見て・聞いて
仏教は、さまざまな説き方が
あります。
南無阿弥陀仏の教えは、
その中の一つです。
仏説無量寿経に説かれる
阿弥陀如来の本願の
はたらきで、すぐれた功徳を、
すべての衆生に与え、
「南無阿弥陀仏」一つで、
救われることを、教えて
くださったのが親鸞聖人です。
親鸞聖人を、宗祖と仰ぐ、
浄土真宗の本願寺派。
そこに所属する九州・佐賀の一寺院で
製作しているのがこのホームページです。
「南無阿弥陀仏」の味わいを、電話で
お話ししています。毎週木曜日に、
内容を変更しています。
法話原稿をこのページに掲載して
います。ここで、「見て、聞いて」 ください。
メールマガジン始めました 「こんな話を聞きました」。
ユーチューブ 妙念寺
(佐賀局 ニシ ホンガンと
記憶してください。)
24はニシ、西。 本願は、18願。
そこで、24-1800は、西本願
第1664回 良いことをするときには
令和6年 12月19日~
令和6年の正月は、早々に 大きな地震が発生、そこに
救援物資を、繰り返し運んでいた海上保安庁の飛行機が、羽田空港の
滑走路で事故に遭遇し、大変悲しい辛い年明けとなりました。
その事故原因調査が進められていますが、飛行機に設置されていた
ボイスレコーダの解析などから、残念ながら指示を間違って受け取り、
滑走路手前で待つべきところを、滑走路の中に入ってしまい、それが、
事故の原因だったようです。
普通は、機長、副機長が管制官からのことばを、再確認するものの
ようですが、被災地へ何度も救援物資を運んでいるこの飛行機を
最優先に、出発できるよう、周りが誰もが配慮してくれているとの、
誤解が、思い込みがあったようです。
人は 自分の為、自分の利益のために努力しているときなど、
どこか後ろめたさがあるためか、充分に配慮して行動しますが、
良いこと、人に為になることに邁進しているときには、どうしても
注意が散漫になることがあるようです。
周りのみんなが、自分と同じように考えて、心配りをしているのだろう
誰もが自分たちと同じ気持ちでいると思い、感じて、突き進んで
しまうことがあるようです。
良いことをするときには、ついつい間違いを起こしてしまうものです。
悲しいことですが、辛いことですが、人間はそのように出来ているようです。
そして、僧侶である自分もまた、仏さまの教え、仏法を多くの人に
知ってもらおうと、良いことをしていると思い、注意を怠り
周りの人や 相手の気持ちに無頓着になって、突き進んでいるのだろうと、
このニュースを聞きながら感じています。
良くないこと、自分にとって有利なこと、少し後ろめたいこと、
恥ずかしいことを 実行するときのように、良いこと、人の為になることを
するときには、油断せずに充分に配慮しないと、折角の努力も
かえってマイナスになってしまうこともあるのだろうと、
心にかみしめています。
何がご縁になるか分かりませんが、力まずに 淡々と お念仏の
味わいを 表現することで、後は 仏さまのはたらきに お任せ
することだと、意気込まないことが大切だろうと思います。
日頃、車で走るときも、横断歩道でないところを、歩行者が横切ろうとして
いるときなど、安慰に道を譲るのではなく、周りをよく注意をして
行動しないと、親切にしたことが、かえって悲しい結果を
もたらす事があるものと思います。
自分が、良いことをしていると思ったときには、慢心にならずに
充分に気をつけて、周りをよく見ながら、誰もが自分と同じ考えではないと
意識しながら、行動することが大事であると 改めて感じています。
第1663回 絵本の読み聞かせ
令和6年 12月12日~
大阪に行信教校という 浄土真宗の専門学校があります。
そこの校長先生だった方が、こんな話をされたことがあると
いいます。
子どもが夜寝る前に 親が絵本を読み聞かせて
寝かしつけることがあります。
その絵本の内容を 子どもに伝えようということよりも、
子どもに添い寝して一緒にいるから安心しなさい、
ちゃんと母さんは 父さんはここに居るよと
寄り添うことで、子どもは安心して眠りにつけるのです。
浄土真宗のお説教は この読み聞かせと同じようなもの、
辛いこと悲しいこと悩み苦しんでいるこの私に、心配しなくていい
いつも一緒にいるから大丈夫 大丈夫 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と 阿弥陀さまが呼びかけていただいていることを、
繰り返し繰り返し 聞かせていただくのだと、
教えていただいたと言います。
先日亡くなった 詩人の谷川俊太郎さんが、若いお母さんの質問に
こんな答えをしたと聞きました。
私は、夜になると、一日が終わることと、いつか死ぬことが怖くて
怖くて泣いていた子どもでしたが、娘も同じように「死ぬのが怖い」と
夜な夜な泣く子です。母親として、どんな言葉をかけてやったら
いいのでしょうか、という質問です。
これに対して谷川さんの答えは「抱きしめて、母さんも死ぬのが
怖いと一緒に泣けばよい」。
「大丈夫 大丈夫ではなく、母さんも怖いよと伝えること。
人は誰でも死ぬ。みんな怖いのです。
抱きしめてそのことを、子どもに伝えてあげたほうが良い」と。
詩人の谷川さんは、そんなときには言葉ではなく
しっかりと抱きしめて 一緒に泣いてあげることですよと。
言葉を大事にしている方が、言葉ではなく、寄り添い
抱きしめてあげることですとの意外な回答だったと言います。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も 阿弥陀さまがいつも一緒だよ
何があろうと、どんなことがあろうと、私が一緒だよと
呼びかけ、私を抱きしめてくださっている、そう味わうことで
どんなことが起こっても、何があっても、この人生は 安心です。
それには、繰り返しお聴聞することが大事なことです。
そして、阿弥陀さまと一緒になって、今は亡き、父も母も
祖父母も私の大切な人が、みんな揃って、私を見守り 抱きしめ
支え続けてくださっていることを、自分でお念仏し、耳で
南無阿弥陀仏の声を聞かせていただくことで、怖さも吹き飛んで
安心して生きていけるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その呼びかけの声です。
第1662回 ハッピーバースデーだね
令和6年12月5日~
こんな話を聞きました。
とても熱心で、厳しく、しかし誰にでもやさしかった門徒総代さんの
お葬式の時のことです。
開式のアナウンスがあり、全員で合掌礼拝をして、キンを
打とうとした時のことです。
「ハッピーバースデーだね」と 幼いお嬢さんの元気な声が
会場に響きました。
葬儀のお勤めを始めましたが 子どもさんの言葉が、気になります。
確かに お葬式は、お浄土へ生まれた お祝いの会なんだと味わえます。
亡くなった総代さんは、自分が死んで居なっても
お浄土へ生まれて 仏さまになるのだよと、可愛いひ孫さんに
言い聞かせていたのだろうなあと、総代さんの写真を見ながら、
その思いに 気づき だんだんと有り難くなってきました。
お勤めが終わり、喪主の方が控え室へ挨拶にこられて
「先ほどは大変失礼しました。」と謝られます。
「何でしょう」と聞くと 「孫が 大きな声で
あんなことをいってしまって 大変申し訳ありません」と
恐縮しておられます。
「いやいや、きっとおじいちゃんが ひい孫さんへ お話をされて
いたんでしょうね。とても有り難い事ではないですか」と言うと、
「実は つい先日 あの子の2歳の誕生パーティーを
開いたばかりで、そのときにローソクを付けてお祝いしましたので、
今日 またローソクを見て 誕生会のことを 思い出し、
場所もわきまえず 大変申し訳なく思っています」と仰います。
お孫さんは そうだったのかもしれませんが、あれほど熱心に聴聞された
有り難い総代さんのことですから、死んだんじゃないよ、お浄土へ生まれて
仏さまといっしょに、お前達のことを 応援しているぞと、
お孫さんの口を通して 教えて頂いたんじゃあないでしょうか。
本当に有り難いことですねと。お話ししました。
お通夜は 娑婆のお別れの会 人間の卒業式とおしゃる方があります。
そして、お葬式は、お浄土の入学式 仏さまの就任式であると、
ですから、確かにお浄土へお生まれになって 仏さまになられたということは
喜びのお祝い ハッピーバースデー に違いありません。
仏さまは いろいろの人を通して そのはたらきを教えてくださっています。
ところが、それに、ほとんど気づかないでいるのが私たちです。
南無阿弥陀仏の声は そうした仏さまになられた方々の はたらきかけ
呼びかけの言葉なのでしょう。
耳を澄ませて 先輩方の呼びかけを 願いを、しっかりと聞かせていただき
生きがいある喜び多い毎日を 南無阿弥陀仏とともに過ごさせて
いただきたいものです。
第1661回 周りに迷惑をかけて
令和6年 11月28日~
仏教では「多くのお陰によって生かされている」と教えてくれています。
植物や動物の生命を奪うことでしか、人は生きることができません。
そのことへの「痛み」があってこそ「人間」であり、痛みを失ってしまえば
人間とはいえません。
(「無慚愧は名づけて人とせず」・慚愧は罪に対して痛みを感じ、
罪をおかしたことを羞恥する心。慚愧がなければ、人と呼ぶことは
できないという意味。涅槃経の言葉を 教行信証に引用)
慚愧がないことは、畜生という主体性を失った生き方(飼い主に
生殺与奪の権利を握られ)、欲に振り回されている存在(餓鬼)に
なってしまうと教えています。
それでは長生きをしても喜べず、むなしく過ぎる人生を送ることに
なるというのです。
私たちはすでに人間として生まれていると思っていますが、
仏教では、多くの「お陰さま」を、感じることができて初めて
人間と言えるというのです。
外見は人間でも、中身が餓鬼畜生のような在り方なら、間柄を
受け取れる智慧の目がないと、人は傲慢なる危険性があり、
相手に迷惑をかけ、苦しめる三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の
世界を生きることになるのです。
「人間」、それは、間柄を生き、あらゆるものと関係をもって
存在しています。
単独の存在を主張する人は、あたかも真空パックの中に
いるようなものです。三分間も経てば酸欠で必ず死を迎えます。
人間のありさまの過去・現在を、あるがままに見ると、
父母をはじめ、あらゆる存在の犠牲の上に今、現に存在して
いるのです。
いくら「誰にも迷惑をかけてない」と、うそぶいてみても、
人は周りに迷惑をかけずには生きていけません。
私たちの分別は、科学的思考を信条としていますが、
戦後の貧しさを克服して、物質的に豊かな国になった成功体験から、
仏教などなくても生きていけると、傲慢になっているのでは
ないでしょうか。
いくら科学・医学が進歩しても、人間は「老病死」を免れる
ことは出来ません。
迷いの人生の苦しみを超える仏教の教え、私たちの分別の
次元を超えた(異質な)仏の世界に触れることによって、
私のあるがままの姿に気づき、目覚めさせられるのです。
仏の心に触れるとき、「人間として生まれてよかった。生きて
きてよかった」という人生を生きることに導かれるのです。
田畑正久著 「生きることを教える仏教」本願寺出版社
第1660回 親の足を洗う
令和6年11月21日~
こんな話を聞きました。
ある会社では、入社試験に毎年、「これから三日の間に、
お母さんの足を洗って、その感想文を提出してください」という
問題を出すそうです。
学生達は、簡単な問題でほっとして、会社を後にしますが、
なかなか母親に言い出すことが、できない人が多いようです。
ある学生は、二日間、言い出せず、やっと三日目、ようやく
母親を縁側に連れて行き、その足を洗おうとしましたが、
その足の裏が、あまりにも荒れ放題で、ひび割れているのを
掌で感じて、絶句してしまったといいます。
「
この荒れた足は、自分達のために働き続けてくれた足だ」と、
胸が一杯になり「ありがとう」と、つぶやくと
それまで、ひやかしていた母親は、声を詰まらせ「ありがとう」と
言ったまま黙り込んでしまいました。
「私はこんなに素晴らしい経験をしたのは初めてでしたと・・・・」
今まで 自分の頑張り、努力したことばかりを意識していましたが、
自分のために、はたらいてくれた親の苦労に はじめて気づきましたと。
親鸞聖人が 29歳のとき、比叡山を降りて法然聖人のもとを
訪ねられたときも それまで、自分の力で修行をすることばかりを
考えていたのに、自分の努力以上の、仏さまの大きなはたらきかけに、
気づかれたのでしょう。
自力から他力への転換です。
お釈迦さまの時代、仏足頂礼 仏前にひざまずき、
仏足を自分の頂にあてて礼拝することを最高の敬意を表すことと
されていたようですが、これも、ことによると、教えを説き、各地へ
休むことなく厳しい旅を続けられて 痛んだその足を拝むことで、
そのご苦労を改めて気づき、味わい、感謝することを意図したのかも
しれません。
私たちは、自分の行いや努力、自分のことしか気づきませんが、
お念仏にあうことで、南無阿弥陀仏を聞くことで、私のために、
いかに多くのはたらきかけが、ご苦労があるかに気づかされ、
感謝する力が育てられていくのです。
感じる力が育ってくると、なんとありがたい人生であったかと
味わうことが出来るのです。
気づくことができないと、自分ひとり苦労して、何もいいことは無かったと
辛い苦しい人生だったとしか、味わえないで一生を終わるのです。
気づくか 気づかないか、感じるか感じないか、それで、まるで
違った人生となってしまうのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を聞く度に だまって私のために
はたらきかけてくださる 多くの有り難いはたらきかけが 力があることに
改めてはっきりと、気づかせていただきたいものです。
第1659回 願いを知る
令和6年 11月14日~
月忌参りをはじめ、本堂での法座では、いつも「正信偈」を
お勤めしています。
お仏事ですから、阿弥陀経などお経をお勤めするのが普通でしょうが、
親鸞聖人のまとめていただいた「正信偈」を、いつも拝読しているのには
大きな理由があります。
お釈迦様の教えは 八万四千の法門といわれるように数多くあると
言われます。
しかし、その多くは 出家して、厳しい修行をし、さとりを
開こうとする、お弟子さん達のために説かれたものと言われます。
ところが、私たちは 出家していません、修行をするような
気持ちもありませんし、また、その能力もありません。
そうした私たちをも、何としてでも救いたいと、阿弥陀さまは、
はたらき続けておられると、お釈迦さまは、教えていただいているのです。
わがままで、自分が生きるためと、生き物のいのちを奪い、
罪の意識もなく平然と生きています。
しかし、その報いで、私は必ず地獄にいく生き方をしているのです。
それなのに、阿弥陀さまは自分の国、お浄土へ生まれさせて、
救いたい、何としても仏にしたいと、南無阿弥陀仏のお念仏となって
はたらき続けておられるというのです。
親鸞聖人自身は 出家して修行をして さとりを得ようと
努力された方でした。
しかし、すでに末法の世、自分で努力しても、人間の力では
決してさとりを得ることの出来ない時代であることを知り、
お念仏の教えでしか、救われないことを、法然聖人に
出会うことで、はっきりと理解されたのです。
これはインド、中国、日本の優れた先輩たちが
自分自身で味わい喜び、伝え残していただいた、有り難い教えであると、
教行信証にまとめていただいてるのです。
ですから、正信偈のおつとめをするのは、数多くの教えがあるものの
今の時代、この私が救われる教えは、このお念仏の教えしか無い。
他の教えでは、助かることは出来ないと教えていただいているのです。
そして、ご和讚で詠んでいただいたように
安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし
お浄土へ生まれて仏と成って、はたらいておられる
両親や 祖父母・多くの先輩の方々は、お釈迦様のように
私のために この教えでしか救わる道はないと勧めて
いただいているのです。
いつも正信偈を拝読しているのは 先だった両親の
遺言を読み直すようなもの、親の願いを聞くことなのです。
なかなか親の願いに気づくことができませんが、
その思いに、願いに出会うことが出来ているのです。
遺言書を 読むように、親の願いを味わわせていただき、
お勧めいただいているとおり、お念仏して、同じお浄土へ
生まれるものとしての生き方をさせていただきたいものです。
第1658回 私は 私でよかった
令和6年 11月7日~
こんな話を読みました。お医者さんでお念仏の人、
田畑正久先生の本で「生きる ことを 教える仏教」
その中の「私は 私でよかった」という内容です。
日常生活で、われわれは 事に当たって 何か判断する時、
私にとって 善か 悪か、損か 得か、勝ちか 負けかを 考えます。
われわれが善いもの、得になるもの、勝ちになるものを
集めようとするのは、そうすることで 自分の人生を
充実したものにしたい
という心が 働いている
からだと思われます。
世間的には 自分を 充実させるもの として、良好な人間関係、
経済的安定、社会的評価や 健康等を 考えます。
しかし、それらは 相対的なものですから、どこまで
手にすれば 満足することに なるか わかりません。
人間を 一番 困らせるのが「 死 」です。
哲学者のフィヒテは「 死というものは、どこかに
ある
のではなくて、真に 生きることの できない人に
対して のみある 」と言われています。
フィヒテの言う「 真に 生きる 」とは、「 足るを知って 生きる 」
「 私は 私で よかった 」「 完全燃焼 できた 」
「
生きてきて よかった 」と いうような 生き方だと 思われます。
江戸時代の思想家で、医師でもあった 三浦梅園の書に、
「 人生 恨むなかれ 人知るなきを 幽谷深山 華 自ずから 紅なり 」
( 他人が 自分のことを 評価してくれなくても 嘆くことはない。
深山幽谷に咲く花は、誰かに 見られなくても 精一杯
見事な花を 咲かせている )
最後の「 華 自ずから 紅なり 」は、私は 私でよかったという
「 真に 生きる 」ことを 表現した言葉と
思われます。
「
真に 生きる 」ことのできない状態を、仏教では 餓鬼、
畜生と
表現することがあります。
餓鬼とは、いつも
何かを 取り込まないと 満足できず、
常に 取り込もう、取り込もう としている 状態を 示します。
畜生は 家で飼っている ペットのようなもので、
飼い主の顔色を うかがいながら 生きて、主体性が 無い状態です。
自らに 由ってない、自由でない 生き方です。
「
真に 生きる 」とは 足を 知って、主体的に 自由自在に
生きることを示しています。
自分に 与えられた 場を、「 これが 私の現実 」と
受け取れる人は、その場で
精いっぱい 生き切ることが
出来るでしょう。
あとは 安心して「 仏へ お任せ 」になるのです。
田畑正久著 「
生きる ことを 教える仏教 」本願寺出版社刊
第1657回 私が 仏になる
令和6年10月31日~
やがて、「仏に成る」ことが、なかなか理解出来
ないという方があります。
阿弥陀如来という仏さまは 一人も漏らさず必ず仏にしたいと、
宇宙的長い間自分で修行をし、南無阿弥陀仏を口にするものを、
お浄土へ必ず生まれさせ、仏にし 続けておられると、
お釈迦さまは説かれています。
それで、親鸞聖人は 念仏をしようと思うこころがおこった時
摂取不捨の利益、間違いなく仏の仲間であると、言われた
と歎異抄にあります。
仏教は 因果の道理 自業自得が説かれており、
自分でつくった原因は 必ず自分に帰ってくると。
そこで、生き物を殺さないこと、(不殺生)、盗みをしない(不偸盗)、
よこしまな姓の交わりをしない(不邪淫)うそをいわない(不妄語)、
酒を飲まない(不飲酒)など、慎むべきことが説かれています。
生き物を殺すと、その報いを受けることになると。
しかし、皆やっていることで、生きていくためには必要なことだと
何の心配もしていませんが、その報いを受けることは間違ないのです。
そこで、地獄にしかいけない自分であると、気づき、
仏さまの助けが必要であり、 阿弥陀さまは この私のために
お念仏を与えていただいたと、理解し、味わえるように
なったものを、真実に気づいた人、目覚めた人を、本当の人間、人間になったと
いうのでしょう。
私たちは人間に生まれ、すでに完全な人間になっていると
思っていますが、実は、そうではなく、いつも満足出来ずに、
欲望を追い求めて飢餓の状態、餓鬼の毎日であり、
動物のように養われ、本能のままに生きている畜生の生活、そして
絶えず対立し闘争する 修羅の人生、まさしく六道の餓鬼、
畜生、修羅、地獄のような苦しみの生活をおくっているようです。
自分の行いの報いで、自分の行き先は 間違いなく地獄であると
理解できたとき、阿弥陀如来のはたらきでしか、救われることは
ないのだと味わえて、南無阿弥陀仏と、お念仏を口にしようとするとき、
はじめて人間になったということなのでしょう。
親鸞聖人は、「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は
一定すみかぞかし。」とおしゃっていたと。
この私は、地獄にしか行くところがない 南無阿弥陀仏の
はたらきでしか、救われることはないのです。
本当の人間になり、お念仏を口にすることができれば、やがて間違いなく
お浄土へ生まれることが出来る、お念仏の人は もう仏の仲間であると。
私たちは、私、私と 自己主張をしていますが、
私の字から 人を引くと 仏になると 漢字ではみえます。
のぎへんから -(マイナス) 人 は、にんべんとなります。
私は 仏になれるのです。
本当の人間に成り、やがてお浄土で仏になる、それは
私の力ではなく、仏さま 阿弥陀さまのはたらきのお陰なのです。
そして今、感謝報恩のお念仏が出来る 仏の仲間の生活を
送っているのです。
今の状態から、もっとよくなる浄土へ生まれるのではなく、
地獄へ行くべき所を 救われてお浄土へ生まれ仏になれるのです。
第1656回 救われる私
令和6年10月24日~
こんな話を聞きました。
祖父の33回忌法要のために、四国に帰り、祖父が
長年書き綴ったものを、見るご縁がありました。
戦前のこと、成績が良かった長男に期待して 地元の学校ではなく、
海を渡った広島の学校に入学させ、その成長を楽しみにしていました。
ところが、昭和20年、原爆が投下され、広島の親戚が、探し回り
被爆して横たわっている長男を発見し、連れ帰ってくれましたが、
30分もしないうちに「おやすみ」と、一言残して息絶えてしまった
ということです。
電話も手紙も通じず、やっと、6日の後、遺骨になった我が子と
対面することになりました。
見取ってくれた親戚に、自分たち父や母のことを、何か口にしなかったかと、
何度も確かめましたが、「おやすみ」の言葉だけで、他には何も
言わなかったと聞かされ、子どものためと思って、遠い広島の学校に
一人で出してしまって淋しかったのではないか、恨んでいたのではないかと、
悔やまれ、それからは悲しく苦しい毎日だったとあります。
この子がどんなところにいようとも、なんとしても
助けなければいけない、救ってやらねばならないと、それからは
お聴聞を繰り返す生活をしていましたが、あるとき、ふと気づかせて
いただいたと。
自分が救おう、自分が仏となって救おう、救ってやろうと思っていたが、
あの子のご縁で、こうしてお聴聞させていただいているのである、
救われなければならないのは、若くして亡くなった子どもではなく、
この子をご縁として、私こそが救われているのではなか。
救う側ではなく、自分は救われる側であったと、
味わえるようになったと書かれていました。
本願寺第十四代ご門主 寂如上人は
引く足も 称える口も 拝む手も
弥陀願力の 不思議なりけり
こうして、お仏壇の前に座り、本堂にお参りし、おつとめをして
お聴聞し、お念仏を口にし、手をあわすという尊いご縁は、
私の力ではなかった、阿弥陀さまのはたらきのお陰であったと。
そして、そのご縁を結んでいただいたのが、若くして亡くなった
あの子であったと味わえるようになったと。
第1655回 後になって 気づく
令和6年10月17日~
あるお寺の掲示板に 「後になって気づく ことばかり」と
ありました。
あの時、ああすれば良かった、こうすればよかったと、後になって
悔やむことがあります。
歳を重ねてくると、若いころ気づかなかったことに、あれは
ああ、そうゆうことだったのかと、有り難く感ずることも
多くなるものです。
前もって 気づくことが出来ればいいのですが、後になって、
反省したり、悔やんだり、感激したりしています。
ネットに 前もって気づくには、どのようにすればいいですかと、
尋ねると、「経験者や先輩に聞くこと」との返事が返ってきました。
そういえば、親鸞聖人は 教行信証の最後に中国の道綽禅師の
『安楽集』の言葉「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」
と書かれています。
「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は
先人の生きた道を問いたずねよ」という呼びかけです。
訪え、尋ねることを、とぶらえ(訪え) 訪問する家庭訪問の訪の字が
使われています。
訪ねていって聞くということでしょう。
仏教は、お釈迦さまが説かれた教え、人生を深く見つめて悟られた内容を
多種多様に説いていただいています。
その神髄を、800年前の親鸞聖人は インド中国そして日本の優れた
先輩が理解し味わわれ、解釈していただいた内容を、教行信証に
まとめて表し、私たちに残していただきました。
そこで、仏法を聞く、お聴聞するということは、訪ねて
先人に、経験者に訪ね、聞くことなのです。
このお念仏の教えに遇うことが出来れば、後になって気づく
のではなく、今、前もって気づかせていただくことが出来るのです。
失敗し後悔するのではなく、気づいていなかった親切や思いやり、
温かい はたらきかけにも 気づかせていただくのです。
良いことも悪いことも、後で気づくのではなく、今 前もって
気づかせていただける、それが、お念仏に生きる人の特徴だと
いえましょう。
そして訪ねれば、訪ねるほど、有り難くなり、喜びがましてくるのです。
後悔や 反省することよりも、感謝の思いが深く味わえてくるのです。
何事も当たり前になって、気づいていなかった
仏さまのはたらきを、はっきりと感じ、味わえ、喜ばせて
いただけるのです。
それが、お念仏の生活、南無阿弥陀仏に遇えた人生です。
第1654回 ハチドリのひとしずく
令和6年 10月10日~
こんな話を聞きました。
「ハチドリのひとしずく」という 物語です。
森が燃えていました
森の生き物たちは、われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
と言って笑います
クリキンディは、こう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
南米のアンデス地方に伝わるお話だといいますが、
この物語を翻訳し出版されると、大きな反響があるようです。
多くの小学校では、この森の火事はこの後、どうなったのでしょうかと
子どもたちに問いかけると ほとんどの学校では
「ハチドリの姿を見て、森の動物たちも、火を消すことをはじめ、
森の火は、やがて消えました。」との回答がほとんどだといいます。
純粋な子どもたちは、先生の問いかけに、授業の時間ですから、
正しい答えは何かと考えて、そのように回答するようですが、
世間の現実を知っている、大人の世界では、はたしてどうゆう
答えが返ってくるのでしょうか。
大きな出来事だけではなく、身近な問題、小さな出来事でも
自分の出来ることを、無理だと思っても、無駄だと思えても
ほんの小さなことでも行動し、活動し続けていきたいものです。
そして、浄土真宗の門徒の私たちは、まず出来ることは、何か、
それは、声にだして、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と口にする
ことなのかもしれません。
その声が、少しでも聞こえてくると、やがて、仏さまの仲間が
増えていき、仏さまの願いが、はたらきが味わえる人の輪が、広がって
世界は少しづつ、変わっていくのだろうと味わいます。
ほんの小さな声の南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏でも、
仏さまのはたらきかけ、やがては、大きな変化が起こって
くることでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1653回 墓 友 ~この世からの仲間~
令和6年 10月3日~
お墓を維持していくことが出来なくなったと、墓所を
整理する人が増えています。
少子化で、後を見る人がいなくなったとか、地方の
出身者が都会へ出て、もう故郷には帰って来ないなど、お墓が
あることが負担となっている人が増えてきたようです。
先祖から受け継いできたもの、粗末には出来ないものの、
なかなかうまく維持できず、どうすればよいのか、関係者に
とっては、お墓の存在は 切実な問題のようです。
また、お墓を持たない人は、お骨を海にまく散骨や、
樹木の元に納める樹木葬などが注目されてはいますが、
なかなか、そこまでは踏み切れず、それといって、新しく墓を
ひとりで建てるのは無理だと、仲間でお墓を建てようという墓友、
お墓に一緒に入る仲間を募って、お墓を建てようという動きが
あるようです。
死んでからだけではなく、同じことなら、生きている間に
親しい仲間になろうではないかという、墓友の会というのがあると
テレビで放送していました。
親子や兄弟などの血縁関係ではなく、友達で一つの墓を建てようと
いうお墓の友だち、お墓の仲間・グループです。
お稽古事や、趣味の仲間、友だちは、元気で、生きている間だけのこと、
墓友は、生きている間だけではなく、いのち終わっても
ずっと一緒の仲間であると、まったくの赤の他人が、あの世までも
一緒しようという話です。
このテレビの内容を聞きながら、浄土真宗のご門徒は、みんな
墓友ではないかと思えてきました。
同じお墓ではないものの、同じお寺の境内の墓地に入り
そこに留まるのではなく、みんなお浄土で仏さまになる。
そして、仏さまとして、人々を救うはたらきをするのです。
テレビでは、墓友という新しい仲間づくりをする、斬新な発想と、
紹介していましたが、もう、数百年も前から、真宗門徒は
存在していました。
この世だけではなく、お浄土でも共にはたらく仲間、それが、
浄土真宗の門徒ではなかったかと、味わっています。
そして、浄土真宗の仲間は、いのち終わっても
一緒に、よろこびをもって はたらく仲間です。
しかも、時代を超えて 両親や祖父も、ずっと前の多くの祖先とも
再開し、共に同じ 喜びと生きがいをもって、活躍できるのです。
そして今、やがて仏となる仲間と一緒に、生きているのです。
みんな一緒にお聴聞をし、御斎を共にし、共におつとめをし、
共に歌い、共に笑って、共に泣き生きているのです。
限られたこの世の短い間だけではなく、末通って、共に生きる仲間、
それが浄土真宗の門徒なのです。
第1652回 法座 & フォークソング
令和6年 9月26日~
ご法座の多くは 午後の1時半から始めていますが、
お彼岸法要と門信徒総会・降誕会の時だけは
午前中にスタートしています。
親鸞聖人の降誕会では 斎のあと それぞれが日頃鍛錬した
かくし芸や、カラオケを披露しあって楽しんでいますが、
彼岸会ではここ数回、福岡県甘木市から 石井太郎さんの
ギターとボーカル、
三原奈津子さんのピアノの、お二人を招いて
昭和時代の懐かしいフォークソングを聞かせていただいています。
午前中の法座だけで帰られた方もありましたが、お弁当の後、
40人ほどの方が残っていただき 、
希望に燃えた青春時代の思い出に
ドップリとしたっていただきました。
その歌詞の多くは、周りの親切や思いやり、純粋な愛に
気づかずに、悩んでいた青春時代、歳を重ねて、少しずつ気づかせて
いただけるようになると、みなさんに支えられた有り難い時代を
生きてきたことを感じとれる感動的な曲ばかりでした。
本堂の椅子に、体を揺らすこともなく座って、静かに聞く姿を
見ていましたが、中には、眼を閉じて、歌詞に合わせて、
唇を動かす方があることに気づきました。
なつかしい、なじみの曲を、一緒に口ずさんでおられるようです。
その姿を、じっと見つめながら、お念仏を喜ばれた有り難い
先輩の方々を思い出しました。
ご法話を聞きながら、いつもお念仏を口にされたいた懐かしい方々です。
未来への不安や思い通りにならない悲しく苦しかったのが青春時代、
それに対して、お念仏の人は 明るい未来と安心を
お念仏を口にしながら確認し味わっておられたことでしょう。
あるご婦人が、こころが洗われるような、心地よさを味わわせて
いただきましたと、お礼を言っておられましたが、
南無阿弥陀仏のお念仏もまた、心からの安心と喜びを味あわさせて
いただくものだと感じています。
こころにしみる音楽と、こころに新たな喜びを与えてくれる
ご法話、南無阿弥陀仏のお念仏、私に元気を与え、生きていく力を
与えてくれるところに、共通点があるように感じています。
第1651回 はじめての道 はじめての人生
令和6年9月19日~
山登りが大好きなご住職に、こんな話を聞きました。
学生時代は 高い山に登っていましたが、近頃は、そうもいかず
時間をつくっては、近くの山によく登っているとのことです。
慣れ親しんだ山であっても、別れ道では、右だったか、左だったか、
よく悩むものだそうです。
でも、そんなところには、テープでの目印や、岩にペンキで矢印が
書かれてあったり、迷うことがないようにと山の仲間が、ちゃんと
心配りをしてくれているのだそうです。
一歩一歩、登っていくのは大変ですが、新鮮な空気、眼に鮮やかな
赤や、緑、眼下に広がる豊かな自然に、なんとも言えない喜びがわいてきて、
どうしても、登山はやめられないものだそうです。
そして、山登りは 人生と同じように、荷物が軽いと軽快ですが、
どうしても捨てきらず、ついつい沢山の荷物をしょいこんでしまうと、
その道のりは、とてもきつく苦しいものになるといいます。
登頂まで何日もかかる高い山ですと、専門の案内人を付けないと
とても無理ですが、日帰りできる山でも、道案内や標識がなければ
迷ってしまうとても危険なものです。
ところで、この人生も、私にとっては、はじめての経験です。
どこへ向かっていけばいいのか、どこが目的で、どう行けばいいのか、
まったくわかってはいません。
その道を知った人に、経験した人に尋ねることができれば、少しは
安心ですが、尋ねることもなく、自分勝手に、どんどんと歩んで、
苦しんでいる人が多いものです。
人間について、深く深く考え抜いたお釈迦さまが説いていただいた、
そして、それを私たちにわかり安く、紹介し解説してくださった
親鸞聖人が示してくださった確かな道が、行き先があるのだと
先輩が先祖や親たちが、私たちに伝え残してくださって
いるのです。
ところが、それを知らず、気づかず、振り向かないで、一人悩み
苦しんでいるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏の教えに遇えれば、自分でやれること、仏さまに
任せておけば、大丈夫なこと、この限られた人生だけではなく、
いのち終わっても大丈夫な世界、有り難い価値観があるのだと
聞かせていただけるのです。
初めての人生、初めての道 知らない危険な山に登るのと同じことです。
重い荷物を背負い込んで、自分ひとりで悩み苦しむのではなく、先人たちの
経験を、教えを素直に聞く耳を持ち、豊かな有り難い人生を
喜びながら、一歩一歩、歩みたいものです。
第1650回 自分の姿を鏡で見る
令和6年9月12日~
近くの県にある親のお骨を近くに移したいが、どうしたら
良いのでしょうかと、美容師の方が、相談に来られました。
そこで、美容院と お寺 多くの共通点があるように思います。
定期的によく美容院に通われる方と、まったく無関心な方があるように、
お寺も定期的に、よくお参りいただく方と、まったく
ご縁のない方があるものです。
美容院にいくと、頭が軽くなり、こころも明るくなってくるものですが、
お寺も、お参りして仏さまのお話を聞くと、すっきりとして、
心も明るくなるものです。
お墓に花をあげただけで、帰る方がありますが、それでも、
少しは気持ちがすっきりするものです。
しかし、これはちょうど、美容室の花瓶に花をさし、
待合室で雑誌を見ただけで帰るようなもので、カットや髪を洗って
セットしていただかないと、本当の喜びは感じられないものです。
それと同じように、お寺も、ただ墓にお参りするだけではなく、
お話を聞いて、新たな価値観を、新しい視点を受け取ることがなければ、
余り有り難いものでは、ありません。
美容院の鏡で、素敵になった自分の姿を見たときのように、
仏さまの話を聞くことで、心の中が、新鮮な喜びを、感じられてきて、
すっきりとして、うれしくなってくるものです。
浄土真宗では、特に恩ということをいいます。
親鸞聖人の御命日を報恩講といい、よく歌ううたも、恩徳讃、恩という
言葉がよく聞かれます。
これまでいかに多くの方々の力、支えがあったかを気づかされて、
心の中が喜びでいっぱいになり、生きていく力がわいてくるものです。
美容院を出るときのように、世界が変わって見え、未来が明るくなるものです。
とはいえ、しばらく時間がたつと、その喜びは薄れてくるものです。
髪も伸びて、気持ちが悪くなるように、心もだんだんと重たくなって
どんよりとしてくるものです。
そこで、美容院に行って、綺麗にしていただくように、浄土真宗の方は
仏さまのお話を聞くことで、心の喜びがよみがえっていくものです。
ですから、ただお骨を預けるだけではなく、それをご縁に
お話を聞くことができる所に、ご相談されることをおすすめします。
第1649回 あんたが悪い
令和6年 9月5日~
こんな話を聞きました。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
仏教のことばが書かれた掲示板がお寺にはあります。
これは、山の断崖の大きな岩のくぼみに建てられた奥院
国宝の「投入堂」で有名な鳥取県三朝町(みささちょう)にある
天台宗の三佛寺(さんぶつじ)境内にある自動販売機に
掲げられていたことばだそうです。
自販機に掲示板というのは、なかなか斬新な有り難い発想です。
お前が悪いと 一方的に批判しているのが私たちです。
相手を指さし非難していますが、その手をよくみると、
人差し指は相手をさしていても、折り曲げられた中指、薬指、
小指の3本は、自分の方を向いているものです。
人を指している指は自分の目からよく見えますが、自分を指している
3本の指は意識しないので視界にはあまり入って来ません。
相手の悪いところが 見えたとき、気づいたことは、私の方には、
その三倍の問題があるのだと、教えてくれているようです。
相手の悪い部分と同じようなことを 自分もしていることに
気づいていないのが、私たちです。
もし、相手に怒りや憤りを思えたときには 一息入れて
自分の方には、気づいていない三倍の 悪い点を 回りに見せていると
理解した方がよいようです。
中国の善導大師は
経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし。
しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す。
『観経疏』序分義 にあります。
仏法は 鏡に映すようなものだと言われていますが、
誰かの悪が見えたとき 自分自身の姿を 鏡に映すように
点検してみることが、重要なようです。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
第1648回 まだ仕事は残っています
令和6年 8月29日~
「老いて聞く 安らぎへの法話」という 本の中に
最後の仕事という項目が ありますが、
その一つで、「まだ仕事が残っています」というお話です。
本願寺派に雑賀正晃というとても立派な布教使さんが
おられました。
そのご法話で こういうお話を聞いたことがあります。
雑賀先生のお寺の檀家総代 Yさんが老齢で入院され、
もう末期になられた。
雑賀先生がお見舞いに行かれると、目に涙をためて、
「先生、もう私は何もできません。この家内と看護師さんの
お世話になるばかりで・・・・」と細い声で言います。
「いや、Yさん、あなたには まだ大事な仕事が残っています。」
「仕事って、どんなことですか」
「『ありがとう』って言うことですよ。奥さんにも、先生にも、
看護師さんにも、お見舞いの人にも『ありがとう』とお礼を言うのが
あなたの仕事です。もし声が出なかったら、手で、眼で
言ってください」
「あぁ、そうでした、そうでした。本当ですね。『ありがとう』
ございました」
「それにね、Yさん。どのようになっても、お救いくださる
阿弥陀さまにお礼申しあげることが第一ですよ」
「あぁ、そうでした、そうでした。なもあみだぶつ、
なもあみだぶつ、・・・・」
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
まだ、まだ先は長いと思っていますが、明日がしれないこのいのち
大切な人に、そして阿弥陀さまに ありがとうございますと
お礼をする一日でありたいものです。
第1647回 さいごの仕事
令和6年8月22日~
あるご門徒さんが言われました。
「わたし、歳がいったらもう何もできません。
あかんもん(だめなもの)になってしまいました」と
そこで私は「いや、いや。まだ大事な仕事が残っていますよ」
と、言って次のようなお話をしました」
大阪府吹田市の光徳寺さんの掲示板にこういう詩がはってありました。
病気になって 気付く 空の青さ 空の高さ 空の広さ
直海玄洋師
ある日、中年の女性が、この人は薬剤師さんでしたが、
この詩を見て感動します。
実はガンの宣告を受けて、悩んでいたのです。
さっそく住職の直海先生にお会いしてお尋ねします。
「私は、余命いくばくもないと宣告されてから、身の回りの
整理をしましたが、どうしても心の整理がつきません。
人間、何のために生まれてきたのでしょうか」
すると直海先生が、
「仏法を聞いて、仏の世界に生まれ、仏のさとりを
得るために生まれてきのです」
と答えられます。
女性は目の前が明るくなるのを感じました。
それから、彼女は何回も仏法を聞かれましたが、
ついにこの世のご縁が尽きて亡くなられました。
すると、ベッドの下から遺書が見つかりました。
私は間に合ってよかった。
みんな、手遅れにならない中に、仏法に遇うておくれ。
彼女は、自分自身のいのちの行き先をハッキリするという
大仕事をやり遂げ、さらに遺された若い人たちをも、
その人生の行き先に導くという さいごの仕事をされたのでした。
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
第1646回 お母さんの 一言
令和6年8月15日~
阿弥陀さまのお話をユーチューブで繰り返し聞きながら、
何故か、子どもの頃に見たモノクロの映画のことを断片的に思い出しました。
当時、「母もの映画」といっていたようですが、三益愛子という
俳優さんがいつも母親役で、食料事情も良くない戦後まもなく、
その日 その日、食べることにさえ苦労していた、大変な時代のこと、
苦労して苦労して一人息子を育てていた母親。
しかし、子どもの方は、その親の心が分からず、反抗し悪い仲間と
つるんで問題ばかり起こして、心配をかけつづけていますが、ついに
警察につかまってしまいます。
それでも見捨てることのできない母親、連行されていく子どもが、
そこに母の姿を見て、はじめて「おかあさん」と、呼んだ時、観客は、
みんな一斉に涙を流していたのを思い出しています。
「お母さん」との息子の言葉、涙する母親、一緒に泣いている
満員の観客。
どの母もの映画を見ても みんな同じような物語だったように思います。
今思えば、脚本家か監督か制作者なのか、浄土真宗のご法話を聞き
阿弥陀さまのはたらきに、反抗する人が、その有り難さに気づいて
南無阿弥陀仏と口にお念仏するそのことを、母と子の関係で
表現したのではないかと、味わっています。
反抗し 反抗し 困らせ続けた息子が 最後に一言 お母さんと
声に出す、それは、母親の苦労、心配に気づいて 有り難く
感じてた瞬間だったのでしょう。
出来損ないの息子が、親のきもちに触れて、お母さん と
呼んだときと同じように 南無阿弥陀仏と 声を出したとき、
こころから喜んでくださる方あることを、改めて味わっています。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 私を思い よびかけ続ける
大きなはたらきがあることを、そして、その有り難さを
感じたときに、口から漏れ出る 大きな願いのことばなのでしょう。
仏さまが、親たちが 最も喜んでいただくことば、安心することばです。
第1645回 未来は 前か 後ろか
令和6年8月8日~
こんな話を聞きました。
私たちは、未来へ、あしたへ向かって精一杯生きていますが、
未来は 明日は、どちらの方向にあるのでしょうかとの質問です。
多くの人が、前に進む 前向きに生きると 未来は自分の前にあると
イメージしています。
「眼の前に広がる」のが未来であり、「後ろは振り返らない」などと、
うしろにあるのは、過去のことです。
未来は 自分の前にあり、過去は、自分の後ろにあるものと思っています。
しかし、「この後のご予定は」等と言うとき、私たちは
未来を前ではなく「あと(後ろ)」に置いています。
三日後にまたお会いしましょうとか、五年後にはこうなるとか、
未来は 前ではなく、 後ろにあるように話しています。
そして、三日前に、一年前は などと、過去のことは 前と表現しています。
日頃使う言葉では、過去のことは 前方にあり、未来のことは 後ろ、
後方で表しているのです。
ですから、「以前」は、前は過去で 「以後」、後ろは、未来のことです。
私たちの気持ちの上では
前が未来で 後が過去なのですが なぜか 言葉では
逆の 未来を後ろ 過去を前の 表現をしています。
ヨーロッパの国では、過去は前にあり、全部見えるが、
未来は 自分の後ろにあり、何も見えないという表現をするところが
あるようです。
蓮如上人のお手紙である 御文章にある 後生の一大事 も
後生とは、これから先、未来のことを意味します。
見えているようで、見えないのが未来です。
浄土真宗では、お釈迦さまが説いていただいたように
精一杯生きている人は、必ずお浄土へ生まれさせ
自分と同じはたらきをさせる仏にすると、阿弥陀さまは、はたらきかけて
いただいている、後は任せればいいのだと、受け取っています。
これから、老病死 沢山の苦難が訪れるものの、心配はいらない
かならず、お浄土へ、そこには両親をはじめご縁のあった
多くの方々が、待っていていただく世界へ 生まれていくのですと、
呼びかけてくださっているのです。
その呼び声が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏なのです。
見ることの出来ない未来 阿弥陀さまにおまかせして
今できることを 精一杯 生きていきたいものです。
お盆が近づきましたが、地獄へ落ちた人は、地獄の釜の蓋が開く
13日に、お帰り頂くのでしょうが、お浄土の人は いつでも
私のために、遠くではなく、今、ここではたらいていただいているんです。
第1644回 気づかない 私が
令和6年8月1日~
大阪のおばちゃんが、左足のしびれが出始めて、病院にいきました。
診察したお医者さんは、「うーん、これは残念ながら、高齢のためですね」と
告げました。
「でも、先生、この右足も同級生ですぜ」と、返事しました。
先生も負けず、「心配せんでええ、まもなく右足もしびれてきます」と。
同級生という表現でいえば、右足だけではなく、私の手も頭も口も
心臓もみんな同級生なのです。
ところが、頼みもしないのに、みんなだまって働き続けてくれています。
夜になれば、私自身は、眠って休んでいますが、
一日も、一刻もやすむことなく、働いてくれた同級生も沢山います。
心臓はその一つです。
頼みもしないのに、やすむことなく働づめで私を生かしてくれています。
私が気づかないところで多くの臓器が、精一杯、黙々と働いて
くれていたのです。
そればかりではないといいます。
頼みもしないのに、阿弥陀さまは、この私のためにずっと
はたらきかけ続けていただいているというのです。
気づかないだけ、知らなかっただけで、私のために多くの同級生と
一緒になって、私を生かし続けていただいているのです。
そう気づくとき、感謝しても感謝しきれないことが、いかに多いかが
知らされてきます。
当たり前になって気づかないことが、なんと多いことか、南無阿弥陀仏は
その多くのはたらきかけに、気づき、心から、感謝することばであり、
仏さまが、そして私の体のすべてがもっとも喜んでくれる言葉なのです。
何事も当たり前では、何の感動もなく不平不満のつらく苦しい毎日になりますが、
多くのはたらきかけに気づき、味わうことができれば、なんと
ありがたく喜びいっぱいの、豊かな人生を味わうことができるものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その喜びを、感謝を表す言葉、
「ありがとうございます」という言葉にもよく似た、親たちが受け継いで
残してくれた 有り難いことばです。
私に、多くの はたらきかけがあることに気づかせてくださる
仏さまの言葉です。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1643回 感じ取る力
令和6年 7月25日 ~
「学仏大悲心」という大きな額が、講堂の正面に掲げられている
学校があります。
善導大師が説かれた、仏の大悲心を学ぶという言葉です。
学ぶということは
勉強する。学問をする。
教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。
習得する。経験することによって知るという意味がありますが、
そればかりではなく、 まねをするという意味もあります。
何をまねるのか、それは苦悩するものを必ず摂取して捨てないと
はたらき続ける仏さま、阿弥陀さまの大悲心を学び、それを、ほんの
少しでもまねることだと言われます。
お念仏の教えは、仏さまの話を聞くこと、お聴聞することが大事と
いわれますが、これは、仏の大悲心、仏さまのはたらきを聞く
ということです。
それは、頭で理解したり、何かを覚えたりすることではなく、
全身で、仏さまのはたらき、仏さまのお慈悲のぬくもりを
感じとることを意味します。
必ず救う、ひとり残さず救うという、摂取不捨の光明に
照らされていることを、この身に感じることが出来るように
育てられていくことなのです。
そうした、大きなはたらきかけがあることを、感じることが出来る
ようになると、自分ひとりで生きているのではなく、
実は、生かされているのだという、大きな喜びと安らぎを感じることが
出来るようになっていくものです。
いくら仏教を深く学んでも、お慈悲のぬくもりを感じることが出来
なかったら、なかなか喜びは味わうことが出来ません。
仏さまのはたらきを、感じることが出来ると、そのはたらきの
まねをさせていただくこと、ところが、自分中心の私には、とても
とても、仏さまのようには、できないということに、気づかされて
いくと、人生は大きく変わってくるものです
仏さまのはたらきは、目にはなかなか見ることはできませんが、
仏さまのお話を繰り返し、繰り返し聞くことによって、仏さまのはたらきを
ほんの少しずつでも感じることができるようになっていくものです。
仏さまのはたらき、真実が、ただ一つのことば、南無阿弥陀仏となって
私に絶えず、喚びかけてくださっていることを、感じ取れていくのです。
第1642回 誰の安心のためか
令和6年 7月18日~
ある布教使さんから、こんな話を聞きました。
近くのお寺に招かれて、ご法話にいったとき、
控え室でお茶をいただいていると、帽子をかぶった紳士の方が、
お参りになる姿が見えました。
その姿をじっと見ていると、坊守さんが、あ、あの方の奥様はとても
有り難い方で、今日もお参りになりましたねと、おっしゃいました。
本堂でご法話中、その紳士がうなずきながら熱心にお聴聞されており、
隣の奥様も、にこやかな笑顔でお聴聞いただいていました。
うらやましいご夫婦と拝見していましたが、一席を終わり休憩のあと、
本堂にいくと、その紳士の隣には、別の女性が座っておられます。
どうゆうことだろうと、気になっていましたが、その女性は、
どちらかと言えば、暗い顔をして、あまり反応がないを方でした。
控え室に帰って、ご住職に聞きました。
あの紳士の奥様は、最初に横に座っておられたかたですよね、
後半、横に座った方はどなたですかと聞きますと、住職さんは
どなたのことですかね。聞き返されます。
帽子をかぶった立派な紳士の奥様のことですよと、言いますと、
いえあの方の奥さんは、もう何年になりますかね、ご往生されましたよ。
大変有り難い方で、婦人会の役員もしておられましたが、
ガンにかかられて亡くなられました。
奥様が元気なころは、ご主人は、まったくお参りになりませんでしたが、
病気になった奥様が、私がいなくなったら
必ずお寺でお話を聞いてとご主人に頼まれたそうです。
あまりにも熱心なので、わかったわかった、私がお寺に行けば、
あなたは安心出来るのでしょうから、必ず参りますよと、返事を
されたそうです。
そうすると、奥様は、私が安心するのではなく、残された貴方が
安心できるから、どうか、お参りしてくださいと、真剣に頼まれたそうです。
その奥様のことば通りに、あの方はお寺でお話を聞かれるように
なったのです。
亡くなっていく人を安心させるのではなく、生き残った自分のことを
心配してくれた奥さんのご縁で、お聴聞されるようになりました。と
お念仏の教えは、先立つ親や、連れ合いを安心させる教えではなく、
自分自身が安心を得られるもの、この人生を堂々と生き抜く力を
与えられていくのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は、心配しなくていい、間違いなく
お浄土へ生まれさせ仏にするぞ、一緒に仏として はたらいてくれと
真剣に呼びかけ、はたらきかけていただく仏さまの言葉です。
誰の安心のためなのか、この私の安心のための教えです。
第1641回 いつも一緒の阿弥陀さま
令和6年 7月11日~
近頃 ご門徒のお宅へお参りするのがとても
楽しくなりましたと、いうご住職に会いました。
どうしてなのか、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてくると ああここにも、
阿弥陀さまが はたらいておられると味わえるようになったからですと。
朝目覚めたとき 南無阿弥陀仏とお念仏して、ああここに阿弥陀さまが
顔を洗いながら 南無阿弥陀仏 ここにも阿弥陀さまが、
食事のときも、着替えのときも、おつとめをするときばかりではなく、
南無阿弥陀仏といつも私と一緒の 阿弥陀さま。
ご門徒のお宅にお参りすると、お経さんの本をちゃんと
準備して、待っていただいており、一緒に合掌し、いっしょに声を出して
おつとめをしていただくと、ああ、このお宅でも阿弥陀さまは
間違いなく はたらいておられるのだと、確認出来て有り難く
嬉しくなり、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
自分の口から出た 南無阿弥陀仏は勿論ですが、近くの
どなたかの口に南無阿弥陀仏が出て、聞こえてくると、
阿弥陀さまのはたらきが、なお一層はっきりと、感じられます。
日差しが 暑い中、境内のお墓参りにおいでの方を見ても、阿弥陀さまが
あの方を、お墓まで導いていただいていると、
法座の時に、沢山の方が本堂に座っていただくと、目でも見えて
とても心強く、頼もしく、お堂いっぱいに南無阿弥陀仏が聞こえてくると、
有り難く嬉しくなってくるものです。
ところで、若いころ、親しい友と また明日ねと 別れる時など
バイバイ、グッドバイといっていましたが、その意味を訪ねてみると
実は、「神様があなたと一緒にいますように!」とか、
「神さまの御加護を!」という意味なのだといいます。
いつも、神様があなたを守ってくださいますように、
というキリスト教の祝福の言葉だったというのです。
そういうことなら、浄土真宗では、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は
いつも阿弥陀さまが一緒という意味なので
別れの時、「では、またあした 南無阿弥陀仏」でいいはずです。
私たちが 気づいていなくても、忘れていても、阿弥陀さまは
いつも私のことを見守り、励まし、導いてくださっているのです。
寝ても覚めても、居ても立っても、嬉しいときも悲しいと時も
悔しいときも、悲しいときも、いつも阿弥陀さまがいっしょ
阿弥陀さまは、私といっしょに、はたらき詰めであります。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏となって。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
第1640回 浄土真宗にないもの
令和6年 7月4日~
築地本願寺の晨朝のご法話で、こんな話を聞きました。
京都でタクシーに乗ったら、運転手さんが話しかけてきました。
京都は、どこへいってこられましたかと、聞かれ
本願寺ですと答えると、そうですか、それでは突然ですが
クイズですと。
京都には 数多くのお寺さんがありますが、他のお寺にあって
東西本願寺さんだけにないものがあります。
それは何でしょうかとの問題、質問です。
お寺には必ずあるのに、本願寺だけにないもの、それはなにか。
浄土真宗には、戒律はない、座禅はしない、たたく木魚はない、などと
つぶやいてみましたが、
運転手さんは いえいえ、外からすぐ見えるものです。
思いつかずに、黙り込んでいると、
正解は 入り口の門に、敷居が無いことです。
確かに、山門を入るときに敷居をまたぐことなく、スムーズに
門をくぐって入っています。
多くの人は 門の前で立ち止まり、軽く頭をさげてから、
入っていかれますが、足下を気にするはありません。
お参りの方は、年配者が多く、安全のために 敷居をなくしたのだろう、
今はやりの「バリアフリー」の先取りなのではないかと思っていましたが、
どうも、それだけではないというのです。
普通の寺院は、山門から中は 別の世界、一段高い敷居は、
外の世界と境内を分ける結界であると言うことです。
また木造建築では、敷居は、強度をたかめるためには重要なはたらきを
しているものだそうです。
そこで、またいで通るもの、踏みつけて劣化させないためにも敷居は、
踏まずに、またぐものだといわれるそうです。
山門をくぐって神聖な別の世界に入っていくのが一般の寺院ですが
浄土真宗の寺院だけは ひとり残らず、一人漏らさず
必ず救うという阿弥陀さまの教えを伝えるお寺であるために
結界である、敷居はないのだそうです。
当たり前になって、気づきもしませんが、敷居のないのが、
浄土真宗である 他力のお念仏の教え、そして、浄土真宗の
お寺であると、教えていただきました。
よくお寺は敷居が高いといいますが、浄土真宗のお寺には
敷居がないのです。
いつでも自由に入ってこれるのが、開かれた貴方のお寺なのです。
第1639回 かっこいい大人に
令和6年6月27日~
東京都知事選挙に、異色の候補者が登場し、善戦しています。
ユーチューブという動画配信を使い、情報発信をして有名になった
広島の安芸高田市の市長だった石丸伸二という青年です。
街頭演説では、「かっこいい大人になってください」と、
歩道いっぱいに集まった人々に呼びかけています。
一人ひとりに投票権があり、政治に直接参加できるのに
投票したところで、どうせ変わりはしないと諦めています。
しかし、みんなで投票することで、東京を動かし、日本を動かして
いきましょう。
東京のみなさんは いま日本全国から期待され注目されているのです。
かっこいい大人の姿を、子どもたちに見せてやってくださいとの演説です。
その言葉を何度も何度も、ユーチューブで聞きながら、浄土真宗の
お念仏の教えも かっこいい大人の姿を、次の世代に見せ、
残していくものではないかと、感じました。
多くの人が、死んだら終わり、死んだらすべてなくなると
思い込んで生きています。
しかし、阿弥陀さまは 私たちを、自分の国お浄土へ生まれさせ、
一緒に はたらいてほしいと、呼びかけておられるというのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にする人に 仏に成って
すべての人のために、はたらいてくださいと願われているのです。
生きていくためには、どうしても自分の家族や仲間のために、
努力せずにはおれず、利己主義にならざるを得ません。
しかし、やがていのちが終り、仏になったら、
みんなのために はたらいてほしいとの仏さまの願いとは、
いったい何を意味しているのでしょうか。
一人ひとりが、損得ぬきに、自分の出来ること、勤めをはたし
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口に、にこやかに喜びながら、
いきいきと、堂々と生き抜いていく。
お金や財産などすぐに消えてしまうものだけではなく、
おかげさまでと感謝して、楽しく自信にあふれた、
かっこいい大人の姿を見せていくことが、次の世代に対しての
最高の贈り物となることでしょう。
かっこいい大人になる これがお念仏に生きるということなのでしょう。
第1638回 因を知り 感じる力
令和6年6月20日~
仏教では、因果の道理が説かれています。
因果とは、原因の「因」と結果の「果」で、行いや考え方に
よって、それに応じた結果が出るというのです。
子どものころから、勉強しなければ良い結果は出ない、
努力することこそが大事だと、教えられて頑張ってきました。
病気になるのも、歳を取るのも、自分自身で
その原因をつくっているのだと思い込み、精一杯生きています。
ところで、今、私は、将来のために行動し、様々な原因、
因をつくっていますが、因果関係でいえば 今、結果、果も
受け取っています。
ご恩という言葉がありますが、恩という字は、原因の因と、心と書きます。
現在は 結果であるとすれば その原因を、因をはっきりと知り、
感じとることを、恩を知るということなのでしょう。
今この状態を、なにもかも当たり前と思っていますが、
数多くの人々のご苦労やご縁により、今ここにいるのです。
因果関係を 過去に遡って正しく見つめ、感じる力が
育てられてくると、私の人生は平凡ではなく、とても素晴らしく
有り難いことと味わうことが出来るものです。
これまで育て導いてくださった、両親をはじめ、
気づいていない沢山の人々、いのちを投げ出して、食物となった
動物や植物、そして自然、感謝しても感謝仕切れるものではありません。
どうかご恩を味わう力を持ってほしいと、先輩達は、南無阿弥陀仏の
お念仏を伝え残してくださったのでしょう。
私たちは、明日のこと、将来のことを心配しているにもかかわらず、
知らず知らずに地獄へいくような悪い原因ばかりをつくり続けて
いるといわれますが、心配はない。大丈夫だよ。
南無阿弥陀仏の人は 間違いなくお浄土へ生まれさせ仏にする、
すでに、阿弥陀仏がその原因を完成されているので、心配はないと。
阿弥陀さまは、あなたの未来は大丈夫、任せておきなさい
それよりも、いままで気づいていない、数々の因や縁を、感じ取る力を、
ご恩に気づき 今を喜び、感じ取り、味わえるように
なってほしいと、呼びかけ、はたらきかけていただいているのです。
南無阿弥陀仏は、将来ではなく、今を喜ばせていただく、
報恩のことばです。
第1637回 かんしゃくのくを 捨てて
令和6年 6月13日~
かんしゃくの く(苦)を捨てて 日を暮らす
かんしゃく から、くをとると かんしゃ(感謝)になります。
ご本山の常例布教に出講中のご講師が、ご本山にいる間は
腹を立てることもなく、有り難い日々を送らせていただいています。
何故かというと、それは 腹を立てる相手が近くにいないからですと、
にこやかにお話くださいました。
自分の不甲斐なさに立腹することもありますが、多くの場合
そこに相手がいて、自分と違った主張をしたり、行動したり
思い通りにならないことに、イライラしてしまうものです。
その相手がいなので、腹の立てなくていいとの意味でしょう。
一方 かんしゃくの苦を取った感謝の方は、そこに相手が
居ても居なくても、しかも現在だけでなく、過去も未来も、
有り難く感じ味わうことができるものです。
食事の前の、食前のことば 「多くのいのちと みなさまのおかげにより
この御馳走を 恵まれました。深く御恩を喜び ありがたくいただきます。」
この言葉を通しても、食事の度に 感謝することもできるものです。
ネットで 「感謝する」と検索してみましたら、
日本予防医学協会という組織のページに、
「人生は 感謝するだけで 好転する」とありました。
外国の心理学者の実験で、「小さなことでよいので、感謝できることを
5つ書き出す、それを続けてもらうと、感謝することを毎日考えた
グループは、何もしなかったグループと比べてみると、
感謝することで、幸福度が高まる 体調がよくなる
人間関係がよくなる 生産性が高まる、よく眠れるなど、
様々な良い効果が期待できるということです。
また感謝すると体内で何が起っているのか
科学的研究の結果から、感謝することで、セロトニンや
ノルアドレナリン(情動や感情に作用)、サイトカイン(抗炎症および免疫力)、
コルチゾール(ストレスホルモン)、血圧、心拍数 、血糖値など、
様々な体内のシステムのバランスが取れる、そして、心身の多くの
機能に好影響を与えてくれることが分かってきたと書かれています。
昔から、感謝することは大切!と言われていましたが、心身の健康に
大きな影響を及ぼすことが科学的に実証されてきているのです。
そして、お聴聞をしている人にとっては、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の
お念仏は、感謝を表すことば です。
先輩達は 感謝することで こころと体に、いい影響があることを知って、
私たちに、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏のお念仏を残して
くださっているのでしょう。
第1636回 まずは 仏さまに
令和6年6月6日~
こんな話をききました。
子どもさんが持ち帰った算数のテスト用紙をみていると、
×が、ついたところがありました。
理解出来ていないのはどんなところかと、問題をみてみると。
りんごを4つもらいました。
お友だち三人で分けたら、一人、何個づつになるでしょうか
という問題に、答えを 1個と書き ×がついていました。
一個と3分の一、分数や小数以下のことが 理解出来ていないと
思い、子どもに聞いてみました。
子どもは こう答えました。
「お友だち三人で 一個づつ分けて、一個は仏さまにあげたので、
みんな一個づつだよ」と、いいます。
「だって、もらったリンゴだから、仏さまにあげなきゃ
いけないでしょう」との答えです。
算数の問題だから、仏さまのことは、考えなくて
いいのと言おうと思いましたが、
なんだか こころが温かくなり、そうだね、いただいたものは
まずは、仏さまにもあげなきゃねと、
そのままにしました。
理科の時間に 氷が解けると何になりますかの問いに、
「氷がとけたら 春になる」と答えた子どもがいたという
話を聞きます。
同じように、頂いたリンゴは 仏さまに、まずはあげるのだという
子どもに 嬉しく有り難く感じました。
近頃 仏壇のある家では、子供たちは育っていません。
自分たち家族だけ、生きている人間中心の生き方を
していては、気持ちのやさしさや 思いやりのある子どもは
なかなか育ってこないのではないでしょうか。
氷がとけたら 春になるとの答えと 同じように、
いただいたものは、まずは ほとけさまに上げるとの
答えも、正解にしたい、こころ暖まる、有り難い答えだと味わいました。
子どもの純粋なこころを、大人たちがだんだんと、損だ得だ、
勝った負けた、比較し競争していくことを教え込んでいます、
例え損をしても、負けても、間違いと言われても
思う存分、心豊かに生きる力を、持ち続けてほしいものだと
思っています。
それを、先輩たちは 仏さま お仏壇 お墓ご先祖さま
などを通して、伝えようとしてくださったのだろうと味わいます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も そうした
先輩たちの願いのこもった ことばなのでしょう。
第1635回 孫たちのために
令和6年 5月30日~
目には見えない 仏さまの はたらきについて こんな話を聞きました。
家には 大きな梅の木があり、毎年その実で、梅干しをつけています。
食卓にいつも置いてある梅干のその実は 父親がまだ小学校高学年の頃に、
おばあちゃんといっしょに植えたものだといいます。
おばあちゃんとお寺参りした帰りに、苗木屋さんの出店に立ち寄った時、
おばあちゃんが選んだものだといいます。
杖をつき背中が曲がった ばあちゃんが、梅の苗木を選んでいると
店のおじさんは 「桃栗三年柿八年、梅はすいすい十三年、・・・
梅は実が付くまで時間がかかるから、ばあちゃんが
生きているうちには
実はならんよ、こっちにしておいたら」と、桃の苗木を進めたそうです。
おばあちゃんは わしのためではなく孫たちのために植えるで
これでええよと、梅の苗木を買ってかえり 一緒に植えたのだと、
父親に何度も聞かされました。
写真でしか見たことのない ひいおばあちゃんが、
植えてくれたものが 梅干しになって、いつも食卓におかれているのです。
ずっと昔の 遠い遠い ひいおばあちゃんが 今でも 私たちのために
はたらきかけていていただいているのだなあと、食べる度に思います。
そう考えてみると、庭にある柿の木も 桃の木も 数多くの花も、
私の知らない 多くの先輩方が、孫やひ孫のために、植えて育てて
くれたものばかりなのでしょう。
そして、この建物も、掛け軸も 置物も、陶器も、敷物も
昔からあって、みんな当たり前で、有り難いなどと感じてはいませんが、
私の周りには、仏さまになった多くの先輩方の思いが、
今でも 生きて はたらきかけ続けているのです。
こうして今、お寺にお参りし、お念仏をしているのも
私自身の力だけではなく、多くの先輩のご縁によって、はたらきかけ、
その力によって、手を合わせ 南無阿弥陀仏と口にしているのです。
仏さまのはたらきかけは 目で見ることはできませんが、
私が気づかないだけで、いつでもどこでも、私のために
体の外からだけではなく、内側からも、はたらきかけ よびかけ
続けていただいているのでしょう。
ぼんやりと生きている私に、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
と呼びかけ、そのはたらきかけに気づかせて
いただいているのです。
気づかなければ 当たり前で、何の感動もない平凡な毎日ですが、
多くの方々の、大きな思いに包まれていると気づかせていただくと
本当に有り難いことばかりです。
ありがとうございます。みんなみんな御蔭さま
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏です。
第1634回 お任せします 有り難うございます
令和6年 5月23日~
朝のおつとめの後、なにげなく外を見ると、
紙袋に、ちり取り、そしてゴミはさみを手にした近所のおばあさんが
道路のゴミを 拾っておられる姿が見えました。
まだ、朝の出勤前で、人通りの少ない時間、捨てられたたばこや
紙くず、ペットボトルなどのゴミを、つまみ取り紙袋に入れながら、
歩いていかれます。
近頃、通りが綺麗になったと思っていましたが、こうして、
一人もくもくと掃除をしていただく方があったからだと、気づきました。
この方は、お念仏とご縁のある方ではないようですが、
もしお念仏の人であったのなら、自分が今やれることがあれば、
それを精一杯やらせていただこう、これもご報謝、これもご報謝と、
報恩感謝の行動を進んで取られておられる方が多いものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 の 南無は 帰命する、帰順すると
私の方が真剣に、仏さまに帰順する、私が努力することが必要と
理解するのが普通ですが、浄土真宗の場合は、そうではなく、
仏さまの方が先に、自分に任せなさい、貴方のことを必ず救う、
心配しないでいい、任せなさいと呼びかけていただいているのだと
味わいます。
その呼びかけを聞いて、私の側は、仏さまの呼びかけに、
お任せします。有り難うございます。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と返事をするだけでいいのです。
私が、頑張ってしっかりと、つかまる必要はなく、どうかよろしく
お願いしますと、こころからお願いする必要もなく 仏さまの方が
先に私のことを心配して、必ず救う私に任せなさいと呼びかけ
続けていただいているというのです。
私が称える南無阿弥陀仏は、ですから、お願いしますの意味ではなく
ハイお任せします、有り難うございますと、報恩のお念仏をする
だけなのです。
一般的には、私が努力して、良いことを積み重ねて、
それを、仏さまに認めていただくことが出来たなら、そのご褒美に
良い結果、素晴らしい効果が得られると思いがちですが、
そうではなく、仏さまが先に私のことを心配して
私にまかせなさい、貴方のことを救いとりたいと
呼びかけ、はたらきかけていただいているというのです。
赤ちゃんのとき、頼みもしないのに、母親がお乳をのませ
おむつを替えて、育てていただいたように、阿弥陀さまは
この私のことを、なんとか本物の人間に、そしてやがて
仏にして活躍してほしいと、はたらきかけ、呼びかけていただいて
いるというのです。
ですから、その呼びかけを聞き取り、お任せします。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏とお念仏をして、自分が
今できることを精一杯つとめさせていただく、それが
お念仏の報恩の生活ということでしょう。
仏さまが先か 私が先か、親が先か こどもが先か
お浄土に生まれることも、仏になることも、人間の力の及ぶことのない
ことなのです。
ですから、仏さまにお任せするしか、方法はないのです。
私が出来ることを、報恩の行いを、お念仏と一緒に
つとめさせていただくだけなのです。
第1633回 よく頑張ったね
令和6年 5月16日~
2歳年上の兄が 亡くなったとの知らせを受けて、
慌てて上京して、お別れをしてきましたという方が、
お参りになりました。
学校を出てから、東京で就職し、東京の人と結婚し、子どもにも
恵まれ85歳で亡くなりましたと。
ちょうど、その日、新聞の投稿に、友人の死を悼んで綴られた
文章を見た直後のことでした。
「肩車を してもらっているだろうか 今頃は 戦死した父親に
亡くなった親友は」
と言う内容でした。
兄も5歳の時に父を亡くしています。一番遊んでもらいたいときに
父と別れ、もう肩車してもらうことの出来ない、寂しさを 悲しさを
持ち続けての80年だったのだろうと思います。
新聞の投稿を見た日に兄の死を知り、多くの方々が戦争で
肉親を亡くされたのであろうとつくづく思いました。
そして今も ウクライナやガザ地区では、
親を亡くした子ども、夫や妻、子どもをなくして悲しむ人が
沢山いらっしゃることでしょう。
その悲しみ寂しさは、一生涯深く続いていくことでしょう。
新聞の投稿では、お浄土で父親と再会して、きっと今頃は
甘えていることだろう、との文章でした。
甘えたい、肩車をしてほしいのに我慢していたことを、友人に
話していたのか、それとも友だちが日頃感じておられたのか。
大切な人が去った悲しみが投稿されていました。と
お話いただきました。
そこで、こんなお話をしました。
浄土真宗では、亡き方は、お浄土でじっと
待っていていただくのではないと説かれています。
仏と成って、この世で、はたらき続けておられるのだと。
ですから、この世の出来ごとを、いちいち説明しなくても、
仏となったお父さんは、全部知っておられて、
「大変だったね、ご苦労やったね。よくがんばったね。」と、
今頃は、きっとほめていただいておられることでしょう。
親というものは、生きて居る時は勿論、
亡くなって仏になっても、尚一層、子どものことを案じ、
いつも応援していただいてたことでしょう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の仏さまとなって、
お父さんと再開したお兄さんは、お父さんといっしょになって、
弟さんのことを、見守って応援しておられるのでしょうね。と
少し疲れて、淋しそうな弟さんに、お話しました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1632回 母の日のプレゼント
令和6年 5月9日~
サザエさんという子どもに人気のテレビマンガがあります。
日曜日の夕方の放送ですが、ずっと以前に
「母の日の贈り物」という タイトルの回があったということです。
母親のフネさんに 母の日のプレゼント、何をしようかと
兄妹で相談して、いろいろのアイデアを出し合いますが、
なかなか良い案がありません。
それならばと、いっそのこと、受け取る本人である
お母さんに直接聞いてみて、それから決めようということになり
「ねえ、お母さん お母さんのしあわせって 何?」と聞きました。
答えは「あなた達が、元気でいることですよ」と。
これでは、プレゼントのヒントにならないので
重ねて質問してみました。
「お母さんの喜びって何?」と、期待を込めて聞いてみましたが、
返事は「あなた達が いつも笑顔を見せていることですよ」
自分のことではなく、みんな子どものことばかりであり、
どうも、お母さんの中には、自分のことよりも、子どもたちのことで
いっぱいなのだと、分かったものの、お母さんが喜んでくれる
物は、聞き出せませんでした。
ところで、一昔前までは 仏さまのことを親様・親様と
言っていたといいます。
自分のことよりも、子どもの、この私のことを第一に
考えてくださっているのと親と同じように
仏さまは 私のことを第一に、いつも考えてくださっていることを
意味した言葉なのでしょう。
子どもの方は 親の気持ちは ほとんど気づかず、なかなか
味わうことが出来ないものですが、
親は、子どもが生まれるまえから思いを寄せ、生まれて
おっぱいを飲ませ、熱を出したと心配し、幼稚園、小学校、
中学校・・・ずっとずっと、手塩にかけて育てていただいたことに
ほとんど有り難さを感じることもなく、みんな、当たり前になって、
感謝の気持ちは、少しも持ち合わせていません。
同じように、仏さまも このわたしのことを、
見守り励まし 導いてくださっているのに
私たちは、まったく気づいていません。
それが、仏さまのお話を聞かせていただくことで、
お聴聞することで、その思いや、はたらきが、少しづつ
味わえてくるものです。
それとともに、自分の親や兄弟 祖父母、周りの人々の思いを
気づかせていただくことが出来るように育てられていくのです。
そうすると、なんと有り難いことばかりなのか、勿体ないことか、
大きな喜びを感じることが出来るものです。
母の日に、贈りものを渡すだけで終わらずに、親たちが
もっとも喜んでくださるのは、子どものわたしが
活き活きとして喜び多く、笑顔で生きていることでしょう。
それが最高の親孝行、最高のプレゼントではないかと、味わえます。
そう味わうと、生きている親にだけでは無く、仏さまになって
私を応援してくださっている方々をも、今からでも喜ばせることが
出来るのです。
先だった親たちを、喜ばせるのは、お聴聞して、その思いに
気づかせていただくこと、そう考えると、親孝行は
今からでも出来るのです。
まだ、遅くはないのです。
第1631回 いつも一緒に
令和6年 5月2日~
こんな話を聞きました。
幼稚園や保育園の子供たちを見ていると、気持ちは急ぐものの
体がついていかず、足がもつれて、よく転ぶものです。
4歳ぐらいの男の子が、転んで泣き出してしまいました。
すると、同じ年頃の女の子が、男の子のすぐそばに
近づいて、一緒に寝転んで、男の子の顔をじっと見つめているのです。
泣いていた男の子は、その女の子が、自分を見つめているのに気づき、
泣き止みました。
そして、二人ともゆっくりと起き上がり、また元気に遊びはじめました。
大人は、泣いている子どもに声を掛け、手を差し伸べて、
起こそうとしますが、同じ年頃のその女の子は、地面に寝て
泣いている子どもと同じ高さで、その子を見守っていたのです。
ころんで泣いている子どもが、自分のことを心配してくれる友だちの
存在に気づいたとき、安心したのか、はずかしくなったのか
急に泣き止み自分で起き上がったのです。
誰かに助け起こされるのではなく、自分で起き上がり、何でもなかった
ように、また遊び始めたのです。
自分のことを心配していてくれる人の姿に気づいたとき、泣き止み自分で
立ち上がったのです。
大人はついつい上から見下ろして、声を掛けたり、手を差し伸べて
助け起こそうとしますが、幼い女の子は、泣いている子どもと同じ目の
高さで、じっと見守っていたのです。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、声の仏さま いつも私を心配して
見守っていただいているのです。
ところが、それに気づくことなく、泣き叫んでいるのが私たちのようです。
そこに、南無阿弥陀仏の声が聞こえてきた時、この私のために
いつでも寄りそっていただいている、仏さまがあることに気づかされると
自分自身で、立ち上がる力がわいてくるのです。
気づくか 気づかないか、南無阿弥陀仏のお念仏は、
私を見守り応援していただいている、阿弥陀さまという 仏さまが
どんなときでも、どんなところでも、私のすぐ横で、いつも一緒
であることを、教えていただいているのです。
お念仏に遇うことで、私の人生は まことに有り難く
感じられてくるのです。
阿弥陀さまが 寄りそい、はたらきかけていただいていると、
気づき、感じさせていただく人生をおくりたいものです。
第1630回 よろこぶ こころ みにうれば
令和6年 4月25日~
お料理の店を開いていた板前さんは、
自分がつくった料理を 美味しい、美味しいと
食べてもらうのが、一番うれしかったと。話してくださいました。
現役を退いた今でも、材料が手に入るとドレッシングなどを
大量につくって、近所の人に配っていますと、私も一ついただきました。
まるで、仏さまのようですね。
仏さまは、お浄土へ生まれるのだと知った人が、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏と喜んでお念仏をしている姿を見るのが、最もうれしいと、
喜んでおられるといいますからね。
私たちが子どものころから受けてきた教育は、新たな知識を得ることで
表には現れていない、いろいろの事実を発見し理解出来るようになり、
より多くの喜びを感じることが出来るようになるものです。
それに対して、宗教は ごく普通の当たり前のもの、平凡な出来事を、
ちゃんと見て、気づき、感じる力を 育てていこうとするもの
でしょう。
仏さまのお話を聞くことで、この私のためにどれだけ
多くの人々が ご苦労いただいているのかを、感じとる力が、
育てられていくと、どこにでもある平凡で、当たり前の、
普通の出来事が実は、大きな意味、 素晴らしい存在であり、
有り難いことであると気づき感じ取ることができるようになるものです。
そうした力が、身につき始めると、私の人生は 平凡で、
つまらないものではなくなり、とても有り難く意義あるものであると
感じられてくるものです。
鈍感な私に その真実を知らせ、感じ味わうことの出来る力を
育ててくださるのが、南無阿弥陀仏の教えでしょう。
南無阿弥陀仏のお念仏は、自分で経験する前に、失敗する前に
その真実を、有り難さ豊かさを気づかせるはたらきがあるものです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、お念仏の教えに遇うことで、
大きな力が、はたらきがあることを、知らせることによって、
普通で、当たり前にしか見えないものを、出来事を、本当は
とても有り難く、素晴らしいものであることに気づかせ、
それを感じ取り、感動する能力を育てていただくのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を聞き、口にする生活は、
その感受性が
身につき、育てていく、はたらきがあるのです。
お聴聞することで、親たちが最も喜んでくれる生き方が、
知らされるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 は 仏さまの願い 親たちの願いです。
第1629回 視点が変わると 世界が変わる
令和6年 4月18日~
本願寺派の宗門学校 中央仏教学院には、通信教育があります。
そのホームページに、「通信教育で学びませんか」と、
福間学院長のこんな誘いのことばがありました。
ネットにこんな話が載っておりました。
あるサラリーマンが真夏に出張に出かけ、電車を降りてバスに乗りました。
するとバスは満員ですごい熱気でした。
「しまった、タクシーにすれば良かった。」でもバスは動き出し、
もうどうしようもありません。
すると赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。もう最悪の状況です。
彼は思いました、「ああ最悪のバスに乗ってしまった。」すると、
その泣き声が近づいてきました。
赤ちゃんを抱いたお母さんがバスを降りようと、入口近くにいる
彼に近づいているのです。
「良かった、煩わしいのが下りてくれる。」と思っていたら、
バスの運転手が下りようとしているお母さんに聞いたそうです。
「その赤ちゃんはどうされたのですか?」
「熱があって泣いているのです。」
「でも大学病院はバス停が3つ先ですよ。」
「この子が大泣きして迷惑をかけているので、ここから病院まで
歩いて行こうと思うのです。」
こんな会話がすぐそばの彼に聞こえてきたそうです。
するとバスの運転手は、やおらマイクで乗客に語りかけました。
「この赤ちゃんは熱があるそうです。あと3つのバス停で病院です。
それまで我慢していただけませんか?」と。
その後バス内は大拍手が起こったそうです。
お母さんは泣きながら乗客達に有難うとお礼をしたそうです。
その時サラリーマンは思ったそうです、
「自分は最高のバスに乗った。」と。
この運転手の言葉の働きが仏法です。
視点が変わると世界が変わるのです。
仏法の視点を持つ時、今までとはまったく異なる世界が広がります。
閉塞した世界が広い世界に転じられるのです。
みなさんも通信教育で仏教を学びませんか。
家事やお仕事をされながらでも学ぶことができます。
まず、いつでもどこでも短時間で仏教・真宗が学べるようにと、
スマホやタブレットで学習できる入門課程を用意しています。・・・・と
損得勝ち負けだけの価値観で生きていますが、
仏教の教え、お念仏の教えに出会うと、違った世界が見えてくるものです。
お聴聞 お聴聞といいますが、新たな価値観を知らされていくのです。
それがお念仏の教えです。
第1628回 仏さまは 忘れずに
令和6年 4月11日~
こんな話を聞きました。
浄土真宗には 有り難い学者さんが沢山いらっしゃいますが、
昭和の初期に 広島に是山恵覚 (これやま えかく) という
和上 (わじょう) さまがおられました。
たくさんの書物を残されており、また、たくさんのお弟子さんを
お育てになった有り難い方です。
しかし、晩年には残念ながら認知症になられ、毎朝お勤めして
おられた正信偈でさえも、最初の「帰命無量寿如来……」は
出てくるものの、次の二句目が、どうしても出てこないことも
ありました。
一緒にお勤めをしておられた坊守さんは、
「昔は、難しいことばでも、みんな暗記し、すらすらと書かれて
いたのに、いまでは、お正信偈も出てこなくなって……」と、
悲しそうにつぶやかれました。
それを聞いた和上さまは、
「私が忘れても、仏さまが忘れてくださらんけえ、大丈夫じゃのう」
坊守さまに向かって、「私はあんたの顔も忘れていくじゃろうし、
この口から、なまんだぶつのお念仏も、出てこなくなってしまうかもしれん。
それでも、大丈夫。大丈夫。
私は何もかも忘れても、私を忘れてくださらん仏さまが、いまここに
いらっしゃるじゃないか。なまんだぶつの仏さまが、いまここに
おられるから、何の心配もいらん、私のお浄土参りに、何の問題もない」と。
いのちの長い短い、死に方の良し悪しも一切問題ない、
あなたの生き方に、何の要求もされない。あなたの身の振る舞いに、
何の注文もつけない。今後あなたがどのような生き方になっても、
どのようないのちの終わり方になっても、決して見捨てたりはしない。
いまこの私のいのちと、ご一緒に、歩みを運んでくださるお方が
阿弥陀さまという仏さま。何があっても、お浄土に一歩一歩、
一緒に足をお運びくださる、仏さまです。
苦難の多い人生ですが、南無阿弥陀仏の仏さまとご一緒に、
生き抜いていける道が、ちゃんと整えてあると味あわさせていただきます。
第1627回 体の中では 変化が
令和6年 4月4日~
こんな話を聞きました。
「
誰かに親切にしたことを、思い出せますか
? 」と
質問すると、多くの人が なかなか思い出せないものです。
ところが、親切をしているという自覚がないまま、
人とすれ違う時に道を譲ったり、道に迷っている人を案内したり、
氣づけば普通にしているものです。
『親切は 脳に効く』(デイビット・ハミルトン著、サンマーク出版刊、
2018年5月30日初版発行)という本があり、そこには
親切な行為を、科学的に検証してみると、本人にも他人にも社会にも
プラスの副作用を もたらすと書かれています。
気遣いや親切は、日本人には当たり前の話で、先祖代々受け継がれ、
遺伝子に組み込まれたもののひとつでしょうが、親切な行いが
気持ちがいいのは 脳内ホルモンのオキシトシンが、増量され
炎症を抑える作用や、心臓を強くし、血圧を下げ、老化を遅らせ、
うつ症状を治すなど、大きなはたらきがあるからだといいます。
あの人は、とても若く見えるとか、どうも老けて見えるなど、
その人の見た目の印象も、親切や・やさしさに包まれた生活を
しているのか、そうでないかで、違ってくるのでしょう。
日頃、親切にすることが出来る人は、自分に対しての親切や、
思いやりにも、敏感に気づくことが出来、感謝の気持ちを
持てるものです。
ありがとうと思う時、脳内では、幸せホルモンのセロトニン、
集中力・意欲アップや幸福物質とも呼ばれるドーパミン、
絆ホルモンと呼ばれるオキシトシン、免疫アップなど脳内麻薬とも
言われるエンドロフィン等が分泌されると言われています 。
南無阿弥陀仏のお念仏は、私のことをいつでも、どこでも、
思っていてくださる方があることに、気づかされ、感謝することばです。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と聞えてくると、数々の思いやりや、
親切に気づかされ、いつも見守ら、励まされていることを実感し、
感謝の気持ちが起こるとき、私の体の中では、大きな変化が起こって
いるのです。
お聴聞をして、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を口にする生活は、
ここちよく、ありがとうございますと、よろこびを感じられるのは、
こうした体の中の変化が起こっているからなのでしょう。
第1626回 これさえ残せば
令和6年 3月28日~
墓地の草を取っていると、高齢の男性がお参りになりました。
今日は 父親の命日で お参りにきましたと、50回忌もとうに終わり
80年前になくなった父親です。
その方がおっしゃるには、日にちと時間を知らせる目覚まし時計で
起こされたのですが、今日が父親の命日であり、また外孫の
一人の誕生日であることに気づきました。
ご院主さんに教えていただいて、今ユーチューブで、ご本山の
ご晨朝に、毎日あわせていただいていますが、お勤めの後、御文章を
聞きながら思いました。とお話しくださいました。
一年365日ですから、確率は365分の一でしょうが、たまたま
孫が私の父親の命日に生まれています。父から見ればひ孫にあたるのですが、
その孫が、これからの長い人生、どうか喜び多い豊かな人生を送って
くれるようにと願うものの、遠くに住む孫に対して、経済的に
援助してやれるだけの財力もなく、何かしてやりたいものの、
どうしてやることもできません。
そう思っていると、私が子どもや孫を思うように、私の父親や
祖父母も同じように私のことを思っていてくれているのだろうなあと、
思い当たりました。
ご本山の、御文章の拝読を聞きながら、これこそが、親たちが
私に当てた手紙であり、そして、私が子どもや孫に伝えたい内容であることに
気づきました。
お念仏の教えにさえ出会ってくれれば、老病死、いかなる苦しみの時も、
きっと力強く生き抜いてくれるに違いない、これさえ残しておけば
間違いないと思いあたりました。
そこで、孫や子どもが、間違いなくお念仏に出会うことができるように、
はたらきかけてほしい、ご縁をつくってほしいと、お墓参りにきたのです。と。
第1625回 みんな違ってみんないい
令和6年 3月21日~
こんな話を聞きました。
日曜学校の子どもたちに、
赤い丸いものをイメージしてくださいというと、
それぞれに違ったものを教えてくれます。
真っ赤なリンゴ、トマト、イチゴ、太陽、信号機、日の丸の旗、など
いろいろなものをイメージして発表してくれます。
同じ、ことばでもそれぞれに違って受け取るものであることを
教えてくれます。
私たちは自分と同じことをみんな思っていると、ついつい思いがちですが
そうではなく、みんなそれぞれに違った受け止めをしていることが
分かります。
いくら説明しても、あの人はどうして分かってくれないのかと、
悩みをもつものですが、それぞれに個性があり
自分とは同じではないことを、理解しておきたいものです。
そういう自分自身でも、時とところと、時代が変われば同じ言葉でも
まるで違ったものを想い浮かべています。
子どもの頃から、正しい答えは一つと、思い込んで成長してきましたが、
大人になってみると、答えは沢山あるものです。
お経には、青い花は青く輝き、黄色の花は黄色く、赤い花は赤く、
白い花は白く、それぞれに、すばらしく美しく、その香りは気高く
清らかであるとお浄土のことが説かれています。
それぞれの花がいのちをもっていて、自らの色そのままで輝いて
咲くことが尊いことであると語られています。
花の色は、人間の個性をあらわしており、この世の中に
たった一つしかないかけがえのない尊いものです。
他と比べて優劣がつけられるものではありません。
私が私に生まれたということ、そのことが尊く思え、
そして一人ひとりが今、輝いている。
みんな違ってみんないい、そう味わえる人生を
送らせていただきたいものです。
第1624回 いつも 私を
令和6年 3月14日~
知り合いのお嬢さんの結婚披露宴に出席しました。
新郎新婦の紹介が、写真を大きく映しながらありましたが、
新婦さんが、こんな風に話してくれました。
アルバムを開き、多くの写真を見ながら、
どの写真を使おうかと、選び出していたとき、気づいたことがあります。
赤ちゃんの時から、幼稚園、小学校といろいろの行事、
そして、遊園地や海水浴、旅行と家族揃って写った沢山の写真に
兄弟や母親は、写っているのに、父親の姿が、一つもないのです。
知らない人が見れば、父親の居ない家族と思われるでしょうが、
車を運転して、いつも連れていってくれたのは、お父さんでした。
そのお父さんが、どこにも写っていない。
それは、いつも父さんが写真を撮ってくれていたからです。
そう思って、写真を選んでいると、どの写真も、
ただの記念写真ではなく、お父さんのまなざしの記録であるということに
思いあたりました。
当たり前になっていましたが、
いつもあたたかいまなざしの中に、生かされていたことに
写真を選びながら、はじめて気づきましたと
父親への思いとお礼のことばがありました。。
これを聞きながら、
私の周りの多くの人々も、阿弥陀さまも、
どの写真にも写っていませんが、いつも私を見守り、励まして
くださっているのに、気づいていない私がいることに。
私が気づかなくても、いつも見守って応援し、サポートして
くださっているのに、気づかなければ、何でもないことですが、
気づくと、本当に有り難いことだと、感じさせていただきました。
当たり前で終わらずに、多くの思い、はたらきかけに、
気づくか気づかないかで、私の人生は 大きく違ってくることを。
第1623回 はたらき続ける
令和6年 3月7日~
先日 お寺の年忌法要をお勤めしました。そこで、こんな
挨拶をしました。
西蓮寺さま 光明寺さま そして、ご参列くださいました
みなさまのお陰で 前住職の25回忌 前坊守の7回忌法要を
おつとめすることができました。誠にありがとうございました。
次の 33回忌は 8年後、 13回忌までは 6年もありますので、
これは、若い方に、よろしくお願いしたいと思います。
若いといえば、今 若い人の将来の人気の仕事は、ユーチューバー
だそうですが、このひと月 私も ユーチューバーをやっておりまして、
ユーチューブに画像をアップしておりました。
内容は、電話で法話をしておりますものを、動画にしたもので、
親鸞聖人のまとめていただきました、『教行信証』によれば、
お釈迦様が説きたかった、仏さまのはたらきは
お浄土へ往生させる 往相と、 仏となったら、この私たちを導く
還相のはたらきがあるということだとあります。
どんなはたらきか、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と耳に聞こえる
仏さまとなってはたらきかけておられるとあります。
ですから、今日、ずうーうと、はたらきかけ続けていただいていた、
そうした内容を 四、五分でアップしたものを、30本ほど、
現代語訳のお聖教と合わせて 、
120本ほど、アップしております。
一日、300回ほどアクセスはありそうです。
これは、1000人の登録があれば、コマーシャル料の一部を
いただけるそうで、それを期待していますが、現在 521人の段階です。
どうぞ、ご協力くださればありたたいことです。
本日は お忙しい中、みなさま誠にありがとうございました。
孫、ひ孫、ヒイヒイ孫も、参列しておりますので、
仏さまに成られた お二方も喜んでいただいていると思います。
別室で、おときを準備いたしておりますので、そちらへどうぞ、
第1622回 諦めず呼び続ける
令和6年 2月29日~
大阪に行信教校という 浄土真宗の専門学校がありますが、
その卒業生の方が 在学中の校長先生のご法話を思い出して
こんな話をされました。
まだ携帯電話が珍しい頃のこと、新しいもの好きのこの先生は
早速購入されたそうです。しかし、携帯電話の電源はいつも
切ったままだったと言います。
それは、どこからか電話があるのが、イヤで、自分の方から電話を
するとき以外は、電源を入れることはなかったといいます。
ある日、先生が 外出中に、お寺に急ぎの電話があり、
坊守さんは住職さんに、連絡をとりたいものの、いくら電話をかけても
つながらない。
それでも、諦めないで、繰り返し繰り返し、電話をされ、いつか電源が
入るときに、気づいてもらえるように、かけ続けられたそうです。
そして、ついに、重要な急ぎの連絡がとれたことがあったといいます。
そのことを、校長先生は、ご法話で、有り難いことだと気づいたと。
阿弥陀さまも、こっちが電源を入れていなくても、気づかなくても、
絶えず、呼び続けていただいている、いつか気づいてくれるだろうと、
諦めず呼び続けていただいているということに、
携帯電話を通して、阿弥陀さまの有り難さを 改めて
味わわせていただいたとのお話だったといいます。
「心配いらない必ず救う お浄土に生まれさせ 仏にするぞ」との
はたらきかけに気づかずにいるのが 私たちなのでしょう。
それでも、あきらめることなく南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼び続けていただいている。
いつかは気づいてくれることを願いながら、そして、先だった父、母、
祖父母は、阿弥陀さまと一緒になって、一日でも早く気づいてくれ、
気づいてくれと呼び続けていただいている。、
そして、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏の呼びかけに気づくことが出来れば、
平凡なつまらない、当たり前の人生ではなくなりますよ。
仏さまになるこの身であることに気づかされ、人生の受け取り方が、
生き方が違ってくるものですよと、
はたらきかけ続けておられるのです。
私のことを、諦めず呼びつつけていただいているのです。
自分だけのいのちではなく、仏さまになる尊いいのちを今
生かされているのですと。
第1621回 ける かるのご法話
令和6年 2月22日~
こんな 話を聞きました。
「ける・かる」という お話です。
ある法座で、連続してご法話があり、最後のご講師の
時間が無くなってしまいました。
そこで、ご住職さんは、大変申し訳無さそうに、
終わりの時間も迫っていますので、ご法義を短く、一言で
お願い出来ませんでしょうか、お頼みしますと。
その先生は分かりましたと、うなずき登壇されました、そして、
ご門徒を一通りご覧になり、
「ける、かる」とおっしゃって、「肝要は ご文章で」と、
ご文章を拝読され、降壇されてしまいました。
一瞬の出来事に、ご門徒は唖然とするばかり、
驚いたご住職さんが、あわてて講師控室に伺って
誠に申し訳ありませんでした。ご無理を申して、でも
どうゆう意味なのでしょうか。「ける・かる」とは、恐縮しながら
お尋ねしました。
「一言でとのことでしたから、一言で話したまでのことですよ」と、
ご住職は、どういうことでしょうか。と
ご講師は、「ける」とは、阿弥陀様のお喚び声、はたらきです。
それは、私の行為や努力に関係無く、必ず救ってくださる。
阿弥陀様は、助けるの仏さま、つまり、【助(ける)】の、けるです。
そして、「かる」とは、私の側の話です。
その阿弥陀様のお救いに私たちの疑いや、はからいを、持つ余地もなく
南無阿弥陀仏で、私は、ただ助かるのです。
つまり、私の方は【助(かる)】、ただ助かる(救われる)だけ。
ですから、かるです。
阿弥陀様は、私を助けるのける、
私の方は、 助かる、かるです。
そこで、「ける、かる」と一言お話いたしましたと。
これ以上短い法話はないでしょう、これこそが浄土真宗の神髄です。
「ける、かる」に込められた阿弥陀様のお心、すべての人を救うという
阿弥陀さまのはたらきのお話です。
第1620回 赤ちゃんに聞く
令和6年 2月15日~
西本願寺のお晨朝のご法話で、こんな話に出会いました。
ある布教使さんが、布教のため海外に出かけられた時のこと、
ご法話の後に、質問の時間があったそうです。
そこで、ある若いご婦人が、「お任せする、阿弥陀さまに任せる」
ということは、どうゆう事ですかとの質問があったと言うことです。
外国の人に、どのように説明すれば理解していただけるか、
一瞬迷ったものの、質問した方が赤ちゃんを抱いているのに気づき、
「その答えは、抱っこしているあなたの赤ちゃんに聞いてみてください」と
答えられたということです。
赤ちゃんは、母親を信じ切って、すべてを任せて安心して抱かれています。
お腹がすいたら泣けば、間違いなくおっぱいがもらえます。
何の疑いもなく母親に任せきりで生活しています。
同じように 私たちも、阿弥陀さまにおまかせして生活するのが、
浄土真宗の教えとの味わいでしょう。
ところで、思い出すと、赤ちゃんも成長し、少し知恵がついてくると、
なかなかそうもいきません。
小さな子どもを、遊園地に連れて行ったとき、ジャングルジムにつかまり、
年上の子をまねて、どんどんと登っていき、一番高いところにまで登りきり。
振り向いて、親がいることを確認し、自慢げに一瞬笑顔をみせますが、
その高さに気づき、怖くなって、ついには泣き出してしまう子がいます。
「大丈夫、自分で登れたんだから、ゆっくり降りて来なさい」といっても、
怖がって、棒にしがみつき固まってしまいます。
親が、いくら呼んでも、泣くばかりで身動出来ずにいます。
親が上まで登っていき、体を支え、手を持って棒を持ち変えさせてあげると、
一つずつ、ゆっくりゆっくり、降りることが出来るものです。
阿弥陀さまは 南無阿弥陀仏と私を呼び続けておられます。
心配要らない大丈夫、今やれることを精一杯やればそれでいい、
南無阿弥陀仏を口にして生活をしなさい。間違いなく救うから安心しなさいと。
怖くて立ち止まり、どうすることもできない時も、大丈夫 大丈夫と
呼びかけていただいています。
高いところに登って怖がっている子どものように、立ちすくみ心配して、
動くことが出来ない時でも、その声に励まされ、次へ進むことが出来るのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の声は、大丈夫、大丈夫と
阿弥陀さまと一緒になって、父も母も、南無阿弥陀仏と
呼びかけてくれているのです。
貴方と同じように、悩み苦しみ 悲しみながら、母さん達も
生きた来たんだよ、大丈夫、南無阿弥陀仏で大丈夫だから、
心配せずに大丈夫だよと、呼び続けていただいているのです。
第1619回 遺伝に加えて
令和 6年 2月8日~
間違えて、うかつにも別のお宅にお参りする途中で気づき、
慌てて、本来のお宅に電話をして遅れて伺うことになりました。
たまたま土曜日で 80歳代のご主人と 隣の住宅に住む
50代の息子さんが一緒にお勤めをしてくださいました。
「会社の方はどうですか、若い方は なかなか大変でしょう」と
話しかけると、「今の若い人は よく分かりませんよ、
男までも 髪をそめるし、爪にまで色のついたマニキュアはしてくるし」
と、笑いながら答えられました。
「手は汚れる仕事ですか、手袋はするんでしょう。」
「油が付くので 手袋はしていますが、どうも理解出来ない」と。
でも、考えると ライオンも鳥たちも メスより 雄の方が
立派で 目立つようですね。
動物は 本来 雄の方が 目立つように 選ばれるように頑張るものかも
しれませんね。と話しながら おもいました。
動物たちは 本能 遺伝子で、生き抜く智慧を、次の世代に伝えて
いくでしょうが、人間はそれに加えて、言葉を使って 文字を使って、
より多くのことを伝達してきたのではないかと思いました。
それが、現代は 表面的で利己的な動物的な本能は伝わっているかも
しれませんが、精神的なこころの有り様の伝承は はたして出来て
いるのだろうかと思えてきました。
宗教というものは、特に 南無阿弥陀仏の教えは、人間が動物ではなく
人間として 生きがいを持ち よろこびを感じ、協調して生きていく
その力を 次の世代に伝えようとするものであり、それが、はたして
現代は うまくいっているのか。
だんだんと、動物的な本能をむき出しにした、価値観が中心になって
いっているのではないかと、思われます。
すべての人が、人間として充実して喜び多く、生きていることが、
有り難く感じられる、そうした価値観が忘れられ 消えつつあるように
思えてなりません。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 先輩達が伝え残したかった、
人間の本当のよろこびを 感じ味わう力を受け継ぎたかったのだろうと
思います。
もっとも大事なものを 残し相続してほしいと。
第1618回 遠くて 近いのは
令和6年 2月 1日~
日頃 車でばかり移動していますが、忘年会や新年会
お酒を伴う会合では 自分の車で出かけるわけにはいきません。
研修会など、1時間以上かけて遠くから参加される方、
特にお酒の出る会合では 悩まれることだろうと思います。
先日、久しぶりに、ひとり、てくてくと歩きながら、
一休さんと 蓮如上人の逸話を思い出しました。
浄土三部経の一つ 「仏説阿弥陀経」には、
「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、
極楽と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏と申しあげる
仏がおられて、今現に教えを説いておいでになる。」と
説かれています。
そこで、一休さんは
極楽は十万億土と説くならば 足腰立たぬ婆は行けまじ と
読まれたと伝えられています。
お念仏の教えは、阿弥陀さまのはたらきである他力というが、
お浄土までが、十万億の仏の国々を超えた世界であるのならば、
とても、老人ではたどりつくことができないではないか、との
皮肉がこめられた歌とも取れます。
それに対して 蓮如上人は
極楽は十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声
一休さんは 修行してさとろうとする 聖道門の方ではありますが、
阿弥陀さまの他力のお念仏の教えに 好意的で 理解されていたのだと
思います。
そこで、庶民の疑問をうたでよみ、蓮如上人がどのように
答えてくれるのかを 楽しみに 問われたのでしょう。
お釈迦様の教えも お弟子さんの問いに答えて説かれたものが
ほとんどと言われます。
仏教の教えは 問題意識 問いがなければ とても伝えることのできない
大きく深い教え、漠然と聞くのではなく、人生、毎日の生活の
老病死をはじめ、苦悩の中で 問いを持ってお聴聞すると
私のための教えであったと 納得いくものです。
どんなに遠くにあろうとも、南無阿弥陀仏のお念仏一つで 仏の国に
生まれ、今度は 人々を救うはたらきに従事するのだよ、待ってるよと、
私の大切な人々が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 見守りながら
よび続けていただいているのです。
第1617回 梅は こぼれる 菊は 舞う
令和6年 1月25日~
早いもので 境内の紅梅、白梅ともに 開きはじめました。
日本語には 豊かな表現があり、梅の花は 丸く咲き ちょうど
涙のように見えるので 花が散ることを 涙がこぼれるようだと
梅の花は こぼれると言うのだそうです。
昔から〝桜散る こぼるる梅に
椿落つ 牡丹崩れて 舞うは菊なり“と
この他 朝顔は しぼむともいいます。
「しぼむ」、「落ちる」「くずれる」等、花びらの変化を表した
味わい深い表現です。
では どうでしょうか、私たち人間の最後は……? と聞かれると
私たちはついつい「死ぬ」と答えてしまいます。
また「人間死んだら終わり」ということも耳にします。
しかし、いのちの終え方は「死」や「終わり」だけではなく、
違った言葉があるものです。それは 「往く」という表現です。
花の終わりも、言葉で雰囲気が違って聞こえるものですが、
私たちの終わりも、表現することばで、大きく違ってくるものです。
「往く」の元になっている言葉は、「往生」です。
私たちのお仏壇のご本尊、阿弥陀如来が、私たちの為に開かれた
救いの世界、お浄土に往き生まれることを「往生」と言います。
人間がいのち終えることを、「終わりだ」「死だ」と表現するのは
私たちの見方。
一方で、阿弥陀さまは「仏としてのいのちの始まりだ」
「生まれるんだ」と、私たちに呼びかけておられるのです。
阿弥陀さまは、死で終わりではないよ、自分の国、
お浄土に往生させ、仏さまのいのちへと実を結ばせたいと
願いを発して、はたらき続けてくださっています。
私たちは、美しく咲く花だけしか見ていませんが、花は 咲きほこり
やがて枯れて、散ることで、実を結ぶことが出来るのです。
その果実が、次のいのちを生かしてゆく、重要なはたらきをするのです。
仏さまへと実を結ぶと、今度は 慈しみをもって多くのいのちを包み、
育み、導いていくはたらきが出来るのです。
先立って仏さまと成られた方々の ご苦労で はたらきによって、
お念仏に 南無阿弥陀仏に 出会えたのが、この私なのです。
そう考えると、人間に生まれて、今 花をさかせていますが
南無阿弥陀仏のお念仏で、やがてお浄土に往生して、仏に成る、
そして人間の時よりも、もっと大きな 重要な はたらきができる世界に
生まれるのです。
今、まだ助走中で これからが 本番、大事なはたらきが、
本来のはたらきができる日も近いのです。
第1616回 渋柿の渋
令和6年 1月18日~
渋柿の 渋がそのまま 甘味かな
という句があります。
私どもの寺院の境内に 甘柿と渋柿の木があります。
青い間は甘柿も 渋くてとても、食べられませんが 赤く色づいてくると
渋味が取れて、食べることができるようになります。
一方、渋柿の方は 赤く色づいても渋がのこり、完全に熟してぶよぶよに
柔らかくなってしまうまで、渋みが残っています。
色づいた渋柿をもぎ取り、皮をむいて 軒先に干していると だんだんと
甘みが出てきて、甘柿以上に甘みが強い 干し柿が出来上がります。
干し柿の渋がぬけるのには、太陽の光や冷たい風、夜露などの力
自分の力ではなく 大きな自然の力、はたらきによって
変えられていくのです。
ご和讚に
罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし
(『高僧和讃』曇鸞讃 『註釈版聖典』585頁)
氷が多ければ多いほど とければ水が多いように、渋が多い渋柿の方が、
甘柿にくらべて甘みが強くなるものです。
私たちも 悩み苦しみ悲しみ、怒り腹立ち煩悩が多い人ほど よろこび多い
人生へと転じられて、味わい深い人生に変えられていくことでしょう。
仏さまのはたらきを 光であらわしますが、干し柿も 光や風のはたらきで
大きく変化させてもらうのです。
氷も 光や風 暖かさでとけてくるものです。
仏さまの大きなはたらきを 繰り返し聞かせていただき お念仏の生活を
はじめてみると、煩悩一杯の私が、渋一杯の柿が、少しづつ甘みが強くなる
ように、変化していくのが、味わえてくるものです。
渋が甘みに変えられていくように、煩悩が喜びに変えられていくこの教えを
素直に受け取って 悩み苦しみ悲しみから 転じられ、有り難い充実した
人生を 南無阿弥陀仏とともに 送らせていただきたいものです。
第1615回 ただ念仏して
令和6年 1月11日~
これまで 私どものお寺での ご正忌報恩講では
御絵伝を写真にとって プロジェクターで投影しながら
親鸞聖人のご苦労を、四幅の絵像を、二日間にわけて
解説していました。
今年は、本願寺派の総合研究所で作成された 「はじめての歎異抄講座」
を、アレンジしてのご正忌報恩講にしたいと 今 準備しています。
歎異抄の魅力についての項目や 歎異抄の概要と構成などの説明につづき
歎異抄誕生の背景 親鸞聖人のご生涯から という項目があり、その中に、
比叡山で厳しい修行をし、煩悩を無くして、さとりを開こうと
親鸞聖人は、20年間、努力されてきたものの、どうしても煩悩を
無くすことが出来ず、悩まれていました。
そして、得度した青蓮院の近く、吉水の法然聖人の元を訪ねられると、
そこでは、比叡山とはまったく違って
「阿弥陀仏の救いの前では、煩悩は邪魔にはなりません。
阿弥陀仏は どんな人もわけへだてなく、お救いくださるのです。」と
そして、命懸けの厳しい修行するのが仏教の常識であるのに、
「ただ念仏して阿弥陀仏に救われ往生させていただくのですぞ」との
ことばに 非常に驚かれたことでしょう。
そこには、比叡山とはちがって、僧侶ばかりではなく、
商売をする普通の街の人たち、女性も その話を聞いて、
よろこびお念仏をしている人たちがいたのです。
仏さまは すべての人を救おうとされる、すべての人を
救うには、誰でもできる方法、それはこれしかないと、お念仏に
生きる道を選ばれたのです。
自分の力で さとりを開くのが仏教ということを信じて、
励んでこられたのに、人間の力を頼っては、すべての人が
すくわれることはなく、
仏さまのはたらきによらねば、お念仏でなければと
確信されたのです。
阿弥陀さまは 信じさせ お念仏させて お浄土に往生させたいと
はたらき続けておられることを、親鸞聖人は、かずかずの書き物を残し、
私たちに 教えていただいているのです。
第1614回 生かされている不思議
令和6年 1月4日~
こんな話を聞きました。
築地本願寺の朝の法話で ある布教使さんが
お話しいただきました。
あるお寺にうかがった時 有り難い尊い方とお会いしました。
それは、ご年配の方ではなく、20歳の青年でした。
ご法座が始まるまでの 短い時間でしたが、
その青年は 自分が生まれたときのことを話してくださいました。
わずか八百グラムの未熟児として誕生したのだそうです。
そして、すぐに集中治療室に入れられ、無事成長出来るかどうかわからない
退院出来ても、何歳まで 生きておれるか分からないと、
両親には告げられたということです。
その私が 20歳を迎えることができたのです。
これは みなさんのご苦労、多くのご縁のお陰です。ですから、
私は、みなさんへご恩をお返していくことが、勤めだと感じています。
こう青年は 話してくれたそうです。
生きていることが当たり前で 感動もない人生をおくって
いますが、その青年の言葉に、今日まで両親をはじめ
自分の知らない多くの人々のお陰で 今 生かされているということに、
改めて気づかせていただきました。
そして、その青年は そのご恩返しをするのに
自分が出来ることは何かというと、
お聴聞することだと思っていますと言わて
また驚ろかさせられたといいます。
ご恩返しに何が出来るのか それはお聴聞することだと思と
その20歳の青年は いうのです。
仏さまのお話を聞かせていただくことが、ご恩返しであると。
言われてみると、お聴聞することで、気づかないでいる
多くのご恩に気づかせていただく、そうすることで
自分がやるべきことが見えてくるのは確かだなあと感じました。
南無阿弥陀仏のお念仏を聞く度に 私に はたらきかけていただく
数々の力に 気づかせいただくことで、この人生は もっともっと
有り難く 素晴らしいものであることに気づくことが出来、
平凡な人生ではなく、当たり前の人生ではなく なんと多くの願いに
包まれて これまで生かされてきたのかを
改めて 味わわせていたくことが出来るのです。
妙念寺