感じます。
娑婆というと、仏教的な知識認識がある人が、この世のことを見て
仏の国、あるいは理想の国に対して、娑婆と表現している言葉のようにも
聞こえます。

世間という言葉は、仏教的な価値観を持つことのない人が、
もくもくと生きている世界、この複雑な人間世界という意味で使っている
言葉であったようにも思います。
中には 刑務所などにいる人が、自由な世界を意味して娑婆に出たら、
ああしたい こうしたいなどという、夢見るイメージがあるなどと、
おしゃる方もありました。

 ところで、浄土真宗本願寺派では、教学を専門に研究する組織があり、
ネットを使って、いろいろお聖教の検索が出来ます。
それを使って、浄土三部経というお経で、娑婆と世間という単語が
説かれている箇所を検索すると、世間が 27回 娑婆が1回。
その中で、これこそ真実の教といわれる、仏説無量寿経では、
世間が24回 娑婆が0回 という結果が出てきました。

 親鸞聖人の書かれた教行信証では、世間が58回 娑婆が29回
蓮如上人の御文章では 世間が10に対して 娑婆が2、断然
世間という言葉が多いことも分かりました。
これは お師匠の法然聖人の選択集では 10件の世間 4件の娑婆
親鸞聖人が 世間を多く使われたのは、この流れによるの
だろうと、思われます。

そして、真宗の聖教全体では、233の世間と 130回の娑婆。
どうも、日常的に使っていた世間という言葉は、お聖教の勉強会などで
講師の先生が、この私たちの生きて居る世界のことを 娑婆というより、
世間、世間ではと、仰っている言葉のオウム返しをして使っている言葉で
あったように感じています。

それにしても、娑婆という言葉よりも、世間という言葉が 浄土真宗の
お聖教では、とても多く使われていることを、改めて知りました。











第1667回 これもご報謝

 令和7年 1月9日~

 年末から お正月の三が日 お寺の境内にあるお墓には 
多くの方々がお参りに なりました。
お子さんを連れた方が 多かったのは 有り難いことですが、
本堂へ上がって、お参りの方は 少数で ちっと残念な風景でもありました。

 中には お正月の晴れ着の方もあり、近くの神社へ
初詣の方もあったのかもしれません。
親戚でもない神様は 誰にでも一律でしょうが、身内のご先祖さまは
自分だけには 特別扱いで、わがままな願いを聞いてくれる
のではないか、かなえてくれるのではないかとの 
ほのかの願いが、あっての墓参りかもしれません。

 ところで、当妙念寺の電話サービス 初期のころのお話を、まとめて
印刷しようと準備していますが、その中で、こんな言葉がありました。

 マザーテレサさんのお母さんは、常日頃、
「大切なのは 貴方がやりたいことを知ることではなく、
神様が望まれることを知ることです」と、言っておられたと。

私たちの場合は、自分のわがままな願いを聞いてもらうのではなく
阿弥陀さまの願いを 聞きとることが大事といえるのでしょう。

また、浄土真宗は、職業であるならば、猟漁をも商い奉公をもせよ、
出家しないで、家にいるままでよい、欲のあるままでよい、
そのまま必ず救うと。

 そこで日常の生活は、すべて報謝であると心得えての
生活をするといい、農業の人は、鍬の一打ち 一打ち
大工さんお場合には 槌のひと打ち 一打ちが 皆ご報謝と
思って生活しようではないか。

 お仏壇の前で お念仏するときだけが 報謝ではなく、
朝起きてから晩寝るまで、すべてがご報謝のしどおしと成るように
生活するのが 浄土真宗の報恩感謝であると
教えていただいてもいます。

そして、 幸せだから 感謝するのでない
感謝するから 幸せなのだ という言葉もありました。













第1666回 私の宝ものです。

 令和7年 1月2日~

 本堂正面に今年は、絹の紫色の幕を張っています。
いつもの木綿の幕に比べて 軽く色も鮮やかですが、残念ながら
たたみシワが はっきりと見える欠点があります。

 木綿幕の時には、霧吹きをして、そのシワを
伸ばしていましたが、絹製でも同じようにしても良いのか、
ネットで調べてみましたが、絹は水が大好きですと書かれており、
お風呂掃除用洗剤のボトルをよく洗い、そこに
水を入れて シュシュと吹き付けて、たたみシワを立派に
伸ばすことが出来ました。

 昭和48年 3月 川崎みやと、寄進者の名前と
「宗祖親鸞聖人、御生誕800年記念」とあり、今から50年前に
御寄進いただいたもの、シワが取れヒーンと伸びた下り藤の幕、
太陽があたると輝いて見え、うっとりと見とれています。


 ところで、こんな話を聞きました。
一人住まいだった母親を亡くし、故郷に帰って
遺品を整理をしいたときのことです。
母のタンスの上に 一つの箱が置かれていました。

それを開くと、中学、高校の時 夢中だった
野球のユニホームが 綺麗に洗って 入っていました。
太ってしまい、もう着ることはできませんが、母親が
捨てずに大事に保存していたのが意外でした。

そして、ユニホームの下には、小学生、中学生、高校生の
通信簿が順番に全部 そろって入っていました。

自分の子どもや妻に、とても自慢出来るような内容ではなく、
そのまま捨ててしまおうと ゴミ袋に入れようとしましたが,
箱の一番下に、母親の字で 「マー君 よく頑張ったね
貴方は私の宝ものです」と書かれた紙が 張ってあり、
捨てるのを思いとどまりました。

 お通夜 そして葬儀、初七日と ご住職の話で
南無阿弥陀仏のことを、
「任せない あなたを必ずそのまま救う 親だから」と

南無阿弥陀仏の意味を教えていただきましたが、
ただひたすらに、この私のことを見守り続けてくれた母
今まで気づかなかっただけ、

何の条件もなく、私の頑張り努力の結果ではなく、
そのままの私を 受け入れてくれていたことを知りました。
そして阿弥陀さまの国で 仏になった 今も 私を見守り続けているのだ、
だろうと気づきました。

 もっと頑張りなさい、努力しなさいではなく、よく頑張ったねの
言葉に、安心しホットしました。
任せない あなたを必ずそのまま救う 親だからと
の言葉が 有り難く。

いま仏になった母親が、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼びかけているのだろうと。
この故郷へは 帰るつもりはまったくなかったのが、今
定年後、帰って親たちが生きてきた世界を見直してみようと
思うようになってきました。 と


                        妙念寺       

 

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掲載者 妙念寺住職  藤本 誠


電話法話一覧表

( 平成18年 )
第676回 味わえる人生  1月 4日~
第677回 祈らない宗教  1月12日~
第678回 どんな苦しみでも  1月19日~
第679回 世間の人々は  1月26日~
第680回 一つの目印  2月 2日~
第681回 デジタル時代の一つの試み  2月 9日~
第682回 来迎は諸行往生にあり  2月16日~
第683回 真実ということ  2月23日~
第684回 善悪のふたつ  3月 2日~
第685回 永遠のいのち  3月 9日~
第686回 念仏せよの呼びかけ  3月16日~
第687回 目的地は  3月23日~
第688回 肥 料  3月30日~
第689回 蓮の花  4月 6日~
第690回 今 ここに寄り添って  4月13日~
第691回 人間と動物の違い  4月20日~
第692回 善 と 悪  4月27日~
第693回 足元にある  5月 4日~
第694回 降誕会によせて  5月11日~
第695回 願いの言葉  5月18日~
第696回 生涯を疑わない  5月25日~
第697回 ありがたい  6月 1日~
第698回 好きなものだけ  6月 8日~
第699回 痛みは 呼び声  6月15日~
第700回 出る息 入る息  6月22日~
第701回 預かりもの  6月29日~
第702回 気づいてみれば  7月 6日~
第703回 誰が 救われるのか  7月13日~
第704回 誰のために  7月20日~
第705回 仏の仲間  7月27日~
第706回 二つの言葉  8月 3日~
第707回 気づくか 気づかないか  8月10日~
第708回 伝えたい  8月17日~
第709回 行き先変更  8月24日~
第710回 GNP より GNH  8月31日~
第711回 卒業記念の団体参拝  9月 7日~
第712回 積極的に参加したい  9月14日~
第713回 念仏と呪術  9月21日~
第714回 新たな価値観  9月28日~
第715回 ある遺書 10月 5日~
第716回 み仏の影 10月12日~
第717回 同じ 光なのに 10月19日~
第718回 無関心は 無責任 10月26日~
第719回 今を生きる 11月 2日~
第720回 誰かのために 11月 9日~
第721回 光と ともに 11月16日~
第722回 自然法爾ということ 11月23日~
第723回 男の料理教室 11月30日~
第724回 伝統の意味 12月 7日~
第725回 有り難い 尊いご縁  12月14日~
第726回 やはり基礎工事が大事 12月21日~
第727回 遇 う 12月28日~
( 平成 19年 )
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第729回 伝統の有難さ  1月11日~
第730回 無我について  1月18日~
第731回 後をたのみます  1月25日~
第732回 闇を破る  2月 1日~
第733回 青色青光  2月 8日~
第734回 功 徳  2月15日~
第735回 あなた この世に  2月22日~
第736回 仏に成る  3月 1日~
第737回 犬に噛みつく  3月 8日~
第738回 ご縁をいただく  3月15日~
第739回 広大なる智慧  3月22日~
第740回 照らされている  3月29日~
第741回 表面だけでなく  4月 5日~
第742回 呼び声 聞こえたら  4月12日~
第743回 更新プログラム  4月19日~
第744回 スペースができました  4月26日~
第745回 見方 考え方 味わい方  5月 3日~
第746回 アンパンマン  5月10日~
第747回 いのちの願い  5月17日~
第748回 わがまま坊や  5月24日~
第749回 応報大悲弘誓恩  5月31日~
第750回 あなたの願いは 何ですか  6月 7日~
第751回 右か 左か 1か0か  6月14日~
第752回 その名を聞くと  6月21日~
第753回 他力ということ  6月28回~
第754回 いただきもの  7月 5日~
第755回 習 慣  7月12日~
第756回 お掃除  7月19日~
第757回 人間に生まれても  7月26日~
第758回 人間と環境  8月 2日~
第759回 ハードとソフト 機と法と  8月 9日~
第760回 浄土真宗の教え  8月16日~
第761回 ベースが大事  8月23日~
第762回 深く生きるためには  8月30日~
第763回 子供が思う以上に  9月 6日~
第764回 癒しと 安心と  9月13日~
第765回 名号は 声である  9月20日~
第766回 私を救ってくださるのは  9月27日~
第767回 私にかわって 10月 4日~
第768回 学仏大悲心 10月11日~
第769回 生きている 今が 10月18日~
第770回 知らされた時 10月25日~
第771回 念仏者へのお手紙 その1 11月 1日~
第772回 念仏者へのお手紙 その2 11月 8日~
第773回 念仏者へのお手紙 その3 11月15日~
第774回 健康第一と言うけれど 11月22日~
第775回 感謝する だけでなく 11月29日~
第776回 明日に向かって 12月 6日~
第777回 ナンマンダブのマーチ 12月13日~
第778回 明日が 12月20日~
第779回 死んだら おしまい ? 12月27日~
( 平成 20年 )
第780回 気づくか 気づかないか  1月 3日~
第781回 電子顕微鏡  1月10日~
第782回 敬いの こころ  1月17日~
第783回 福は内 鬼は内  1月24日~
第784回 信心まことにうるひとは  1月31日~
第785回 隠れた能力  2月 7日~
第786回 ふかくたのみまいらせて  2月14日~
第787回 育ち 盛り  2月21日~
第788回 愚者になりて  2月28日~
第789回 引いたら ゼロ  3月 6日~
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第791回 順調は プラスか  3月20日~
第792回 名号のほかに 何が不足  3月27日~
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第795回 本当に可愛いのなら  4月17日~
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第797回 迷いの世に還って  5月 1日~
第798回 念仏は称えるが  5月 8日~
第799回 仏と語る人  5月15日~
第800回 無明我執の中で  5月22日~
第801回 情報操作  5月29日~
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第803回 自他ともに 心豊かに  6月12日~
第804回 この世も  6月19日~
第805回 奥の座敷には  6月26日~
第806回 目的は  7月 3日~
第807回 見る人の能力で  7月10日~
第808回 いま はたらいて  7月17日~
第809回 自然のはからい  7月24日~
第810回 いのちに組み込まれた  7月31日~
第811回 功徳の宝海  8月 7日~
第812回 これでいいのだ  8月14日~
第813回 恥ずかしいこと  8月21日~
第814回 報いは 自分自身で  8月28日~
第815回 仏教もさまざま  9月 4日~
第816回 感じる能力  9月11日~
第817回 ウイルス対策ソフト  9月18日~
第818回 戦争は したくない  9月25日~
第819回 新しい誕生 10月 2日~
第820回 法味愛楽の目 10月 9日~
第821回 信心は 信受 10月16日~
第822回 私 ひとりのために 10月23日~
第823回 ホンマは 私の娘よ 10月30日~
第824回 伝わっていく 11月 6日~
第825回 亡き人の はたらき 11月13日~
第826回 それを幸いに 11月20日~
第827回 小倉山 モミジの葉 11月27日~
第828回 待たれる身 12月 4日~
第829回 最終の目標 12月11日~
第830回 お預かりします 12月18日~
第831回 通過点 12月25日~
 ( 平成21年 )
第832回 無量寿  1月 1日~
第833回 阿弥陀如来の化身  1月 8日~
第834回 お誘いするのは  1月15日~
第835回 如来と共に  1月22日~
第836回 名号を となへんものをば  1月29日~
第837回 お祝のことば  2月 5日~
第838回 二種の回向  2月12日~
第839回 新たな出発には  2月19日~
第840回 如来のはたらき  2月26日~
第841回 自分の心の中に  3月 5日~
第842回 癒しで 止まったら  3月12日~
第843回 八万劫中大苦悩  3月19日~
第844回 聞くべきものを 聞いたか  3月26日~
第845回 共に歩いて  4月 2日~
第846回 こころにも 栄養を  4月 9日~
第847回 目標は  4月16日~
第848回 信ずるは 喜び  4月23日~
第849回 よく見れば  4月30日~
第850回 赤ちゃんを授かって  5月 7日~
第851回 私なりの花が咲く  5月14日~
第852回 自力回向 他力回向  5月21日~
第853回 ブッダの願い  5月28日~
第854回 法然の発見 親鸞の確信  6月 4日~
第855回 二つの宗教  6月11日~
第856回 ギリギリ最後の  6月18日~
第857回 北風と太陽  6月25日~
第858回 みんな輝け  7月 2日~
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第862回 いつも一緒に  7月30日~
第863回 生まれた意味は  8月 5日~
第864回 目標を持って  8月13日~
第865回 親の願いは  8月20日~
第866回 問題の解決  8月27日~
第867回 一人 ひとり  9月 3日~
第868回 あまえ  9月10日~
第869回 一歩 一歩  9月17日~
第870回 いま はたらいて  9月24日~
第871回 ご本山と同じように 10月 1日~
第872回 ハタと 気づく 10月 8日~
第873回 人間の考えは 10月15日~
第874回 明るくて たしかなくらし 10月22日~
第875回 知恩 感恩 報恩 10月29日~
第876回 頼む 後は頼みます 11月 5日~
第877回 平生業成の世界 11月12日~ 
第878回  第28願 (本 願) 11月19日~
第879回 ローマの休日 11月26日~ 
第880回 二軒屋の譬え  12月 3日~
第881回  私たちのみ教え(浄土真宗) 12月10日~ 
第882回  これも預かりもの  12月17日~
第883回  仏教の基本  12月24日~ 
第884回 朽ちていくもの 萌えるもの 12月31日~ 
   ( 平成22年 )  
第885回  科学だけでは   1月 7日~
第886回 56億7千万   1月14日~
第887回  多くの いのち と   1月21日~
第888回  仏さまって どんな方   1月29日~
第889回  いつも ニッコリ 笑うこと   2月 4日~
第890回  アア そうか そうなんだ   2月11日~
第891回  不幸の完成   2月18日~
第892回 「昨日の私」 「今日の私」   2月25日~
第893回 なにの分別もなく   3月 4日~
第894回  風船の外側の世界   3月11日~
第895回 決して無駄にはしません   3月18日~
第896回  生老病死の問題   3月25日~
第897回 今 末法の時代には   4月 1日~
第898回  どうぞ お先に  4月 8日~
第899回  ちょうどよい  4月15日~
第900回  安楽浄土に いたるひと   4月22日~
第901回  栄光への脱出   4月29日~
第902回 讃えます  5月 7日~
第903回 可愛い子には  5月13日~
第904回  呼ばれたら   5月20日~
第905回  お浄土のただ中に   5月27日~
第906回  はたらきかけ   6月 3日~
第907回  分別を離れて   6月10日~
第908回  低反発の   6月17日~
第909回 転じられて  6月24日~
第910回  願いにかなった   7月 1日~
第911回  若者に こそ   7月 8日~
第912回 ここは愛敬町  7月15日~
第913回 第二の矢   7月22日~
第914回 あなたは すばらしい   7月29日~
第915回  こころに 唇に  8月 5日~
第916回  縁起するいのち   8月12日~
第917回  見てますよ   8月19日~
第918回  数限りない仏がたが  8月26日~
第919回  遠い国でも  9月 2日~
第920回  見ているもの  9月 9日~
第921回 いそいそと   9月16日~
第922回  骨を砕きても  9月23日~
第923回  親の心を  9月30日~
第924回  子どもと どう向き合えば  10月7日~
第925回 そのうちお世話に  10月14日~
第926回   たった一日のいのち 10月21日~ 
第927回 おかあさん おかあさん  10月28日~
第928回  親指と小指の法則  11月 4日~
第929回  私のために生まれてくれた人 11月11日~
第930回  今がチャンス 11月18日~ 
第931回  目覚めれば弥陀の懐  11月25日~ 
第932回 「今ここ」 の 生き方  12月 2日~
第933回  莫大な遺産  12月 9日~
第934回 見聞が蓄積されても  12月16日~ 
第935回 罪の消滅  12月23日~
第936回 阿弥陀仏の救い  12月30日~ 
   ( 平成23年 )  
第937回  それまでして   1月 6日~ 
第938回  みちみちて   1月13日~
第939回  母の愛よりも   1月20日~
第940回 生きる意味と方向   1月27日~
第941回  自己満足のためではありません   2月 3日~
第942回  人と宇宙との関係   2月10日~ 
第943回  み教えを あなたと聴く   2月17日~
第944回  いよいよ ご本山の大遠忌法要   2月24日~
第945回 お念仏に生きる喜び  3月 3日~
第946回  命の尊さと喜び   3月10日~
第947回 与えられた いのち   3月17日~
第948回 念仏しなされや   3月24日~
第949回  今大切なもの   3月31日~
第950回 新しい誕生   4月 7日~
第951回 修正プログラム   4月14日~
第952回  いつも人々の中にいて   4月21日~
第953回  迷惑では  ないよ   4月28日~
第954回  ボランテイア   5月 5日~
第955回  アクセス解析   5月12日~
第956回  片思い    5月19日~
第957回  自在の救い   5月26日~
第958回  人生そのものの問い   6月 2日~
第959回  真実の教え  6月 9日~
第960回  限りなき光と寿の仏    6月16日~
第961回  今ここでの救い    6月23日~
第962回 光の浄土   6月30日~ 
第963回  報恩の念仏    7月 7日~
第964回 かならず再び会う    7月14日~
第965回  まずは 南無阿弥陀仏から    7月21日~
第966回 ありがとう、よかった、うれしい    7月28日~
第967回  周りのすべてに    8月 4日~
第968回  VIP待遇    8月11日~
第969回  二泊三日    8月18日~
第970回  人生は 自分のものではない   8月25日~
第971回  無党派層は 無関心層ではない    9月 1日~
第972回  いのち終わっても    9月 8日~
第973回  痛手を受けて  9月15日~ 
第974回  今から練習   9月22日~
第975回  トウガラシ    9月29日~
第976回  自業自得(自因自果)  10月 6日~
第977回  極上の良書 10月13日~
第978回  八方の風に 柳は  10月20日~ 
第979回  本当の慈悲は  10月27日~ 
第980回  ピーコちゃん  11月 3日~
第981回 大いなる恵み 11月10日~ 
第982回 反抗しても 抵抗しても  11月17日~
第983回  南无阿弥陀仏の意義  11月24日~
第984回  前提が違う  12月 1日~
第985回  一水四見  12月 8日~
第986回  二つのグループ  12月15日~
第987回  雑行雑修自力  12月22日~
第988回 何事も 初ごと  12月29日~
   ( 平成24年 )   
第989回 泥の中の白蓮華    1月 5日~
第990回 元気が自然に    1月12日~
第991回  野菜づくり   1月19日~
第992回  信心をいただくと  1月26日~ 
第993回   たまたまの出あい  2月 2日~ 
第994回   最高のプレゼント  2月 9日~ 
第995回   生きる基本   2月16日~
第996回  他力本願とは   2月23日~
第997回  さすがあー   3月 1日~ 
第998回  聞く側の問題  3月 8日~ 
第999回  もっと分かる話を  3月15日~ 
第1000回   遠い目標   3月22日~
第1001回  阿弥陀如来=南無阿弥陀仏   3月29日~
第1002回  蓮如上人と 一休和尚   4月 5日~
第1003回  全体を見る    4月12日~
第1004回 三つのよろこび   4月19日~
第1005回   心は 六つに変わる   4月26日~
第1006回 仏さまの拝み方   5月 3日~
第1007回  仏さまのこと  5月10日~
第1008回 生まれてきてくれて ありがとう   5月17日~
第1009回  喜びの言葉を口に   5月24日~
第1010回  呼び続ける親  5月31日~
第1011回  私の一冊  6月 7日~
第1012回 二河白道のたとえ  6月14日~
第1013回  宝もの   6月21日~
第1014回 天与のオモチャ  6月28日~ 
第1015回  桧舞台と味わう  7月 5日~
第1016回 親の片思い  7月12日~
第1017回  素通りしてはいませんか  7月19日~
第1018回  キーワードは 恩  7月26日~ 
第1019回 人生の目的   8月 2日~ 
第1020回  往生の彼方に  8月 9日~ 
第1021回  無くして はじめて   8月16日~ 
第1022回  見えぬものでも  8月23日~
第1023回  迷惑でも  8月30日~
第1024回  声の仏さま  9且 6日~ 
第1025回  ただ念仏  9月13日~
第1026回  百獣の王  9月20日~ 
第1027回  おつとめ  9月27日~ 
第1028回 うらを見せ  10月 4日~ 
第1029回  判断の基準は  10月11日~
第1030回  毎日が 表現の舞台  10月18日~ 
第1031回 生前中は  10月25日~ 
第1032回  なんまんだぶつの子守歌  11月 1日~ 
第1033回 主役は あなた  11月 8日~ 
第1034回 ご縁に 遇えば  11月15日~ 
第1035回  仏教の基本  11月22日~
第1036回 次の世代へ  11月29日~ 
第1037回  ほめ称えずには おれない  12月 6日~
第1038回 追善供養を超えて  12月13日~ 
第1039回  確かな道  12月20日~
第1040回  本願の意味  12月27日~ 
  ( 平成 25年 )  
第1041回 み光をうけて   1月 3日~
第1042回  そっとつながる  1月10日~ 
第1043回  学ぶ 喜び  1且17日~ 
第1044回  お念仏の教えは 仏教です   1月24日~ 
第1045回  ナモアミダブツとは、なんですか  1月31日~ 
第1046回  近道すれば 南無の一声  2月 7日~ 
第1047回 親を喜ばせたければ  2月14日~
第1048回 出家と在家をえらばず  2月21日~
第1049回  念仏の行者   2月28日~
第1050回  手を合わせられる   3月 7日~ 
第1051回 今 気づかせていただく    3月14日~
第1052回 いそぎ 仏に成りて   3月21日~
第1053回 過去 現在 未来   3月28日~
第1054回 仏心とは 大慈悲これなり   4月 4日~
第1055回 いただいている名号   4月11日~
第1056回  前に生まれた人は   4月18日~
第1057回 阿弥陀さまの願いの中に   4月25日~
第1058回 往き易くして人なし    5月 2日~
第1059回 花は 菊だけ?   5月 9日~
第1060回 味わい深い人生   5月16日~
第1061回  こころと身体   5月23日~
第1062回  かえると 一茶と あみださま    5月30日~
第1063回  この私には   6月 6日~
第1064回 根本的な治療法   6月13日~
第1065回  なぜ今 「仏教」 なのか   6月20日~
第1066回  今ここでの救い 2   6月27日~
第1067回 幸せの見える人   7月 4日~
第1068回  独り生まれ 独り死し   7月11日~
第1069回 信心と利益   7月18日~
第1070回  本願力にあひぬれば   7月25日~
第1071回  宮殿に生まれて   8月 1日~
第1072回  わたくしの救い   8月 8日~
第1073回  見守られている私   8月15日~
(平成25年)  
 第1074回 ただ信心の救い   8月22日~
 第1075回 目標がある   8月29日~
 第1076回 彼の岸をめざして いまを生きる   9月 5日~
 第1077回 み仏を よぶわが声は   9月12日~
 第1078回 はたらきづめの 仏さま  9月19日~ 
 第1079回 念仏成仏 これ真宗  9月26日~
 第1080回 ほくほく 生きる 10月 3日~
 第1081回 大好きだよ 10月10日~
 第1082回 ゆらぐ心の支え 10月17日~
 第1083回 お育ていただいた人は強い 10月24日~
 第1084回 行き先が決まった 10月31日~
 第1085回 自力心の否定 11月 7日~ 
 第1086回 失敗のない人生 11月14日~
 第1087回 わが身に驚く 11月21日~
 第1088回 信心 11月29日~
 第1089回 後生 12月 5日~
 第1090回 煩悩 12月12日~
 第1091回 大悲 12月19日~
 第1092回 救うが先手 たすかるが後手 12月26日~
 (平成26年)  
 第1093回 涅槃  1月 1日~
 第1094回 聴聞  1月 9日~
 第1095回 転じられる  1月16日~
 第1096回 やわらかな眼  1月23日~
 第1097回 願作仏心  1月30日~
 第1098回 千無一失  2月 6日~
 第1099回  六神通の願  2月13日~
 第1100回  恩を感じる能力    月 20日~ 
 第1101回  子どもへのメッセージ  2月  27日~ 
 第1102回  地獄と極楽   月  6日~
 第1103回  法要は どんな気持ちで   3月13日~
 第1104回  お念仏で 何が変わるか   3月20日~
 第1105回  浄土とは どのような世界なのか   3月27日~
 第1106回  天上天下唯我独尊   4月 3日~
 第1107回  近道すれば 南無のひと声   4月10日~
 第1108回  磁石のたとえ   4月17日~ 
 第1109回  願いの方向   4月24日~
 第1110回  聴 と聞   5月 1日~
 第1111回  耳で聞く 如来の慈悲   5月 8日~
 第1112回  迷いのHO   5月15日~
 第1113回 浄土は黄金の大地   5月22日~
 第1114回 お念仏は 誰の仕事   5月29日~
 第1115回 「他力」と「自力」の違い   6月 5日~
 第1116回 大きな視線   6月12日~
 第1117回 頑張り知ってるよ   6月19日~
 第1118回 念仏は 呪文では ?   6月26日~
 第1119回 見えぬものでもあるんだよ   7月 3日~
 第1120回 諸行無常   7月10日~
 第1121回 プラス条件を増やせば幸せか   7月17日~
第1122回 いま浄土とは・・   7月24日~
 第1123回 おかあさん   7月31日~
 第1124回 「まかせなさい」の南無阿弥陀仏   8月 7日~
 第1125回 供花のこころ   8月14日~
 第1126回 ロボットにも大事  8月21日~
 第1127回 布施のこころ  8月28日~ 
 第1128回 ご法義のお風呂   9月 4日~
 第1129回 いい人が集まると   9月11日~
 第1130回 アミダさまは ナミダさま ?   9月18日~
 第1131回 星は見えない時でも光っている   9月25日~
 第1132回 育ちざかり  10月 2日~
 第1133回 人は「モノサシ」で物を見る  10月 9日~
 第1134回 「嫌いな人」は あなたを映す鏡  10月16日~
 第1135回 あなたを仏さまにする  10月23日~
 第1136回 どんな あなたであっても  10月30日~
 第1137回 地獄と極楽  11月 6日~
 第1138回 心が変わると景色が変わる  11月13日~
 第1139回 バトンタッチ  11月20日~
 第1140回 わかってるー  11月27日~
 第1141回 習っていないのに  12月 4日~
 第1142回 相手のよろこびは  12月11日~
 第1143回 迷惑かけずに  12月18日~
 第1144回 無駄なものはない  12月25日~
 (平成 27年 )  
,第1145回  遊ぶように   1月 1日~
 第1146回 阿弥陀さまのサイン   1月8日~
 第1147回 右と左   1月15日~
 第1148回 傷つける言葉   1月22日~
 第1149回 一人じゃないから   1月29日~
 第1150回 思い上がり   2月 5日~
 第1151回 プレゼント   2月12日~
 第1152回 両手あわせて   2月19日~
 第1153回 流す涙   2月26日~
 第1154回 あなたが大切   3月 5日~
 第1155回 位牌か 過去帳か   3月12日~
 第1156回 お寺にお参りするのは ?   3月19日~
 第1157回 葬儀は 何故するの   3月26日~
 第1158回 お仏壇は なぜ金色なの ?   4月 9日~
 第1159回 お寺の名前の意味は   4月16日~
 第1160回 阿弥陀如来の救い   4月23日~
 第1161回 他人の失敗は   4月30日~
 第1162回 自分が大切なら   5月 7日~
 第1163回 お浄土でまたあえる   5月14日
 第1164回 死後の浄土より 今が大切   5月21日~
 第1165回 生命は   5月28日~
 第1166回 虹の足   6月 4日~
 第1167回 トンボは 水たまりを 池だと思う   6月11日~
 第1168回 鬼は 私のなかにすむ   6月18日~
 第1169回 どのいのちも 生きようとしている   6月25日~
 第1170回 泣きたいときは   7月 3日~
 第1171回 信心の利益   7月 9日~
 第1172回 憶念の心   7月16日~
 第1173回 求めなくても   7月23日~
 第1174回 有ればあったで   7月30日~
第1175回 ほんとうの宗教とは   8月 6日~
 第1176回 必ずお救いに   8月13日~
 第1177回 お恥ずかしい   8月20日~
 第1178回 如来さまのプレゼント   8月27日~
 第1179回 阿弥陀仏の金の鎖   9月 3日~
 第1180回 出てる 出てるよ   9月10日~
 第1181回 一本の藤蔓   9月17日~
 第1182回 智慧のはたらき   9月24日~
 第1183回 人生は価値ある一瞬  10月 1日~
 第1184回 こころの進歩  10月 8日~
 第1185回 「おかげさまで」のこころで生きる  10月15日~
 第1186回 艱難なんじを玉にす  10月22日~
 第1187回 こころを休める  10月29日~
 第1188回 「自分探し」に惑わされない  11月 5日~
 第1189回 生命科学は万能か  11月12日~
 第1190回 食は いのちの基本  11月19日~
 第1191回 「自分が正しい」 ばかりでは  11月26日~
 第1192回 「苦」 は喜びの種  12月 3日~
 第1193回 自分に自信を持つ  12月10日~
 第1194回 老いも尊い  12月17日~
 第1195回 不安の中で生きる  12月24日~
 第1196回 感激する こころ  12月31日~
 (平成 28年)  
 第1197回 過去から逃げない未来を   1月 7日~
 第1198回 美しく生きる   1月 14日~
 第1199回 この世に生まれてきたのは   1月 21日~
 第1200回 人にまけて信をとる   1月 28日~
 第1201回 母の背中で聞く   2月 4日~
 第1202回 仏さまのお育て   2月11日~
 第1203回 出世本懐   2月18日~
 第1204回 私が如来となる   2月25日~
 第1205回 則我善親友   3月 3日~
 第1206回 報恩 忘恩   3月10日~
 第1207回 にんげんを卒業したら 何になる   3月17日~
 第1208回 私が目覚める   3月24日~
 第1209回 心田を耕す   3月31日~
,第1210回 手を合わすご本尊は ?    4月 7日~
 第1211回 往生浄土の真実   4月14日~
 第1212回 一番良い方向に   4月21日~
 第1213回 聞法の道場   4月28日~
 第1214回 喜んで 勤めて見せる   5月 5日~
 第1215回 祖父母が体験した価値観   5月12日~
 第1216回 乳母車でご案内   5月19日~
 第1217回 手の温もり   5月26日~
 第1218回 阿弥陀如来の本願は   6月 2日~
 第1219回 オキシトシン   6月 9日~
 第1220回 散華楽(さんげらく)   6月16日~
 第1221回 金箔の輝き   6月23日~
 第1222回 正座は 僧侶だけ   6月30日~
 第1223回 老いのよろこび   7月 7日~
 第1224回 私でよかった   7月14日~
 第1225回 世界は誰のために   7月21日~
 第1226回 親のよび声   7月28日~
 第1227回 万人平等の   8月 4日~
 第1228回 人生のもしもしコーナー   8月11日~
 第1229回 自力ということ(聞法のいとなみ)   8月18日~
 第1230回 本願招喚の   8月25日~
 第1231回 還相の菩薩   9月 1日
 第1232回 本当の姿を知る   9月 8日~
,第1233回 精いっぱい生きた いのち   9月15日~
 第1234回 「ナモアミダブツ」 は   9月22日~
 第1235回 目覚まし   9月29日~
 第1236回 条件をつけない  10月 6日~
 第1237回 自分を優先  10月13日~
 第1238回 好き嫌い  10月20日~
 第1239回 欲を拝んでいた私  10月27日~
 第1240回 苦しみからの解放  11月 3日~
 第1241回 熱気球の世界大会  11月10日~
 第1242回 あなたがいて 私がいる  11月17日~
 第1243回 自分は自分の主人公  11月24日~
 第1244回 信心の利益  12月 1日~
 第1245回 空蝉の家  12月 8日~
 第1246回 釈迦の本概  12月15日~
 第1247回 老苦の解決  12月22日~
 第1248回 人間の知恵 仏の智慧  12月29日~
 (平成 29年)  
 第1249回 甚難信   1月 5日~
 第1250回 闇を破る   1月12日~
 第1251回 おそだて   1月19日~
 第1252回 感じる力   1月26日~
 第1253回 法蔵菩薩と阿弥陀仏   2月 2日~
 第1254回 他力は 超・大回転   2月 9日~
 第1255回 わが身ひとつ   2月16日~
 第1256回 憂いも悩みもない世界   2月23日~
 第1257回 完全燃焼の生き方 ー南無ー   3月 2日~
 第1258回 おつとめする意味   3月 9日~
 第1259回 優しい心遣いに応える言葉   3月16日~
 第1260回 独りじゃない場所   3月23日~
 第1261回 四門出遊 ~お釈迦さまの出家~   3月30日~
 第1262回 お葬式と浄土真宗の救い   4月 6日~
 第1263回 報恩講の赤い蝋燭   4月13日~
 第1264回 みな漏れず往生すべし   4月20日~
 第1265回 むなしさを超える   4月27日~
 第1266回 念仏の声   5月 4日~
 第1267回 二種の回向   5月11日~
 第1268回 降誕会とは どういう意味ですか?   5月18日~
 第1269回 本願寺 Q&A   5月25日~
 第1270回 仏教の「救い」とは ?   6月 1日~
 第1271回 一緒性   6月 8日~
 第1272回 仏教の「救い」とは ②   6月15日~
 第1273回 仏教の「救い」とは ③   6月22日~
 第1274回 念仏は 喜び   6月29日~
 第1275回 人身受け難し   7月 6日~
 第1276回 教行信証総序 その一   7月13日~
 第1277回 教行信証総序 その二   7月20日~
 第1278回 南無阿弥陀仏とは   7月27日~
 第1279回 お通夜の席で   8月 3日~
 第1280回 仏教への先入観 ?   8月10日~
 第1281回 仏教への先入観 ②   8月17日~
 第1282回 門徒葬後の朗読法話   8月24日~
 第1283回 他者のしあわせを   8月31日~
 第1284回 夢と希望と喜びを   9月 7日~
 第1285回  誰の、私のお寺   9月14日~
 第1286回 いのちのふるさと   9月21日~
 第1287回 わかりゃいい   9月28日~
 第1288回 乾杯というよりは  10月 5日~
 第1289回 「蜘蛛の糸」の後に   10月12日~
 第1290回 お育ていただいて  10月19日~ 
 第1291回 信心獲得とは  10月26日~
 第1292回 みんな仏に成れるのか  11月 2日~
 第1293回 若い二人に(結婚式での挨拶)  11月 9日~ 
 第1294回 私が私になる  11月16日~ 
 第1295回 引力 浮力 磁力 本願力  11月23日~
 第1296回 生きる喜びに  11月30日~ 
 第1297回 新しいいのちを聞く み仏の声  12月 7日~
 第1298回 至極最上の教え  12月14日~ 
 第1299回 三つの生き方  12月21日~
 第1300回 ただ法を聞く  12月28日~ 
 (平成30年)  
 第1301回 むなしく過ぐる 人ぞなき   1月 4日~
 第1302回 おつとめする意味   1月11日~ 
 第1303回 他力本願とは   1月18日~
 第1304回 今や 稀少な教えに   1月25日~ 
 第1305回 ご先祖が最も喜ぶのは   2月 1日~
 第1306回 お墓や納骨堂は   2月 8日~ 
 第1307回 お礼をする   2月15日~
 第1308回 盲亀浮木(もうきふぼく)   2月22日~
 第1309回 親の七光り   3月 1日~
 第1310回 もらったこと   3月 8日~ 
 第1311回 おばあちゃんのように   3月15日~
 第1312回 小さな石に お花が   3月22日~
 第1313回 「行く」のか 「来る」のか   3月29日~
 第1314回 会葬御礼    4月 5日~
 第1315回 凡夫はわたくし   4月12日~
 第1316回 遇えて はじめて   4月19日~ 
 第1317回 自力と他力   4月26日~
 第1318回 恥ずかしい   5月 3日~ 
 第1319回 私の心に入って   5月10日~
 第1320回 智慧の念仏   5月17日~ 
 第1321回 人生が変わる   5月24日~
 第1322回 みほとけとともに   5月31日~
 第1323回 断捨離   6月 7日~
 第1324回 面白い 楽しい   6月14日~
 第1325回 信心の本質   6月21日~ 
 第1326回 ありのままに見る    6月28日~
 第1327回 足るを知る    7月 5日~
 第1328回 自らを灯明とせよ    7月12日~
 第1329回 布施のこころ    7月19日~
 第1330回 憍慢のいましめ   7月26日~
 第1331回 倒懸 とうけん   8月 2日~
 第1332回 悪を転じて 徳とする   8月 9日~
 第1333回 人生と念仏   8月16日~
第1334回 願以此功徳   8月23日~
第1335回 あみだくじ   8月30日~
第1336回 お願いごと    9月 6日~
第1337回 老いの中で   9月13日~
第1338回 相続すること   9月20日~
第1339回 聴聞のすすめ    9月27日~
第1340回 法を聞く 10月 4日~ 
第1341回 仏さまのおこころ 10月11日~
第1342回 正定業 10月18日~
第1343会 み仏は共に悲しみたもう  10月25日~
第1344回 つなぐ 受け継ぐ  11月 1日~ 
第1345回 帰すべきところ 11月 8日~ 
第1346回 のんのさま  11月15日~
第1347回 恵まれた念仏  11月22日~
第1348回 お念仏のこころ  11月29日~
第1349回 「相続メモ」の手引き 12月 6日~
第1350回 私たちのちかい  12月13日~ 
第1351回 「聞く」 ということ 12月20日~
第1352回 信心正因のおすすめ 12月27日~ 
(平成 31年)  
第1353回 南無阿弥陀仏のおいわれ    1月 3日~
第1354回 念仏の生活   1月10日~
第1355回 慚愧と歓喜    1月17日~
第1356回 悪を転じて徳とする   1月24日~
第1357回 人生と念仏   1月31日~ 
第1358回 チューリップの花    2月 7日~
第1359回 法名と戒名   2月14日~
第1360回 命日は「いのちの日」   2月21日~
第1361回 年忌法要   2月28日~
第1362回 光顔巍々   3月 7日~
第1363回 先哲のことば    3月14日~
第1364回 いつもが臨終法話   3月21日~
第1365回 私の側 仏さまの側   3月28日~
第1366回 努力の質が問題    4月 4日~
第1367回 毎日を仏法という鏡に   4月11日~
第1368回 自己中心の心   4月18日~
第1369回 いつも見守っていてくださる   4月25日~
  (令和 元年)  
第1370回  逃げている私を   5月 2日~
第1371回 次の世代に引き継いでいく   5月 9日~
第1372回 ご先祖をしのんで   5月16日~
第1373回 仏弟子として   5月23日~
第1374回 供花のこころ   5月30日~
第1375回 念仏往生こそが真実の教え(1)    6月 6日~
第1376回 念仏往生こそが真実の教え(2)    6月13日~
第1377回 真実の如来の言葉 「大無量寿経」    6月20日~
第1378回 お念仏によって方向転換する人生(1)   6月27日~
第1379回 お念仏によって方向転換する人生(2)   7月 4日~
第1380回 念仏と信心によって浄土の世界があらわれる   7月11日~
第1381回 聞法の道場に    7月18日~
第1382回 誤解されたお念仏   7月25日~
第1383回 往相回向・還相回向に集約される浄土真宗   8月 1日~
第1384回 ねがいの歌    8月 8日~
第1385回 今すぐに聞く   8月15日~
第1386回 宗教と道徳   8月22日~
第1387回 宗教と科学    8月29日~
第1388回 念仏は 唯一の道    9月 5日~
第1389回 阿弥陀経は 名医の言葉    9月12日~
第1390回 諸仏に護られる    9月19日~
第1391回 もうあう   9月26日~
第1392回 空過か 勝過か   10月 3日~
第1393回 世界の宗教と民族宗教   10月10日~
第1394回 後生の一大事  10月17日~
第1395回 仏智を疑う  10月24日~
第1396回 苦悩は なぜおこるのか  10月31日~
第1397回 苦悩を解決する道 (縁起をみる その1)   11月 7日~
第1398回 聞の宗教  11月14日~
第1399回 予告編   11月21日~
第1400回 老病生  11月28日~
第1401回 信心あらんひと  12月 5日~
第1402回 「なも」か 「なむ」か  12月12日~
第1403回 一時停止は 南无阿弥陀仏  12月19日~
第1404回 忙しいので   12月26日~
(令和 2年)  
第1405回 南无阿弥陀仏は   1月 2日~
第1406回 迷える者は道を問わず   1月 9日~ 
第1407回 内定通知    1月16日~
第1408回 煩悩を持ったままで    1月23日~
第1409回  自灯明とは   1月30日~
第1410回  よかったね   2月 6日~
第1411回 お念仏の人は    2月13日~
第1412回 48願の最初の願は   2月20日~
第1413回 地獄はあるのか   2月27日~
第1414回 ありがとう   3月 5日~
第1415回 終活で一番大事なこと    3月12日~
第1416回 聞くということ   3月19日~
第1417回 価値観の転換   3月26日~
第1418回 水の浮力   4月 2日~
第1419回 死と往生の違い   4月 9日~
第1420回 往生と成仏   4月16日~
第1421回 一切の聖教章の大意   4月23日~
第1422回 雑行・雑修自力の心   4月30日~
第1423回 ほんものの念仏   5月 7日~
第1424回 少しずつマシに    5月14日~
第1425回  怠け者   5月21日~
第1426回 人生を導く教え   5月28日~
第1427回 念仏は 目的   6月 4日~
第1428回 他力のお育て   6月11日~
第1429回 天眼通の誓い   6月18日~
第1430回 天耳通の誓い   6月25日~
第1431回 お世話され 上手になろう   7月 2日~
第1432回 お仏壇って 要りますか ?   7月 9日~
第1433回 仏様の視点   7月16日~
第1434回 発事とは   7月23日~
第1435回 常識を超える教え   7月30日~
第1436回 明るい未来が 開ける   8月 6日~
第1437回 誰に感謝するのか   8月13日~
第1458回 ともに   8月20日~
第1439回 宗教的目覚めを求める叫び   8月27日~
第1440回 命の長短を 超える   9月 3日~
第1441回 取り扱い説明書に気づく   9月10日~
第1442回 親鸞聖人の御恩   9月17日~
第1443回 親鸞聖人の他力観   9月24日~
第1444回 後生の一大事  10月 1日~
第1445回 磁石のたとえ  10月 8日~
第1446回 信心の行者  10月15日~ 
第1447回 すべては如来のお育て  10月22日~
第1448回 大悲還相   10月29日~
第1449回 歯医者さんの言葉   11月 5日~
第1450回 見て聴いてください   11月12日~
第1451回 怖さを知らずの皆様  11月19日~ 
第1452回 おまかせして生きる   11月26日~
第1453回 私の歩む道  12月 3日~
第1454回 素晴らしい発見  12月10日~ 
第1455回 信心は 如来の心  12月17日~
第1456回 最強のワクチン   12月24日~
第1457回 還相回向の菩薩方  12月31日~
    令和  3年  
第1458回 念仏の人を護る    1月 7日~
第1459回 二艘の船    1月14日~
第1460回 健康も病も    1月21日~ 
第1461回 好きか 嫌いか    1月28日~
第1462回 喜びを感じる力    2月 4日~
第1463回 老病死 と 老病生    2月11日~
第1464回 仏さまも 南無阿弥陀仏    2月18日~
第1465回 聞くこと    2月25日~ 
第1466回 待たれていた私    3月 5日
第1467回 小さな針箱    3月11日~
第1468回 言ってしまった一言    3月18日~
第1469回 母が植えた花     3月25日~
第1470回 頭がさがる人生     4月 1日~
第1471回 お念仏に 違いは    4月 8日~
第1472回 見守られている私     4月15日~
第1473回 愛敬父母     4月22日~
第1474回 人生の目的を    4月29日~
第1475回 人形を抱く 母    5月 6日~
第1476回 いつも見守る親    5月13日~
第1477回 私一人が苦労して    5月20日~
第1478回 二の矢を受けない     5月27日~
第1479回 今 よかろうか     6月 3日~
第1480回 声に余言をあらはさず    6月10日~
第1481回 お寺の近くに    6月17日~
第1482回 感じ 味わう力を     6月24日~
第1483回 背番号 17番     7月 1日~
第1484回 浄土真宗は 出会いの仏教    7月 8日~
第1485回 ありのままの自分との出会い    7月15日~
第1486回 声の仏さま 「南無阿弥陀仏」    7月22日~
第1487回 親鸞聖人を知ろう    7月29日~
第1488回 「阿弥陀さま」 との出会い     8月 5日~
第1489回 阿弥陀さまとの出会いを伝える    8月12日~
第1490回 たった2泊3日だけ?    8月19日~ 
第1491回 名前を呼ぶ    8月26日~ 
第1492回 本当の姿を映す鏡    9月 2日~
第1493回  お寺は どんなところ    9月 9日~
第1494回 「おぶっぱん」    9月16日~
第1495回 期待され 待たれている私    9月23日~ 
第1496回 お念仏は 讃嘆のことば     9月30日~
第1497回 今や 貴重な教えに   10月 7日~
第1498回 ご縁で人生は変わる   10月14日~
第1499回 平等な はたらき   10月21日~
第1500回 願いが届いたところ   10月28日~
第1501回 思い通りに    11月 4日~
第1502回 教信行証か 教行信証か   11月11日~
第1503回  温泉とお念仏   11月18日~
第1504回  みえないものでも あるんだよ   11月25日~
第1505回  釈尊も 南無阿弥陀仏   12月 2日~
第1506回  ご本尊は お釈迦さま 阿弥陀さま   12月 9日~
第1507回 すべての仏さまが 讃嘆される   12月16日~
第1508回  ご縁のある人 ない人   12月23日~
第1509回 人間の力の限界   12月30日~
        令和 4年  
第1510回 伝絵には 比叡山が    1月6日~
第1511回 よろこぶこころ 身にうれば     1月13日~
第1512回 のんのさま    1月20日~
第1513回 遇い難くして 今遇う    1月27日~
第1514回 平生業成    2月 3日~
第1515回 信心正因    2月10日~
第1516回 信心を いただくということ     2月17日~
第1517回 総代さんのお通夜    2月24日~
第1518回 総代さんへの弔辞     3月 3日~
第1519回 念仏者の生き方     3月10日~
第1520回 選択称名の願     3月17日~
第1521回 第17願     3月24日~
第1522回 限られた情報だけでは     3月31日~
第1523回 新しい会を 開きたいと    4月 7日~
第1524回 考えに 考えて 選ばれた道    4月14日~
第1525回 こころ ころころ     4月21日~
第1526回 私が ここにいるよ     4月28日~
第1527回 19願 20願     5月 5日~
第1528回 お寺 楽しいーん     5月12日~
第1529回 仏縁を結ぶ     5月19日~
第1530回 初めての道を行く     5月26日~
第1531回 浄土真宗は 讃嘆の教え     6月 2日~
第1532回 あじさいの花     6月 9日~
第1533回 一番上等のお供え    6月16日~
第1534回 ただ 「今」 を 生きる     6月23日~
第1535回 歩くカラス     6月30日~
第1536回 命の代表選手     7月 7日~
第1537回 サラダ記念日    7月14日~
第1538回 半 眼    7月21日~
第1539回 仏さまになって    7月28日~
第1540回 かくれんぼ    8月 4日~
第1541回 大丈夫は 優しい言葉    8月11日~
第1542回 見えないぬくもり    8月18日~
第1543回 人の為は 偽    8月25日~
第1544回 知ろうとすること わかろうとすること    9月 1日~
第1545回 いつも一緒のアミダさま    9月 8日~
第1546回  健康寿命日本一    9月15日~
第1547回 お世話したのか されたのか     9月22日~
第1548回 驚いたこと     9月29日~
第1549回 お母さんの写真が   10月 6日~
第1550回 しあわせな人生    10月13日~
第1551回 かけがえのない君へ   10月20日~
第1552回 朝のどまんなかに   10月27日~
第1553回 片道か 往復か   11月 3日~
第1554回 誓いと 願い   11月10日~
第1555回 言葉で 救う   11月17日~
第1556回 人間にわかる言葉で    11月24日~
第1557回 お念仏は 公の言葉    12月 1日~
第1558回 伝え 伝えて   12月 8日~
第1559回 お仏壇の前で   12月15日~
第1560回 何事も お念仏の助縁   12月22日~
第1561回 遇い難くして 今遇う   12月29日~
            令和 5年  
第1562回 深い 深い 思い    1月 5日~
第1563回 最も確実な親孝行は    1月12日~
第1564回 酔っぱらって    1月19日~ 
第1565回 親は 子どものために     1月26日~
第1566回 最も度し難いのは この私    2月 2日~
第1567回 はたらき続ける仏さま     2月 9日~
第1568回 お浄土への道     2月16日~
第1569回 等しく ~すべてのものを~    2月23日~ 
第1570回 還相の菩薩さま方     3月 2日~
第1571回 願いを伝えていく   3月 9日~ 
第1572回 お育ていただくと     3月16日~
第1573回 合格通知が届きました   3月23日~
第1574回 お浄土も人手不足か    3月30日~
第1575回 信心喜ぶ そのひとを     4月 6日~
第1576回 すれ違い 行き違い   4月13日~
第1577回 法事の参拝者は    4月20日~
第1578回 親のよび声   4月27日~ 
第1579回 問題は 内側に    5月 4日~
第1580回 葬儀をなぜするの?    5月11日~ 
第1581回 お経を聞くと アルファー波が   5月18日~
第1582回 忘れなければ 生きていけなかった   5月25日~ 
第1583回 新しい領解文   6月 1日~ 
第1584回 仏前結婚式での ご法話   6月 8日~ 
第1585回 頼まないのに 呼びかけ   6月15日~
第1586回 ちゃんと見られている   6月22日~
第1587回 人は 誰しも いつかは   6月29日~
第1588回 きく・菊・聴く・聞く    7月 6日~ 
第1589回 仕合わせな人生を    7月13日~
第1590回 仏教のことば    7月20日~
第1591回 しあわせ 幸せ 仕合わせ   7月27日~
第1592回 仏法は 聴くべきもの    8月 3日~ 
第1593回 この世に 無駄なし    8月10日~
第1594回 受け継がれていくもの   8月17日~ 
第1595回 物差しを変える     8月24日~
第1596回 疑り深い私のために    8月31日~
第1597回 さるべき業縁のもよほさば    9月 7日~
第1598回 さとりの身となって    9月14日~
第1599回 子どもや孫の将来を思うと     9月21日~
第1600回 私の生活の中に     9月28日~
第1601回 溺れる人がいれば   10月 5日~
第1602回 難しい道と 易しい道    10月12日~
第1603回 つれていくぞの 親の呼び声    10月19日~
第1604回 今 困っていても    10月26日~
第1605回 組織は 人で    11月 2日~
第1606回 まだ 間に合う   11月 9日~
第1607回 逃げ回る 落ち葉    11月16日~
第1608回 プレゼンの原語は   11月23日~
第1609回 里帰り 「あら お帰り   11月30日~
第1610回 自分が居なくても   12月 7日~
第1611回 何がしあわせ   12月14日~
第1612回 育ち盛り ~いつも私を~   12月21日~
第1613回 卒業式 入学式    12月28日~
           令和  6年  
第1614回 生かされている不思議   1月 4日~
第1615回 ただ念仏して    1月11日~
第1616回 渋柿の渋   1月18日~
第1617回 梅は こぼれる 菊は舞う    1月25日~
第1618回 遠くて 近いのは    2月 1日~
第1619回 遺伝に加えて    2月 8日~
第1620回 赤ちゃんに聞く    2月15日~
第1621回 ける かるのご法話   2月22日~
第1622回  諦めず呼び続ける   2月29日~
第1623回 はたらき続ける    3月 7日~
第1624回 いつも 私を   3月14日~
第1625回 みんな違って みんないい    3月21日~
第1626回 これさえ残せば   3月28日~
第1627回 体の中では 変化が    4月 4日~
第1628回 仏さまは 忘れずに   4月11日~
第1629回 視点が変われば 世界が変わる    4月18日~
第1630回 よろこぶ こころ みにうれば   4月25日~
第1631回  いつも一緒に   5月 2日~
第1632回 母の日のプレゼント   5月 9日~
第1633回 よく頑張ったね   5月15日~
第1634回 お任せします 有り難うございます   5月23日~
第1635回 孫たちのために   5月30日~
第1636回 まずは 仏さまに    6月 6日~
第1637回 かんしゃくのくを 捨てて   6月13日~
第1638回 因を知り 感じる力    6月20日~
第1639回 かっこいい大人に    6月27日~
第1640回 浄土真宗にないもの   7月 4日~
第1641回 いつも一緒の阿弥陀さま    7月11日~
第1642回 誰の安心のためか   7月18日~
第1643回 感じ取る力   7月25日~
第1644回 気づかない 私が   8月 1日~
第1645回 未来は 前か 後ろか   8月 8日~
第1646回 お母さんの一言   8月15日~
第1647回 さいごの仕事   8月22日~
第1648回  まだ仕事が残っています   8月29日~
第1649回 あんたが悪い   9月 5日~
第1650回 自分の姿を鏡で見る   9月12日~
第1651回  はじめての道 はじめての人生   9月19日~
第1652回  法座 & フォークソング   9月26日~
第1653回  墓友 ~この世からの仲間~  10月 3日~
第1654回  ハチドリのひとしずく  10月10日~
第1655回  後になって 気づく  10月17日~
第1656回  救われる私  10月24日~
第1657回  私が仏になる  10月31日~
第1658回  私は 私でよかった  11月 7日~
第1659回  願いを知る  11月14日~
第1660回  親の足を洗う  11月21日~
第1661回  周りに迷惑をかけて  11月28日~
第1662回  ハッピーバースデーだね  12月 5日~
第1663回  絵本の読み聞かせ  12月12日~
第1664回  良いことをするときには  12月19日~
第1665回  浄土真宗は 有り難いですね  12月26日~
          令和 7年  
第1666回  私の宝ものです   1月 2日~
第1667回  これもご報謝   1月 9日~
第1668回  世間か 娑婆か   1月16日~
第1669回  マルテンを見ると   1月23日~
第1670回  大丈夫 大丈夫 順調 順調   1月30日~
第1671回  良かったね 母さん   2月 6日~
第1672回  今 ここに 生きる   2月13日~
第1673回  鏡で見ると   2月20日~
第1674回  アリガトウ   2月27日~
第1675回  対治 と 同治   3月 6日~
第1676回  籠を水に   3月13日~
第1677回  いつもいっしょ   3月20日~
第1678回  私と 仏さま   3月27日~
第1679回  自分自身を 採点すると   4月 3日~
第1680回  相続していますか   4月10日~
第1681回  知恩報徳   4月17日~
第1682回    4月26日~
第1683回  




                       
               妙念寺



記載者 住職  藤本 誠

 
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